第9話
91. 水着デート
待ち合わせ場所にしたのは、このビーチリゾートを構成する湾の末端、むき出しの岩が海までせり出しているところで、パブリックなビーチとは反対サイドにあたり、人影もまばらなところだった。
一人で現れたヴィルジニーは、昨日の水着が透けて見える総レースの白いビーチガウンを羽織り、つば広の帽子で顔がわかりにくいようにしていた。僕が声を掛けると、彼女はそのつばを少し持ち上げて見せたが、その表情は不機嫌そうに見えた。
「この
挨拶代わりにそう言い、僕を薄く睨む。
憎まれ口を叩いても、約束通りちゃんと来てくれたという事実が、僕の顔を綻ばせる。
前日の肝試しの際に僕が要求したご褒美、それが、二人でデートすること、だった。
お互いに友人が複数来ているこのイベントで、ヴィルジニーと二人っきりになるには、策謀を巡らせるよりも、ご本人に協力してもらった方が手っ取り早い。思った通り、僕たちは誰にも気づかれずに、別荘から離れた場所で密会することに成功していた。
昨日の肝試し、その際に行われたペアリングに、助けられた部分もある。
夕食の席、その場の思いつきで適当に組み合わされた男女のペアだったが、その後のイベントを経て、それぞれがそれなりに打ち解けるきっかけになった。
リオネルとベルナデット、シルヴァンとリリアーヌといった即席ペアでさえも、朝食では同じテーブルにつくようなことをしていたのだ。
夏の海には魔力がある、などと気持ち悪いことを言ったのは、今生における僕の父だが、どうやらあながち、馬鹿にできた話でもなさそうだ。
とにかくそういうわけで、それぞれ労することなく、一人で出て来ることができていた。
ヴィルジニーは周囲を見回す。
人影まばら、といっても、その行き交う人々は上流階級の貴族ばかり。そうなると、公爵令嬢であるヴィルジニーの顔を知る者もいて当たり前だし、未だ王子の婚約者である彼女が、別の男と二人でいる、などというところを見つかれば、問題だ。不自然に帽子を深く被ってばかりもいられない。
「それで、どうしようと言うのです?」
僕は答える代わりに、左手を差し出す。
彼女は不審げな目で、それを見下ろした。
「なんですか、この手は」
疑問形ですらない、冷たい言い方に、僕は微苦笑して首を傾げる。
「足場が悪いので」
僕が視線ですぐそばの岩場を示すと、ヴィルジニーは不承不承という様子だったが、僕の手を取った。
幼少期、何度かこの地を訪れた僕は、このビーチがここで終わりではなく、この岩場の向こうに、小さいが美しい砂浜が更に広がっていることを知っていたのだ。
僕の手を掴んで岩に登ったヴィルジニーは、そのこじんまりとしてはいるが、誰もいないビーチを見て目を見開いた。
「こんなところに……このような場所が?」
「歩いたかいが、あったでしょ? 別荘の持ち主は、便利だから家のそばから離れませんし。穴場なんですよ」
そう言った僕に、ヴィルジニーは
「人目がないところで、なにをしようというのですか、イヤらしい」
「ぼっ、僕はただ、誰にも憚られずに過ごせればいいな、と」
ヴィルジニーは僕の言い訳になど耳も貸さず、手を振り払うと、先に無人のビーチへと降りていった。僕もあとを追う。
足跡ひとつない砂上を、彼女は波打ち際の方へ歩いていく。白いつま先が、打ち寄せる波を蹴る。
追いついた僕を振り返って、彼女は言った。
「でも……この綺麗なビーチを独り占めするのは、いい気分ですしね。この海に免じて、今回の狼藉は許しましょう」
狼藉、と言われるほどのことだろうか、とは思ったが。
「恐れ入ります」
彼女の微笑みを見せられると、そう言うしかない。
誰が設置したのか、藁葺のパラソルとその下のビーチチェアを見つけ、脱いだ上着と帽子を置いて、僕たちは海へ。
先に水へと入ったヴィルジニーが、あとを追った僕を振り返ると、思いっきり水をかけてくる。もろに正面から浴びてしまい、海水が目に染みる。そんな僕を、ヴィルジニーが笑う。
お返し、とばかりに水を掬うが、
「待って!」
と僕に手のひらを見せたヴィルジニーは、その長い髪を両手で束ねてシュシュで
「髪が濡れるので、頭には掛けないで下さいね」
「……それ、本気で言ってます?」
僕が困ったような笑みを浮かべると、彼女はいたずらっぽく笑った。
その顔に、遠慮なく水をかけてやる。
油断していたヴィルジニーは、かわしきれずに頭から被る。
「ちょっと……少しは遠慮なさい!」
「お返しですよ」
笑ってみせると、怒ったように頬を膨らませ、ざぶざぶと水を掛けてくる。
僕も負けじと、水を飛ばす。
なんのひねりもない水の掛け合いは、まるで童心に帰ったかのようだ。
ヴィルジニーの顔もいつの間にか笑顔になっていて、大いにはしゃいでいる。
それにしても、ヴィルジニーがこれほどサービスしてくれるとは思わなかった。
その神々しくもある水着姿を、惜しげもなく見せてくれているだけではない。
その格好で、遠慮なくはしゃいでいる。彼女の躍動に合わせて、その豊満な胸が揺れる。
それが拝めるなら、いくら海水を被っても、甘んじて受け入れようという気になる。
ヴィルジニーが身を翻し、逃げる。
その背中を追って、走る。
――これこそが、まさに、リア充の夏だよなぁ。
夏季休暇前に期したものが、いままさにここにある、そう思うと、感無量だ。
人目を気にしなくても良い、という環境が、彼女を開放的にしてくれたのかもしれない。
走って追いつき、その白い二の腕を掴もうとしたところで、彼女がパッと振り返り、伸ばした僕の手首を掴む。そのまま引っ張られて、僕はバランスを崩し、海面に頭から突っ込む。
ヴィルジニーの笑い声。
顔を拭った僕は、立ち上がりざまヴィルジニーの両腕を掴み、海の中へと引きずり込もうとするかのように、しかし優しく引っ張る。
ヴィルジニーは思っていたより簡単にバランスを崩し、慌てた僕は彼女が転ばないよう、抱きとめる。
至近距離でこちらを見上げる、ヴィルジニーの顔。
このシチュエーション、これは、あれだな、もう完全に付き合ってるっていって良いヤツだよな!
「ベタベタ触らないで下さい。馴れ馴れしい」
彼女は僕を突き飛ばすようにして離れ、べっと舌を出す。
手厳しく扱われながらも、普段はしないような表情に、それを見られた僕は幸せだな、などとおめでたいことを思う。
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