90. 若い男女が……

「それにしても……癪ですね」


 後半ルートに入ってすぐ、ヴィルジニーが言った。


「……なにがです?」


 なにか怒らせるようなことをしただろうか。

 しかし、ヴィルジニーはちゃんと僕の手を握っている。


「王子の言うとおりだとすれば、シルヴァン殿は、最初からそのつもりで、一番手を買って出た、ということではないですか」


 どうやら今頃気付いたらしい。

 憤りは、シルヴァンへと向けたものか。


「肝試しを少しでも盛り上げようと考えたのでしょう。善意ですよ、彼なりの」

「善意?」


 ヴィルジニーは鼻で笑った。


「驚かせて、楽しみたいだけでしょう」


 それは否定できない。


「ちょっと待ちなさい、ステファン」


 ヴィルジニーは僕の手を引っ張って、足を止める。


「なんです?」

「貴方、もしかして……最初からわかっていたのですか?」


 振り返った僕の目を、ヴィルジニーはまっすぐ睨みつけてくる。彼女が僕だけを見ているのだ、と思うと逸らすのはもったいなく思えたが、流石に視線の攻撃力が強く、耐えきれなかった。


「まさか、この肝試し自体が、貴方の企てなのですか? わたくしを怖がらせて……楽しもうと?」


 僕が顔を背けたのをどう解釈したのか、ヴィルジニーが色めき立ち、身体ごと向き直った僕は慌てて首を横に振る。


「まさか! 違いますよ! 肝試しを提案したのは、ジャック殿だったじゃないですか」

「事前に打ち合わせたのかも」

「そんな――そもそもヴィルジニーとペアになったのだって、たまたま、話の流れでしょ。僕はまったく口出ししてませんよ、あの時」

「それは――しっ、しかし、であれば、なぜ」


 僕は嘆息して、言った。


「シルヴァンが、怖い話をはじめたじゃないですか」

「ええ」

「その上で、一番手を買って出たので」

「……それが?」

「それだけですよ。きっと、そういう目論見だろうな、と」


 ヴィルジニーは訝しげな目で僕を見たが、僕は肩をすくめるしかない。


「では、二番手にベルナデットを行かせたのは?」


 僕はもう一度、今度はもう少し大げさに肩をすくめた。


「リオネルは気付いてないようでしたし、ベルナデット嬢なら一緒に盛り上げてくれるだろうと思って」


 ヴィルジニーはもう一度、僕を睨みつけた。


「でも、ジャックも王子も、マリアンヌ嬢も、気付いていたみたいですよ」


 これは余計な一言だったようで、ヴィルジニーは不機嫌になる。


「それで……貴方はそれをわたくしには言わず、わたくしを怖がらせて喜んでいた、というわけですね」


 ヴィルジニーに怖い顔をされてしまうと、嘘が付けなくなってしまう僕。


「その……怖がっているヴィルジニーが、大変可愛かったので」


 ヴィルジニーはついに僕と繋いでいた手を離すと、うんざりしたようすで溜息をついた。


「別に……怖がってなどいませんから」


 腕組みをして、そっぽを向く。


「アッ……そう、ですね、勘違いでした」


「それに……わたくしを辱めて楽しもう、などと、とんでもない裏切りです」


「えっ、あっ、いや……別に辱めようなどとは。ただ、ヴィルジニーの可愛いところが見られればいいな、と」


「……貴方、カワイイといえばなんでも許されるとでも思っているのではないでしょうね」

「許して……もらえませんかね」

「許しません」


 ヴィルジニーは顎を逸らしたが、すぐに「ですが」と続けた。


「ですが、まあ、貴方の心がけ次第ですね」


「心がけ?」


 なんだ、誠意を見せろとでも言うのか?


「シルヴァンとベットに、驚かされないようにしなさい」


 どうやらヴィルジニー、他の面々に驚く顔を見られたくないらしい。


「いや、しかし、それは難しいですね」


 僕が言うと、ヴィルジニーは不本意そうに首を傾げる。


「なぜです?」


「この暗さです。こちらからでは、向こうがどこに潜んでいるか、見つけられません。一方でこちらは、ランタンで位置を知らせながら歩いている形。絶対的に、向こうが有利です」


「そこを……なんとかするのが、貴方の仕事でしょう。知恵が役に立たなければ、貴方の価値など本当にありませんよ?」


 ひどい。


「しかし……ヴィルジニー。これは肝試しなのですから。楽しみましょうよ、怖がることを」


 僕が言うと、ヴィルジニーは怪訝に顔をしかめる。


「楽しむ? 怖がることを?」


 何を言っているのかわからない、という顔に、僕は頷く。


「そう、怖がることを楽しむレクリエーションです。ほら、さっきのマリアンヌ様の悲鳴、聞いたでしょ?」

「……それが?」

「驚かされることをわかっていての、あの反応ですよ。あの方はこのゲームの本質を理解してらっしゃる。怖いところに行って、遠慮なく怖がる。それが肝試しの楽しみ方、もっとも楽しいところですよ」


「マリアンヌ様は、よく出来た御令嬢ですものね」


 ヴィルジニーは、すねたようにそっぽを向いた。


「いや、そういうことではなく――」

わたくしは、結構です。怖がりたくなどありません。ですので貴方は、わたくしがそうしなくて済むよう、早く考えなさい」


 僕は遠慮なくため息をついたが、彼女は気にした様子も見せなかった。


「いや、まあ……ないわけでは、ないのですけど」


 僕の呟きに、ヴィルジニーは目を吊り上げる。


「あるんだったら、さっさとおっしゃいなさい」

「正直、気が進みません」

「なぜ?」

「この作戦は……僕には、損ばかりなのです」

「……だから?」


 不機嫌そうに首を傾げるヴィルジニー。そんなこと関係ないという態度に、僕はもう一度ため息をついた。


「だから……そうですね、やりますんでせめて、代わりにご褒美を下さい」


 ヴィルジニーはしかめっ面を作る。


「またそれですか」

「いいじゃないですか。ひとつだけ、僕のお願いを聞いて下さい」


 人差し指を立てて迫る。

 すると今度は、ヴィルジニーが諦めたようにため息をついた。





「「わっ!」」


「うわあっ!」


 暗がりの中から大声と共に飛び出してきたシルヴァン、ベルナデットに、僕は自分でも驚くような声を出してしまった。


 ベルナデットが失礼にも僕を指差し、大笑いする。


「あはは……いまのぉ、ご覧になられましたぁ? うわあっ! ですって」


 僕は照れ隠しに咳払いしつつ、周囲を見回す。


 シルヴァンとベルナデットに続き、暗がりから姿を表したのは各々のパートナー、澄まし顔のリリアーヌと、ばつが悪そうな顔のリオネル。


「あら? ヴィルジニー様は?」


 ようやく気付いたベルナデットの言葉の直後、僕の後方、暗がりから進み出てきたのが、そのヴィルジニーだ。


「まったく、くだらない」


 作戦は単純だった。


 敵、“お化け役”は、この闇の中では、ターゲットの持つランタンを目標にするしかない。そこでランタンを持った僕が先行し、ヴィルジニーは後方、少し離れてついてくれば、直接驚かされないし、もしも驚いても、その顔を見られずに済む、というわけだ。


「ヴィルジニー様、ずるぅい!」


 ベルナデットの抗議の声に、ヴィルジニーは呆れたような視線を向ける。


「なにがずるいのですか」

わたくしぃ、ものすっごい驚かされたんですよぉ? 不公平じゃぁ、ないですかぁ」


「いやあ、ベルナデット様の驚きようは、見ものでした」


 そう言って笑みを浮かべるシルヴァンに、ベルナデットは細めた視線ジト目を向ける。


「ほんっとぉ、最悪です、シルヴァン様」

「貴女だって、そのあとは楽しんでやってらしたじゃないですか」

「リリだってぇ、止めてくれればぁ、良かったのに」

「どの口が言いますか」


 言い合いを見ていた僕は、その場にいない人物のことに気付く。


「王子とマリアンヌ様は?」

「ああ、先に行ってしまわれましたよ。ゴールで待ってらっしゃると思います」


 答えてくれたリオネルに、僕は訊ねる。


「リオネルたちは、一緒に戻らなかったのか?」

「まあ、その、一応、パートナーが決まっているということなので」


 シルヴァンとベルナデットが驚かし役で残る以上、そのペアであるリリアーヌとリオネルが、彼らを置いて先に行く、などということはできなかったようだ。


 シルヴァン、リリアーヌ組を先頭に、リオネルとベルナデット、そして僕たちと続き、ゴールへと向かう。


「そういえば、貴方の“損”とは、いったいなんだったのです?」


 僕の隣に並ぶようにしてきたヴィルジニーが、訊ねてくる。


「悲鳴を上げて笑われることではないのでしょう?」


 僕は答える代わりに、ヴィルジニーの手を取った。


「まずは、手を握っていられる時間が短くなること」


 もはや肝試しは終わっているようなものなので、拒否されるかな、と思ったが、ヴィルジニーは手を振りほどいたりはしなかった。

 せっかくなので、歩きやすくなるように手を握り直す。


 ランタンに照らされたヴィルジニーの顔は、呆れたような色を浮かべていた。


「それが、損?」

「大損じゃないですか」

「……まず、とおっしゃいましたね。他にもあるんですか?」

「あります。驚かされたヴィルジニーは、思わず僕に抱きついてくるはずでした」

「はあ?」

「とても残念です」

「なにを……馬鹿馬鹿しい」


 ヴィルジニーはふいっと顔を背けた。


「例え驚かされても、そのようなことにはなりません」

「そうでしょうか」

「そのように不埒なことを考えていたとは、まったく、呆れます」


 口調こそ辛辣だったが、ヴィルジニーは手を離したりもせず、そのまま一緒に歩いてくれた。


「その程度のことで、褒美を要求するなど」

「ヴィルジニーにとってはその程度のことかもしれませんが、僕にとっては大事です」

「まったく……心底呆れます」

「あの、それで……ご褒美の方は」


 ヴィルジニーは嫌な感じに間を開けたが、僕を横目でちらりと見てから、言った。


「仕方ありません。約束は約束、ですからね」


 やったぜ。

 この悪役令嬢、意外と律儀で助かる。


 そういう話をしているあいだに、一行はゴール付近へ到達しつつあった。


 ぼやっと見えてきたのは、ランタンの光。

 更に近づくと、ゴール地点の参道入口にいる、ジャックとセリーズの姿が確認できた。


「遅かったじゃないですか」


 ジャックの抗議の言葉に、怒りの色はない。二人っきりの時間を満喫したのだろう。


「少々、盛り上がりましてね」


 答えると、ジャックは苦笑い。


「声が聞こえてましたよ」


 ベルナデットが、皮肉たっぷりの笑顔をこちらに向け、僕は無言でそっぽを向く。


「フィリップ王子と、マリアンヌ様は?」


 シルヴァンの言葉に、怪訝な顔になるジャック。


「まだ戻られませんが? 御一緒だったのでは?」


 慌てて周囲を見回す一行。

 王子とマリアンヌの姿は、やはり見当たらない。


「確かに、先に戻られる、と」

「道に迷ったとか?」

「まさか……迷うようなところなどありません。ほとんど一本道です」

「しかし、ではいったい……」


「――若い男女が消える、とおっしゃってました?」


 誰かが言い、場が一瞬、静まり返る。


「いや、しかしあれは……」


 僕はシルヴァンの姿を探す。

 見つけた彼は、青ざめた顔で首を横に振った。


「デタラメを言ったんです。そんな噂など、ありません」


 シルヴァンは告白したが。


「しかし、現にお二人は――」


 姿を消した――これはマズイかもしれない、と僕は思う。


 普通に考えれば、人が忽然と消えるなど、ありえない。

 だけどこれが、もしもゲームのイベントだったとしたら……


 しかも消えたのは、王国の第三王子と侯爵令嬢だ。もしも本当に見つからなかったら――


 そういう考えが、一瞬で頭を駆け巡る。


「おい、いまの聞こえたか?」


 ジャックの言葉に、全員が彼の見る方を向く。


「いや?」

「確かに聞こえた。向こうの方だ」


 ジャックが指差した方向に目を凝らした、その時。



――次はおまえだ!



 後ろから浴びせられた、突然の大声。

 女性陣から発せられる悲鳴。


 思わず飛び上がりそうになった僕に、誰かがぶつかってくる。転んではいけない、と、反射的に抱きかかえると、ぎゅっとしがみついてきた。


 そのままの形で振り返ると、僕らの後方、という位置に――してやったりという笑顔のフィリップ王子と、少し申し訳なさそうに微笑むマリアンヌが立っていた。


 どこかそのあたりで、隠れていたのだろう。


「ちょっ……王子ぃ!」


 いち早く立ち直ったベルナデットの抗議の声に、はっはっは、と笑う王子。


「驚かされてばかりでは癪だからな。仕返しだ」


 そう言って、全員の顔を見回す。


「やあ、うまくいったな」


 悲鳴を上げてしまって、顔を赤くしているベルナデットとリリアーヌ。シルヴァンとリオネルも驚かされた様子だ。その中で王子と同じように微笑んでいる、ジャックとセリーズ。


「お二人もグルでしたか」


 皆の視線を誘導して王子が背後に立つ隙を作ったジャックは、苦笑気味に笑う。


「すまない。まさかこんなにうまくいくとは思わなかったんだ……」


 弁解するように言ったジャックだったが、だったモノを見て、その表情を引きつらせた。


 ようやく僕にも、それを確かめる余裕が出来た。


 僕にぶつかってきたモノ……それは、突然の大声に驚いて、僕に抱きついてきた、ヴィルジニーだった。

 いまもまだ、しがみついてくる彼女を、僕が抱きかかえるような形になっているのだ。


 突然、彼女の身体の柔らかさをはっきりと感じる僕。


 予期せぬラッキー展開……ありがとうございます!


「あの……すまん、ヴィルジニー。まさかそこまで驚かせるとは……」


 王子の気遣わしげな言葉に、ヴィルジニーはようやく、しっかりと閉じていた目を開いた。


 それから、やっと僕と抱き合っている現状に気付いたようで、慌てて突き飛ばすようにして離れた。


「えっ? あっ……いえ、違うのです! 振り返ったときに、何かにつまずいて」


 弁解するヴィルジニーの顔は、真っ赤だ。


 一方、皆は、見てはいけないものを見てしまった、というふうに視線を逸らした。シルヴァンやベルナデットなどは、後ろを向いているが、あきらかに笑いを堪えていた。


「ほっ、本当なのです!」

「大丈夫ですヴィルジニー様……皆、わかっております。ちょっとビックリしただけなんですよね」


 僕が言うと、ヴィルジニーはこちらを睨みつけた。


「こんなことになったのは、全部貴方のせいですからね!」


 えっ? どうして!?

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