89. 二人の幽霊

「向き不向きがあるのは理解していますが……あんまり情けないところは、見たくありませんよ」


 見つけた小道に入ったところで、ヴィルジニーがそう言った。

 さっきの僕の「ビビリなんです」発言を受けてのものだと、すぐにわかる。


「僕が怖がるところを見たいようなこと、言ってたじゃないですか」

「……モノには限度があります」


 その表情を見れば……おそらく、闇の深い夜道、二人きりになって、思っていたより心細くなってしまったのだろう。僕程度であっても頼りにしたいとか、無意識にそういう気分なのだ、たぶん。


 確かに僕はビビリではあるが、あいにく、この肝試しについては、全然怖いと思ってなかった。


 お化けなど出るわけがない、と思っているわけではない。


 むしろ、逆だ。


 ここがゲーム世界なら、ホンモノのゴーストや怪物が出る可能性は、当然にあるのだ。


 ただそれが“本物”であったとしても、それは作為的なもの……神かシナリオライターだか知らないが、何者かの意思が介在するものだ。人知の及ばない、真の超常現象とは、違う。


 出て当然で、かつその目的がわかっていれば、恐れるべきものではない。


 人は、なにがなんだかわからないものを、恐れるのだ。


「ヴィルジニーに対していまさら取り繕おうなんて思っていませんが、もしもトロルが出たら時間稼ぎはしますんで、なんとか逃げてくださいね」

「トロルなど出ません」

「そうでしたね。オークでしたか?」

「いるわけないじゃないですか、そんなもの」


 つまらなさそうな声音を作って、言う。


 それらはこの世界であっても、おとぎ話にしか出てこない存在だ。


 道は確かに一本道だったが、曲がりくねっていて、しかも鬱蒼と茂った森の中。ランタンで照らせる範囲は狭い。


 前を歩くペア、フィリップ王子とマリアンヌのはずだが、五分ほどしか離れていないはずの二人のランタンも、乱雑に立ち並ぶ木々に隠されて、見えない。


 夜の闇に原初的な恐怖心を刺激されても、やむを得ないと思える環境だ。


 ヴィルジニーの僕の手を握る力が、はじめに比べて強くなっているのも、そういうことだろう。


 石畳の上を歩きはじめてほどなく、遠くから聞こえる、甲高い女性の悲鳴。


 さすがに驚いた様子で身体を震わせたヴィルジニーが、声が聞こえたとおぼしき方向に顔を向ける。前方、僕らの進行方向だった。


「いまのは……ベル?」


 僕にもベルナデットの声のように聞こえた。時間的には、二番目のグループだった彼女たちは、そろそろゴールに着いていいはずのころだ。


 僕やジャックが予想したように、シルヴァンが驚かす役をやっているのなら、ルートの後半、そろそろ終わりだと安心する辺りにでも潜んでいたのだろう。まったく、人が悪い。


「ベルナデット嬢なら、リオネルが一緒です。心配はいらないでしょう」

「それは……そう、でしょうが」


 ヴィルジニーの顔に、不安げな表情が浮かんでいるのを見つける。


 シルヴァンが悪ふざけをしているのだ、と、種明かしをしてやるべきかと、一瞬、悩む。

 しかし、ここで知らせたら、もうヴィルジニーは驚いたりしないだろう。しかし、知らないままであれば、シルヴァンに驚かされたヴィルジニーが、僕になどのラッキー展開があり得る。


 僕は、驚いてすがりついてくるヴィルジニーを、しっかり抱きしめる場面をこっそり思い浮かべる。

 うーん、これは美味しい。その可能性は、是非とも残しておきたい。


「なにか見つけて、驚いたんじゃないですか」


 せめて彼女の緊張をほぐそうと、軽い調子で言ってやる。


「なにか、とは?」

「えーっと……ヘビとか、カエルとか」

「ヘビ? ヘビがいるのですか?」

「いや、いるかはわかりませんが……森なので、いてもおかしくはないかと」


 ヴィルジニーは、そのへんにもヘビがいるのではないか、と、足元を気にしてみせる。


「ヘビだって、人間のことは嫌いです。できるだけ近づかないようにしますよ」

「なぜ貴方にヘビのことがわかるのです」

「……賢いから、ですかね」

「…………」


 更に歩いたところで、今度はセリーズのものと思しき悲鳴。先程のベルナデットのものより、はっきり聞こえた。


 僕の手を握るヴィルジニーの手に、ぎゅっと力が入る。


「どうやら、順番にやられているようですね」


 ボソリとつぶやくと、ヴィルジニーが怒りと戸惑いをミックスした視線を僕へと向けた。


「やられているとは……なんです!?」


「シルヴァンが言ってたじゃないですか」


 わざと、低い声を出して、僕は続けた。


「この辺りで、稀に若い男女が消える、と――」


 ヴィルジニーは僕の手を、更に強く握った。その、高飛車キャラに似合わない反応が可愛い。


「とっ、トロルなどいるはずないではないですか」

「シルヴァンは、トロルではないだろうってことは認めてましたよ」

「では……なんだというのです」


 ヴィルジニーの声は、微かに震えているようだった。

 もしかして、あれか。単に夜の闇で心細くなったのではなく、マジでこの手のホラーネタが苦手なタイプなのか。


 そういえば、シルヴァンが怪談をはじめたところで、ヴィルジニーは妙に反応していた。


 ファンタジーに出てくる怪物に意外にも詳しかったりするし、子供の頃に読んだおとぎ話に、マジで恐怖した経験のあるタイプなのかもしれない。


 そう思いついた僕は、彼女をからかってみたくなる。


「そうですね、もっと別の……幽霊の類かも」

「幽霊……?」

「怨念を持って死んだ人間の魂は、生者、生きている人間に祟るんですよ。たとえば、あの世にいざなってしまう、とか。人が消えた、というのは、そういうことなのかも」


「そっ、そんなもの! ……いるはずがないじゃないですか!」


 ヴィルジニーは、引きつった顔を向こうに向けた。


「まったく、馬鹿馬鹿しい」

「ヴィルジニー」

「なんです?」

「手、ちょっと痛いです」


 こちらを向いたヴィルジニーは不機嫌そうだったが、その顔は恥ずかしそうに赤く染まっていた。


 繋いでいた手を、握り直す。


 そんなこんなで更に十分ほど歩いたところで、進行方向、木々の間に、動くものを見つける。


 ボウっと淡い光。


「ゆっ、幽霊!?」


 先ほどの冗談がかなり効いているようだ。引きつり気味の声が出てしまったヴィルジニーが少しかわいそうになって、僕は首を横に振った。


「ランタンの明かりです。王子たちでしょうね」


 僕はヴィルジニーの手を、励ますように握り返す。


 ほどなく、森が途切れた。


 神殿の境内だ。シルヴァンの話通りなら、見えているのが神殿の右側面になるはずだった。


 神殿、などと呼ばれていたが、その外見は、前世現代日本の和風建築、すなわち神社のような外観をしていた。かなり傷んでいるようだったが。

 建物が印象通りの構造なら、このまま左方向に回り込めば、表側に出られるはずだ。


 そのように歩いていくと、神殿の正面側に、ランタンを持った人影があった。更に近づく。


 ランタンを持って立っていたのは、僕らの前に出発したフィリップ王子。その傍らに立つのは、当然、今回のパートナーのマリアンヌだ。

 二人の目線の先には、神殿入口の五段ほどの階段。そこには、更にその前に出発したジャック、そしてセリーズの座り込む姿があった。縮こまるように小さくなったセリーズの背中を、ジャックが優しくさすっている。


 四人をみとめたヴィルジニーが、僕と繋いでいた手を離した。


「いかがなされました?」


 近づいて声を掛けると、四人がこちらを確認するように顔を向ける。


「ゆ……幽霊が……」


 震える声でセリーズが言い、ヴィルジニーがビクリ、と身体を震わせる。


「幽霊?」


 頷いたセリーズは、続けた。


「ベルナデット様と、シルヴァン様の……幽霊が」


 僕はセリーズの隣のジャック、そしてフィリップ王子と顔を見合わせる。


「まさか……二人は、もう?」


 などとかすかな声でつぶやいたヴィルジニーに、僕は思わず顔をしかめてしまう。


「そんなはず、ないじゃないですか」


 幸いにもヴィルジニーの発言は他の面々には聞こえておらず、恥を晒さずに済んだようだった。


「おそらく、最初に行ったシルヴァンが、待ち伏せして次のベルナデットを驚かしたのだろう。そして、面白がったベルナデットがシルヴァンと一緒になって、次に来たセリーズたちを驚かした……そんなところだろう」


 聞こえた悲鳴の順番からしても、王子の推理はおそらく間違いないと、僕も思う。

 ばつが悪そうに顔を背けるヴィルジニー。僕はもう触れずにおいてやることにする。


「それで、その“幽霊”は、どこに?」


「ここから予定通りの進行方向、小道を少しばかり行ったところだ」


 ジャックの言葉に、僕は首を傾げる。


「それで……お二人は、どうしてここに?」


 ジャックは答えず、立てた指先を天に向けて、くるくると回す。Uターン……驚いたセリーズが背中を向けて逃げ出してしまったとか、そういうところだろうか。


「ボクたちはここで戻ってきた二人と鉢合わせたので、セリーズの様子もおかしいし、ステファンたちを待っていたんだ」


 フィリップ王子の補足に、頷きを返す。


「セリーズさん、大丈夫ですか?」


 かがんで様子を見ると、セリーズはぎゅっと目をつぶったまま、プルプルと首を横に振った。


「もっ、もう少し……動けません……」


 すっかり怯えて、腰を抜かしているようだ。

 セリーズは最初から怖がっていたし、そういうところに驚かされて、かなり効いてしまったのだろう。


「セリーズが落ち着いたら、俺達は参道を降りてゴールに向かおうと思う」


 ジャックの言葉に、僕は背後の参道を見やる。こちらからは階段になっているようだが、シルヴァンの話では、数分でスタート/ゴール地点に戻れるということだった。


「我々は、どうしましょうか」


 フィリップ王子に向かって言ったのだが、「くだらない」と吐き捨てるように答えたのはヴィルジニーだった。


「馬鹿騒ぎに付き合ってなどいられません。わたくしたちも、階段を降りましょう」


 そう言ったヴィルジニーの顔は、若干引きつっているようにも見える。彼女も態度には出さないようにしているつもりだろうが、内心ではかなり怖がっているのだ。


「しかし、シルヴァンたちは、ボクらが来るのを待ってるだろう。それに、肝試しはまだ終わっていない」


 そう言った王子は、パートナーの顔を見ると、マリアンヌも微笑んだ。


「そうですね。どういうふうに驚かされるのかも、気になりますし。最後まで参りましょう」


 同意に至った二人は、こちらの方を見た。


「ステファンたちは、どうする? リタイヤするなら、シルヴァンたちにもそう伝えるが」


「リタイヤ?」


 そのワードに反応したのはヴィルジニー。

 僕は彼女のこめかみが引きつるのを見つけて、ほくそ笑むのを我慢しながら答える。


「驚く顔を見られたくないから逃げた、と思われるのもしゃくですね。我々も、最後まで参りますよ」


 ヴィルジニーは不満を表すように少しばかり頬を膨らませたが、やはり、逃げたと思われるのは嫌なのだろう、結局は何も言わなかった。


「よし。ではボクたちはそろそろ行くよ。遅くなって心配しているかもしれない。五分後に来るだろ?」

「そうですね」


 フィリップ王子とマリアンヌは再び手を繋ぐと、楽しげな足取りで闇の中へと消えていった。


「お二人は、どうして平気なのでしょう……」


 力なくつぶやくセリーズ。

 そりゃあ、相手が誰だかわかっていれば、突然のことには驚かされるかもしれないが、それだけだ。むしろセリーズが怖がりすぎだ。


「お化け屋敷気分なんでしょうね」

「お化け……なんです?」


 そんなもの、この世界にはなかったか。

 なんでもない、と首を横に振って誤魔化す。


 ほどなく、二人が消えた森の方から、マリアンヌの悲鳴が聞こえた。もっともその種類は、ベルナデットやセリーズの時のような、緊迫感を伴ったようなものではない。遊園地で女子が発する類の、あれだった。


「マリアンヌ様は、フィリップ王子にはお似合いだな」


 おそらくジャックは、思ったことをつい口に出してしまっただけだ。

 だがジャックは、そのフィリップ王子の婚約者であるヴィルジニーがその場にいることを、言ってしまってから思い出したらしい。


「あっ、いやっ、いまのは、その――」


 慌てるジャックを、一度は睨みつけたヴィルジニーだったが、すぐにふっと、皮肉めいた笑みを浮かべた。


「よろしいのですのよ。いまのは、聞かなかったことにしておきます」


 激高、罵倒されるかも、と思っていたのだろう、ジャックは、彼女のその反応に、拍子抜けしたようだった。


「ステファン様、そろそろお時間ですわ」


 ヴィルジニーはそう言うと、あろうことか、僕の左腕に抱きつくように掴まってくる。


「えっ? あっ……ヴィルジニー、さま?」


 彼女の柔らかさを直に感じ、嬉しいが、ジャックの見ている前でこれは、マズイのでは、と焦る。


「参りましょう」


 ヴィルジニーは気にした様子もなくこちらを見上げてくるので、僕はそれ以上は何も言えず、なんとかジャックたちの方へと向き直った。


「そっ……そろそろ参りますが、お二人は?」


 ヴィルジニーの仕草に驚いた様子を見せていたジャックが、我に返ってセリーズに優しく声を掛けると、セリーズは膝に力を入れて、なんとか立ち上がった。


「はい……大丈夫です」


「――では、またのちほど」


 参道、ゴールへのショートカットルートとなる階段を降りていく二人を、見送る。


 二人の姿が見えなくなって、ヴィルジニーは僕の腕から身体を離した。


「あの……もう、終わりですか?」


 名残惜しく、つい言ってしまう僕。

 ヴィルジニーは左手を腰に当てた。


「一時の気の迷いです。忘れなさい」

「えーっ……せっかくですし、もう少し続けませんか」

「歩きにくいでしょう?」


 ヴィルジニーは、はっきりと拒否する、という態度だったが、それでも手を繋ぐために、差し出してきた。


「ほら。早く行きますよ」


 ぶっきらぼうに言う、その頬は、また赤く染まっていた。

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