88. 肝試し
「これから行く神殿について、少しお話しておきましょうか」
シルヴァンと、そのペアであるリリアーヌを先頭に、肝試しのスタート地点へと向かう道すがら、そのシルヴァンが口を開いた。
僕たちは一応、それぞれのペアと一緒になり、現場へと向かっていた。海岸を背後にして歩いていく形で、ビーチ沿いのリゾートの別荘やホテルに煌々と灯る照明は街を明るく照らしているが、そこから離れていくに従い、道行きは暗く、寂しくなっていく。
男性陣は各々が、屋敷で借りたランタンで足元を照らしていて、歩くのに支障こそなかったが、そのぼんやりとした光のせいで、薄気味悪さは否応なく増しつつあった。
「旧教、つまり、この地に最初にやってきた人々が、自分たちの信じる神を祀ったのが、この神殿だと言われています。もっとも、旧教を信じる者も、この国からいなくなって久しい。その間、使われることもなく、管理する者もおらず、ずっと放置されているのです。そういう場所ですから――」
シルヴァンは不自然に言葉を切ると、一度、ついてくる他の面々の様子を伺うようにした。
「いろいろと、曰くがありましてね」
「曰く?」
誰かが聞き、シルヴァンが頷いた。
「誰もいないことをいいことに、逢引に使っていたカップルがいたそうなのですが、ある日、そこへ行った二人が帰ってこない。探しに行ってみるが二人は見つからず、境内にはおびただしい血の跡が残されていた……とか」
ヒエッ……という微かな悲鳴は、セリーズのものだろうか。
「暗くなると、人喰いトロルが出る、という話もあります。もしかしたらそれが……」
「トロル?」
疑問の声を上げたのはヴィルジニー。
「トロルは北の山に出る伝説の怪物でしょう。それがこのような暖かい南の海に? いるはずがありません」
意外にも、おとぎ話に詳しい悪役令嬢。
「じゃあ、オークかコボルトだったかな」
シルヴァンの言葉を、ヴィルジニーは鼻で笑う。
「デタラメを」
「そうですね、
シルヴァンは、たっぷり間をとって、続けた。
「このあたりで、稀に若い男女が消える、というのは、本当の話なんですよ」
夏の海に似つかわしくない、冷たい風が通り過ぎる。
「おっ、おどかさないでください」
ヴィルジニーの声は、微かに震えているように聞こえたが、気のせいだろうか。
それにしても――僕はシルヴァンを見る。
肝試しの前に、これから行く場所の曰くを話し始めるなど、まるで教科書通りではないか。
そもそも、肝試しを提案したのは、ジャックだ。
前世の記憶がある僕には、肝試しがなんなのか、説明されずともわかっているが、ジャック自身も言ったように、肝試しはこの世界の貴族にとっては、一般的なレクリエーションではない。
それなのに、肝試しがなんたるか知らないはずの貴族であるシルヴァンが、それを盛り上げるような怪談をはじめるのは、気が利き過ぎではないか。
もしかしたら――この肝試しは、ゲームに用意されているイベントのひとつ、なのかもしれない。
とすれば、この夏のバカンス、それ自体が、最初から用意されていたシナリオ……いうならば、“合宿編”のようなものなのかも。
主人公のセリーズ視点では、僕がこのバカンスのお膳立てをした真の理由は、わからない。“慰労会”というタテマエを、信じているだろう。だからそういう実装であることは、十分にありえる。
前世の記憶、などという情報を持つ僕さえもまだ、誰か――シナリオライターか、神か、そういった上位存在の掌の上で、踊らされているに過ぎないのか。
「わっ、わたし……ちょっと、怖くなってきました」
僕のすぐ前を歩くセリーズが言い、隣のジャックがどことなく嬉しそうに彼女に近づく。
「そうだ。もうひとつルールがあるのを、説明してなかった」
「ルール?」
「ペアの二人は、肝試しのあいだ、お互いの手を握っておくんだ」
「手を?」
僕の隣のヴィルジニーが、怪訝に問う。
「ルールなどといって、女性の身体に触れようという魂胆ですか。イヤらしい」
「それだけではありません」
ジャックは否定しなかったが、続けた。
「例えば緊張すれば、人は手に汗をかく。もしくは、手に力が入る。手を握っていれば、相手が本当に平気なのか、それとも虚勢を張っているのか、すぐにわかる。
それと、もうひとつ。この暗さですから、万一にも、はぐれることを防ぐ目的があります。事故防止ですよ」
そう言って、ジャックは傍らのセリーズの手を取った。
「こうしていれば、恐怖心も薄れるだろ?」
セリーズは少しばかり不本意そうな顔をしてみせたが、彼の手を拒否したりはしなかった。
そうこうしているうちに、シルヴァンが足を止めた。
「ここが参道の入口です」
言われてみてはじめて、そこが十字の交差点になっていることに気付いた。
彼が指し示す正面方向が参道のようだが、朽ち果てかけた門柱のようなものを除けば、それらしい雰囲気はない。
「このまままっすぐいけば石段があって、上れば神殿はすぐそこです。地図に書いたルートは、ここから右に。百メートルほど歩くと、左に入る小道が見えてくるので、そこから入って、あとは一本道。神殿の横に出るので、前側を通って反対に。また同じような小道があるので、道なりに歩けば、向こうの――」
シルヴァンは言いながら、左側の道を示した。
「やっぱり百メートルぐらいのところに出てくるので、こちらに曲がってきて、ここをゴールとしましょう。石畳を辿っていけば、迷うようなことはないはずです」
それから、参道の方を指差す。
「もしも途中でリタイヤしたいときは、こちらの参道を降りてくれば、数分でここにたどり着けます。よろしいですか?」
各々が静かに頷くのを見て、シルヴァンは頷いた。
「よし。では、よろしければ、土地勘がある
彼のペアになるリリアーヌが、えっ、という顔をする。
「もしもルートに問題があれば、引き返してきます。戻らなければオーケーということで、そのまま進めていただければ」
「そうだな」
フィリップ王子が頷いた。
「所要時間は三十分ほど、と言ったな? ではシルヴァンたちが行ったあと、五分おきにスタートしよう。なにかあればその場にとどまるか、神殿から参道を降りてくること。よろしいか?」
再び、各々が頷く。
「では参りましょうか、リリアーヌ様」
シルヴァンがニコニコと手を差し出し、リリアーヌはわずかな逡巡の後、その手に自らの手を乗せた。
二人がゆっくりと歩み去るのを見送りつつ、僕は先程からセリーズと手を繋いだままのジャックに近づく。
「ジャック殿は、シルヴァンと打ち合わせを?」
セリーズとは反対側に立ち、こっそり訊ねると、ジャックは怪訝な顔をする。
「えっ? いや、まさか。シルヴァン殿とは、そもそもさっきのディナーではじめて話したんだ」
悪巧みをするような親しい間柄ではない、ということだ。
質問の意味を問うてくるような顔のジャックに、僕は言った。
「いえ、シルヴァンの段取りが、やけに良い、というか……さっきの怖い話など、ずいぶんいいタイミングだったし」
「ああ、あれには驚いた。ずいぶん気が利く男のようだね、シルヴァン殿は」
王子の太鼓持ちであることを、揶揄したわけではあるまい。
ジャックは、彼らが歩き去った方向を見た。その姿は暗がりに飲まれていたが、かろうじて、シルヴァンが持つランタンの光が見えていた。
「一番手を買って出たのも、おそらく……」
言いかけたジャックは、僕の顔を見て口をつぐんだ。
おかげで、僕も気付ける。シルヴァンはおそらく、途中で潜んで、驚かし役でもやろうなどと考えているのだ。
「次は誰が行く?」
聞いたのはフィリップ王子。
僕はリオネルの方を向いた。
「リオネル、二番手、行ってくれるか」
「……
リオネルの顔色は青ざめているように見えたが、おそらくそれはビビっているからではなく、彼の左腕にぶら下がっているベルナデット嬢が原因だろう。
「問題など起きないと思うが、あいにく、下調べをしているわけではない。先に行ったシルヴァンが困ったことになっていれば、リオネルの対応力が頼りになる」
そう言うと、リオネルは表情を輝かせた。
「おまかせください!」
これでよし。
「ああ、そうだ。もしも実力を行使する場面になったら、気をつけろ。相手の顔を、よく確かめるんだ」
「?? ……わかりました」
調子に乗って脅かそうとしたシルヴァンを、驚いたリオネルが反射的にぶん殴ってしまうのは、できれば避けたかった。
だいたいの時間が経過し、リオネル、ベルナデット組が出発する。ベルナデットは「きゃ〜、こ〜わ〜い〜」などと全然怖くなさそうに言いながら、リオネルの腕にぶら下がろうとするので、いくら力持ちのリオネルでも、さすがに歩きにくそうだ。
「このあとは、どうします?」
ジャックが言い、僕とフィリップ王子を交え、顔を見合わせる。男どもは、別に順番などどうでもいい、という態度だ。
お互いがペアにしている女性陣の顔を見比べる。
一番、表情がこわばっているのは、あれからジャックの手を握ったままのセリーズで、緊張感がこちらにまで伝わってくるようだ。
ニコニコと微笑むマリアンヌ。このイベントを一番楽しんでいるように見える。
そしてヴィルジニーは……両腕を抱えそっぽを向き、どうでもいい、という態度。
「じゃあ、俺が先に行っていいですか」
ジャックが言い、王子が頷いた。
「その次はボクが行こう。ステファンは最後でいいな」
「ご随意に」
ジャック、セリーズ組を見送る。そばの茂みで何かがガサッと音を立て、驚いたセリーズがジャックの腕にしがみつくようにするのが見えた。
「あのお二人、とてもお似合いですわね」
マリアンヌがニコニコと言う。
そのマリアンヌとフィリップ王子。自分たちの番が来ると、当たり前のように手を繋ぎ、「それじゃ、先に」と言って、これまで三組のペアを飲み込んだ闇へと消えていった。
残された、僕とヴィルジニー。
「やっと二人っきりになれましたね」
それまで、僕と目を合わせようとさえしていなかったヴィルジニーは、僕のその言葉を聞いて、嫌そうに顔をしかめた。
「なにを……本当におめでたい方ね」
「そのために、僕とペアになる組み合わせを提案したんでしょ?」
僕の指摘に、ヴィルジニーは慌てたようにそっぽを向いた。
「べっ、別に……貴方と二人になろうとして、あのように言ったわけではありません! 偶然……偶然です!」
ベタなデレムーブありがとうございます。
「なんですかその顔は……本当に、勘違いなさらないでね」
腕組みをしたヴィルジニーは、ふんぞり返って溜息をついた。
「フィリップ王子とマリアンヌ様を近づけたいというのが、このバカンスの目的なのでしょう?」
昼間に話したことだが、その意を汲んでそうしてくれた、ということだろうか。
「それに……リリアーヌとでは、貴方も不本意でしょうし」
悪役令嬢なのに、そんなふうに優しさを安売りしていいのだろうか。
「その結果、余った者が偶然、貴方と
わかりました、オーケーです、そういうことにしておきましょう。
僕は答えず、ただ頷くだけに留めた。
そして握ったままだった懐中時計の時間を確かめると、パチン、と音を立てその蓋を閉じ、懐にしまった。
「時間です。参りましょうか」
言って、手のひらを上にして、差し出す。
ヴィルジニーはその手を数秒、眺めたが、無表情でその目を僕の顔に向け直した。
「手を握る必要など、ないでしょう」
僕は首を傾げる。
「ルールですよ」
「ルール?」
微かに首を傾げたヴィルジニー。
考えて、僕は言った。
「ヴィルジニーと、手を繋いで歩きたいなあ」
聞いて、嫌そうに顔をしかめる悪役令嬢。
「僕はビビリなんです。夜道は怖い。だから手を握っていて下さい」
言い直して、差し出した手をひっくり返すと、ヴィルジニーはその手の甲と僕の顔を見比べて、それからわざとらしく溜息をついた。
「そういうことでしたら……仕方ありませんわね」
ヴィルジニーが、僕の手を取るようにして、それから僕たちは、自然にお互いの手を握りあう。
二人の距離が近づき、暗がりの中でもヴィルジニーの表情がよくわかった。その頬が、少しばかり赤く染まっていた。
思わず微笑んでしまう僕。
「なにをニヤニヤしているのです。気持ち悪い」
「なんでもありません。参りましょう」
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