87. 余興の提案

「平民の?」


 ヴィルジニーは、露骨に不愉快そうな顔をした。


「品のないのは、嫌ですよ?」


 セリーズを受け入れたようであっても、平民に対する差別意識はまったく変わっていないのが、ヴィルジニーなのである。彼女が悪役令嬢だから、というのもあるが、この世界の貴族にそういう意識があるのは、ある程度仕方のないことでもある。


「そのようなもの、提案しませんよ」


 苦笑いするジャック。意中の女性に対しては俺様的に振る舞う彼も、さすがに王族やその婚約者、家柄が上の者に対しては、貴族らしい礼節を忘れないらしい。一人称には、多少の問題が見受けられるが。


「品については、ご心配ありません。基本的には、男女一人ずつのペアで、ただ歩くだけです。夜の散歩、ですね」


「歩くだけ?」


 ヴィルジニーは眉根にシワを寄せそうになったが、なんとか堪えた。


「それの……どこが面白いのです」


「大事なのは、その場所です。肝試しでは、気味の悪いところを歩くのです」


 首を傾げる面々に、ジャックは続けた。


きも、というのは、胆力や精神力のことです。気味の悪いところというのは、人間であれば誰しもが、説明できない恐怖心を抱くような場所。そういうところを二人で歩くことで、男は女性に対し、自らの度胸、勇気などといった心の強さを見せることができる」


「度胸だめし、というわけですか」

「なるほど。御令嬢方の前で怖がるような真似をするのは、確かに恥ずかしいことだな」


 リオネルとシルヴァンの言葉に、頷くジャック。


「いかにも、平民が考えそうなことですわね」


 一方のヴィルジニーは、軽蔑した様子で言った。


「そうやって自らをアピールする一方で、女性を不安がらせ、怖がるところを見て楽しもう、とか、頼られていい気分になろう、というのでしょう。まったくもって下劣な発想ですわ」


 容赦なくばっさり切り捨てるヴィルジニー。


「いやしかし、平民の女性にとっては、男性の度胸、というのは重要でしてね」


 負けじと、ジャックは言った。


「なにせ平民は、貴族のように生活が保証されているわけではありません。結婚後の生活を支えるのは、どうしたって男手。女性からしてみれば、相手が頼れる人物かどうか見極める、手っ取り早い方法でもある。肝試しは、むしろ女性の方にメリットがあるのですよ」


「それに、少し面白そうですわ」


 ベルナデットが両手を合わせて言った。


「こちらからしてみれば、殿方が怖がるところを見ることができるのかもしれないのでしょう?」


 彼女はあきらかに、僕の方を見て言った。


 確かにここにいる男性陣で、一番頼りなさそうなのが僕だが。


 視線を感じ横を見ると、ヴィルジニーが僕をジッと見ていた。


「なるほど……ステファン様が恐れおののくところは、確かに見ものですわね」


 ちょっと!


「人を見かけで判断しては、いけませんね」


 と言ったのはやはりジャック。


「恐怖心、というのは、心の問題。肉体的に強い者は、確かにその心も強い。しかし肝試しで試されるのは、理屈ではない、もっと心の奥底に潜むような、原初的な恐怖心への強さです。もしかしたら肉体的に強い者ほど、そういった恐怖に対しては、デリケートな反応を示すかもしれない」


 そういう言葉を聞いて、ベルナデットは多少不安げな目で、傍らのリオネルを見た。

 この場で最も屈強な体躯を持つリオネルが相棒だから、安心していたのだろう。もっともリオネルが暗がりを怖がるところなど、想像もできないが。


「いいじゃないか。やってみよう」


 楽しそうに、フィリップ王子が言った。


「面白そうだ」


「しかし、どこでやります?」


 言ったのは僕。


「この海岸リゾートに、ありますか? 気味の悪いところ、なんて場所が」


 あいにく、僕たちにとって土地勘がある場所ではない。それにそもそも、バカンスのために整備されたリゾート地なのだ。


「ああ、だったら、おあつらえむきの場所がある」


 手を上げたシルヴァンの方を、全員が向いた。


「旧教の神殿跡があります。山側ですが、そう離れてはいません。肝試しとやらの趣旨を考えれば、ピッタリかと思いますよ」


「行ったことが?」

「昼間に、ですけどね。毎年、夏はここで過ごすので、周辺については詳しいですよ。地図を書きましょうか」


 使用人に、紙とペンを用意してもらう。


「正面から入れる、古い参道があるのですが、二人で歩く、というのであれば、神殿から東西にこのように伸びている、この道を使うのが良いでしょう。参道入口から入らず、こっちに行って、こう、ぐるっと一周して、所要時間は……そうですね、三十分ほど、といったところでしょうか」

「二人ずつ行くのか?」

「五分程度ずつ間を空ければ、途中で鉢合わせることもないでしょうし、トラブルがあってもすぐに追いつけます」

「トラブル?」


 誰かが聞き、誰かが笑う。


「いいね、バッチリだ」


 地図を見ていたジャックが満足そうに言い、それから顔を上げると、全員の顔、特に女性陣の顔を見回した。


「いかがでしょう?」


「面白そうですわ」

 最初に賛成の姿勢を見せたのはベルナデット。


「わっ、わたしもかまいません」

 続いて同意したのはセリーズ。


わたくしもお付き合いいたします」

 微笑むマリアンヌ。


「あまり気は進みませんが」

 憂鬱な態度のリリアーヌ。


「ご心配には及びませんよ、リリアーヌ様」


 にこやかに言ったのは、リリアーヌとペアになっているシルヴァンだ。


わたくしにとっては、庭のようなものです」

「別に、心配などしているわけでは……そういうことであれば、シルヴァン様の怖がるところは、見られない、ということですね」

「そうですね、残念ながら」


 シルヴァンは面白そうに言い、リリアーヌは嘆息したが、結局は頷いた。


「わかりました」


 最後に視線が集中したヴィルジニーは、僕の方に一度、視線を送って来たので、一瞬だけ片目をつぶってみせると、わずかに目元をしかめたが、頷いた。


「皆がそうおっしゃるなら、仕方ありませんね」


 こうして、肝試しの実施が決定したのである。

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