86. リゾートの夜
どうしてこうなったのか。
日が沈み、無数に設置されたランタンの柔らかい光が照らす、別荘の広い庭。
最初の夜を立食のガーデンパーティー形式にしたのは、参加者が自由に動いて、思い思いに過ごすことができると考えたからだ。おまけに薄暗く、誰が何をしているのか、遠目にはわかりにくい。
この状況であれば、僕がヴィルジニーのそばにいてもなんら不自然ではないし、ちょっとぐらいイチャついてても気付かれにくい、というわけだ。
その構造が、裏目に出ていた。
僕の視線の先にいるのは、特別ゲストとなったマリアンヌ嬢。彼女を左右から囲むようにして談笑する相手は、二人の貴族令息、リオネルとジャックだ。
リオネルとジャックは、この夕食会の会場に遅れて到着したマリアンヌに、驚き、喜んだ。
まさかそこまで、と思うほどの喜びようだった。
マリアンヌとは比較的、関係性の近い僕は、失念していたのだ。
彼女は、全貴族令息のアイドル。同世代の男子なら、決して放っておくことができない、お近づきになりたい貴族令嬢ナンバーワンだった。
超有名美人女優のようなものだ。彼女を前にしたら、大抵の男は、ただのファンになりさがってしまう。
特にリオネルとジャックは、同じ貴族とはいっても、男爵家、子爵家という、比較的下位の貴族だ。天辺付近である侯爵令嬢のマリアンヌとは、これまで接点がほとんどなかったのだろう。このように気兼ねなく話をできる機会は、おそらくはじめてだったのだ。
そのことが二人を、形振り構わない行動に駆り立ててしまっていた。
遠慮なくセリーズを狙っていく、とようなことを言っていたのに……僕は、特にジャックを恨みがましい目で見る。もっとも、彼は視線に気づきもせず、夢中でマリアンヌに話しかけているが。
おかげで、計画は台無しだ。
僕のそばにいるのはフィリップ王子、セリーズ、そして招いてもいないのにマリアンヌにひっついてきた彼女の弟、シルヴァン。今は王子とシルヴァンが話をしていて、僕はセリーズの話に相槌を打つ係をやっていた。
友人である王子と、普段はその腰巾着をやっているシルヴァンがそばにいるのは仕方ないにしても、セリーズはなぜ友人の令嬢方と一緒にいないのか――視線を巡らせると、その御令嬢方、ヴィルジニー、リリアーヌ、ベルナデットは、三人で楽しくやっている様子だ。
計画通りなら、フィリップ王子はマリアンヌが、セリーズはジャックが引きつけてくれて、自由になった僕は、それとなくヴィルジニーのそばに行くことができたはずなのに。
僕はこっそり、そのヴィルジニーの様子を伺う。
カクテルグラスを手に、談笑している。身に付けたディナー用のドレスは大変にお似合いで、本当なら間近であの胸の谷間を拝めたのに、などと恨みがましく考えてしまう。
「せっかくの素晴らしいパーティなのに、ステファン様は、楽しくないのですか?」
いつの間にか間近に顔を近づけてきたセリーズが、こちらを覗き込むようにしていた。
「どうして?」
「ため息、ついてらっしゃる」
「あっ? ああ……」
「ステファン様も、マリアンヌ様とお話したかったんですか?」
そう言ったセリーズの視線の先には、ジャックとリオネルの姿があるのだ。
セリーズにしてみれば、自分を口説いていたジャックのそういう姿を見れば、幻滅もするだろう。
今更ながら、やっぱり辞めさせたほうが良さそうだ、と思い付くが、しかしどうすれば自然に辞めさせられるだろうか。
僕は三人の方を見る。
あそこに割り込むと、僕もマリアンヌが目当てのように見えるし、それはヴィルジニーの前では、避けたい。彼女の前で、誰彼かわまわず無節操だ、などと言われたのは、つい数時間前のことだ。
「残念でしたわねぇ、目論見が外れて」
ベルナデットは僕の視界を遮ろうとでもしたのだろうが、あいにく、身長が足りずそうはならなかった。僕は、前に立ちふさがるようにした彼女を見るため、視線を下げる。
グラスを持ったベルナデットは、多少、頬が紅潮しているようだった。この世界では我々の年齢での飲酒は違法ではないが、なにせ若いゆえ、飲みなれているわけではない。大した量は飲んでいないはずだが、僕を意地悪な目で見る彼女を見ると、結構出来上がっていそうだった。
「目論見?」
「とぼけなくてもぉ、よろしいですのよ?」
全部お見通しだ、と言わんばかりの目を向けてくるベルナデット。
「マリアンヌ様をお誘いしたのがぁ、ステファン様だと言うことはぁ、わかっております」
もちろん、僕はフィリップ王子とマリアンヌの接触機会を増やすために彼女を招待したのだが、セリーズやベルナデット、そしてリリアーヌが、そのように思うはずはない。
彼女たちはまだ、フィリップ王子とヴィルジニーが婚約解消の方向で同意していることを、知らないのだ。
そのことを知っているのは、当人達を除けば僕とマリアンヌ。そしてマリアンヌまで知っていることは、王子とヴィルジニーは知らない。もっともここまでの展開で、すでに僕が伝えていることを、察しているかもしれないが。
とにかくそういうわけだから、ベルナデットは僕がマリアンヌとお近づきになりたいがために、彼女を招待したのだと思っているわけだ。
「マリアンヌ様とは友人ですし、すぐ隣で家族だけで退屈しているとおっしゃるなら、お誘いするのは当然でしょう」
ベルナデットは反論こそしなかったが、納得した様子は見せなかった。
「それにしたって、ステファン様の狙いがわかりません」
鋭い目でそう言ったのは、やはり近づいてきていたリリアーヌ。ヴィルジニーもそっぽを向きつつついてきていて、王子やシルヴァンまで、こちらに耳を傾けていた。
「狙い?」
「今回のメンバーですよ」
リリアーヌの言葉に、各々がそれぞれの顔を見比べた。
「
合コンとかマッチングイベントとか、そういうつもりがあるとお見通しだ、と言いたいのだ。
「しかし、婚約関係にある王子殿下とヴィルジニー様が固定、ジャック様とセリーズが事実上の固定だとすると――」
えっ? とセリーズが驚きと心外をブレンドした声を上げるが、リリアーヌは無視して続ける。
「残るのは
うーむ、ひどい言い様。
しかし、仕方ないとも言える。
二人の令嬢と僕は、どちらも伯爵家の子で、身分的には十分釣り合う。しかし二人とも、僕のことを男として軽蔑している。そういう意味で、相手にしたくないというのは本音だろう。
一方のリオネルは、どうしても身分的に見劣りする。伯爵家の令嬢が嫁ぐ相手としては、男爵家の長男はかなりの妥協だ。
「いや、いや、そんなことはないぞ」
絶句していた僕の代わりに、口を挟んだのはフィリップ王子だった。
「確かにヴュイヤール家は男爵家でお二人からは見劣りするかもしれないが、リオネル当人はとても優秀で、将来性のある男だ。騎士団入りは確実だし、父上も兄上も、きっと重用する。将来、政府の要職に就くことは間違いないだろう。立身出世を期待して良い男だ」
リリアーヌとベルナデットの、目の色が変わる。
よりにもよって、将来の国王候補であるフィリップ王子が言うのだ。立身出世を期待、どころか、約束されていると言ったようなもの。
それにしても、フィリップ王子がリオネルをそこまで高く評価しているとは……僕は少し驚く。
「あっ、それなら……
先んじて手を上げたのはベルナデット。ヒトのことを無節操とか言っておいて、よくもまあ。
リリアーヌは呆れたように相棒を睨んだが、それも一瞬だけ。
「勝手になさい」
そう言ったリリアーヌは、僕の方に嫌そうな目を向けた。
こうなると消去法的に、リリアーヌの相手は残された僕になるわけだが。しかし彼女のその視線を見れば、じゃあ仲良くしましょうね、とは、ちょっと言ってくれそうにない。
……王子、僕へのフォローはないんですか!?
「しかし、固定、というのも、つまらないですわね」
と言い出したのは、ヴィルジニーだった。
視線を集めた彼女は、鷹揚に微笑む。
「フィリップ王子も
それから、リリアーヌの方を向き直った。
「殿下にも数に入っていただければ、リリにもまだ、選択肢がありましてよ」
「しっ、しかし……ヴィルジニー様は、よろしいのですか?」
リリアーヌの言葉に、ヴィルジニーは爽やかに微笑んだ。
「なにも本気でカップルを作ろうというのではありません」
続いてヴィルジニーは僕の方へ、今度は意地悪く微笑んだ。
「ただ、ステファン様の狙いとやらに、冗談で付き合って差し上げましょう、というだけのことなのですから」
納得した様子を見せたリリアーヌ、だったが、目が合った王子が面白がるように微笑むのを見て、焦った様子でヴィルジニーを振り返る。
「おっ、王子殿下とは、冗談でも無理です!」
「あら、そうなの? 殿下ほど身分の高い方は、いらっしゃらなくてよ?」
「高すぎです!」
「じゃあステファン殿に?」
「そっちはもっと嫌」
僕もリリアーヌはできれば御免被りたい相手だが、こうはっきり拒絶されるのもさすがに傷つく。勝手だが。
ヴィルジニーはそういう僕の様子になどまったく気付いた様子もなく、友人に向かって微笑んだ。
「ご安心なさい。幸いにも、今回は客人を迎えているわけですから。マリアンヌ様とシルヴァン様を加えれば、五対五。シルヴァン様は、次男とはいえ侯爵家のご子息。リリにとって、不足はございませんわ」
リリアーヌは控え目にではあったが顔をしかめながらシルヴァンの方を見た。
シルヴァンの方は、突然に降って湧いたように当事者になってしまい、戸惑い気味だったが、なぜか襟元を正すようにした。
リリアーヌはそういうシルヴァンを、しばし
「仕方ありませんわね」
ヴィルジニーは頷いた。
「では、フィリップ王子にはマリアンヌ様のお相手をお願いいたしましょう。マリアンヌ様がステファン様と、では、ステファン様に都合が良すぎて、面白くありませんものね」
そう言ったヴィルジニーは、同意を求めるようにベルナデットの方を見て、頷きかけたベルナデットだったが、思い出したように訝しげな表情を浮かべる。
「ヴィルジニー様は、よろしいのですか? その……」
そして、かなり失礼な意味合いの視線を僕へと向けてくる。
そう、そうなると、余ったヴィルジニーと僕が、ペアになるということなのだ。
一方のヴィルジニーは、余裕げな笑みを浮かべた。
「安心なさい。この男のあしらい方なら、よくわかっております」
そして蔑んだ笑みを僕に向ける。
ヴィルジニーの一連の発言は一見、僕とペアになるために上手く誘導したのだ、というようにも見える。しかし、その僕を心底見下すような視線を見ると、本当にそうなのだろうか、僕が勝手に彼女の気持ちをいい方向に考えすぎなのではないか、と思わされる。
いったいどっちなのだ。
僕としては、彼女と二人になる口実ができるのは、それだけで十分に喜べることのはずなのだが……
手放しで喜んで良いのか、わからない。
「面白いことになってきたな。シルヴァン、三人を呼んでこいよ」
王子が愉快そうに言い、シルヴァンが離れていたマリアンヌたち、三人を呼びに行く。
食事用に用意されていた丸テーブルへ移動し、足りない椅子を持ってこさせ、先ほど決まった組み合わせで隣同士になるように、腰を下ろす。
「なんだ? 怒ってるのか?」
隣のペアを見ると、不機嫌そうに顔を背けたセリーズに、ジャックが声をかけたところだった。
「怒ってなどいません」
「怒ってるように見えるけど」
「気のせいです」
「俺と一緒で、嬉しいんだろ? ホントは」
「別に」
セリーズはそっけないが、ジャックは気にしたふうもなく、余裕たっぷりの笑み。
「セリーズが俺を選んだんだろ?」
「違います」
「えっ?」
「わたしたちは、固定だそうですよ」
「ふぅん……ま、ちょうどよかったな」
「ジャック様は、残念でしたね、マリアンヌ様と一緒になれなくて」
「なに? ――そうか、俺がマリアンヌ嬢と話してたから、妬いてるのか。セリーズはかわいいな」
かわいい、と言われて、セリーズは頬を赤くして慌てる。
「やめてください! そうではありません」
「侯爵令嬢と話していたことに、他意はない。客人を放っておく方が、失礼だろう」
「言い訳など……そういうことであれば、それはホストの、ステファン様のお役目ではございませんか」
「やっぱり妬いていたんだな」
「違います!」
ジャックがマリアンヌに夢中のように見えた時は心配したが、このイチャつきようなら心配はいらないだろう。
さて、そういうことなら僕もこの機を利用しようと、隣に腰掛けたヴィルジニーの方を向き、話しかけようとした、その時。
「あの、それで……お相手を決めて、それで……なにをなさろうというのです?」
恐る恐る言ったのはリオネル。彼の隣にはもちろん、先ほどの宣言通りにベルナデットが座っているのだが、その距離感はやけに近い。
そのベルナデットがリオネルのたくましい腕を指先でなぞるようにして、突然の接触に驚いて身を引いたリオネルの、赤くなった顔に、ベルナデットがくすりと笑う。
なにいきなり馴れ馴れしい真似してんだこの性悪女……
損得で相手を決めたくせに。顔が可愛い女の子は何しても許されるんだよな。僕は屈託なく笑うベルナデットを見て、こっそり溜息を吐く。
「なにをなさろうもなにも、ちょっとした冗談だ。ちょうど、男女が同じ数だけいるから、割り振ってみようって話になったんだ」
説明したのはフィリップ王子。それを聞いて、ほっとした様子のリオネル。それにしても、割り振る、なんて言い方もどうかと思うが。
「せっかくですから、お話しいたしましょう?」
言い出したのはベルナデット。リオネルの顔を覗き込み、その表情を伺うようにしている。まさかとは思うが、将来性抜群のリオネルと、本当にココで距離を詰めるつもりなのか。一方のリオネルは、至近距離から見つめられ、赤面してのけぞっている。すでにお互い、知らない仲ではない。これまでまったく自分に興味を示す様子がなかったベルナデットの、突然のアプローチには、戸惑って当然だろう。
「もちろん、良い機会だし、親交を深めてくれてもいい」
フィリップ王子は面白がるようにそう言ったが、その向かい側、リリアーヌは隣のパートナー、シルヴァンをちらりと見て、つぶやいた。
「話すようなことなど、ございませんし」
今日、シルヴァンが現れた時、リリアーヌはこっそりではあるが、彼のシスコンムーブを揶揄するような発言をしていた。好ましい相手とは思っていないのだ。
それでも、僕よりはわずかにマシと判断したわけで……僕ってどんだけ嫌われてるのかしら。昼間は一緒に水遊びしてくれたというのに。
「ああ、だったら、俺にいい考えがあります」
挙手したジャックに、皆の視線が向いた。
「レクリエーションをしましょう。おあつらえむきのものがあります」
「レクリエーション?」
誰かの反芻に、ジャックは頷いた。
「平民の若者が、こういう夏の夜によくやる遊びです。肝試し、というのですが」
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