85. 最後の仕込み

 御令嬢方に遠慮なく水を浴びせられずぶ濡れになった僕は、一通りおもちゃにされた後になんとか離脱に成功した。


 でもまあ、女性陣が遠慮なく接してくれるのは、悪い気分ではない。特にリリアーヌとベルナデットが、辛辣な言葉を口にする割には、本気で嫌ってくれているわけではないとわかり、ホッとする。


 濡れた服が肌に張り付く感触は、不快だったけど。


 先に一人、別荘に戻ってあてがわれた部屋で着替え、再度玄関ホールへ降りてきた僕は、ちょうど到着したリオネル・ヴュイヤール、そしてジャック・フェルテと鉢合わせた。


 荷物を使用人に運ばせるところだったリオネルは、僕を見つけて笑顔を向ける。


「遅くなりました。本日はお招きにあずかり」

「聞いていた時間通りですよ。あいにく僕の持ち物ではありませんが、家主には許可を得ています。遠慮なくおくつろぎいただきたい」


 ジャックの手前、堅い挨拶をしてみせる。


 そのジャックが、僕の方へ近づいてくる。


「ごきげんよう、ステファン殿。 ――それにしても、本当によろしかったのですか? 自分まで招待していただいて」


 恐縮した様子で言う上級生に、僕は微笑み、首を横に振る。


「もちろんです、ジャック殿。これは慰労会ですので、井戸の募金集めに大きく協力してくださった貴方が、遠慮などなさる必要はありません」


 ジャックは途中参加ながら、主に上級生に向けて、その広報活動等に率先して協力してくれたのだ。セリーズの口利きがあったから、ではあるのだろうが。


 ジャックは周囲を伺いつつ、もう少し距離を詰めて、声をひそめて言った。


「俺――いや、自分は……ステファン殿には、邪魔ではないかと」


 意味がわからず、僕は怪訝顔で首を傾げる。


「なぜ?」


 ジャックは一瞬、躊躇った様子だったが、空気を読んだリオネルが十分に離れているのを確かめてから、言った。


「貴殿とは、セリーズ殿を巡っては、ライバル同士でしょう」


 ジャックの方にそういう認識があると思っていなかった僕は、少し驚く。

 顔をしかめるのをなんとか堪えて、浮かべた苦笑と共に首を横に振る。


「いえ……そういうお話なら、むしろ逆で――そうですね、ぶっちゃけて言うと、貴殿を招待したのは、悪く言えば数合わせです」


 ジャックは眉をひそめた。


「数合わせ?」


 頷く僕。


「御令嬢方が四人。対して男性陣も、貴方まで合わせて四人。数が合うわけです」


 言ってしまってから、僕は周囲を気にする素振りをする。聞かれては困る御令嬢方は、まだビーチにいるはずだった。


 僕は声をひそめて、続けた。


「特にジャック殿は、おられるので大変都合がいい――ですから、招待に応じていただき、本当に助かったのですよ」


 ジャックはまだ半信半疑という目で、僕の表情を伺う。


「ではステファン殿は……セリーズ殿のことは……?」


 僕は肩をすくめる。


「ただのお友達、学友でしかありませんよ」


 きっぱり言うと、ジャックは軽くだが頭を下げた。


「失礼した。セリーズ嬢の口からは、よくステファン殿の名が出るので、てっきり」


「なるほど、それはおそらく……特待生である彼女のことを、父が心配しておりましてね。セリーズ殿の学園での成功は、王家の政策の成功をも、意味するわけですが」

「ええ、わかります」

「その父の意向を受け、貴族ばかりで勝手のわからない彼女の学園生活が円滑に回るよう、助言をしたりということはしています。きっと、そのせいでしょう」


 父の意向云々、というのは嘘だったが、ジャックには裏を取りようがないし、宰相の関与を仄めかせば、僕がお節介をしているという話に信憑性は増すだろうと思ってのことだ。


 ゲームの主人公だから、動向を監視するため接近している、などとは、絶対に言えないのだ。


「そうですね、まあ、そういう意味で、強いて言うなら、妹分のような気分でしょうか」


 僕が付け加えると、ジャックはかすかに首を傾げた。


「妹分?」

わたくしにはきょうだいがいないので、まあ、そのようなものかな、と」


 そこまで聞いたジャックは、納得を示すように頷いた。


「なるほど、よくわかった。ステファン殿のお気遣いに、ここは感謝しておくべきですね」

「余計なお節介と思われなくてよかった。ただ……そうですね、わたくしの立場では、彼女を泣かせるようなことだけは、しないでいただきたい、というところですか」


 ジャックの片眉がひそめられるが、僕は笑顔を崩さない。


「彼女の学業が疎かになるとか、卒業前に学園を離れるとか、そういうことがあっては困るのです」

「それは、宰相殿のご子息として、困るでしょうね」

「それもありますが……妹には、幸せになってもらいたいではないですか」


 女性関連で悪評のあるジャックに、主人公であるセリーズを弄んで捨てる、というようなことをさせないよう、釘を差したかったのだ。


 ゲームがバッドエンドになるような可能性は、潰しておきたかった。


 ジャックは肩をすくめた。


「怖いお兄さんの監視つきとあっては、迂闊な真似は出来ませんね」

わたくしは、基本的には味方ですよ。貴方との交際は、セリーズ嬢にはきっと、いい経験になる」


 ジャックは頷いた。


「ステファン殿の考えは、了解した。せっかくいただいた機会だ。存分に利用させてもらう」

「ご随意に」



 使用人に案内され、あてがわれた部屋へと向かう二人を見送り、僕は思わずほくそ笑む。


 これで、セリーズはジャックに引きつけておいてもらえる。


 僕がこの海で、ヴィルジニーと過ごそうとする時、もっとも邪魔になるのは、セリーズだろうと思っていた。自業自得という面はあるが、彼女の僕への好感度は相変わらず高い。先程のように、少し気を抜くと、すぐにそばにやってくるのだ。


 幸いにも、ジャックはやる気だ。いまのやり取りを経た後なら、あの男のことだ、遠慮なくセリーズにアプローチしてくれるだろう。


 もうひとり、好感度が高いと見られるフィリップ王子は、マリアンヌが相手をしてくれる。


 仕込みは完璧だった。

 これで僕はこのバカンスのあいだ、ヴィルジニー攻略に集中できる。


 そうしてたっぷり、二人だけの思い出を作るのだ……!

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