83. 東屋の下で

「そのお話を、なぜ、わたくしに?」


 ドゥブレー侯爵家の庭、東屋ガゼボの下で。


 僕はすぐには答えず、カップから紅茶を口に含んだ。

 言いにくい話なのだと察してくれたマリアンヌが、そのカップに更にお茶を注いでくれる。


「心配なのは、フィリップ王子の方です」


 たっぷり間を取ってから、僕は言った。


「婚約解消の意向を王子から打ち明けられて、わたくしは、ではこのあとはどうするのか、と訊ねました。王子のお立場を思えば、次の婚約者、将来の奥方になる方は、必要ですから」


 真剣に聞く姿勢のマリアンヌが頷くのを見て、僕は続けた。


「意中の女性でもいれば、と思ったのです。王子も年頃ですから。より、自分が愛せると思えるお相手の方が、結婚生活も上手くいくでしょう。今度こそそういうお相手と婚約し、幸せになってくだされば、と。

 しかし王子は……そもそも、女性に興味がない、とおっしゃるのです」


 マリアンヌの真剣な表情に、微かに疑問が浮かぶ。

 何を言われたのかわからない、という様子だ。


「女性を恋愛対象として、見ることができない、と」


 そう言葉を重ねることで、ようやく理解したのだろう、マリアンヌは、視線を逸らし、下向けると、考えるような素振りを見せた。


 僕は、待った。


「それは――」


 マリアンヌは、視線を戻しながら、言った。


「殿下に、まだ、その……そういう時期が来ていない、というだけのお話、ではないのですか?」


 幼少期、人間には、異性に特別な感情を持たない時期が、確かにある。思春期などと呼ばれる精神的成長期を経て、はじめて性を意識し始める――マリアンヌは、そのことを言おうとしたのだろうが。


 僕は控え目にだが首を横に振った。


「王子はこうも仰っていました。かつて、ヴィルジニー嬢を婚約者とする以前、幼い王子に言い寄ってくる若い御令嬢が数多くいた。それはとても恐ろしい、おぞましいものだった、と。おそらくはそういう経験が、王子に女性への嫌悪感、のようなものを、植え付けてしまったのではないか。わたくしは、そういう印象を得ています」


 マリアンヌは、痛ましげに目を閉じた。


わたくしも覚えております。目に余る行動をされる御令嬢がいらっしゃったのも、確かです」


 僕の方は、そのころも王子とツルんでいたわけだが、それで気付かなかったボンクラだ。ひとつ年上なだけのマリアンヌだが、よく周囲が見えていたのか、それとも女子の方が、男子より先に大人びるゆえに気付いたのか。


 マリアンヌの、我がことのように心を痛める様子を伺いつつ、僕は続けた。


わたくしは友人として、王子に健やかな精神を取り戻していただきたい、と考えています。いま、この機会に、殿下のトラウマを解消できる、手助けができないか、と」


 マリアンヌは、かすかにだが頷いた。


「とても……お優しいのですね、ステファン様は。ですが、とても……難しいことですね」

「はい。わたくしひとりでは、とても。そこで、マリアンヌ様に、ご助力いただきたく、本日は参ったのです」


 話の途中で察していた様子のマリアンヌは、僕がそう言っても、ことさらの反応を見せなかった。


「他ならぬ、フィリップ王子の難局。それに、ステファン様の頼みとあれば、わたくしはもちろん、尽力を惜しみません。ですが――」


 マリアンヌは、その視線をわずかに鋭くした。


「なぜ、わたくしなのでしょうか」



 もちろん、本音は、最終的にマリアンヌをフィリップ王子とくっつけたいから、だ。

 それは僕の、というより、僕の父、宰相ファビアン・ルージュリーの描く青写真、一連の婚約関連事案の望ましい着地点だ。


 僕のミッションは、ミースでのバカンスに彼女を引っ張り出し、王子と接近させること。

 そこから先のことは――二人の問題だ。僕がどのように画策しようが、二人が恋に落ちるかどうかは、もはや当人たち次第。父がどのように考えていようが、そこばかりはどうしようもない。


 しかし、だからといって、マリアンヌに「王子を口説き落として欲しい」などと言っても、首を縦に振ってはくれないだろう。彼女には、王子の妃になろうという野望がない。それは、フィリップ王子が最初に婚約者を決めるまでの彼女の態度を思い出してみても、明らかだ。彼女はフィリップ王子に対し、我こそは、とアピールしたことは、一度もなかったはずだ。


 周囲の人間に、フィリップ王子に相応しいのは貴女あなただ、というようなことを言われた時、マリアンヌは微笑み、それを決めるのは王子殿下ご本人です、と答えた。彼女は常に、そういう態度だった。


 それに先程の、ヴィルジニーとの婚約破棄を伝えた時の反応――世の貴族令嬢ならば、これで自分にもチャンスが生まれる、と少しでも考えるであろう場面で、マリアンヌはそういう素振りは一切見せなかった。


 そういう彼女の振る舞いが、実はすべて天才女優級の演技だ、という可能性は、もちろん脳裏に浮かんだが……そうだったとしても彼女は、自分には王子の婚約者というポジションに興味はない、という態度を貫くだろう。であれば、僕は彼女がそう反応することを前提に、振る舞わなければならない。



「フィリップ王子に、キスされました」


 僕は、忘れようとして、忘れられていないそのことを、口にする。

 聞いたマリアンヌは、さすがに呆気にとられた様子を見せた。


「ただ、その一度きりです。前後の話から、あれは彼なりの、友情の表現だと、僕は理解しています。実際、僕たちの関係はその後もなんら変わりありません。しかし――懸念があれば、わたくしの立場では――王子と恋愛の話をするのは、憚られます」


 マリアンヌは、呆然と真剣さを同居させた表情で、少し考え、それから口を開いた。


「つまり……フィリップ王子は女性に興味がない、のではなく……恋愛対象が、女性では、ない……かもしれない、と?」


 僕は、肯定も否定もしなかった。でも、沈黙は肯定と受け止められただろう。


「フィリップ王子の本命は、ステファン様だ、と?」


 僕は思わず顔をしかめる。


「そのように言われたわけではありません。先程も申し上げましたが、文脈的には、友人としての信頼を示していただいたのです。

 とにかく、そういうわけですから」


 僕はひと呼吸挟んで、続けた。


「その辺りの王子の本音を聞き出すには、女性の方が適切ではないか、と思うのです」


 僕としては、フィリップ王子が同性愛者である可能性を、本当に信じているわけではない。

 幾度となく言及してきたが、彼は乙女ゲームの攻略対象なのだ。


 もしも懸念したように、好感度の上下や親密度の上昇が性別に影響しない、すなわち、ただの乙女ゲームではない、全方位的恋愛シミュレーションとでもいうべき仕様なのだとすれば、尚更だ。女性との親密度が上がれば、やはり自然に、その人物のことを好きになるはず。


 現状は、王子と僕との好感度が、無駄に上がってしまっている、ただそれだけのことだ。


 だが、マリアンヌには、僕が王子の恋愛観に懸念を持っているが同性愛者なのではないかと疑っていると思わせることで、僕自身はこの案件の解決には不適切で、助けを必要としている事情を、させられると考えたのだ。


 思惑は、上手くいったようだった。マリアンヌは納得の色を見せた。

 しかし、まだ不十分だ、と言うような視線を、向けてもきた。


「そういうことでしたら、確かに。しかし、なぜわたくしなのか、という答えには、なっておりませんよ」


 僕は大げさに肩をすくめて、こともなげに、という風に言った。


「このようなお話ができる相手が、マリアンヌ様以外にいらっしゃらないからです。わたくしにとって、マリアンヌ様はもっとも信頼できる御令嬢です」


 マリアンヌは、少し驚いた顔をしてみせた。


「それは……ステファン様にそのように思っていただけていることは、光栄でございます」


「こういった事情をお話した上で、フィリップ王子からその御心をそれとなくお聞きしていただく……このようなこと、マリアンヌ様以外に、お頼みできる女性はおりません」


 真剣な表情になったマリアンヌは、ゆったりと頷いた。


「そういうことでしたら……わかりました。ステファン様にご協力いたしましょう」


「あっ、ありがとうございます!」


 僕が勢い良く頭を下げると、マリアンヌはくすりと笑う。

 顔を上げると、マリアンヌは申し訳無さそうな顔をした。


「ごめんなさいね、貴方あなたのことを笑ったわけではないの……。自意識過剰、と思われたくないのだけれど……王子の婚約が解消される、と聞いたとき、もしかしたら、わたくしに、王子を口説き落とせ、と、おっしゃられるのかと思ったの」


 自嘲気味のため息を挟んで、マリアンヌは続ける。


わたくしは幼い頃から、“将来はフィリップ王子のお妃に”と言われ続けてきました。ヴィルジニー様という婚約者が決まってもなお、おっしゃられる方がいる始末――もしや、ステファン様までそのようなおつもりなのかと、邪推してしまったのです」


 そうではなくてよかったわ、と、恥ずかしげに肩をすくめたマリアンヌは、誤魔化すようにカップに手を伸ばした。


「マリアンヌ様は……フィリップ王子のことは――男性として好ましい相手ではない、とお考えなのでしょうか?」


 思わず聞いた僕。

 マリアンヌは慌てた様子で、首を横に振る。


「まさか! 決して、そのようなことはございません。フィリップ王子は、大変素晴らしいお方です。わたくしも、お慕いしておりますわ」


「では、なぜ……」


 王子の妃になりたくないのか、などとは直接的に聞けず、曖昧な問いになってしまったが、マリアンヌは答えてくれた。


「あまりにも他人に言われすぎて、疎ましくなってしまった、というのが半分」


 いたずらっぽく微笑み、言う。


「では、もう半分は?」


 マリアンヌは、今度は少し恥ずかしげに微笑んだ。


わたくしは、わたくしのことを心から愛してくださる方と恋をし、そして一緒になりたい――そういうふうに考えておりますの。

 ふふっ、おかしいですよね、いい歳をした、貴族の娘が――」


「おかしくなどありません」


 食い気味に言った僕は、同じようなことを口にしたらしい人物がいたな、と思いだした。

 あいにく、僕はその言葉を、彼女から直接聞いたわけではなかったが。


「決して、おかしくなどありません。それに……マリアンヌ様には、そういう方と一緒になって欲しいと、わたくしも思います」


 それを聞いて、マリアンヌは頬を染め、うつむき加減に微笑む。


 そういう反応を見て、彼女をフィリップ王子とくっつけようと画策している僕は、罪悪感を感じないわけではない。

 口にしたことは、本心だ。その相手が、フィリップ王子であってくれればなおよい、ということ。


 僕の内心を知らぬマリアンヌは、顔を上げると、口の端を笑みの形に歪めて、付け加えるように言った。


「それに……いずれにせよ、フィリップ王子殿下がわたくしを選ぶ、などということは、起こり得ないのですけどね、そもそも」



――――は?

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