82. 立地の活用
「マリアンヌ嬢――どうして、ここに……?」
フィリップ王子の驚きを隠さない様子に、日傘の下で、マリアンヌはニコリと微笑んだ。
「もちろん、毎夏恒例の、別荘でのバカンスに」
そう言って公爵令嬢は、左後方、という方向を振り返ってみせる。
つられるようにその視線方向を向く、フィリップ王子。
砂浜、綺麗に立ち並ぶ椰子の木。その向こうに見える、大豪邸。
「ではあれが、マリアンヌ嬢の……ドゥブレー侯爵の別荘ですか?」
王子の言葉に、マリアンヌは頷く。
「いやホント、偶然ですね」
王子が向けてくる訝しげな視線に気付かないふりをして、僕はマリアンヌ嬢に微笑みを返しつつ、続ける。
「
僕は、立地的には彼女の別荘の隣に位置する、背後の屋敷を親指で指し示した。それぞれが広大な敷地を持つため、お隣とはいっても、普段はその存在を意識したりすることはないのだが。
こうやって、仕切りのないビーチに出れば、偶然に出会うことだってある。
「ああ、なるほど」
マリアンヌは細めた目で、僕らが滞在予定の屋敷へと目をやった。
「ご友人方と? それは、賑やかでよろしいですわね。
そう言って、僕、フィリップ王子、そして空いているビーチチェアを見比べた。
「御一緒しても、よろしいでしょうか」
フィリップ王子に向かって、彼女は言った。
王子は、僕の方を振り返ったりはしなかった。ただ、少しの間の後に、答えた。
「もちろん。どうぞ」
それを聞いたマリアンヌは僕の方へと向き直り、僕も頷きを返す。
「あっ、じゃあ、飲み物を用意してもらってきます。もちろんマリアンヌ様の分も」
僕はそう言って、今度こそ振り返った王子が口を開くより早く、その場を離れる。
少し離れてから様子を伺うと、王子が隣のビーチチェアを勧め、マリアンヌが腰を下ろそうとしているところだった。
フィリップ王子がいきなり、マリアンヌを拒否するようなことがあれば、この計画は台無しになるところだった。まずは一安心。僕は胸をなでおろす。
そう、フィリップ王子とマリアンヌ嬢を接近させる、それこそが、僕の――父の、計画だった。
ミースは、王国南部、海沿いにいくつかある街のひとつだ。
この地域一帯、気候は安定していて、特に夏は乾燥して過ごしやすい。古くから貴族の保養地として栄えていた。
南仏の海岸リゾート、コート・ダジュールのあのイメージで、だいたい間違っていない。
父が、ミースのベルトワーズ伯の別荘を使え、と言った時に、僕はすぐに、彼の目論見を理解した。
幼い頃、幾度と無く訪れた別荘である。隣がマリアンヌのドゥブレー侯爵家の別荘だと、知っていたのだ。
政治的に王家寄りで、身分が高く、そしてフィリップ王子と釣り合う人格を備えた貴族令嬢、といえば、マリアンヌ・ドゥブレー侯爵令嬢以上に適切な人物などいない。
宰相の立場なら、第三王子の婚約者として、とても安定的、理想的な人物なのだ。
地の利を活かして、二人を引き合わせる――マリアンヌ嬢と事前に打ち合わせて、お互いの滞在期間を合わせたのだ。
その顔合わせは、無事に完了。ここまでは上々……といいたいところだが――
屋敷まで戻った僕は、控えていたメイドに、飲み物を用意してくれるよう頼んでから、ビーチの方を振り返った。
もちろんこの距離で二人の様子はうかがい知れないが、見える限り、隣同士に腰掛け、仲良くやっているように見える。
しかしフィリップ王子は、これが仕組まれた出会いであることは、すでに察しているだろう。
僕とマリアンヌ嬢が示し合わせてこういう演出をしたことさえ、承知のはずだ。
その上で付き合ってくれている……いや、もしかしたら、今頃そのことを、マリアンヌ嬢に指摘しさえしているのかもしれないが。
それに……こうやって二人を接近させたとして、それだけで済むわけではない。はっきりしないが、二人には懸念があって――
「ステファン様」
背後から呼びかけられ、振り返る。
そこにいたのは、今回の参加者で唯一の平民である、セリーズ・サンチュロン嬢。
恥ずかしげに俯きつつ、上目遣いでこちらを見上げているが、無理もない。
彼女は、ピンクの水着に薄黄色のパーカー一枚羽織っただけ、という格好だった。
その水着も、引き締まったお腹も露わなビキニタイプ。トップスはフリルで覆われたフレアタイプでボリュームを誤魔化していたし、ボトムもフリルスカートのようになっているものだったが、丈は短く健康的な太ももの主張も激しい。
セリーズは、僕の視線が上から下へと走ったのに気付いたか、頬を赤らめ、視線を逸らした。
いや、でも仕方ないです。見ちゃいますよ。カワイイもの。
それにしても、文明レベル無視の代物だな、とは思う。
その買い物には、僕が付き合った、というか、僕が連れて行ったのだ。だから彼女がどんな水着を選んだのかも、知っていた。
この世界観には不釣り合いの店に、同じく不釣り合いの水着がたっぷり並んでいた。まるで
平民のセリーズには、貴族のバカンスに参加して浮かずに済むような持ち物はなかった。
だからそれを揃えるのを、手伝ったのだ。
水着だけではない。貴族令嬢がよく身に着けているような服やカバン、小物などだ。セリーズは大変に恐縮していたが、こちらとしては必要経費という気分だ。
父公認になったおかげで、僕がこのバカンスで使える予算は、膨れ上がっていたのだ。
もっとも父も、それを別の女の子に色々買い与えるために使われるとは、思ってもいなかっただろうが。
「着替えられたのですね」
見ればわかることを言ってしまうが、セリーズはやはり恥ずかしげに頷いた。
「はい、あの、海がとても綺麗だったので」
そう言うとセリーズは、僕の前で、くるりと一回転してみせた。
「どう、でしょうか」
「とてもよくお似合いですよ」
褒めてほしいのだ、とわかるので、僕は即答する。
「あ……ありがとうございます」
照れたように言うセリーズ。
その買い物の時から、セリーズの僕への態度が、以前よりなんというかやけに気易い感じだ。こうやって、感想を要求するぐらいだ。そりゃあ、二人で買い物となるとデートみたいになって勘違いされるかも、というぐらいは考えたので、ウチの女性使用人を連れて行った。以前は他所の貴族家で
もしも好感度のようなものが数値で管理されているのなら、それだけで上昇してしまったのかもしれない。
とはいえ、今はそういうことを心配する必要はない。彼女にどう思われようが僕はヴィルジニーを攻めるだけだし、今回のバカンスについては万一のケースに備え、対応策も用意してあった。
銀のトレイに涼しげなタンブラーグラスを乗せたメイドがビーチに向かおうとするのを、呼び止める。
「僕が行きます」
「あっ、はい」
「ありがとう」
トレイを受け取り、倒さないよう両手で持つ。
ビーチ、王子とマリアンヌがいる方へと、戻る。
セリーズは着いてきた。
進行方向の人影には、すぐに気付いたようだった。
「フィリップ王子と……あの女性は?」
「マリアンヌ様です。マリアンヌ・ドゥブレー様」
「あの方が……」
「知っていらっしゃるのですか?」
マリアンヌは貴族の間では有名人だが、平民のセリーズが知っているほどとは思わなかったのだ。
「学園でお噂を、少し」
なるほど。それもそうか。
僕がメイドの仕事を奪ったのは、さり気なく二人に近づいて、どういう会話をしているか聞きたかったからだ。
あまり意味はなかったようだった。何事か話していた二人だったが、僕らの接近に早々に気づき、会話をやめてこちらを振り返った。その表情を見れば、意気投合した、という様子こそなかったものの、それなりに打ち解けたようではあった。
セリーズに気付いた様子のマリアンヌが、立ち上がる。
「おまたせしました。マリアンヌ様、こちら、セリーズ・サンチュロン殿です」
「はっ、はじめまして!」
ペコリと頭を下げたセリーズに、マリアンヌは優しく微笑みかけた。
「では、
「こっ、こちらこそ」
マリアンヌと一瞬、目が合う。わかりやすい目配せはなかったが、彼女の意図はわかった。
「どうでしょう、王子。今夜はガーデンパーティの予定ですが、マリアンヌ様も招待しては」
先に反応したのはマリアンヌ。
「しかし、ご迷惑では」
「なに、一人や二人増えたところで、どうということはありません。それに、マリアンヌ様がいらっしゃれば、皆きっと喜びます」
僕とマリアンヌが王子を見ると、呆気にとられた様子の彼だったが、すぐに頷いた。
「あっ、ああ、そうだな。せっかくだし、是非ご一緒していただきたい」
「ありがとうございます。では、よろしくお願いします」
丁寧にお辞儀をしたマリアンヌを見て。
僕は、彼女と密会した日のやりとりを思い出す。
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