78. 三様の思惑

「君の望みは、我が娘、ヴィルジニーなのだと思ったが」


 公爵は平静を装っていたが、苛立たしさは隠しきれずに言った。


「断るというのかね? では君は、ヴィルジニーとは、結婚を前提とせず交際だけしたい、というつもりなのか?」


 本来であれば、公爵の“提案”に対して、ただの伯爵家の息子に過ぎない僕に、拒否権などない。

 かなり穏当に言葉を選んだ公爵に、僕は首を横に振る。


「いいえ、公爵閣下。そのような不誠実なことは考えておりません。ヴィルジニー様を娶ることは、わたくしの最終的な望みです」


「では、なぜ」


 わけがわからない、という様子の公爵に、僕は言った。


「閣下。わたくしの希望は、単にヴィルジニー様を自分の妻にすることではございません。彼女に、わたくしを求めさせる……それが、真の望みでございます」


 もちろん、口に出すのは恥ずかしかった。

 でも、ここでは言うしかなかった。


 大人たちが口を挟む前に、続けた。


「ヴィルジニー様は、お方です。わたくしが一方的に惚れている形では、例え結婚しても、伴侶のことなど尊重したりせず、高慢、我儘に振る舞い続けるでしょう。それどころか、親たちが決めた婚約者、という形にまず、反発し、素直に受け入れないでしょう。もちろん、公爵閣下が決めてしまえば、最後には彼女に選択肢などないわけですが、それでも、これは望んだ結婚ではない、という態度を、憚ること無く取り続けられることでしょう。

 そういう形は、わたくしの望むところではございません」


 僕は、頭を深々と下げた。


「公爵閣下のお心遣い、本当にありがたく思っております。しかし、どうか、閣下、わたくしがヴィルジニー様を口説き落とし、あの方自身がわたくしを欲するまで、どうかお待ちいただけないでしょうか。おそらく、これは、あの方と人生を共にするに当たって、とても重要なこと、必要なことであると、わたくしは考えております。あの方と、形だけでなく、心でも結びつきたいのです」


 恥ずかしすぎて死にたい気分だったが。


 公爵に、ここでの婚約内定を思い止まらせるには、誤魔化しやその場しのぎではなく、正直に振る舞うことしかない、と思っていた。


 この予期せざる、早すぎる父親との対決を切り抜ける手は、これしかないと思えた。



 僕の目的はヴィルジニーを手に入れることではあるが、それは、どのような手を使ってでも彼女と結婚すればよい、という類のものではない。


 彼女との甘い日々、他の誰にも見せたことのない可愛い姿を見せてもらう、それこそが最大の目的なのだ。


 もちろん、貴族令嬢とお付き合いするというコトの性質上、その更に先の将来、つまりは結婚について、覚悟がないわけではない。


 だが、ただおおやけに彼女を妻とし手に入れたとして、それで仮面夫婦になっても仕方がないのだ。


 主目的は、彼女と恋愛すること。

 彼女に僕に夢中になってもらい、相思相愛となること。

 結婚が義務であれば、それはその先にあるべきだ。


 そのためにはどうしても、彼女が僕のことを好きになる、そのプロセスが必要なのだ。


 親に押し付けられた結婚相手に、天邪鬼の彼女がそのような感情を抱くようになるはずがない。


 庭園の木陰で、僕が提案した時と今では、状況がまったく違う。二人で協力し公爵を欺き、恋愛関係にあるフリをする、というのであれば、そのアリバイ工作を利用して、距離を縮めることもできた。

 だが今のヴィルジニーは、公爵と父の前で、僕には興味がないとはっきり表明してしまっている。その状態で、父親公認の婚約者となっても、何の意味もない。彼女には、僕をはっきりと拒否する理由があって、僕には彼女に近づく理由が無くなってしまうのだ。


 彼女に、真の意味で僕の方を向かせる、そのためには、今のような段階で、父親に認められた婚約者になってしまうことは、どうしても避けなければならなかった。


 公爵には、僕のヴィルジニー攻略を緩やかに支援してくれる、そういう立場こそが、望ましい。

 若者の恋を、遠くから応援してやろう――おじさんたちを、そんな気にさせたかった。

 そういう狙いが、僕のこの、青臭くこっ恥ずかしい発言に、あったのだ。



 僕の言葉を聞いていた我が父は、呆気にとられた様子だった。

 それもそうだろうな、と僕も思う。考えてみれば、これまで父とは、好きな女の子の話などしたことがなかった。こういうことでもなければ、未来永劫、することはなかっただろう。まったく。


「しかし――」


 公爵は難しい顔で、言った。


「先程の娘の態度を見れば、君の望みは、ずいぶん難しいことではないか、と思えるが。どうとも思っていない、などと言っていたな」


 僕は、ヴィルジニーが出ていった、扉の方へちらりと視線を送る。


 おそらくは、それを聞いたから、いまのタイミングでのこの話なのだ。

 ヴィルジニーに手ひどく突き放されて、僕がその気を失うのを、恐れたのだ。


「あれは、言葉通りの意味ではありません」


 僕は言い切った。


「ヴィルジニー様とわたくしは、順調にその距離を縮めております。あの方はああいう性格ゆえ、ご自分で認めたがらないだけです。公爵とのお話で、わたくしの名前を出したことも、その証拠。本当にまったく興味がないなら、わたくしなどの言葉、取るに足らないものとして、覚えてさえいないでしょう」


 僕は公爵の方へと向き直った。


「それに、わたくしもヴィルジニー様も、おおやけには未だフィリップ王子の婚約者であるということを、尊重しております」


 本格的に動くのは、それが済んでからだ、と示しておくことで、現状の評価は意味がないと思わせられたはずだった。


「ステファン君の気持ちはわかった」


 気を取り直した公爵が、口を開いた。


「だが、わたしにも、娘の婚約者を早急に、しっかりと決めてやりたい、という気持ちがある。フィリップ王子との婚約を解消したのち、世間的には宙に浮いた形となる。あの子を不安にさせたくはない」


「閣下、僭越ながら」


 口を挟んだのは、こちらも我に返った我が父だった。


「ヴィルジニー様に次の婚約者を早急に、という閣下のお気持ちは、わかります。しかし、状況を考えると、少し時間を置くほうがよろしいのではないかと」


 片眉を上げた公爵は、父に続きを促した。


「王族との婚約を解消し、間をおかず、次の婚約をする、などということをすれば、事情を知らぬ者には、果たして、どのように映りましょうか」


 宰相の指摘に、公爵は低く唸る。


 確かに、父の言うとおりだ。

 端から見れば、僕と婚約するために、フィリップ王子との婚約を解消したように見えるだろう。

 事実ではなくても、そう思われてしまうことは、貴族社会では問題だ。下手をすれば、王家に敵対的な態度だとさえ評価されかねない。公爵家ほどにもなれば、その動向は、ほかの貴族から常に注目されているのだ。


「ほとぼりが冷めるのを待つか、フィリップ王子が別の御令嬢と婚約されてからにするのが、やはり無難かと」


 父は、この婚約自体を、できるだけ先延ばしにしたいのだ。


 おそらく、ヴィルジニーをルージュリー家に迎えること自体を避けたいのだろうが。彼が公爵とどのような話をしたのかわからないが、公爵が希望している以上、僕とヴィルジニーの婚約それ自体を今現在、回避する術がないのだろう。であれば、時間を稼ぎ、状況を打開できるチャンスを伺おう、とでも考えているのだ。


 少なくとも短期的には、僕の利害と一致する。父の援護射撃は、助かる。


 低く唸った公爵は、僕を見上げるようにして、言った。


「失敗したら?」


「……はっ?」


「ステファン君は、ずいぶん自信があるようだが、しかし、恋愛というのは相手がいて、するものだ。ヴィルジニーが君になびかず、君の目論見が失敗したら?」


 もちろんここで「その時は潔く身を引きます」などと言うのは、間違いだ。


 その時――それは、僕がヴィルジニーの攻略に失敗したときだ。


 そうなった時、公爵は、僕とヴィルジニーの関係如何に関わらず、僕たち二人を結婚させるつもりだ。仮面夫婦でもなんでもいいから、デジール公爵家の役に立て、ということだ。


 僕は視線だけ動かし、父の方を見る。それに気付いた彼は、公爵には気付かれぬよう、ゆっくりと首を横に振ったが……僕はそれに、心の中で謝ってから、口を開いた。


「その時は、公爵のご意向に従います」


 僕はもう、父の方を見ることはできなかった。


 公爵は、難しい顔をして考えている様子だった。その、顎に手を当てる仕草が、娘と同じだな、などと、逃避気味に思った。


「いいだろう」


 公爵は言った。


「思うようにやりたまえ」


 僕より先に、父のほうが我に返った。


「よろしいのですか?」


 公爵は頷く。


「若いときにしかできないことだ。青春だな。考えてみれば、そのようなこと、我が身には無縁であった。羨ましいとさえ思うよ。存分にやりたまえ」


 そう言った公爵は、満足そうに笑う。

「あっ、ありがとうございます!」


 公爵に深く頭を下げて、顔を上げた僕は、


 父が、僕に向けていた諦めの視線を逸らすのを、見つける。

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