79. 父の条件

 昼食会ランチの時間は、厳しいものになった。


 公爵は機嫌良く話を振ろうとしていたが、ヴィルジニーは不機嫌さを隠そうともせず、そういう態度を見ていると、父も僕も、どのように振る舞うのが正解なのか、わからなかったのだ。


 無視するわけにはいかない父は、適当に愛想笑いで相槌を打つ。


 僕にとっては今日はじめての食事だったので、食べる方に集中することにする。公爵家で食事をするのは二度目だったが、遠い所領地で作っているらしいソーセージが前回と変わらず最高に美味かった。


「それにしても、今日はステファン君と話せて本当に良かった」


 突然、話を振られ、僕は咀嚼中のソーセージを危うく喉に引っ掛けそうになる。


「あっ、はい……こちらこそ」


 慌ててしまって変な感じに返事してしまったが、公爵は気にした様子もなく笑みのまま頷いた。


「君のことは大変気に入った。今後も、気軽にいつでも遊びに来てくれたまえ」


「あっ、ありがとうございます!」


 公爵の発言で、僕は大手を振って、デジール家を出入りできるようになったというわけだ。この親父、わかってるじゃないか――


 ……本当に、わかっているのか?


 僕は、父親としての公爵のことが、少し心配になる。

 父親なら、娘に恋人ができることなど、嫌がりそうなものだが。


 ヴィルジニーの素行が悪すぎて、婚約者を決めてやる以外に、結婚相手を見つけることはできないだろう、と諦めていたのかもしれない。そんな娘が、もしかしたら恋愛結婚できるかもしれない、と思えば、父親の立場でも、応援したくなるのかも。


 ヴィルジニーの冷たい視線に気付き、僕は思わず、首をすくめる。



 昼食が終われば、僕も父ももうこの屋敷には用はない。


 早々に立ち去ろうと玄関に向かう僕たちを、どういう風の吹き回しか、ヴィルジニーが見送りにきてくれた。

 気を使った父が離れるのを待って、近づいてきたヴィルジニーが、他には聞かれない程度の声で口を開く。


「本当に、来たりしないでくださいね」


 彼女の目を見ると、笑っていない。


「もっとも、貴方あなたなさりたいとおっしゃるのなら、どうぞ御自由に」


 意地悪く言い、公爵令嬢はため息を吐いた。


「まったく、どうやって父上に取り入ったのか知りませんが……」

「取り入るだなんて、とんでもない」


 僕はわざとらしく肩をすくめる。


「意外と、話が盛り上がったんです」


 ヴィルジニーの奇異なものを見る目を、僕は受け止めきれず目をそらす。


「勝手になさい。わたくしはお相手しませんので。あしからず」

「そんな冷たいこと言わないでくださいよ。僕は別に、公爵閣下と仲良くなりたいわけではありません」

「そうでしょうか?」


 ヴィルジニーが疑いの目で僕を見る。


わたくしに近づいたのも、父に近づくためだったと考えれば、腑に落ちます」

「なにをそんな……バカな」


 しかしヴィルジニーは、そうだったのか、と言わんばかりの納得顔だ。

 僕は慌てる。


「ヴィルジニーのお父上なのですから、気に入られようとはしますよ、そりゃ。恋人の家族に嫌われるなんて、マズイですから」

「恋人? 誰が誰の恋人だと」

「僕が恋してる方、というだけの意味です」

「本当に? 貴方、わたくしが婚約を解消するからといって、すでに自分の恋人になったとでも思い込んでいるのでは?」


 彼女は咎めと呆れが入り混じった表情で僕の顔を覗き込むように睨んだ。


「まったく、度し難い」

「そっ、そんなこと、思ってませんよ」

「どうかしら」

「あまり自惚れないでいただきたい」

「なんですって?」


 今度は呆れ百パーセントの顔で、ヴィルジニーは馬鹿にしたように笑った。


「自惚れているのは、貴方の方でしょう。貴方ごときが、この公爵令嬢であるヴィルジニー・デジールを、恋人にできるなどと考えているのですから」


 あんまりな言われようだが、ここでわかりやすく傷ついてみせると、この悪役令嬢の思う壺だ。僕は去勢を張って、ふんっと鼻で笑って見せる。


「なっ、なにがおかしいのです?」

「別に」

「はっきりおっしゃいなさい」

「嫉妬してるところもカワイイな、と思って」

「はっ? ……誰が、誰に嫉妬していると?」

貴女あなたがお父上に、ですよ」

「はあ!? なぜわたくしが……父に嫉妬するのです」

「僕が閣下とばかり話をして、貴女を構わなかったから」

「……はんっ」


 ヴィルジニーは、馬鹿にしたようにそっぽを向いた。


「なにを、馬鹿なことを」

「機嫌を直して下さい。次は貴女あなたに会うために来ますから。もちろん、お約束した上で」

「来なくていいです」

「いい案を思いついたら、話聞いてくれるって言ったじゃないですか。バカンスですよ」


 そういう話をしている間に、玄関からエントランスに出た。


 ちょうど馬車が入ってくるところで、立ち止まって僕らを待っていた父が、ヴィルジニーを振り返る。


「ヴィルジニー様、本日はおじゃまいたしました」


 ヴィルジニーはそのしかめ面を一瞬で、令嬢モードとも言うべき澄まし顔に切り替えた。


「とんでもございません。宰相閣下には、父が勘違いで、とんでもないご迷惑を」


「いえ――」


 我が父は一瞬、横目で僕の表情を見たが。


「色々とお話が聞けて――よかった」

「そう言っていただけますと」


 もう一度、頭を下げた父は、その頭に帽子をのせると、僕に目配せしてから、馬車へと乗り込む。


「そういうわけで。連絡いたします」

「別に……しなくていいですけど」

「約束したじゃあないですか」


 一度はそっぽを向いたヴィルジニーだったが、細めた目を僕の方に向け直すと、これみよがしにため息を吐いた。


「仕方がありませんね」


 それから、意地悪く微笑む。


「約束通り、つまらないお話だったら、お断りしますからね」

「わかっております」


 では、と恭しく頭を下げると、後ろに控えていたベルトラン氏にも会釈し、僕も馬車へと乗り込んだ。



「ずいぶんと仲睦まじい様子だな」


 馬車が公爵家の門を出たところで、父が言った。


「はい?」

「ヴィルジニー様とだよ」


 うんざりした様子で言う父。

 先程の僕とヴィルジニーのやりとりが、父からは仲睦まじい様子イチャイチャしているようにでも見えたのだろうか。


 うーんまあ、端から見れば、そういう風に見えたかも。


「ヴィルジニー嬢がおまえに気があるというのも、どうやらあながち、ない話ではなさそうだな」

「そうでしょう?」


 父は、調子に乗るなと言わんばかりに、僕に視線で釘を刺す。


「公爵を味方に付けるのが目的なのか?」


 まったく、親父まで……僕は思わずため息をつく。


「そんなに先のことなど、考えてはおりません。そもそも、政府で働くつもりなど」

「……では、本当にヴィルジニー嬢本人が目当てなのか」


 父は、信じ難い、というように首を横に振る。


「わかりませんか、父上には」

「そういうわけではない」


 父親は即答した。


「むしろ……そうだな、羨ましくもある。普通、貴族は……特に上級の貴族は、結婚相手は決められてしまうものだからな、わたしでさえも、そうだった。それを自分で――自分が気に入った相手をそれに決められるかもというのは、うん、羨ましいよ」


 僕の両親の仲は、この世界の貴族としては、ごく普通だ。ことさらに仲睦まじいわけではないが、確執のようなものがあるわけではない。彼も言ったが、貴族の結婚は、どちらかといえば就職のような感覚に近い。その点、二人の関係は円満で、良好だ。


 父親は何かを思い出すように、遠くを見た。


「実は、何を隠そう、わたしにもかつて恋をした相手がいてね。あれは学生の時だったが――」

「えっ? いや、息子の立場としては、父親の恋愛話など、あまり聞きたいものではありませんが」


 そう言うと、ちょっと残念そうな顔をする父。勘弁してくれ。


「とにかく……貴族はどうしても、家と、それを取り巻く事情からは逃れられないんだ。おまえがヴィルジニー嬢を望むのであれば、どうしたって公爵からはのがれられない」


 嫌になってきた。結婚とかは避けるようにして、愛人でなんとかならないだろうか。

 わかってるよ。無理だろ。


 なにより、ヴィルジニー本人が、それを許してはくれないだろう。


「そういう心配が必要になるのは、本当にヴィルジニーと……その、つまり……もっと先のことだと」


 父は苦虫を噛み潰したような顔になる。

 そう、突然このように状況が進んでしまったのは、ヴィルジニーが公爵と迂闊なやりとりをしてしまったからだ。そうでなければ、大人たちには知られずに、恋をあたためられたはずなのに。


「公爵はああは言ったが、無制限に時間がもらえたのだと思うべきではない。卒業後にはすぐにでも結婚させたいだろうし、とすれば猶予はせいぜい一年、長くても二年程度だろう。どう考えるか難しい時間だが……

 まあ……おまえたちのことはとりあえず、今はどうでもいい」


 どうでもいい、とはまた、あんまりだが。


「それよりも先に、フィリップ王子だ。おまえは殿下の意向を把握しているんだな?」


 僕は大げさに肩をすくめる。


「王子が僕に話した範囲なら」


 顔をしかめた父は、質問を続ける。


「王子の意図は、なんなんだ。なぜこのタイミングなんだ。他に、意中の女性でもいるのか?」


 このタイミングになったのは、僕のせいだが――それを言うと、やはり僕が謀略をめぐらせたのだと思われてしまうので、そこは誤魔化す。


「えーっと、その……最近、ヴィルジニー嬢が慈善活動に熱を上げられてるではないですか。ああいうことで彼女の評判が良くなってから、となると、婚約解消を世間に批判されかねない、そうなってしまう前に……というお考えのようです」


「ふむ」


 父の声音は納得した様子だったが、こちらを見る目は疑いの色を浮かべていた。


「なるほど」


 疑問を投げられる前にと思い、僕は続けて口を開く。


「それで、えーっと……他に意中の女性がいるのか、という問いには、答えはノーです。王子は……王子には、そのような方はいらっしゃらない、と」


 王子はまだ女性を恋愛対象として見ていない、とは、さすがに言えなかった。


「そうなると……いや、どうなのかな、いなくてよかったのかな」


 悩むような様子の父に、僕は首を傾げる。


「そこが、なにか関係あります?」


 父は頷いた。


「フィリップ王子に婚約者がいる状態は、王家を安定させていた。だがそれが解消された、となると、諸外国はアレオン王家に動揺があるのではないか、と考えるし、国内でも、王子の婚約者争いが発生する。どちらかといえば、こちらの方が重要だな。なにせ、次期国王最有力候補だからな、フィリップ王子は。その妻、親戚になれば、国内での立場は当然、強まる」


 それを狙って、貴族たちが競い、争うようなことになれば、国内情勢が不安定になることだってあり得る、というのが、父が言った「重要」の意味だろう。


 次のお相手が決まっているなら、そういう無駄な争いは起きない、ということだ。


「もしも王子に意中の相手がいて、そのお方が政治的に難しい関係の家の御令嬢なら、ものごとはより面倒になっただろう。そう考えれば、いなくてよかった、とも思えるが」


 いれば誰でもいい、というわけでもないのだ。


 いずれにせよ、相手を決めるのはフィリップ王子だ。振り回される父親は気の毒だが。


「おい、ステファン、おまえ、責任とれよ」


 宰相らしからぬ乱暴な口調で言う父に、僕は眉をひそめる。


「何の責任です?」

「王子を婚約解消させた、責任だよ」

「それは王子の意向で、僕が悪いわけじゃ」

「そういう言い方、わたしが信じるとでも?」


 言い返せない僕に、父は続ける。


「フィリップ王子に、適した相手を見つけろ」

「はっ? ……えっ? 僕が?」

「下手な相手では困る。できるだけ身分が高くて、政治的に王家寄りの家がいい」

「なんで僕が」

「それが、わたしが、ヴィルジニー嬢との交際を認める条件だ」

「えっ……えぇっ!?」


 僕は驚きのあまり腰を浮かす。天井が低いので立ち上がることは出来なかった。


「そんなの……だって、おかしいですよ。そういうことなら、父上が探したほうがいいはずでしょ?」

「わたしが動くのでは問題がある。王子の結婚を、宰相が利用しようとしているように見える」

「僕がやっても同じでしょ」

「だから、わからないようにやれと言ってるんだ」

「そんな無茶な……」


 父は首を振った。


「いいか。勘違いするな。わたしの目的は、王家と国内政治の安定だ。だがおまえは、王子にとってもっともよいと思える人選をしろ。フィリップ王子が幸せになる人選だ。二人が恋に落ちるのが一番だな。ちょうどいい、夏休みだ、双方誘って、リゾートにでも連れて行け」


 バカンスに行く許可を取る手間が省けた――父のいまの発言は、願ったりかなったり、だが。


「しっ、しかし、相手を見つけてお膳立てをして、それで二人が恋に落ちるとは限りませんよ?」

「いいや、落ちるさ。夏の海には、そういう魔力がある」


 マジか、こいつ――


 いや、僕自信そういうのを狙って、ヴィルジニーと海へ、みたいなことを考えたのだが。


「海?」


 僕の問いに、何かを思いついた様子を見せた父は、頷いた。


「うん、……ベルトワーズ伯には、わたしから話を付けておく。ミースの別荘のことは、覚えているだろう?」

「えっ? ミース? あそこは……まさか、

「いいか。。そして王子の相手として問題ないと判断できれば、お膳立てするんだ」

「でも、それじゃあ相手は……さっきは僕に見つけろって言ったのに――」

に、心当たりでもあるのか?」


 おそらく父も、話してる間にを思いついたのだろう。

 実際……王子のお相手として、それ以上に適切な相手など、いるはずがない。

 返事ができなくなった僕に、父は続けた。


「この機会を上手く活用する。おまえはなんとしてでも、をくっつけろ」


 父の有無を言わさぬ言い様に、僕は思わず目をむく。


「そっ……そういうことでしたら、ヴィルジニー嬢も連れていきますよ?」

「なに? しかし、それは……」

「僕だって、あまり余裕があるわけではないんです。この夏のあいだに、できるだけ距離を詰めたい。それに、王子にお相手がいるなら、僕にだっていないと、バランスが取れないでしょう」

「しかし、彼女はまだ公には、フィリップ王子の婚約者なのだぞ?」

「ですから、王子がいるからこそ、不自然なく同行させられるのですよ」


 父は苦々しげに顔を背けたが、結局は頷いた。


「いいだろう。だが、自分の立場、そしてするべきことを、忘れるなよ」


 一度は頷いた僕だったが、思わずそのままうなだれ、頭を抱える。

 今日、この数時間で起こったこと。

 僕は何を得て、何を失い、何をしなければならなくなったのか。

 整理するには、時間が必要だった。

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