77. 公爵の企み

 使用人から公爵の現在位置を聞き出した僕たちは、書斎へと向かう。


 公爵の書斎には情報通り、部屋の主である公爵と、僕の父がいた。父に一人でゆっくり考える時間があったのかは、わからない。


「お父様、お話があります」


 先に部屋に入るなり、そう言ったヴィルジニーに、談笑していた様子だった公爵は顔をしかめる。


「もうすぐ食事の時間だ。その時ではダメかね?」

「食事しながらお話するような用件ではございません」


 公爵は僕の顔を見たが、一言も発しないと約束した僕は、かすかに首を傾げるに留める。


 公爵は諦めたように娘に言った。


「良い話なのだろうね」

「お父様は勘違いなさっております」


 ヴィルジニーはいきなり、言った。


わたくしは、ステファン様を結婚相手として考えているわけではございません」


 公爵は無反応だったが、我が父は目だけを動かしてこちらを見た。僕も目だけで頷く。


わたくしにも好きになってくださる殿方ぐらいいる、という意味で、ステファン殿の名を出しただけです。そもそもわたくしは、ステファン殿のことなど、どうとも思っておりません」


 どうとも、ね……うん、まあ、いいけどね……


 公爵は一瞬だけ僕に視線を向けたが、すぐに娘へと戻した。


「なるほど。それで?」


 期待したようなリアクションではなかったのだろう、問われたヴィルジニーは、一瞬、うろたえたようだった。


「それで……つっ、つまり、それだけです。決して、ステファン殿と結婚しようと思って、王子との婚約を解消したいと言い出したわけではありません」


 公爵は表情一つ変えず、頷いた。


「わかった」


 その瞬間、ようやく、僕は気づいた。

 公爵の考え――本来の企みに、だ。


 公爵は、昨日のヴィルジニーとのやりとりを、誤解などしていなかった。

 それどころか、ヴィルジニーの意図を、正確に理解していたのだ。


 おそらく公爵も、王子との婚約解消が、王子と同意されている、のではなく、そもそもが王子の希望であり、ヴィルジニーの方こそがそれに同意したのだと、察していたのだ。それもそうだろう、娘の性格を考えたら、娘が王子との結婚をやめる、などと、先に考えるはずがない。


 王子の希望であり、それにヴィルジニー、そして国王が同意すれば、奇しくもヴィルジニーが言っていたように、もはや公爵には、それに異を唱えることなどできない。


 婚約解消が不可避となれば、次に公爵にとって最も重要なのは、浮いてしまったヴィルジニーをどのように再利用するか――言い方は悪いが、上級貴族の令嬢は、どこか有力な貴族に嫁いで関係を強固にするなどに使うのが普通だ。だが悪名高いヴィルジニーには、もらってくれる適切な相手などそうはいない。彼女の悪名は轟きわたっていて、国内はもちろん、周辺友好国ですら貰い手がいるかどうか、という状況だ。彼女の評判は改善しつつある、とはいえ、そういう状況を覆すほどのものでもない。


 そこに、僕の名前が出たのだ。


 もしも娘が言うように、本当に僕がヴィルジニーのことを好いているのなら。


 僕の政治的利用価値は、先に述べたとおりだ。公爵からすれば、貰い手のいない娘を嫁がせるのに、この上ない相手となる。


 つまり、公爵にとっては、なによりも僕の意向、本音こそが重要だったのだ。

 それを聞き出すために、間をおかずに呼び出した。

 僕の言質を取る。それも、宰相である父を、証人として。


 公爵には、もはやヴィルジニーの意向など、重要ではなかった。彼女がどう思おうが、貴族令嬢には、最終的に嫁ぐ相手が必要だ。どこを探してもそれがいない、という状況は、これで避けられる。


 僕を、“親が決めた婚約者”にしてしまう――それが、公爵の狙いだ。


 つまり、僕と父は――僕は、公爵にハメられたのだ。


 そして困ったことに……好いた女の父に、婚約者として認められるというのは、まったくもって悪いことではない。むしろ、良いことだ。だから、ハメられたのだとわかっても、ヴィルジニーが好きだと言った僕には、難色を示すことなどできないのだ。


 しかし、それでは――


「そっ……それだけでございますか?」


 公爵の意図にはおそらくまだ気づいていないヴィルジニーが、怪訝に首を傾げる。


「そうだが?」

「あの……本当にお分かりですか?」

「そのつもりだ」

「……お父様は勘違いで、宰相殿とそのご子息を呼びつけてしまわれたのです。なにかおっしゃるべきでは?」


 ヴィルジニーの口から、僕と父を思いやるような言葉が出たことには、ちょっと驚く。気にしてくれていたのだろうか。


 言われた公爵は首を傾げ、まず我が父、それから僕を見た。


「……そう思ったので、お二人を食事にご招待させていただいた。幸いにも宰相殿には、詫びの必要などない、とおっしゃっていただいたが」


 我が父が控え目に頷き、公爵は娘の方に目を戻した。


「それで? 話はそれだけか?」


 言われたヴィルジニーは、数秒の沈黙の後、無造作に身を翻した。

 後ろに立っていた僕はそこでようやく、ヴィルジニーが憤慨したように顔をしかめていることを知る。


 彼女は僕の方を見向きもせず、さっさとすれ違って、開かれたままだった扉から出ていった。


 放っておくわけにもな、と思い、後を追おうとした僕だったが。


「ステファン、待ちたまえ」


 公爵に声を掛けられ、僕は進めかけた足を止める。


 振り返ると公爵は、父の方を向いた。


「先程のお話、ここで彼に聞かせてもよろしいかな?」


 父の浮かべた迷うような表情は本当に一瞬のことで、公爵は気付かなかったかもしれない。

 頷きを返した父は、「では、わたしが」と言い、それから僕の方へと向き直った。


「公爵閣下は、おまえが望むなら、ヴィルジニー様との婚姻を許してもよい、とおっしゃっておる」


 わお! すごい! 今朝までは想像だにしなかった怒涛の展開。


 それにしても、さすがは公爵閣下。むしろ娘を僕にもらって欲しい、ぐらいに思っているだろうに、許してもよい、と来たもんだ。


 まあそこはそれ、お立場もあろう。

 僕は深々と頭を下げてみせた。


「恐悦至極にございます」


 その瞬間、父が顔をしかめるのがわかったが、これもまた一瞬のことだった。


 一方で、公爵は満足そうに頷いた。


「正式な婚約は、フィリップ王子との婚約が解消され次第ということになるが、これでステファン君は事実上――」


「お待ち下さい」


 顔を上げて、僕は公爵の言葉を遮った。


「公爵閣下のお言葉、大変に嬉しく、望外のものでございます。しかし――」


 僕は公爵、そして父親の顔を見て、言った。


「ヴィルジニー様との婚約は、お断りいたします」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る