75. 父の追求
「よもや、公爵閣下に嘘をついたわけではなかろうな?」
父親の問いに、僕は渋々ながら首を横に振る。
「ヴィルジニー嬢が公爵に何を語ったのか正確にわからない以上、嘘をつくわけにはいきませんでした」
それを聞いた父は、頭を抱える。
「では本当なのか。 ――ヴィルジニー嬢が好きだと?」
父親にはっきりと認めるのは気恥ずかしい。僕は曖昧に頷く。
「そうなってくると、今度は、おまえが策謀を巡らせて王子とヴィルジニー嬢を引き離そうとしているのではないか、と疑いたくなる」
「父上は……
「信じたくはない。が、王子はともかく、ヴィルジニー嬢までも婚約の解消を希望するとは、とても思えん」
「王子はともかく?」
僕のわざとらしい反芻に、父親は体ごと視線をそらし、窓の方を向く。
「わたしはあの方を、幼い頃から存じ上げておる」
父は、フィリップ王子にヴィルジニーと結婚する気がないことを察していた、と認めたようなものだが。
「それは……国王陛下もご承知ですか? つまり、王子が婚約の解消を陛下に申し出た場合――」
もしも王家の関係者が、フィリップ王子の真意を察しながら、ヴィルジニーとの婚約を認めていたというようなことになれば、国王の説得工作はスムーズに進むのではないか、と期待したのだが。
振り返った父親が僕を今日一番鋭い目で睨みつけるので、最後まで言えない。
「やはりそれが王子のご意向か?」
「フィリップ王子は、このことを
「わかった」
「はっきりおっしゃってください」
「おまえから聞いたとは言わん――知らなかったことにする」
父が強調するように頷き、僕も頷きを返す。
「婚約解消は王子のご意向で、ヴィルジニー様がそれを受け入れたのです」
「おまえが受け入れるように仕向けたのか?」
「仕向けたなどと……王子の気持ちがないと知った、ヴィルジニー様の判断です」
父の表情を見れば、僕の言葉を信じていないことは明らかだったが、それについてはもう、何も言わなかった。
その代わりに、一度、視線をそらし、本棚をしばらく眺めて、それからまた僕の方を振り返った。
「ヴィルジニー嬢を? 好きだというのか? おまえが?」
僕は父親の視線に耐えられず、目をそらしたが、答えないわけにはいかなかった。
「ええ、まあ」
「彼女を? なぜ……どこが……?」
父は、嘘だと言ってくれ、と言わんばかりの様子で、言い、僕は思わず首を振る。
「人を好きになるのに、理由など必要ですか」
「おまえはもう少し……慎ましいタイプが好みだろうと」
「母さんみたいな? 勘弁してよ」
「しかし……ヴィルジニー・デジール嬢だぞ?」
「公爵家と親戚になるなら、父上に損はないでしょ?」
「おい……本当にそこまで考えてのことなのか?」
「母上を引き合いに出すからですよ」
僕は首をすくめる。
「さっきも言いましたけど、向こうは婚約者のいる身で、気持ちを伝えたといっても、話の流れでそうなっただけで、なにか返事をもらったとか、すでに交際しているとか、そういうわけではないんです」
「本当に?」
「ええ」
「ヴィルジニー様の意向を、おまえは知らないということか」
しつこい確認に、僕はうんざりして頷く。
「ヴィルジニー嬢は、婚約解消を父親に納得させるために、僕の名前だけを利用しようとしただけかも」
冷静になった僕は、ようやくその可能性に思い至る。
それを聞いた我が父は、足音を完璧に吸収する絨毯の上を二、三歩、歩いて、それからどこかを見ながら言った。
「ヴィルジニー嬢には、確認しなければな」
「ええ」
「しかし公爵は、そのように受け止めてはいない」
「そのようで」
「厄介だぞ」
「公にされていることではありません。ヴィルジニー様が気が変わったとでもいえば、どうとでもなるでしょう」
「だといいがな。それで、彼女が本当にそのつもりだった場合だが……つまり、おまえを利用しようというのではなく――」
彼女が僕のことを本当に将来の相手として考えているのだったら、という意味だと思うが、こちらを見た父は、たぶん憚られたのだろう、言いよどんだので、僕は理解を示すために頷く。
「もしそうなら、おまえは――どうするつもりだ」
僕は冗談めかして肩をすくめた。
「いや、せっかくですしね」
「せっかく? なんだ」
「青春しますよ。できるときに」
「それ自体は構わんが、相手はもっと選べるだろう」
「ヴィルジニー嬢は、僕の好みなんですよ」
「気でも触れたのか?」
「かわいいじゃないですか」
「確かにお美しい方だが……しかしな」
「父上、先程から随分不敬ですよ。相手は公爵閣下の御令嬢です」
僕が苦笑してみせると、父は周囲を見回す。もちろん、書斎には我々二人しかいないし、分厚い扉の外では誰かいたとしても会話は聞こえないだろうが。
「公爵の御令嬢が相手となると、ひと夏遊んでお終い、というわけにはいかんのだぞ」
「わかっております」
「添い遂げる気があるというのか? 彼女はおまえにとって、アキレス腱になりうる」
「アキレス腱?」
この世界に、アキレウスが出てくる神話があったかな、などと思いついてしまい、つい聞き返してしまったが、父は別の受け取り方をしたようだった。
「弱点になるということだ。彼女を妻とすれば、おまえの足を引っ張りかねないぞ」
「公爵の後ろ盾があっても?」
宰相は、それには答えなかった。
「あのヴィルジニー嬢を、夫として御することができるのか?」
「わかりませんが、彼女は、僕には素直ですよ」
父親は訝しげな視線を僕に向けて、僕は肩をすくめるしかない。
「僕の言うことは、聞くんです。父上は、彼女の学校でのお噂をお知りなのでは?」
彼は不満げな息を漏らした。
「聞いている」
「あの悪役令嬢が、自分だけでそのようなことをやったと?」
「悪役令嬢?」
思わず出てしまった
「彼女には、これまで適切な助言をする者がいなかったというだけです。確かに自己中心的な考え方をしますが、他人の話は聞ける。ご心配されるほどのことはありません」
言い切ったが、これは僕の希望でもあった。
父はもう一度唸ったが、ついには諦めた様子でため息を吐いた。
「公爵の言葉、聞いたか?」
「どれです?」
「娘の婿殿、と言ったぞ。閣下は完全にその気だ」
「ベルナール様がいらっしゃるのに?」
「おまえが婿になれば、公爵が利用できるって思うのは、わかるだろ」
「それは……まあ――」
「フィリップ王子との婚姻が見込めなくなった以上、ヴィルジニー様の有効活用としては、願ってもない話だろうさ」
わざとらしく、人を人と思わない言い方をしてみせた父は、僕を気の毒そうな目で見た。
「おまえが本当に、自分がやろうとしていることを理解していることを願うよ」
僕としては、ヴィルジニーの攻略が先だと思っていたので、公爵の政治戦略に組み込まれようとしているのだと言われて、ようやく事態の深刻さを悟ったところ。
僕は(前世知識のおかげで)多少成績がいいだけの、ただの伯爵家の長男だが、“宰相の息子”で、“次期国王最有力候補と懇意”というだけで、将来の宰相候補の一人とされている。ここに“公爵の娘婿”という属性が追加されれば――これはもう、次の宰相にならないとは、もはや思われないだろう。
公爵は間に僕を挟むことで、より強固に、王家と政治に影響を及ぼすことができる。となれば当然それを目指し、公爵家の力をもってして、
すごい……なにこれ。誰の陰謀?
ただ、好みの女性とイチャイチャラブラブしたいだけだったのに……気がついたら、なんかでかい陰謀の歯車に組み込まれてしまっている。
やっぱり、なにか適当に嘘をついて切り抜けるべきだった……などと後悔しても、もちろん後の祭り。
「ヴィルジニー様は、ご在宅かな」
「どうでしょうね、いるんじゃないですか」
「おまえは昼食前に、彼女の真意を確認しろ」
僕は思わず顔をしかめる。
彼女に直接、僕と結婚するつもりがあるんですか、と聞けと言うことか? このあとすぐ?
昨日までの関係性を思えば、とても馬鹿らしく、言い出せない言葉だ。
僕の表情を見つけて、父はやはり顔をしかめた。
「仕方がないだろう。おまえの話を信じるなら、ヴィルジニー嬢には本当にはそのつもりがない可能性がある。そうであれば、公爵の思い違いは早急に正さなければ。状況がより進行してしまう前にな。
まったく……こうなるぐらいならまだ、実はお付き合いしている、と言われたほうがマシだったかもしれん」
独り言のように言った父は、ふと天井を見上げ、それから何事か思いついたように首を横に振った。
「いや、そんなことはないな。そっちのほうが悪い」
やはり独り言を続け、父親はうんざりしたようにため息を吐いた。
「まったく。なんて朝だ……。おまえのことだけじゃない。フィリップ王子の婚約解消だと? 想像はしていたが、まさか本当にそんな日が来るとは……くそ、考えただけで頭が痛い」
父親としてだけではなく、宰相としても考えなければならないことがある。
王子の婚約解消は、下手を打てば政治問題に発展しかねないのだ。
「ホントに……ひどい朝です」
思わず同意した僕を、父親は化け物でも見つけたかのような目で見て言った。
「誰のせいだと思っているんだ」
僕は答えなかったが、少なくとも今朝のことに関しては、悪いのはヴィルジニーだと思っていた。
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