74. 非人道的な要求

「まず――」


 僕はひとつ、深呼吸をしてから、口を開いた。


「婚約解消の件については、わたくしの口からは申し上げられません」


 口を開きかけた父親に先んじるように、僕は続けた。


「フィリップ王子の許可なく、話せない、ということです。これはわたくしの、王子への忠誠心、そしてなにより、王子との信頼関係の問題です。ご理解していただきたく思います」


「しかし――」


 父親は公爵の顔色を伺うようにしたが、家主は鷹揚に頷いた。


「了解した」


 実際、僕の答えは、それについて知っているし、ヴィルジニーが言った、王子も同意の上だということを、暗に肯定してもいた。婚約解消について、公爵が知りたかったことには、結果的に答えているということだ。


「では、ヴィルジニー様がおまえの名前を口にしたという方については、どうなんだ?」


 父親が言ってくれなければ、なんとか誤魔化せないかと思っていたのだが、どうやら無理のようだ。


 僕はソファに浅く座り直すと、深く頭を下げた。

 申し訳ない、という気持ちよりも、顔を見られて話をする勇気が無かったからだ。


わたくしは、ヴィルジニー様をお慕いしております。そのことを、ご本人にはお伝えしております。ただ、ヴィルジニー様からは色よいお返事をいただいておりませんので、そのようなお話で名前を上げていただいたと聞いて、わたくし自身も驚き、困惑しております」


 一気に、言った。

 ヴィルジニーが公爵に、何をどのように話したのか、正確にわからない以上、その場しのぎの嘘をつくのは、危険だと思えた。

 正直になる選択しか、僕にはできなかったのだ。


 二人の大人は呆気にとられたか、すぐには言葉を発しなかった。

 この機に乗じて、僕は頭を下げたまま、続けた。


「公爵閣下の御令嬢に恋するなど、身の程知らずは百も承知。それに、おおやけに婚約を解消していない段階で、このような内心を表に出すべきことではないこともわかっています。公爵閣下には、このような形でお伝えすることになったこと、深くお詫び申し上げます」


「なっ……なにをわかっているというのだ、おまえは――ッ!」


 父親が立ち上がりかけたのを、公爵が制したのが気配でわかった。


 その公爵は、しばらく何も言わなかった。

 僕は頭を下げているのが辛くなったが、上げることもできず、そのままカーペットの模様を視線でなぞっていた。


「顔を上げたまえ」


 しばらくして、ようやく、公爵が言った。


 恐る恐る顔を上げると、公爵は少し困ったような顔をして、視線を遠くへ向けていた。


「すまない。君に、表情を見られたくなくてね」


 なかなか頭を上げさせなかった理由をそのように言い、公爵は深く息を吐くと、一瞬だけこちらに視線を送った。


「娘の、どこが気に入ったのかね」


「……はっ?」


 僕は、公爵の問いの意味がわからず、間抜けな声を出してしまう。


 だが公爵は気にした様子もなく、再び視線を逸らしつつ、口を開いた。


「ヴィルジニーのことは、甘やかしすぎた、という自覚はある。わたしは娘に対し、厳しい父親にはなれなかった。その結果が、あれだ。傍若無人に振る舞うあの子の、社交界での評判はひたすらに悪い――フィリップ王子から婚約の申し出があった時は、正直信じられなかった。今回の話、双方合意の上で婚約を解消したいという話も、憤っては見せたが、内心では来るべきときが来たか、という思いであったよ」


 そこまで言った公爵は、ついにまっすぐ、僕の方を見た。


「父親がこのように言うのもどうかとは思うが、ヴィルジニーは、決してよく出来た娘ではない。ステファン殿の立場を思えば、政治的な利用価値もないだろう。君の言葉を疑うわけではないが、理由が知りたい」


 僕は、好きな女の子の父親に、そのコのどこが好きなのか説明せよ、と言われているのだ。

 しかも立場上、断れない。

 こんな非人道的な要求がなされる日が来るとは、夢にも思っていなかった。


 僕は父親からの憐憫の視線を感じながら、公爵に向かって言った。


「ヴィルジニー様は……とてもかわいらしいお方です。少し、正直になれないだけ、といいますか……シャイなだけで、本当は素直なお方です。お嬢様が学校でなされたことは、ご存知でいらっしゃいますよね?」


 公爵はかすかに首を傾げる。


「話には聞いているが……あれもすべて本当だというのか? 平民の特待生や、地方貴族の御令嬢方の、慣れない学校生活を支援していると?」

「事実です。そういう優しいお心をお持ちのお方です」

「とても信じられん」


 それでも親か。

 その様子からすると、家でもわがまま放題に振る舞ってきたのだろうな。


「恋心ですから、納得していただけるように説明はできません。ただ、なにか打算があるとか、政治的に利用できるとか、そういうつもりで言っていることでもありません。ヴィルジニー様とフィリップ王子の婚約が解消なされるようなことがあれば、公爵家から勘当されることもあるかもしれない、とは思っていましたが」


「娘を救って、そうして見せるしかなかったわたしに恩を売れるな?」

「お救いすることになるかはわかりません。その場合は、わたくしが王子の不興を買うことになるかもしれませんので」

「フィリップ王子より、ヴィルジニーをとる、と?」

「そういう選択にならないことを期待しています。ただ、わたくしには立身出世の野望はありません。友人である王子が求められるなら、応じられるようではいたい、と思っています」

「公爵家の娘の婿殿には、もう少し出世欲があった方が好ましいが」

「……は?」


 驚いて聞き返すと、公爵は苦笑を浮かべた。


「すまない。少々、気の早い話をしてしまった。話はよくわかった」


 それから公爵は、父の方を向いた。


「宰相殿には、いらぬ心配をさせたな。せめてもの詫びに、昼食をご一緒していただきたい」


「詫びだなどと……とんでもございません。そもそもは不用意な言動をした愚息の……いえ、その監督者であるわたくしの不手際。どうか、ご容赦を」


 頭を下げた父に、公爵は頷いた。


「顔を上げてくだされ、宰相殿。わたしは本当に、のです。

……では昼食会は、懇親会といたしましょう。ご一緒してくださいますな?」


「願ってもございません。 ――ただ、その前に……」


 父は、横目で僕の方を見た。


わたくしも、息子に少し……確認したいことがあります。できましたら、どこかお部屋をお借りできませんでしょうか」


 公爵は頷いた。


「ああ、それならベルトランに……ああ、いや、わたしの書斎を使っていただこう。いま、案内させる」

「よろしいのですか?」

「もちろん」

「恐れ入ります」


 貴族の屋敷では、例え室内に他に人がいなくても、誰か話を聞いている第三者がいないという保証はない。

 例えば壁が薄かったり、隠し部屋があったりして、気付かれず話を聞けるということはできるのだ。

 今だって、応接室には公爵と僕ら親子の三人だけがいて、あくまでも表向きはこの三人だけの話という形だったが、公爵が、他に話を聞かせたい者がいると思えば、そうさせることは可能なはずだった。


 貴族の屋敷で、家主が用意する部屋で行われた話の秘密は、保証されないということだ。


 そういう環境でもっとも機密性が高いと考えられるのが、家主の書斎だ。常ならばそこで行われる話は、家主がもっとも他人に聞かれたくない性質のものであるからだ。

 第三者に話を聞かれかねない構造には、普通、なっていないのだ。


 公爵が自分の書斎を提供したのは、心置きなく親子の会話をやってくれ、盗み聞きする者は決していない、という、公爵の配慮だということで、それをわかった父は、礼を言ったのだ。



 執事ベルトランの案内で、僕は父とともに、屋敷の上階、未踏の奥地へと進む。


 たどり着いたのは、さすがは公爵家の書斎と思わせる、立派な部屋だった。

 公爵の書斎など入る機会があるとは思わなかった。

 物見遊山気分で視線を巡らせかけた僕だったが、こちらを睨む父を見つけ、動きを止める。


「さて……では、納得の行くように話をしてもらおうか」

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