73. 公爵の用件

 まさかこんなに早く、しかも父親同伴で、公爵家の門を再びくぐることになるとは。


 エントランスで出迎えてくれたのは、見知った顔の執事、ベルトラン氏で、少しホッとする。

 しかし当の執事は、通り一辺倒の挨拶を交わしただけで、すぐに僕たちを、屋敷へと案内した。


 前回は遠慮した、正面玄関から中に入る。


 公爵家に相応しい豪奢な屋敷だが、王城すら見慣れている立場では、無遠慮に眺めまわしたりせずに済む。

 案内されたのは応接室。先日訪れた時に入ったところとは違う、ずっと広く、また豪華な部屋だ。この屋敷にいくつの応接室があるかはわからないが、雰囲気からすると、おそらくかなり上位の、より重要な相手との会合に使う部屋だろうと思えた。

 そこに案内された、ということは、この呼び出しが、かなり真剣な内容のものだ、と想像できてしまい、さすがに震える。


 勧められるがまま、応接ソファに腰を下ろす。最高に座り心地がよかったが、ふんぞり返ってここの主を待つわけにもいかず、浅く座り直した。


 ベルトラン氏が姿を消し、お茶を用意してくれたメイドが去り、二人きりになった隙に、隣に座る父へと耳打ちする。


「ここに来たことが?」

「ある。だが自分だけで来たのは、はじめてだ」

「僕がいるよ」

「……たいへん心強いね」


 父は僕の軽口に眉根をひそめたが、まだ冗談を返す余裕があった。


「思っていたより、図太いんだな」

「まさか。でも考えてみたら、僕には失うものが何もない、と気付いた」

「少しは家への影響を考えてくれ」

「公爵には、父上を更迭する力がありますか?」

「ない。だが、公爵の派閥が敵に回れば、手足をもがれたも同然だ」


 宰相の政策に反対するなどすれば、足を引っ張ることができる。実質的に実務能力を奪われれば、国王が宰相を更迭することだってあるだろう。


 さほど待たせず、デジール公爵が現れた。

 彼は戸口まで同行していたベルトランに無言で合図だけすると、執事は一礼して扉の向こうに消えた。


 広い室内には、三人だけ。


「おはよう。朝早く、お呼び立てして申し訳ない」


 立ち上がった僕たちにそう言った壮年の男性は、中肉中背だが引き締まった身体付きをしていた。きっちり整えられた銀髪の下に、人好きのする微笑みを浮かべていたが、作り笑顔だとすぐにわかった。


「おはようございます。いえ、とんでもございません」


 父が頭を深く下げるのを見て、僕も慌てて例に習う。


「この度は、愚息がなにかご迷惑をおかけしたようですが、本人に聞いても、心当たりがないと申すものですから」


 斜向かいのソファに腰掛けようとしていた公爵は、何かに気付いたように顔を上げたが、父、そして僕の顔を順番に見て、それから苦笑を浮かべた。


「いやいや、ご子息をなにか咎め立てしようと呼んだのではない。ただ少し……事情を伺いたくてね。気になさっておられるようだし、さっそく本題に入らせてもらおう」


 公爵がソファを指し示し、僕たちは再び、今度は先程よりも深めに腰を下ろした。


「まず……」


 言いかけた公爵は、悩ましげなため息を挟んだ。


「いや失礼。少々、頭が痛い問題でね。これから話すことは、我がデジール家だけではなく、王家にも関わっていること。他言は無用に願う」


「もちろんです」


 父の言葉に同意するように僕も頷くと、公爵も頷きを返し、続けた。


「実は、ヴィルジニー……我が娘が、フィリップ王子殿下との婚約を解消したい、と言い出してね」


 いきなりかよ!


 驚いた僕はとっさに、それが表情に出そうになるのを懸命に堪える。

 ヴィルジニー(と僕)が学生寮から自宅へ戻ったのは、昨日のことだ。

 このタイミングで僕たちが呼び出された、ということは、ヴィルジニーは帰宅したその日のうちに、婚約解消の話を父親にした、ということになる。

 面倒事はさっさと済ませてしまいたい、という気持ちはわかるが、それにしてもこの展開の早さは予想していなかった。


 それに……その話と、僕が呼ばれたこととは、どう繋がるのか。


 気がついた時、公爵は父、それから僕の表情を、順番に確かめるようにしていた。


 それに気付いた僕は、隣の父の顔を見る。


 父は、さすがに驚きを隠せない様子だった。

 その表情を見て、僕は自分がしくじったことに気付く。


 ここは、驚くところを見せるべき場面だった。

 驚かなかったら、婚約解消の話を予め知っていた、と受け止められてしまうではないか。


 ヴィルジニーが婚約解消の話を公爵にすることを知っていただけに、早すぎるそのタイミングの方に気を取られて、婚約解消話そのものを知らない振る舞いをするべきだということにまで、頭が回らなかったのだ。


 公爵と、目が合う。

 だが彼は表情に何かを浮かべるようなこともなく、続けた。


「この婚約は、フィリップ王子からお申し出頂いたもので、こちらの一存で解消する、などと簡単に言い出せる性質のものではない。ところが驚くことに、娘は、この話は、すでに王子と同意に至っていることだ、などと言うんだ」


 公爵は、たびたび僕の方に目をやりながら、言う。


「恥ずかしながら、親子の会話だ。あまり落ち着いて進まなくてね……娘が突然、それもフィリップ王子との婚約を解消したい、などと言い出したら、父親としては、とても冷静なままでは……」


 言い訳のようなことを口にし、頭を振る公爵に、娘がいない我が父は頷いた。

「わかります」


「半ば口論のようになってしまった。感情的になったわたしは、娘に言った。

 王子との婚約解消などありえない、そんな馬鹿なことを言い出す貴族令嬢などいるものか、と。

 娘は、現にここにいる、などと言うので、いま婚約を解消して、いったいどうするつもりだ、と聞けば、真に自分を愛してくれる相手と恋をし、添い遂げる、などと世迷い言をいうではないか。

 わたしは、相手は人格者と評判のフィリップ王子なのだから、世間は円満な婚約解消などとは思わない、おまえに問題があったと判断する、そのような凶状持ちをもらってくれる者などおらんぞ、などということを言ったのだ。

 すると、娘は、いる、と。そして――」


 公爵はついに、僕の方をまっすぐに見て、言った。


「宰相殿のご子息――ステファン殿の名を、口にしたのだ」


 僕は驚いた顔をしたが、演技ではなかった。


 えっ? いまの話、マジ?

 ヴィルジニーが本当にそんなことを?

 彼女が本当にそういうつもりでいてくれるというなら、それは嬉しいことだけど――

 でも、このタイミングで、デジール公爵に言っちゃったの?? マジで??


 嘘だろ……嘘だと言ってよ!


「問いただそうとしたが、娘は……それ以上、口を聞いてくれようとしなくてね。

 そこでお呼び立てしたのは、なぜ娘の口から、ステファン殿の名前が出るに至ったのか、その理由を、もう一方からお聞きしたいがためだ。どうやらご子息は、この婚約解消話については、すでにご存知であった様子」


 父は、驚きと非難を半分ずつ浮かべた顔を、僕に向けた。


「そうなのか?」


 父親の問いに答えられず、言葉を失う僕。


 誤魔化すことは、不可能に思えた。

 なにせ僕は、明らかに態度で、王子とヴィルジニーの婚約解消の件を知っていたことを示してしまっていた。

 そしてなによりヴィルジニーの口から、僕の名前が出ている。

 一連の出来事に、僕が関与していることは、誰の目にも明らかだった。


 父と公爵、二人の大人の視線を受けながら、僕は、どう答えるべきかを必死で考えた。

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