71. 悪役令嬢の訪問

 開け放たれたままだった扉が、コツコツとノックされた。


 帰省のための荷造り中だった僕は顔を上げる。


 戸口に立っていたのはヴィルジニーで、彼女は室内に僕しかいないことを確かめたようだった。


「なにをしているのです?」

「見てわかりませんか? 荷造りですよ」


 僕が答えると、ヴィルジニーは頬を膨らませた。


「そんなことは、見ればわかります。なぜ自分でやっているのか、と聞いているのです。ルージュリー伯爵家にだって、メイドぐらいいるでしょうに」


 僕が顔をしかめてみせると、ヴィルジニーは眉をひそめた。


「まさか、いないのですか?」

「いますよ」


 一応は伯爵家なのだ。貴族のランクとしては、上から公爵、侯爵ときて、その下ぐらいだ。確かに伯爵家の中でも新参ではあるが、家事使用人がいないはずはない。

 まったくヴィルジニーは、自分より身分が下というだけで、その他大勢、恵まれない人々、ぐらいに思っている節がある。世間知らず、筋金入りの箱入り娘なのだ。


 僕の即答に、ヴィルジニーはなぜかホッとした様子を見せた。


「荷物が少ないので、わざわざ来てもらうこともないんですよ。引き取りだけは、頼みましたが」


 荷役係ポーターが来るのを待っていたので、ドアを開けたままにしておいたのだ。


 公爵令嬢ともなれば、身の回りのことを自分でしたりはしない。今から家に帰る、となれば、尚更だ。荷造りだって、自宅から来てくれたメイド任せ。だからこのように、プラプラとしているのだろう。


 夏休みになった者が多くなった寮は、帰省する学生たちで賑やかだった。


 特に今日は、おそらく寮を後にする者がもっとも多くなろうという日だった。当然、ヴィルジニーもそうだろう。身に付けているのはいつもの制服ではなく、よそ行きの夏らしい爽やかなワンピースで、白い日傘まで携えている。


 トランクケースに荷物を押し込み、体重をかけて閉める。


「それひとつ、なのですか?」

「少ないって言ったでしょ」


 持って帰るのは、必要なものだけ。どうせ、夏が終わればまたこの部屋に帰ってくるのだ。


 トランクを立てると、僕はベッドに腰掛けて一息吐いた。

 それから、戸口から離れようとしないヴィルジニーを見上げる。


「それで……ご用件は?」


 僕が訊ねると、ヴィルジニーは不機嫌そうに顔をしかめた。


わたくし貴方あなたに用など、あるわけがないではないですか」


 首を傾げる僕。


「では……どうしてここに?」


 ヴィルジニーは、うっ、と言葉をつまらせ、視線を泳がせる。


「とっ、通りかかっただけです」


 ここは男子寮、それも二階の、一番端の部屋である。流石に無理がある言い訳なのではないか。


 とはいえ、そのあたりを馬鹿正直にツッコむと、絶対に機嫌を損ねてしまうし、ここは黙っておくことにする。


 黙っている僕を見て、ヴィルジニーは一瞬、不安そうな色をその顔に浮かべたが、何度かまばたきしてから、気を取り直したように言った。


「貴方の方こそ……用があるのではないですか? わたくしに」


「僕がですか……?」


 などと返したところで、ようやく僕は、ヴィルジニーのこの行動の理由を察する。


 ヴィルジニーの平手打ちを受けたあの日以来、僕と彼女は、二人っきりで会ってはいなかった。

 募金活動絡みの打ち合わせを除けば、会話すらしていなかったのだ。


 僕としては、“一通り押したので、今度は引いてみるフェーズ”のつもりだった。あまりに好きをアピールしてしまうと、相手に自分優位だと思わせてしまう。ただでさえ他人を見下しているのがヴィルジニーという人物なのだ。であれば、あまりに下手したてに出てしまうのは愚策。今後のことを考えれば、お互いのパワーバランスは最低でも均衡、できれば僕が上位にあるのが望ましい。


 言うべき時に言うべきことを言った。だから今は、少し冷却期間を置き、相手を多少なりとも不安にさせたい、という発想だ。


 今日まであえて素っ気なくしてきた。

 その結果が出ているところなのだ、これは。


 フィリップ王子に振られた形のヴィルジニーは、本来であれば、自信を失うところだった。ところが彼女には、自分を好きだと言う男(つまり僕)がいる。そういう男が存在するなら、王子との破局で、自分の価値が損なわれたわけではない、と思い込める。


 だから彼女は、自分の恋愛感情はまったく別にしたとしても、僕には好かれたままでいたいのだ。


 その僕から、その後にそれ以上のアピールが無かった。


――このままだと夏休みになって、何週間も会わないままになってしまうのに。一体どういうつもりなのか――


 そう思わせるのが、僕の作戦だった。


 そして目論見通り、ヴィルジニーは不安になっている。


 不安になった結果が、この行動だ。

 つまりは理由も用事もない、ただ僕に会いに来た、というわけだ。なんてカワイイ――


「なんですか? 気持ち悪い」


 ヴィルジニーの蔑むような顔に、僕は緩んでしまっていた顔を慌てて引き締める。


「ああ……いえ、そうですね。そうです、そうです」


 彼女の振る舞いを指摘してイジメたいという気持ちもあったが、へそを曲げられては困る。彼女は無意識に、というか、はっきりと自覚があってしている行動ではないのだろうが、せっかく会いに来てくれたのだ。この機会は利用したい。


「いやあちょうどよかった」


 などと呟きながら立ち上がる僕。ヴィルジニーに近づく間に、何を言うか考える。


「えーっと……そうだ。ヴィルジニーは、夏休みのご予定とか、どうなってます?」

「……はあ?」


 僕の問いに、公爵令嬢は一瞬の間を挟んだ後、顔をしかめた。


「それが……貴方に何の関係が」

「いやあ、せっかくですし、遊びましょうよ。遊んでください」

「なっ……どうしてわたくしが貴方と」


 不機嫌そうにそっぽを向いたが、その頬がちょっと赤くなっているのを、僕は見逃さない。


「何を勘違いなさっているのかわかりませんが――」


 彼女は人の通りのある廊下の方へ、思い出したように視線を走らせてから、


「言動には気をつけなさい、と言ったはずです」


「そうですね。では、不自然のないようにしましょう」


 視線を戻したヴィルジニーは、訝しげに首を傾げる。


「貴方とわたくしが一緒に……では、不自然でしょう」


「実は、フィリップ王子と、他に何人か誘って、バカンスに行く計画がありまして」

「……王子と?」

「何人かいて、王子もいて、となれば、そこに僕と貴女がいても、不自然ではないでしょう」


 なにせ、公には、ヴィルジニーは王子の婚約者なのだ。その王子のバカンスに同行するのは、むしろ、ごく自然と言える。


 ヴィルジニーは提案を吟味するように頬に手を当てたが、


「しかし、王子は、わたくしの同行は嫌がるのでは?」


 僕は首を横に振る。


「そんなことはありません。この件、実はすでに、王子に了解を取ってましてね」


 それを聞いたヴィルジニーは、不審げに目を細めて僕を見上げたが、問い質すまではしなかった。


「よくもまあ、振った女を伴って遊びに行こうという気になりますね」

「なにせ、これから二人でこなさなければならない大変な仕事がありますからね。そう思えば、王子は貴女を大事に扱うでしょう」

「まったく。いかにわたくしが愛されていなかったのかと、いまさら思い知らされますわ」


 嘯いたヴィルジニーだったが、その様子に、言葉ほどの悲壮感はない。


 溜息を吐いた彼女は、気を取り直したように僕を見上げた。


「それで、どのような計画を?」

「詳しくは、まだ。海にしようとは思ってます」

「なるほど。わたくしの水着姿が目当てですか。イヤらしい」


 胸の辺りを両腕で隠すようにしたヴィルジニーは、またもや、蔑んだ目で僕を睨んだ。


「ヴィルジニーと一緒に海に行けたら、幸せだなぁ、僕は」

「言ってなさい」


 その時、戸口の外の廊下に人影が立った。


「ステファン様、おまたせしました――っ!?」


 ルージュリー伯爵家の荷役係ポーターは、室内に貴族令嬢の姿を見つけ、ギョッとする。

 彼が公爵令嬢の顔を知っているかはわからないが――


「しっ、失礼しました!」

「いえ、構いません。荷物はこちらです」


 ヴィルジニーが黙って見守る中、恐縮した様子の荷役係ポーターは指し示されたトランクを大事そうに抱え、再び戸口のところへと戻り、それから僕とヴィルジニーの顔を交互に見比べた。


「あの……馬車を待たせておきますか?」


 僕はすぐには返事をせず、ヴィルジニーを見る。


 視線に気付いた彼女が、

「お構いなく。わたくしも、もう帰ります」

 と言うので、僕は荷役係ポーターに頷いた。


「すぐに参ります」

「はいっ!」


 荷役係ポーターが早足で去るのを見送ってから、ヴィルジニーは僕の方を向いた。


「そろそろ、支度ができるころです」

「校門まで、ご一緒しても?」

「……勝手になさい」


 ヴィルジニーが先に部屋を出て、僕が続く。


 彼女からしてみれば、もしくは端から見れば、公爵令嬢に僕が付き従っているような形に見えるはずだが、僕の方は、ヴィルジニーと二人で歩く、ちょっとしたデートの気分。


 行き交う男子生徒に訝しげな視線を向けられながら、男子寮を出る。


 夏の眩しい日差しに、ヴィルジニーは日傘を広げる。

 傘をもってやれば相合傘かな、などと一瞬思ったが、小さな日傘では二人で入るなどできないし、彼女に影を作るように持つと本当に僕に抗いようのない下僕感が出てしまうと気付き、やめる。


 校門までの短い距離を、並んで歩く。


 彼女は何も言わなかった。僕も何も言わない。

 ただ、いつもよりゆっくり歩いてくれたように思えた。


 彼女の手を握れたらいいのに。

 そうは思うが、今はまだ、それはできない。

 彼女が許してくれるか確かめることすら、できない。


 公には、まだ王子の婚約者なのだ。

 そんなことをして、誰かに見られでもしたら、とんでもないことになりかねない。社会的に命を失うことだって、あり得る。


 そういう心配をせずに、彼女の手を握ることができる日を、早く迎えたいものだ。


 手を繋いで歩く、か……

 次の目標には、ちょうどいいかもしれない。

 ハードルは高いが――状況さえ許せば、不可能ではないように思える。

 誰にも見られる心配がないところで、試せばいいのだ。


「またその顔……」


 言われて我に返る。

 ヴィルジニーは、またもや軽蔑の表情をこちらに向けていた。


「一体、なにを考えていたらそんな顔になるのか……本当に気持ち悪い」


 どうやら、またもや妄想につられて馬鹿面になってしまっていたらしい。

 慌てて、無意識に緩んでいた表情を、引き締める。


「そんなに酷いですか?」

「一緒に歩くのが恥ずかしくなります。自重して下さい」

「はい……気をつけます」


 二人だけの時間はあっという間に過ぎ、ついに校門にたどりついてしまった。


「そうそう、先程の、バカンスとやらのお話ですが」


 生徒たちを待ち並ぶ馬車の中に、公爵家のものを見つけたヴィルジニーは、思い出したように僕の方を振り返る。


「まともな計画を思いついたら、説明に来なさい。内容次第では……そうね、考えて差し上げてもよろしくてよ」


 彼女は少しばかり意地悪な笑みを浮かべて見せたが、その頬がかすかに、羞恥の色に染まっている。


「僕が……つまり、ヴィルジニーのお宅に、お伺いしてもよろしい、と?」

「なんです? わたくしを呼びつけようとおっしゃるの?」


 ヴィルジニーは不機嫌そうに顔をしかめたが、頬は赤くしたままだった。

 僕は慌てて首を横に振る。


「いえ! いえ! 滅相もない! はい、ご説明に上がります。喜んでおじゃまします!」

「邪魔はしないでください。家に招くのでもございません。勘違いなさらないように」


 ヴィルジニーは、一度はツンっとそっぽを向いたが、ほどなく、顔だけ向き直って、それからいたずらっぽく微笑んだ。


「それでは――ごきげんよう」


「……ごきげんよう」


 立ち去る彼女の背中を見送る僕は、歓喜に思わず拳を握る。

 まさか彼女の方から、訪問の口実を用意してくれるとは。


 おかげでこの夏、デジール公爵家を訪ねるのに、他に理由をでっち上げる必要がない。

 うまく行けば、誰にも邪魔されない環境で、ヴィルジニーと二人っきりになることさえできる。


――可能だ……ヴィルジニーとのお家デートすら――



 望外の、素直になれないヴィルジニーのかわいすぎる受け答えに、浮かれていた僕は。


 このあとすぐ、予想もしない形でデジール公爵家を訪れることになるとは、想像もしていなかった。

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