70. 籠絡の企て

 寮の前で反対方向に行く王子と別れた僕は、そこで、走ってきたセリーズに呼び止められた。


 彼女が膝に手を付き、呼吸を整えるのを待って、僕は聞く。


「募金の方は?」

「おまかせして、参りました。――ステファン様と、お話しておきたくて」


 僕は男子寮には入らず、セリーズを外へと誘う。少し歩いて、木々の間を通る、今は誰もいない遊歩道へ。


「セリーズさんは、補習などないのでしょう?」


 僕が話を振り、彼女は頷く。


「今日のうちに、自宅へ戻るつもりです。ですので、夏休み前にお話する機会は、今日しかなくて」


 夏休みになるからといって学生寮は慌てて出ていく必要はないのだが、早く帰って家業の手伝いでもしたいのだろう。


「それで、ご用件は?」


 僕が聞くと、セリーズは慌てた様子で言った。


「えっ? あっ! その……すいません、特にこれといって、具体的な用件があるわけではないのですが……」


 僕が首を傾げると、セリーズは頬を赤らめ、俯いた。


「このまま帰ってしまったら、その……せっかくお友達になれた皆さんと、一ヶ月近くも離れ離れになるって、少し、寂しくなってしまって……」


 なるほど。

 彼女の発言で、僕は察する。


 最近は“乙女ゲーム”の筋としては、ジャックとのイベントをこなしているように見えていたので気にしていなかったが、どうやら好感度的には、まだ僕のほうが、若干高い状態なのだろう。


 学期末締めくくりイベント的に、最後にその好感度が高い僕のところに会いに来た、といったところなのだ、きっと。


「寂しいと思ってもらえる相手になっていたとは、光栄ですね」


 冗談めかして言うと、セリーズは慌てる。


「あっ、その……ごめんなさい! おかしい、ですよね。ステファン様とは、特に、何もないのに」


 僕は首を横に振る。


「何もない、だなんて。そのようなことはありません」


 首を傾げるセリーズに、僕は続ける。


「セリーズさんには、大変に助けていただきました。ありがとうございます。礼を言う機会があって、よかった」


 セリーズはまたもや慌てて、持ち上げた手と首を一緒に振る。


「そっ、そんなっ! わたしの方こそ、何度もステファン様に助けていただいて」


 おそらくセリーズは僕の発言を、彼女が井戸建設募金活動ヴィルジニーズ・ウェルに多大に協力してくれた、そのことだろうとでも思っているのだろうが。


 僕にとっては、それだけではない。

 セリーズの存在があったから、僕は前世の記憶を取り戻したし、ヴィルジニーと近づくために、彼女のことを散々に利用したのだ。


「以前、貴女あなたには期待している方がたくさんいる、と言ったこと、覚えてらっしゃいますか?」


 僕の問いに、セリーズは頷く。


「もちろんです」


「僕もそのひとりです。貴女の立場と可能性には高い将来性がある。ですから貴女とは、できるだけ良好な関係でありたい」


 僕の言葉はいまの偽りない本心だったが、セリーズの方は、さすがに社交辞令だと受け取ったようだった。


 国王や王子に、平民ながら高い資質を示すセリーズを、今後の国政に利用したいという思惑があることを、僕は知っている。そういうセリーズとの信頼関係があれば、将来に有利だ、という打算もある。


 しかしそれ以上に、彼女はこのゲームの主人公なのだ。

 その仕様に疑惑はあっても、その事実は、変わらない。

 主人公であれば、シナリオ進行に対する影響力が、もっとも強いはずなのだ。


 であれば、僕の立場では、彼女と良好な関係であることは、重要だ。

 セリーズをコントロールできれば、シナリオ進行そのものを好きなように制御できるかもしれないからだ。


 ヴィルジニーとの関係進展が見込めるようになった今、セリーズとの接近をことさらに怖がる必要はない。いくらセリーズからの好感度が高まっても、僕が応じなければ関係が進展しないのは、一学期の振る舞いを見れば明らかだ。ジャックという相手もいる。

 であれば、ここは、好感度が高いことを利用して、彼女を取り込んでおく方が得策だ。


 彼女を、井戸建設などに引き込んだのも、そういう考えがあってのことだった。


 そういう僕の悪い企みなど露知らず、恐縮したように微笑んだセリーズ。


「わたしに……期待されているような才覚があると、本当にお考えですか?」

「それはわかりません。が、貴女は過去に誰もなし得なかったことをここまでやってきている。それは、事実です」

「世間知らずの、勉強しかできない女です」

「学ぶために、貴女はここにいらっしゃる。そうでしょ? ああ、そうだ」


 思い出したように、僕は言った。


「王子と、夏休みに海に行く計画を立てています。セリーズさんも、御一緒にいかがですか?」


 セリーズは、今日一番の驚きを見せた。


「わっ、わたしが貴族の皆さんと……王子殿下と……!?」

「お勉強だけではなく、貴族の遊びも、学んだほうが良いでしょう」

「あっ、ありがたいお誘いですが、しかし……」


 セリーズは、申し訳無さそうに顔を背ける。


「わたしには、遊びに行く余裕などは」

「革細工店は、人を雇って上手くいっているのではないのですか?」

「いえ、そのことではなく、その……金銭的な、余裕が」

「ああ、その点は、心配なさらなくて構いません。平民の貴女を誘うのですから、もちろん、考えていますよ。僕のお小遣いで」

「えっ!? そんなの、悪いです」

「先行投資ですよ。貴女が偉くなったら、返して下さい」

「そんな……」

「御令嬢は、貴族の男子の誘いに、金銭的な心配などするものではありません」


 これもまた、学習の一環だと察してくれたのだろう。

 躊躇いがちな表情は完全に消せなかったが、セリーズは頷いた。


「ありがとうございます。是非とも、よろしくお願いします」

「準備も必要でしょうし、計画が決まったら、またこちらからご連絡いたします」


 水着とかも持ってないだろうし。


「お待ちしております」


 頭を下げるセリーズに、僕は言った。


「何かありましたら、いつでも連絡して下さい。夏休み中だからといって、遠慮することはありませんから」


 顔を上げたセリーズは、もう一度、今度は勢いよく頭を下げた。


「あっ、ありがとうございます! お心遣い、感謝いたします!」


 素直でよろしい。

 僕は口には出さず、頷くに留める。

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