69. バカンスの計画

「……よってわたくしはここに、“命の水の基金”の設立を宣言するものであります。学生の身であるわたくしたちにできることは、決して多くはありません。しかしこの活動をはじめとして、少しでも世の多くのひとに、安全で衛生的な生活を送っていただけるようになることを、切に願っています」


 井戸建設のための寄付金集めは、学期末の成績発表がされたその日、学生ホールの外でスタートした。

 ヴィルジニーの演説を終え、募金箱を持って立つセリーズやリオネルの元へ、サクラ仕込みの生徒たちが、現金や小切手を持ち寄る。


「原稿を書いたのはキミか?」


 遠巻きに見ている生徒たちが、お互いをうかがいながら近づく様子を、更に遠くから眺めていた僕は、訳知り顔の笑みを浮かべるフィリップ王子を振り返る。


 もちろん、原稿だけではない、演出も僕だ。

 貴族の令嬢、令息たちには、募金活動の経験はもちろん、知識すらなかったのだから、仕方がなかった。前世の知識には、こういう時に助けられる。


「ヴィルジニー嬢は作文が苦手だそうで。面倒がかかります」

「しかし、堂々として立派な演説だった。さすがは公爵令嬢だな」


 フィリップ王子とヴィルジニーの関係は、皮肉にも、フィリップ王子の告白以降、それ以前より気安いものになっていた。特にヴィルジニーから王子に対し、緊張するようなことも、遠慮するようなことも以前ほどではなくなったように見えた。婚約解消に向けて、協力し合うことに同意して、同じ目的意識を持つ同志、という意識になったようだった。

 二人の関係が円満なのは、その後にヴィルジニーをいただこうと思っている僕にとっても、望ましいことだ。


 ヴィルジニーの人前で話す様子を見ても、以前の、悪役令嬢らしい皮肉な雰囲気が薄まっているように思えた。


「手放すのが、惜しくなったんじゃないですか?」


 もちろん、気が変わってもらうのは、僕が困る。

 だが、王子の意向をことあるごとに確かめておくことは、必要だった。その変化がわかっていれば、場合によっては、軌道修正のために思考誘導だって試みることができる。


 しかし、王子は苦笑と共に、首を横に振った。


「能力は認める。人物の好き嫌いに評価が左右されてしまわないよう、常に心がけている」

「ヴィルジニー様が、そんなにお嫌いですか?」

「不思議と、以前ほどの嫌悪感はない。しかし、愛してるフリなどは、やはりできる気がしないな」


 それから、フィリップ王子は僕の表情を伺うようにする。


「彼女に、何を言った?」

「……なんです?」

「ボクがはじめて彼女に婚約解消の話をした時、怒り狂っていた。でも、次の日にはケロッとしていて、あっさりと、ボクの話を受け入れる、と言った。彼女ははっきり言わなかったが、キミが諭してくれたんだろう?」


 どうやら密会は知られているようだ。僕はわざとらしく肩をすくめる。


「諭すだなんて。怒りをぶつけられたんです。叩かれもしましたよ。おまえのせいだ、って」

「本当に? それは悪いことをした。にしても、責任転嫁もいいとこだな」

「ホントですよ。それで、王子も叩かれたんでしょうね?」


 僕は自分の左頬を軽く叩いてみせたが、王子は苦笑と共に首を横に振る。


「いや。言われてみると、叩かれても仕方なかったはずだ、とは思うが」

「えっ? じゃあ僕だけ? なんでですよ?」


 笑ってみせる。


 笑顔を返した王子だったが、続いて、彼は溜息を吐いた。


「キミの言う通りにして、すっきりした。しかし、本番はこれからだ。次は国王陛下とデジール公爵を説得しなければならない。考えるだけでも頭が痛いよ」

「デジール公爵には、ヴィルジニー様がお話されるんでしょう? 王子が切り出すよりはハードルがさがったのでは?」

「彼女が上手く話せるかどうか。ステファン、キミに原稿を頼みたいところだが」

「えっ? 演説のようにはいきませんよ。それに、何を言うのが公爵に効くのか、わかりませんし……ヴィルジニー様が本心をありのままに話すのが、一番だと思いますけどね」

「本心?」

「父親は、娘の言うことには、弱いものです」


 募金の様子が盛り上がっているのを見て、僕と王子は、そのつま先を学生寮へと向ける。


 学校での寄付集めは、事実上、一学期最終日となった今日限り。このあとこの案件は、社交界に持ち込まれることになる。そこでどの程度の資金を集められるかが井戸建設の成否を握るが……その行く末に、正直僕は、興味がない。


 井戸建設そのものが、このゲームのシナリオに最初から用意されていたものだ、という感触があった。そもそも、井戸を作るということそのものから、僕が言い出した話ではないし、いろいろなことが、都合よくハマりすぎだと感じていた。おそらく主人公のセリーズあたりが、募金のアイデアを出すなどというのが、本来のシナリオだったのだろう。

 だからその行く末は、関係者の努力いかんに関わらず、シナリオ的な要求に左右されることになるだろう、おそらく。


 そう思えば、不必要に関わって、無駄に消耗することもない。

 本気になっているセリーズやリオネルには悪いが、まあせいぜい、頑張ってもらいたいものだ。


「せっかくだ。面倒事には、夏休み中にケリを付けたい」

「いいですね。早いほうがいい」

「夏休みといえば、海に行こうと言ってた話だが」

「僕は本気ですよ」

「もちろん。是非とも行こう。誰を誘うつもりだ?」

「まだ決めてませんが。希望とかあります?」

「第三王子が来ても、気負わない御令嬢がいいな」

「なるほど。……じゃあ、ヴィルジニー様とか?」


 ヴィルジニーが王子の希望に合致しないのは百も承知だったが、一緒に連れて行きたい僕としては、自然に名前を出せるこの話の流れで伺っておきたかった。

 夏の間に、ヴィルジニーとは何らかの形で、関係性を深める機会を持ちたかったが、公には王子と婚約している現状では、その王子が関わるイベントでなければ、大手を振ってヴィルジニーを誘うことができない。


 王子は一度は、眉をひそめたが、


「ふむ……それもいいかもしれないな」


 マジかよ? やったぜ!


 期待以上の返事に、見えない角度で拳を握る僕。

 王子は続ける。


「ヴィルジニーを労う機会は必要だと思っていたし、ちょうどいい。しかし、それだけではつまらん。ボクにも出会いが欲しい。もっと他にいないのか、心当たりは」


 王子の発言には、さすがに驚く。

 女性には興味がない、そういう対象としてみることができない、と言ったのはさほど前のことではない。


「えっ、いや……しかし、次期王妃となられるような器の令嬢など、そうそう……」


 僕が言うと、王子は苦笑する。


「そこまで考えなくていい。政略結婚の相手を見つけたいと言ってるんじゃないんだ。ただ……考えてみれば、いままで女性を遠ざけすぎていた。少しぐらい、女友達が欲しい。そのぐらいの話だ」


 彼はそのぐらい、などと言ったが、しかし女性に興味が出てきたというのであれば、いい傾向のように思える。彼が持つ歪みは、ゲーム的な要求がもたらしたものであって、彼の本質では、おそらく、ない。であれば、それを修正できそうな機会は、大事にしたい。

 しかし、僕だって王子に紹介できるような女友達など――と考えて、


「では、セリーズ殿、はいかがでしょうか」


 思いついた名前を言ってみる。

 だいぶ打ち解けてきたとはいえ、平民である彼女、貴族のバカンスなど恐縮してしまうだろうが、なに、これも経験だなどと言いくるめれば、きっと来てくれるだろう。


 それに……僕にとっての利用価値がなくなったため放っておいたが、彼女はこのゲームの主人公だ。以前に考えた通り、彼女との交流が、王子にいい変化をもたらす可能性はある。


 王子は少し、驚いたような様子を見せたが、すぐに頷いた。


「なるほど、セリーズか。面白いな。それにちょうどいい。彼女のこともまた、どこかのタイミングで労いたいと思っていた」


 僕が首を傾げると、王子は答える。


「貴族ばかりの中で、無理をさせたからな」

「王子がさせたわけでは、ないでしょう」

「そういう気持ちなんだよ、ボクの方が」


 そのセリーズは、一学期の最終成績を、無事にトップで終えていた。二番手が僅差でフィリップ王子。僕は、まあどうでもいいけど、その下あたりだ。


「他には? いないのか? キミも他人ヒトのことが言えない程度に友達がいないな」

「王子に言われたくありませんね」

「だったら、リオネルにでも声を掛けてみたらどうだ?」


 驚いて王子を見る僕に、彼は気にした様子もなく言った。


「彼は顔が広い。御令嬢の何人かは、連れてきてくれるだろう。彼なら、妙な人物は連れてくるまい」


「ハハッ」


 僕は笑った。


「いいですね。話してみます」

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