68. 悪役令嬢の激高

 フィリップ王子は結局、考えをはっきりとさせず部屋を出ていき。

 どのように決断したのかわからないまま、数日が過ぎた。


 井戸建設計画の方は、順調だった。

 リオネルやセリーズが一生懸命になっていて、僕がする必要があるようなことはなくなっていた。

 ヴィルジニーにも、寄付集め開始時に演説などしてもらう必要があった。彼女はそれを嫌がったが、うまくやればこのネタでもう一回ぐらい王子に褒めてもらえる、といいくるめた。


 期末試験の成績発表が終われば、補習があるような者を除けば、夏季休暇に入る。


 できればその前にすべて終わらせて、すっきりした気分で夏休みと洒落込みたかったが……なにせ、自分では関われない部分が多すぎる。こればかりは、あとは待つしか出来ない。



 王子の、ヴィルジニーに対する評価を高めることで、彼女を陥れることを躊躇させようというのが、僕の考えたプランだった。


 王子の性格を考えたら、いくら気に入らない相手だとはいえ、何も悪いことをしていないヴィルジニーに、言われもない罪をかぶせて処分しようなどということは、できないのではないかとは思っていた。

 そもそも彼がヴィルジニーを利用しようと考えたのは、彼女の普段の行いが悪く、これからも繰り返されるであろうそういった悪行を口実にできる、と考えたからだ。

 逆に言えば、そういう口実がない相手に、根も葉もない罪を着せるようなことはさすがに憚られる、ということだ。


 でもここがゲームの世界で、ヴィルジニーの破滅が既定路線であれば……。そう考えると、楽観はできなかった。

 だからヴィルジニーに、更なる善行をさせたのだ。“貧民街に住むしかない貧しい住民のために井戸を掘る”などということをやろうとしている女を、陥れ破滅させるなど、まともな神経があれば、できない。


 王子の優しさ、良識を、信用したのだとも言える。


 それでも、不幸になるのがヴィルジニーだけなら、決断させてしまう心配はあった。

 無辜の作業員が犠牲になるとか、ヴィルジニーの功績を横取りするなどといった要素は、それらの保険だ。


 王子の罪悪感を、うまく刺激できたはずだった。



 だから、フィリップ王子が現れて、「やっぱり横取りプランで行こう」などと言い出す心配はしていなかったが、それはそれで、王子には、ヴィルジニーを振る、というミッションがある。


 もちろん王子が、それを早急にやってしまうかは、わからない。


 どちらを選ぶにしろ、彼はその決断を、もう少し先延ばしにできた。

 少なくとも、井戸建設がはじまるぐらいまでは。


 であれば、数ヶ月とか半年先とかに、なってしまう。


 そんなに待つのは、さすがに厳しい。


 なにか王子の尻を叩く、いい方法はないものか。


 夜。自室。

 開け放たれた窓辺で、椅子に腰掛け、夜風にあたりながら、そういうことを考える。


 この世界の夏は、前世の世界と比べたらずっとカラッとしていて過ごしやすいが、昼間はやはり暑い。一方で、日が沈んだあとの風はとても心地よい。

 そういう、夏の訪れを感じさせる夜風だ。


 ノックもなしに扉が開かれたのは、そんなときだった。


 こういう礼儀のないやり方をするのは、僕に対し無礼をやっても当然と思っている人物、ヴィルジニーだけだ。

 振り返ると、想像通りの人が部屋に入ってきた。


「ヴィルジニー。遅い時間に来るのはやめなさいとあれほど……」


 言いかけた僕は、そこでようやく、ヴィルジニーが険しい表情を浮かべていることに気がついた。


 扉を閉じた彼女は、キッと僕を睨むと、つかつかと靴音高く近づいてきた。


「えっ? あの……ヴィルジニー? いったい――」


 ただならぬ様子に、思わず立ち上がる僕。


 一言も発さず近づいてきたヴィルジニーは、僕のすぐ前に立つと、わずかに高い位置にある僕の顔を見上げるように睨みつけ、それからその右手を、大きく振りかぶった。


 響き渡った破裂音。

 いい音がした割に、痛みは全然感じなかった。


「さぞ、いい気分でしょうね、なにもかもうまくいって」


 怒りに満ちた顔で、言う。


 僕は無意識に、叩かれた左頬を指先でなぞる。


 ヴィルジニーの目元に、腫れたような跡を見つける。

 泣いたのだ。とすれば、何が起こったのかは、想像がついた。


 フィリップ王子がヴィルジニーに、本心を告げたのだ。


「とぼけようとしても無駄です!」


 僕が何も言わないことをどう受け取ったのか、ヴィルジニーは言った。


貴方あなたのことです――わたくしを手に入れるために、王子を操るなど、造作もないことでしょう!」


「お静かに……王子に、何を言われました?」


 一度は顔を背けたヴィルジニーが、それを聞いてもう一度、鋭く僕を睨む。


「知っているくせに!」

「おっしゃっていただかなければ、わかりません」


「王子は、わたくしと結婚するつもりはない――わたくしのことなど、最初から愛していなかった、とおっしゃられたのです!」


 信じられない、とばかりに首を振り、ヴィルジニーは窓の外に顔を向ける。


「おかしいと思ったのです……わたくしに気持ちがあると言った貴方が、なぜ王子の歓心を得ようとするばかりのわたくしに協力するのか――少しでもわたくしのそばにいたいと思うゆえ、かと考えていましたが、しかし、違ったのですね」


 そして、またもや僕を睨みつける。


わたくしを王子と引き裂くため、だった」


「少し、違います」


 反論の隙を与えず、僕は続けた。


「少しでも貴女あなたのそばにいたいから、貴女に協力したのです。殿下を操ったわけではございません」


「では、なぜ王子は!」


「フィリップ王子がおっしゃったことは、殿下の本心です。殿下は最初からそのつもりでおられた」


 僕の言葉に、ヴィルジニーは目を見開く。


「やはり、知っていたのね」


 そう言ったヴィルジニーは、自嘲気味に嗤う。


「王子にわたくしへの気持ちがないことを知っていて、王子に褒められたと言って喜ぶわたくしを、笑っていたのね」


「笑ってなど、おりません」


 向けられる上目使いの視線へ、僕は言った。


「ヴィルジニーを言葉一つで喜ばせられる王子に、嫉妬していました。笑うどころではありません」


 ヴィルジニーは不審さを拭えない視線を僕へと向けていたが、やがて窓辺の、先程まで僕が座っていた椅子に、力なく腰を下ろした。


「――王子に、わたくしへの特別な気持ちなどないことは、気付いていました」


 先ほどまでの激高した様子など嘘のように、しばしの沈黙の後、ヴィルジニーは静かに口を開いた。


「王子はわたくしを婚約者にしてから……いえ、それ以前も含めて、一度もわたくしと個人的に話をなさろうとはしなかった。微笑みかけてくださるのも、話しかけてくださるのも、公の場に限ったこと……考えてみればすぐにわかるのに。薄々感づいていたのに。わたくしはそれを認めたくなくて、目を逸らし続けてきました」


 寂しそうに遠くを見て、ヴィルジニーは言った。


「だって、王子に選ばれた婚約者だという事実は、間違いなかった……間違いないと、思っていたんですもの」


 ヴィルジニーは僕を見て、諦めたような苦笑を浮かべる。


「貴方の言うとおりにして、王子に褒められて……はじめて王子がわたくしを見てくれた、と思いました。だから、王子に特別な気持ちがなかったのだとしても、これからは変えられるのではないか、と思っていました。

 ……しかし、無駄だったようですね」


 そして、深く溜息を吐く。


「あんなに近づいたと思っていたのに、その結果がこれ、なんですもの」


「王子は貴女の努力に、感心していました」


 僕が言うと、ヴィルジニーは僕を睨む。


「なにを……白々しいことを」

「本当です。だからこそ、焦った。貴女を尊敬する気持ちと、貴女と結婚しようというつもりは、まったくの別だった、というだけです」


 視線を逸らすヴィルジニーに、僕は続けた。


「なによりも、貴女を認めたからこそ、裏切り続けることを自分で許せなくなった……だから自ら、貴女に告白したのでしょう」


「王子を正直にさせるぐらいのことは、できたということですか。やっぱり結婚しようという気には、させられなくても?」


 自嘲気味に言って、再び窓の外に目をやるヴィルジニー。


「本当、世の中、ままならないわね」


 似たようなことを、僕もここ三ヶ月のあいだ、何度も思った。

 努力は、必ずしも、報われない

 それが現実だ。


「ヴィルジニー。僕は貴女を慰めたいが、しかし、これ以上はできません」


「どうしてよ」


 ヴィルジニーは意地悪と寂しさを半々、といった笑みを浮かべてみせる。


わたくしのことが好きなら、立ち直るまで、しっかりと慰めなさいよ」


 しかし、僕は首を横に振る。


「貴女を裏切り続けた上、最後まで傷つけたフィリップ王子を、これ以上は擁護できませんから」


 ヴィルジニーは苦笑する。


「よく言うわ。こうなることが、わかっていたくせに」

「気分は複雑です。貴女が王子に振られたことは、僕にとってはありがたい」

「正直ね」

「弱った貴女に付け込みたいが、そういう安い女性ではないことは、知っています」

「どうかしら」


 視線を逸らしたヴィルジニーは、また窓の外を見た。


「王子に振られた時、どこかでホッとしている気持ちも、あったの」


 どうして、とは聞けず、僕は続きを待つ。


「これで王子から解放された、なんて思ったの。勝手よね、望んで王子の婚約者になったはずなのに。振ってもらえて……もう王子があの笑顔の裏で本当は何を考えているのか、なんて悩む必要なんかない、そんな風に思って、ちょっとスッキリしてさえいるの。それに――」


 ヴィルジニーは横目で僕を伺うようにして、続ける。


「これで、わたしにちゃんと好きだと言ってくれるヒトのところに行けるかも……そうも思ったから。

 ねぇ? 思ったより安い女で、ガッカリしたでしょ?」


 僕は首を横に振る。


「僕のところに来てくれて、本当に嬉しいです」


「自惚れもほどほどになさい」


 言葉遣いとは裏腹に、口調は優しかった。


「貴方のことだ、とは、言っておりません」


「僕以外に、そんなことを言う男が?」


「――振られはしましたが、わたくしはまだ、公にはフィリップ王子の婚約者……言動には、よく気をつけることね」


 直接的には答えず、ヴィルジニーは、立ち上がった。


「これ以上、安っぽくなりたくはないし。そう簡単に、貴方のものに……貴方の思い通りになって、たまるものですか。だから、今日のところはこれで帰ります。引き止めないでちょうだい」


「えぇ〜」

「調子に乗らないの」


「ヴィルジニー」

「引き止めないでって言ったじゃない」


 それでも、扉に向かいかけていたヴィルジニーは、僕の呼びかけに足を止めた。


 振り返った彼女に、僕は言う。


「貴女が好きです」


 ヴィルジニーはフンッと鼻でだけ笑うと、何も答えてはくれず、部屋を出ていく。

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