65. 悪役令嬢の褒美

 ヴィルジニーが貧民街に井戸を作るための寄付集めをする、という噂は、夏季休暇前の弛緩した空気が満たす学内を震撼させた。


 貴族でなければ人にあらず、とばかりの態度をとってきた悪名高い公爵令嬢が、平民の中でももっとも恵まれない人々のために寄付を募る――ヴィルジニーの変化を感じてきた学生たちにとっても、そのことは驚きを持って受け止められた。

 意図的に協力者を増やしていたことも有効に作用し、目論見通り、その噂はあっという間に全校に響き渡った。


 もちろん、寄付集めそのものをはじめるには、もう少し準備が必要だった。


 だが、ヴィルジニーの真の目的のためには、ここまでですでに十分だった。


 そして、の仕込みも、すでに終わっていたのだ。



「王子に褒められました」


 ホクホク顔でヴィルジニーがやってきたのは、そんなある日の放課後、まだ明るい時間帯。


 その美しい金髪を、珍しく高い位置でポニーテールに結っている。

 新鮮な姿に、思わず、軽く興奮してしまう。


「校内で、お会いしたときに。 ――貴方あなたの言ったとおりになりましたね」


 ヴィルジニーの言葉に、落ち着きを取り戻した僕は、頷く。


 その言葉を聞けば、王子が、僕の目論見通りに動いたことが、わかる。


 ヴィルジニーには今回の件、待っていれば、王子の方から接触してくる、褒めてもらえるチャンスはその時だ、と、話してあった。


 課外活動サロンの時と同じく、噂を聞き付ければ、王子の方からリアクションがあるだろうと考えていたのだ。公的には婚約者であるヴィルジニーがやることであるし、公共事業を代わりにやってしまうということの性質上、王子として無視できないはずだった。


 ヴィルジニーが座るのを待って、僕は質問する。


「それで、王子はなんと?」


 ヴィルジニーは機嫌よく答える。


「えっと、まず、寄付を募っているという噂を聞いたのですが、本当ですか、と」

「確かめてきた?」

「ええ。井戸建設のための寄付の話なら、本当です、と」

「すると、王子はなんと?」

「素晴らしいことをはじめられましたね、と」


 無邪気にも、嬉しそうに微笑むヴィルジニー。


「僕が言っていたことは、伝えてくれましたね?」


 ヴィルジニーはかすかに不満そうに、片眉を上げた。


「もちろん、申し上げました。“ステファン殿が助けてくれて実現できそうです”、と」


 返事に頷いた僕は、いよいよこのときがきたな、と覚悟する。


 おそらくこのあとすぐにでも、僕は王子に問い質されることになる。むしろ、王子が先に来なかった方が不思議だ。今回の件は、ヴィルジニーの評判を更に高める危険性を明らかに示唆していた。


 実際に寄付集めがはじまってしまい、その話が社交界に知れ渡れば、計画の成功如何に関わらず、ヴィルジニーが一定以上の名声を得ることになるのは、間違いないのだ。


 それを後押しする僕の行動は、フィリップ王子に伝えられた意向、ヴィルジニーの評判が上昇しかねない行いを助けないようにという指示に、明らかに反していた。


 自然に他者を見下す癖のあるヴィルジニーが、寄付集めをする、などということを独力で思いつけるとは、王子も考えないだろう。噂を聞けば当然、僕の関与があることを疑ったはずだ。しかし事前に王子は僕に、ヴィルジニーには協力しないよう指示をしている。忠実な臣下であるはずの僕に、真っ向から疑いをかけているような質問をすることは憚れる。僕への信頼を表明したあとだから尚更だ。だから王子は、真偽の確認のために、僕より先にヴィルジニーに接触するだろう、という目論見はあった。


 ここまでは、思ったとおりに運んでいる。


 あとは、王子がどこまで、僕が考えたように思考してくれるか――


「それで、なのですが」


 ヴィルジニーの言葉に目を向けると、彼女は椅子の上で居住まいを正していた。

 その頬に、微かに赤い色が浮かんでいる。


 わざとらしい咳払いを挟んで、彼女は口を開いた。


「ステファンとは、約束をしていましたね」


 言われて、僕もすぐに思い出す。

 そう、ヴィルジニーとは、王子に褒められたら、報酬をもらえる約束をしていたのだ。


 こちらから言い出さずとも、向こうから言ってきてくれたことに、まず感動してしまう僕。


 いったい、なにをもらえるのだろうか。

 しかし、彼女は手ぶらで、何かを隠し持っているようには見えないが……


 期待と疑問を半分ずつ浮かべて待っていると、彼女は躊躇い気味に、僕の様子を伺ったりしていたが、やがて、澄ました顔を作ると、背筋を伸ばして、こう言った。


「ああ、なんだか肩が凝りましたわ」


 わざとらしく、首を回し、片手で肩を軽く揉んだりしてみせる。

 それから、その存在にいま気がついた、というように僕の方を見て、続けた。


「ちょうどいいですわ、ステファン。わたくしの肩を揉みなさい」


 僕は、察しがいいほうなので。

 ヴィルジニーがなにをしているのか、わかった。


 ヴィルジニーは僕に、その身に触れたいという希望があることを、ずいぶん重く受け止めてくれていたらしい。

 とはいえ、別の男性と婚約しているのだ。そういう立場の貴族令嬢が、簡単に身体を触らせるなど、させられるわけではない。


 しかし、肩を揉ませる、という口実があれば。

 あくまでも、マッサージさせているだけ、と言い訳できると考えたのだ。


 そういうことを思いついてまで、僕に触らせてくれようと考えるとは。


 これ、ヴィルジニー、結構僕のこと好きだったりしてくれるのかな、とか思ってしまう。


 考えてみれば……リリアーヌやベルナデットに色々と吹き込まれて、一度は変態とまで呼んだ僕を、結構あっさりと許してくれた。あれだって、本心で嫌悪したのではないのだろう、と思える。


 もしかしたら、あれもどちらかといえば、嫉妬に近かったのかも。わたしに好きって言っておきながら、なに他の女に色目使ってんのよ! 的な、アレだとか。


 ヤバイ、妄想が捗る。


「ステファン? なにしてるのです。さっさとなさい」


 羞恥と不審を半々、といった器用な表情で言うヴィルジニーに、僕は「はい、ただいま」と立ち上がる。


 椅子に座る彼女の背後に回り込み、露わになったうなじをみてようやく、今日の彼女が珍しくポニーテールにしていたのもこのためか、と思いつく。


 おそらく、僕が、髪に触れたいと言ったのを覚えていたのだ。いつも通りに下ろしたままだと、肩を揉むためにはどうしても髪に触れてしまうことになる。それを避けるためのポニーテールだ。

 彼女が髪に触らせたくない理由は想像するしかないが……肩と髪、両方を触らせるのはご褒美には過ぎる、とでも思ったのではあるまいか。触りたいと言ったところを簡単に触らせるのは、悪役令嬢として簡単に看過できなかったのだ、きっと。


 うなじの白さと彼女の気遣い双方に、鼻のあたりが熱くなる。


 興奮を落ち着かせようと、こっそり深呼吸してから、

「では……失礼します」

 と、その肩にそっと触れた。


 一瞬、わずかにだが、肩を強張らせるヴィルジニー。

 僕はその華奢な肩のラインを確かめるように、そっと手を這わせる。


「あの……なにをしているのです? 肩を揉みなさい、と言ったのです」

「あっ、はい」


 そうだった、タテマエはそういうことになっているのだった。いきなり感触を堪能したりして、ヴィルジニーの気遣いを台無しにするところだった。


 少し力を入れて、肩を揉む。凝りがちなところに指を這わせて、固くなってるところを探す。

 しかしヴィルジニーの肩の筋肉は、とても柔らかく、凝っている様子などまったくなかった。


――あ〜、マジでこのコ、僕に触らせるためだけに、肩を揉め、とか言ってくれたんだな……


 可能な範囲でなにが褒美になるか、一生懸命考えてくれたのだろうな、この悪役令嬢が、とか思うと感動的ですらある。


 一時は、関係を進展させることなど不可能なのではないか、と絶望したりもしたが、あきらめなくてよかった。僕のこれまでの行動は、このように確実に、二人の間の距離を縮めていたのだ。


 これが、この肩もみが、その証拠だ。


 あまりの感動に、見えていないことをいいことに、幸せに弛緩した表情を浮かべてしまう僕。


 それでも一応、彼女の気遣いに配慮して、揉んでいく。首の近くから、1センチずつ外に向かう。

 ヴィルジニーの若く、張りの良い肌の感触。

 いやぁ、これはいいです。マッサージさせられている、など完全に下僕の絵面ですが、それでもこれは、最高のご褒美です……


 しかし至福のときは長くは続かず、両手はあっという間に、その肩の最外側まで達する。仕方ないから戻るか、何往復させてもらえるのかな? とか思ったが、そこでふと、思いついて、僕は独り言のように口にする。


「肩のこの辺も、揉むと気持ちいいんですよね」


 肩の、完全に外側、腕と肩の境、といったところを、ぎゅっと掴み、ヴィルジニーの反応を見る。

 少し緊張した様子があったが、何も言ってこない。


 よし、チャンスだ。


 僕の狙いは、もう少し下にあった。


 そう、女性の胸と同じ柔らかさとまことしやかに囁かれる、二の腕だ。


 確かめさせてもらおう! ヴィルジニーの、おっぱいの柔らかさとやらを!


わたくしは、肩、と言ったはずですが」


 僕の指先がいよいよ二の腕に達する、というところで、遂にヴィルジニーが振り返った。

 頬を赤く染めながらも、僕をキッと睨んでいる。


「うっ……腕も、揉むと気持ちいいんですよ?」


「……それは、また今度にしておきましょう」


 そう言うと、彼女は僕の手を振り払うようにして、立ち上がった。


 ちっ、残念、終わりか。


「今度?」


 無意識に反芻した僕を、ヴィルジニーは赤い顔で、もう一度睨みつけた。

 それからふいっと顔を背け、腕を組む。


貴方あなたのマッサージ、まあまあでした。機会がありましたら、また揉ませてあげてもよろしくてよ」


「あっ、じゃあ次は腰とか――」


 言いかけた僕の、脛を、ヴィルジニーは躊躇なく蹴った。


「痛った……っ!」


「あまり調子に乗らないことね」


 そう言うと、ヴィルジニーは意地悪な笑みを見せてから、そのあとは何も言わず、部屋を出ていった。

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