第6話

64. 建設予定地

 期末試験最終日、午後。


 試験日程がすべて終了した後、僕は貧民街を訪れていた。

 ヴィルジニーの井戸ヴィルジニーズ・ウェルの建設予定地を、下見するためだ。



 宰相である父のコネを使って、王国政府でインフラ工事に関わる人物とコンタクトを取ることができた。リオネルが言っていたように、王国政府として王都内にさらなる井戸を作る計画はあって、しかし貧民街への井戸建設は、その必要性は認識していても、どうしても優先順位が低く、具体的な話にはなっていないが、そうなったときのための下準備の下調べ、ぐらいは、されているということがわかった。


 その候補地のひとつを、掠め取ろうというのが、僕の作戦だ。


 貧民街は、はるか昔、この土地に人間が住み始めた当初の町が、そのまま残っているというようなところで、特に当時の公共施設については、頑丈な石造りなので、かなり傷んではいるが、外見はとどめている。


 目星をつけた建設予定地は、古い教会だった。

 とっくの昔に教会としての機能は失われていたが、井戸建設に必要な広い敷地がある上、土地建物の所有権が王国教会庁にある。教会庁がここを教会として利用しておらず、実質的に管理を放棄している以上、敷地内での慈善事業としての井戸建設を、反対することはないだろうという目論見だ。


「ここですか、なるほど……確かに、スペースは十分ですし、位置も貧民街のほぼ中心。まったく、理想的な場所に思えます」


 リオネルの言葉に、僕は同行者を振り返る。


 今日の同行者は、リオネルの他、ヴィルジニー……ではなく、彼女の代理として、セリーズが来ていた。

 ヴィルジニーは、井戸建設計画には同意したが、貧民街への同行は、嫌がったのだ。


 そういう彼女を、僕は諭すようなことはしなかった。

 今回の計画は、できるだけ多くの人間を巻き込んだほうがいい、という考えがあったからだ。


 土地勘があるセリーズとリオネルが同行することは、合理的でもあった。


 そういうわけで、僕を含めた三人共が、地域に溶け込む庶民的な格好だ。


 敷地内に足を踏み入れる。

 低い石壁で囲まれた教会敷地内は荒れ果てていたが、建物までへの古い石畳の間には草がそう生えておらず、頻繁な出入りが伺えた。


 教会建物の入口、石の柱の影に腰掛けていた人影が、ふらりと立ち上がる。年端のいかない少年だ。こちらを睨みつけるようにすると、石畳の中ほどで立ち止まった僕たちに向かって、ゆっくりと近づいてくる。


「あんたたち、なんか用か?」


 その格好を見れば、浮浪児だとわかる。この教会跡に住み着いているのだ。


 セリーズが進み出る。


「こんにちは。ちょっと様子を見に来ただけなの。君、ここに住んでるの?」


 少年は訝しげにセリーズを見たが、頷いた。


「まあな」

「他にも、いるのかしら?」

「……まあね」

「足りるといいんだけど……」


 セリーズは、荷物から包を取り出す。


「甘いお菓子なの。みんなで食べて」


 包の中身は砂糖菓子だ。

 この教会が、孤児院などへの収容を拒否したような、浮浪児の住処になっているとセリーズに聞いて、事前に用意してきたのだ。


 少年は、睨みつけるようにセリーズを見た。


「くれんのか? どうして?」

「ごめんなさい、今は、これぐらいしかできないから」


 申し訳無さそうにセリーズが言うと、少年は少し、躊躇ったようだが、恐る恐るという様子で近づいてきて、セリーズの手の上で、包を開いた。


 中を確認した少年は、教会の方を振り返ると、低く口笛を吹く。

 すると扉が開いて、何人もの子供が飛び出してきた。


 少年はセリーズの手から多少乱暴に、包を受け取ると、彼を取り囲もうとした子供たちを制しながら、中の物を配っていく。

 一歩、後ずさったセリーズは、その様子を、厳しい目で見つめる。


「同じ平民でも、めぐり合わせが少し違うというだけで、こうなのです。わたしは自分が恵まれていると思いますが、この幸運を、自分だけのものにするつもりはありません」


 彼らのような存在を救いたい、というのが、セリーズの最終的な望みで、そのために今は勉学に励んでいる、といいたいのだろう。

 まったくご立派。

 僕はそこまで夢が見られるほど、楽観的でもない。


 お菓子を配り終えた少年に、僕は話しかけた。


「僕はステファン。君は?」


 少年は少し、警戒した様子を見せたが、手に付いた砂糖を舐めてから、答えた。


「ジョー」

「君たち、食事や飲み水は、普段どうしてるんだ」

「? 水は朝夕、みんなで汲みに行く。食べ物は……まあ、色々」


 その逸らした視線を見れば、ヒトに言えない手段で手に入れているのだろう。


「ホントはおれも、食べ物を手に入れにいかなきゃいけないんだけど、ガキどもの面倒も、誰かが見なきゃいけないし。だから交代でやってるんだ」


 言い訳がましく言うが、ということは、彼以外にも、比較的年上の少年たちが、より幼い者たちの世話をするというような、浮浪児たちのコミュニティが出来上がっているのだろう。



 下見を終えて、教会を離れる。


「わたし、この件、どうしても実現したいです」


 言い出したのは、セリーズ。


「ここで井戸を作れば、彼らに建設の仕事を手伝わせて、お給金を支払うこともできるでしょう?」


 労働基準法などない。子供だって、働いてお金を稼ぐことができる世界だ。


 セリーズがやる気になってくれるのは、いい。

 主人公である彼女が関わることは、心強くもある。


 僕としては、大人の邪魔が入らないことが確認できてよかった、というところだ。


 セリーズとリオネルが児童福祉について持論を交わすのを背後に聞きながら、町外れ、馬車との合流地点へと向かう。



 先日のセシルとのやりとりのおかげで、僕がリオネルや王子との関係に悩むことは、なくなっていた。

 彼らが口にしない気持ちなど、勝手に推し量って悩む必要などない、と気付いたからだ。


 特に王子については、僕への希望ははっきり伝えてくれていた。その発言を信用すれば、彼の行動は多少大げさな親愛表現だった、と解釈できる。

 握手のようなものでは、伝えきれない、とでも思ったのだ、きっと。


 実際、そのあと彼との関係性が、なにか変化した、というわけでもない。以前と変わらぬ友人関係でいる。王子はリラックスした様子で期末試験に挑んでいたし、戦技訓練の試合でも、気負った様子がなくなっていた。

 そういう落ち着きを取り戻すのに必要だった、と思えば、僕が犠牲にしたものなど、さほどのものではない。


 リオネルも、そうだ。その戦技訓練、上位者の順位決定戦でフィリップ王子と再戦したが、以前のように過剰に入れ込むようなこともなく、双方ともにフェアな剣運びの試合となった。最終的に勝利したのはリオネルだったが、お互いの健闘を称え合い、二人とも満足した試合ができた、という表情を見せていた。


 余計な心配などせずとも、落ち着くべきところに落ち着くようになっているのだ、きっと。


 そう思えば、僕がやるべきことは決まっていて、まずは王子とヴィルジニーを、こと。ヴィルジニーとの甘い日々の第一歩として、婚約解消の実現、そしてそのために、今回の作戦は絶対に成功させなければならない。

 僕にも、落ち着きたいところに落ち着く必要がある。


 落ち着く、といえば。



「そういえば、ジャック殿とは、どうなんです?」


 馬車に乗り込んだところで何の気なしに言うと、セリーズは目を細めてジト目で僕の方を見た。


「どう、とは?」

「いえ。その後、仲良くやってらっしゃるのかな、と」

「気になります?」

「ただの世間話ですよ」


 セリーズの冷たい視線から僕が顔を逸らす。

 するとリオネルが間に入るように「まあまあ」と言った。


「ステファン殿は、セリーズさんを心配してらっしゃるのですよ。ジャック殿は、女性に関して色々とあったお方ですから」


 それを聞くと、セリーズは頬をふくらませる。


「ジャック様が“そういうお方”だと知ってらしたのに、お二人はあの時、助けに入ってはくださらなかったのですか?」


 そういえばそんなこともあったな、と思い出す。

 しかしセリーズの方も、僕らが傍観していたのを、しっかり覚えていたとは。根に持つタイプなんだな。


 慌てるリオネルを尻目に、僕は悪びれたりもせず口を開く。


わたくしは心配などしておりません。ジャック殿に縁ができることは、セリーズさんのためになるだろうと思ったからです。それに、セリーズさんはそもそも、殿方に勝手をさせるような方ではないでしょう?」


 僕が言うと、セリーズは憚りもせず不満そうな顔をしてみせたが、やがてため息を吐いた。


「すぐに試験期間に入りましたし、どうということもありません」

「では、あれっきり?」

「いえ……学内で、たまにお話することはありますが」


 なるほど、順調にイベントをこなしているようだ。


「ジャック殿も、顔の広いお方だ。今回の件、セリーズさんから上手く話をしていただければ、きっとお力添えいただけるのではないでしょうか」


 僕が言うと、目を見開いたセリーズは、大きく頷いた。


「わっ、わかりました!」


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