62. はっきりさせておきたいこと

 前世の記憶を取り戻す、以前。


 僕には、この国の政府で要職に就こうという意思、希望は、明確には、なかった。


 ただ、友人のフィリップ王子と働けたらいい、とは思っていた。彼が国王なりになるなら、そのときに宰相に指名されてもいいように、信頼関係とか能力とかがあった方がいいかもしれない、という、その程度の、漠然とした考えがあっただけだ。


 周囲に期待されているのはわかっていたが、自分として、必ずしもそうなりたいと思っていたわけではない。なるチャンスがあるならそのための準備はしておくが、なれなくても別にどうということはない、その時はその時で、別の生き方を考えよう、というつもりだった。


 今は。


 今生で初めて、明確な目標を持った。もちろんそれは、意中の女性、ヴィルジニー・デジール公爵令嬢の攻略だ。


 現在は、フィリップ王子の婚約者である、ヴィルジニー。身分的にも上。前世の記憶が戻らなければ、彼女を口説こうなどと、思いつきもしなかっただろう。そもそも、彼女への恋心ですら、だ。


 思惑が上手く行き、二人の婚約が解消されても、ヴィルジニーは、ただのヴィルジニーになるわけではない。


 王子の婚約者。王子に捨てられた女、ヴィルジニー・デジール令嬢。


 一度結んだ婚約を解消する、というのは、この国で王家に次ぐ地位にあるデジール公爵家の、顔に泥を塗る行為だ。


 そのようなことをすれば、王家とデジール公爵家の間にも影響が及ぶ。長く安定した協力関係に亀裂すらもたらしかねないほどの大事だが、しかし、現王家に好意的、協力的なデジール公爵であれば、家の威名より内政への影響の方を重視するだろう。


 婚約の解消を、ヴィルジニーの父、デジール公爵が、表立って批判的に扱うことが出来ない、ということだ。


 となれば、一連の出来事の責任は、ヴィルジニー本人に負わせるのが、もっとも波風の立たない着地点となる。


 婚約の解消は、ヴィルジニーをデジール家の庇護下から追い出すことに繋がりかねないのだ。


 王家に捨てられ、生家からも見限られた貴族令嬢。


 そのように政治的に危うい人物と、交際する。

 弱小伯爵家の嫡男である僕にとっても、非常に危険だ。


 場合によっては、僕が王子に、ひいては、ルージュリー伯爵家が王家に対立している、とも受け取られかねない。


 そういう見方が出来てしまえば、政府の要職に付けなかった場合に、ただそれだけのことだ、とは思われない。

 王子の不興を買い、遠ざけられてしまった、と見られてしまうだろう。


 そのような評判が立てば、この狭い貴族社会で、形見の狭い思いをして生きていかなければならない。

 王家の人気が高いこの国で、フィリップ王子の敵に、わざわざ味方してくれる酔狂な人間など、いるはずがない。


 追放されるケースと、あまり変わらなくなってしまう。

 いくらヴィルジニーを手に入れたとしても、そのような不自由をして生きていくのは、さすがにキツい。



 だから。

 ヴィルジニー攻略後のことを考えれば、僕とフィリップ王子の関係は、良好でなければならない。

 ヴィルジニーの婚約解消から、僕との交際開始は、円満に進んだように見えなければならない。


 そうすることで、王子に対立するヴィルジニーに僕が付く、という構図ではなく、王子の信頼厚い僕が不安定な立場に置かれかねなかったヴィルジニーを助ける、という形に、落ち着かせることができる。


 ヴィルジニーを僕が獲得した段階で、僕とフィリップ王子が、変わらぬ信頼で結ばれている、そういう状況が、僕の今後には、必要なのだ。


 そのためにも、フィリップ王子の不興を買うわけにはいかない、というのが、僕の立場だ。



 そういった事情、合理的・政治的判断がある、ということ以前に。

 フィリップ王子とは、友達だ。


 今生ではっきりとそう呼べる、唯一の存在だ。


 その出会いはきっと政治的なものだったが、子供らしい純粋さが、僕と彼を結びつけてくれた。今でこそ立場を慮って僕のほうが謙った態度を取っているが、ついこのあいだまで、お互いにファーストネームで呼び合う関係だった。いろんな遊びを一緒にしたし、いたずらをしてやはり一緒に叱られた。


 友人だからこそ、大人になっても一緒に働けたらいい、と思っていたのだ。

 彼が抱えているものを知っていたから、少しでもそれが軽くなるよう、僕が手伝えればいいと思っていた。立身出世を目指すのは、自分の野望としてではなく、王族として過酷な未来が待っているであろう彼の手助けをできればいいというのが、一番だった。


 この関係を、壊したくはない。


 フィリップ王子が「はっきりさせておきたいことがある」と言った時、こいつはマズイぞ、と思った。


 これが告白の類だったら――ただの秘密の告白ではない、恋心の告白の類だったら。


 他に想い人がいる僕の立場では、断るほかない。

 しかし、それをすれば、僕たちの関係は、これまで通りとはいかなくなる。


 いや、それ以前に、王子が告白をしてしまった段階で、関係は変化してしまう。

 それだけで、全てが変わってしまうのだ。


 フィリップ王子は、そういうことがわかっていて、覚悟があって言おうとしているのだろうか。


 僕が彼を遮って、先にそれを問うことなど、できない。


 彼が、僕が懸念していることとは、全く違うことを口にするかもしれないからだ。



「知っての通り、ボクは、なにもかも自分で抱えて解決できるような、才覚のある人間じゃない」


 王子は口を開いた。


「だが、時代が、臣民が求める役割を、できるだけ果たしたいという思いはある。ボクのような人間がそれを成すためには、信頼できる、有能な協力者が不可欠だ」


 恐れていたような展開ではなさそうで、内心でホッとした僕だが、顔だけは神妙にして頷く。


「ステファン。ボクはキミのことを、友人だと思っている。良き理解者だ、とも。ボクが信頼できる、唯一の人間だ。これまでも、ずっとキミに助けられてきた。これからも、そのようにいて欲しいんだ。公私ともに、ボクに力を貸して欲しい。これまでキミは、何も言わずともずっとそばで助けてくれた。これからも、そうして欲しいと思っている。そのことを、キミにはっきりと、伝えておきたかったんだ」


 僕は微笑みを浮かべたが、その多くは、安堵がそうさせたものだった。僕が懸念していたことが、なかった、想像したことがすべて間違いだったと、わかったからだ。

 王子の僕への気持ちは、恋愛感情などではない。その確信が、安堵をもたらしたのだ。


 それに、いま王子が言ったことは、まったく、直前に僕が頭に浮かべたことでもあって、僕の希望とも合致していた。

 

 その微笑みのまま、僕は目を閉じ、首を横に振った。


「水臭いじゃないですか、王子。言われなくても元よりそのつもり……僕が王子のそばにいるのは、貴族の義務とか、奉仕の精神なんかじゃありません。友達だからです」


 僕はあえて、砕けた言葉遣いでそう言った。


「第三王子の補佐とか、国王のために働くとか、そういう大それたことができるかはわかりませんが……王子と一緒に働けるなら、きっと楽しいですし、僕はそういう人生が送りたいって、本当に思ってるんですよ。だから王子が必要としてくれるなら、頑張って、難しいことでも、なんとかやってみせようって、思います。なんだったら――」


 僕はちょっと肩をすくめて、冗談めかして続けた。


「王子が国を捨てるとか、クーデターをやるとかってなったとしても、ちゃんと誘ってくださいよね、付き合いますから」


 王子は口元には微笑みを浮かべたが、咎めるような目をしてみせる。


「おいおい、滅多なことを言うなよ。誰かに聞かれでもしたら」

「そうですね。今のは内密に。王家の人間にでも聞かれたら大変だ」


 僕が立てた人差し指を唇に当てると、王子は苦笑を浮かべる。


「まったく……国を捨てたら、ボクは王子じゃなくなる。それでも付いてきてくれるっていうのか?」

「友達いなくなったら、寂しいですから。だってそうでしょ?」


 王子は、フッと笑った。


「そうだな。友達の作り方なんか知らない。ステファンがいなくなったら、寂しいな」


 そんな王子に、僕は微笑みかける。


「深刻に考えなくて、大丈夫。友達だから、そばにいますし、手を貸します。王子だって、僕が困ったときには、いつも助けてくれたでしょ。同じこと、ですよ」


 王子は、驚いたように少し、目を見開く。


「そんなことも……そういえば、あったな。いつも、キミに助けてもらってばかりいたように思っていた」

「でもまあ、王子がそういう人だから、僕も自然に、そうできているんです。僕が王子を手助けできているなら、それは、王子のおかげですよ」

「そう、か……そう言ってくれるなら――」


 俯き気味になった王子は、少し考えた様子を見せてから、立ち上がった。


「ありがとう、ステファン。少し……たぶん、どうかしていたんだ。キミと話ができて、安心した」


 僕も立ち上がる。


「弱音なら聞きます。慰めは、期待しないで欲しいですが」


 肩をすくめてみせると、王子は笑う。


「いや、元気出たよ。ステファンは、ボクのことをわかってくれている。いてくれて、助かった」

「どういたしまして」


「ありがとう。じゃあ、帰るよ」


 そう言った、王子は。


 ドアの方ではなく、僕の方へと足を踏み出した。


 急速な接近を、僕が疑問に思うより早く、

 彼の伸びた手が、僕の頬を捕まえるようにした。


 その冷たい指先の感触を認識するより、先に、

 距離を詰めた王子が、一気にその顔を、僕の顔に近づけてきて、

 対応する間もなく、キスされていた。

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