61. 王子様の弱音
その夜。
フィリップ王子が僕の部屋を訪ねてきたのは、風呂も飯も済ませて、本でも読もうか、としていたころ。
「邪魔かな? 勉強中か?」
学期末試験は近いが、前世の記憶を取り戻して以降、僕は自主学習をほとんどしないようになっていた。
以前にも述べたが、この学園で要求される学力は、僕にとってはそう高くない。政治家一家である伯爵家の英才教育で、入学前に一通り学んでいるというのもある。しかしそれ以上に、文明レベルに差があるせいだろう、この世界で要求される学力は、一部を除けば、前世でいうところの高校生レベルに過ぎないのだ。一度やった経験をはっきりと思い出した今の僕には、どうというものではない。
前世の知識で無双、というヤツだ。嬉しくもなんともないけど。
勉強が必要なのは、地理や歴史ぐらいなものだ。
僕は「とんでもない、どうぞ」と王子を招き入れる。
王子と話すのは、昨日の戦技訓練以来だ。
その時の、彼の紅潮した顔を思い出す。試合の興奮のもの、だけとは言い切れない表情を思い出すと、快く迎え入れたふうを装っていても、やはり気まずい。
僕の仮説通りなら、王子が僕へ向ける感情も、恋愛的な要素が強いものである可能性がある。そう気がついてしまうと、今まで通りに接するというのは、意識しなければ難しい。
どこかそわそわした様子のフィリップ王子も、椅子の前まで行ったものの、すぐには腰を下ろさず、所在なさげに室内を見回す。そうしていると、ベッドに投げ出した本を見つけ、拾い上げた。
「ベイフェルトの魔女?」
本を開き、ページをペラペラとめくった王子は、呆れ混じりの苦笑を浮かべる。
「
僕はわざとらしく肩をすくめた。
「恐れ入ります」
本を僕に返し、フィリップ王子はようやく、椅子へと腰掛けた。
「そんな様子で、あの成績なんだからな。ボクは必死にやって、ようやくアレだ」
首席を争っていることをアレ扱いとは。
彼らと僕では、前提が違うのだ。比較すること自体が間違っているのだが、そういうことが言えるわけでもなく。
僕は椅子を取りに行かず、ベッドに腰掛けた。
「殿下の実力なら、勉強しなくても八割は取れるでしょう。十分上位。王子様だって、それで及第点ですよ」
僕が言うと、王子は皮肉な笑みと共にその長い脚を組んだ。
「フィリップ第三王子に求められているのは、及第点程度ではないさ」
そう、「次期国王最有力候補」などと言われて、一番プレッシャーを感じているのは、当のフィリップ王子本人だ。
その国民の声に答えようとして、彼は常に努力していた。
文武両道の優等生、なんでもできるスーパー王子様と言われるその姿は、彼自身が、国民の幻想を現実にしようと、血反吐を吐いて作り上げたものだ。
幼少期から近くにいた僕は、それを知っていた。
「そんなにがんばる必要、ないですよ」
僕はできるだけ、お気楽な声を出す。
「殿下がやればできるコであることは、国民は皆、すでにわかっているんですから」
フィリップ王子は苦笑を浮かべる。
「そういうふうに割り切れれば、いいんだがな」
「スパッと切り替えるのは無理でも、息抜きぐらいはしたほうがいいです」
「息抜き、ね」
王子は遠くを見るようにした。
「
ドキッ、とする。
ケーキを食べに行ったのは、ほんの数時間前のことだ。
目的は息抜きなどではなく、セリーズのイベント監視、のつもりだった。アレが結局何のイベントだったのかはわからないままだが……いまはそんなことはどうでもいい。
王子は、僕がリオネルと一緒に、放課後、喫茶店にケーキを食べに行った、という部分だけを聞きつけたのだ、おそらく。
もちろん、彼が理由など知る由もない。
二日前の剣術訓練での試合で、過剰とも思えるライバル心をぶつけあっていた王子とリオネル。
もしも、以前に考えたように、王子が僕にただならぬ想いを抱いていて、リオネルに嫉妬心のようなものを感じているのだとすれば。放課後に校外の喫茶店までわざわざ二人で行った、という僕とリオネルの行動は、デートに見えてしまったかも。
「……ああ! そう。甘いものはいいですね。疲れがとれます」
不自然な間を挟んでしまったが、僕はなんとか、そう言った。
「疲れが? そうなのか?」
「糖分……えーっとつまり甘いものは、脳……頭がよく動く、エネルギーになるんですよ」
別にどちらかと付き合っている、というわけでもないのに、浮気がバレてしまったときのような、そういう焦りが表に出てしまった口で言ってから、変わらぬ表情をこちらに向ける王子に、僕は続けた。
「美味いケーキを出す店を知っています。息抜きに行きましょうか」
王子は目を丸くした。
自分でも、これでは、本命である
なぜ僕はこうまで焦っているのだ。リオネルも、もちろんフィリップ王子も、友人。ただの男友達だ。その片方とケーキを食べてこようが、どうということはないはずだ。
落ち着いて切り替えるべく、ひとつ呼吸を挟んで、僕は続けた。
「考えてみると、学園に入ってからこっち、ほとんど遊んでませんでしたね。試験が終わったら、夏休みも近い。遊びに行きましょう、どこか、パーッと。計画しましょう。海がいいな。女の子とか誘って」
それを聞いて、王子は苦笑を浮かべた。
「海? 海で遊びたいなんてタイプだったか? キミは」
確かに、今生では……いや、今生でもこれまでは、アクティブなタイプではなかったが。
せっかくの二度目の青春なのだ。カワイイ女の子と海。やってみたいではないか。
本来ならこの世界程度の文明レベルでは、現代のように華やかな水着など作れないだろう。しかしここはゲームの世界……前世で見たことがあった。登場キャラクターがちゃんとした水着を身に着けたイラストを。
確かあれは、予約の店舗特典のミニポスターかなにかだ。あいにく攻略対象である男性キャラクターが中心で、女性キャラクターはセリーズぐらいしかなかったが、
ヴィルジニーの水着姿が、見たい!
しかし、彼女との婚約に関してフィリップ王子の考えを聞いてしまった今、そのヴィルジニーも誘おうなどという提案は、できない。それができるのは、すでに婚約を解消し、かつ僕のパートナーとして連れて行くと言い出せるようになってからだ。
恋人になったヴィルジニーと、水着、海デート……
高まる。想像するだけで鼻血が出そうだ。
夏までの婚約解消、というのは、時間がないように思えるが、いま考えていることが上手く行けば――
「ステファンは、泳げたかな?」
「練習しますよ、そうとなれば」
今生では苦手だった。プールがないので、流れがある川では、運動神経に難があるステファンでは、みっちりと練習できなかったのだ。前世では小学生の時にスイミングスクールに通わされて、なんとか最低限は泳ぐことができた。あれを思い出せばいけるはずだ。
「誘えるような令嬢がいるのか?」
「王子の名を出せば、誘いに乗ってくる者はいくらでもいますよ」
冗談めかして言うと、王子は笑う。
「そうだな、夏休みか……」
まんざらでもない様子で、王子は頷いた。
「いいね、楽しそうだ」
どうやら、上手く誤魔化せたようだ――
一瞬、そう考えてしまい、なにを誤魔化す必要があったのだ、と思ってしまう。
何かおかしいぞ、僕……
「ステファン」
王子は、打って変わって、深刻な響きを伴う声で、僕の名を呼んだ。
「――はい」
王子は身を乗り出すようにすると、静かに言った。
「このあたりで、はっきりさせておきたいことがある」
僕は思わず、ゴクリ、とツバを飲み込む。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます