59. デートイベント監視

 すぐに入店してしまっては鉢合わせしかねない、と思い付き、店前で少し待ってから、僕とリオネルは中に入った。


 店内は、落ち着いた雰囲気の喫茶店、といった趣きで、客の入りは半分程度、というところ。学園の制服を着た者もチラホラと見える。

 素早く視線を走らせて、目的の二人を見つける。テーブルに向かい合って座り、注文を取り終えたウェイターが離れるところだった。


 あいにく、二人に気付かれず会話を聞けそうな席は、ない。


 やむを得ず、少し離れた席に陣取る。他の客の発する会話の合間に、声が漏れ聞こえる、という程度にしか近づけなかったが、観葉植物のおかげで、向こうに気付かれず、その様子を伺うことが出来た。


 垂れ下がる葉の隙間越しに、二人の様子を伺う。


 角度のせいで、ジャックの表情はわからなかったが、セリーズの顔はよく見えた。学校で見せていたようなふくれっ面ではないが、警戒を解いた様子でもない。


「ご注文はいかがいたしましょう?」


 ウェイターに声を掛けられ、不覚にも驚いてしまう。僕はその時になってようやく、テーブルに置かれていた小さなメニュー表を手に取った。


「えっと……ケーキが評判がいいって?」


 ウェイターにおすすめのケーキを教えてもらい、これまたおすすめだという紅茶と一緒に頼む。

 リオネルにメニューを渡そうとしたが、彼は断り、


わたくしも同じものを」


 と言った。


 ウェイターが去り、セリーズの様子に変化がないのを確かめてから、僕はリオネルへと言った。


「よかったの? 同じもので」

「えっ?」

「ケーキだよ。甘いものが苦手だって言ってただろ?」


 そこまで言ってようやく、リオネルは、あっと言うような顔をした。

 その顔を見上げてやると、視線を逸らす。


「その……お茶だけ、というのも、お店に悪いので」


 いい心がけだとは思うが……リオネルの返事に、僕は首を傾げる。

 それにしては、メニューを見もしなかったが。


 近くの席のかしましい女子学生たちが席を立ち、セリーズの声が聞こえる。


「……どういうおつもりなのですか?」


 疑いのまなこを上目遣いにして、セリーズは向かいの男に言った。


「わたしはただの平民の娘です。このようなこと……おかしいと思いますけど」


 ジャックの表情は、僕からでは角度が悪く、見えなかったが、テーブルに肘をのせ、頬杖を付いた。


「もちろん。おまえが平民の娘なら、この俺がデートに誘うようなことはしない」


 男の言葉に、セリーズは眉をひそめた。


「デート?」

「二人で過ごしているんだ。デートに決まってるだろう?」

「わたしに、そのようなつもりは……」

「俺たちをみて、デートじゃないと思う者なんて、いやしないさ」


 ジャックが店内を見回すようにして、セリーズもつられるように視線を巡らせる。僕とリオネルは見つからないよう、慌てて顔を背ける。


 二人のテーブルに、トレイを持ったウェイターがやってきた。テーブルの上にはやはり、ケーキとお茶が置かれる。


「そのようにおっしゃられるのなら、ごちそうになるわけにはいきません」

「いや、悪かった。デートとは言ったが、これでおまえを買収しようというわけではない。ただ……そうだな、ここのケーキを食べさせたかっただけだ」


 腕を下ろしたジャックは、なんと素直に頭を下げた。


「遠慮なく食べてくれ。そうだな……野良猫に餌をやるときに、その猫を自分のものにしよう、などというつもりにはならないだろ?」

「わたしは野良猫と同じ、というわけですか?」

「モノの例えだよ」

「しかし、猫を撫でたいから、餌で釣るのでしょう?」

「嫌がる猫を触ったりしない。猫は気高い生き物だ。しかし、美味しそうに食べているところを見せてくれるなら、幸せだな」


 ジャックの物言いに不審げな視線を向けていたセリーズだったが、ほどなく、その表情がふっと和らぐ。


 新たに入ってきた客が隣の席に座り、そちらのやりとりで、またセリーズたちの声が聞こえなくなる。

 僕は、セリーズがフォークを手にしたのを見て、リオネルへと向き直った。


 ちょうど僕らの席にもウェイターがやってきた。彼が給仕を済ませ、立ち去るのを待ってから、口を開く。


「心配していたようなことには、なりそうにないな」


 ソーサーに乗ったカップがふたつに、ポットはひとつ。僕はふたつともに紅茶を注ぐと、片方をリオネルへと滑らせる。


「ありがとうございます。……それにしても、驚きました」

「ん?」

「ジャック殿です。噂とは、ずいぶん違う態度だ」


 確かに。俺様系ともっぱらの噂だが、女性、年下、おまけに平民のセリーズに対して、やけに丁寧な態度だ。言葉遣いはともかく。


 乙女ゲームの俺様系攻略対象ってこういうものなのかな、などと考えながら、カップに口を付ける。前世の僕ならわからなかったが、今生の僕は貴族だ。いい茶葉を使っていることはわかる。


 それにしても、ツンデレキャラなら、序盤はもう少しツンケンしてた方がウケるのではないだろうか。あの手のキャラは、ギャップに萌えるものであろうに。


 残念ながら、ジャックの現在の状態が、デフォルトに近いのか、それともゲーム的に進行してしまってあのような態度になっているのか、いまの僕には判断が付かない。

 今生でも、ジャック・フェルテについては、存在を知ってはいたが特に親しいわけではなかったので、これ以前について主観的な情報がない。もっと早く、彼が攻略対象の一人だと思い出していれば、情報収集のしようもあったのに。


 そう考えると、設定にあった攻略対象最後の一人、もう一人いるはずのその人物についても、早期に情報収集しておきたいところなのだが……あいにく、やはり思い出せない。


 ジャックや、リオネルもそうだったし、フィリップ王子だって、付き合いは長いのに、彼らがゲームの攻略対象であると気付いたのは、つい最近のことだった。

 前世の記憶は、すべてを自分で自由に引き出せるわけではなく、自然に思い出せているものもある一方で、思い出すには、なにかきっかけが必要なものも、あるようだった。


 記憶とはそもそも、そういうものだったかもしれない。思い出は忘れても、身に付けた計算方法などは忘れない。そういうものだろう。


 それにしたって、前世のものなどという、不確かで曖昧な記憶に振り回されてしまっている。こんなことなら、前世の記憶など、思い出さなかった方がよかったのかもしれない、などとも思う。


「これなら、心配していたような事態になる恐れは、なさそうですね」


 リオネルの言葉で、僕は我に返る。


「……そうだな」


 ネガティブ思考に陥っても仕方ない。前世の記憶がクリアだったとしても、そもそも僕は、このゲームの展開を知っているわけではない。そういう現状でだって、何も知らないよりは、情報があるのだ。


 それに、攻略対象、つまり男性キャラクターの情報は、究極的には、僕には関係がない。セリーズが誰かとくっついてさえくれればいい。ジャックがその役目を果たしてくれるなら、五人目は登場すらせず終わるかもしれないのだ。


 そう、ジャック――僕はこの、ポッと出てきたような男のことを思う。


 二人の様子を見れば、出会いイベントをこなしたことは明らかだし、もしかしたら僕の知らないところで、その他のイベントも済ませてきたのかもしれない。親密度はそれなりに高まっている。


 恋愛シミュレーションゲームでは、攻略対象によってプレイ難易度が変わるのが当たり前だ。もしかしたらジャックは、比較的難易度が低い設定になっているとか、方針を定めずにプレイしているとフラグが立ちやすいなどの条件が、あるのかもしれない。


 出会いイベントをこなしておらずフラグが立たないリオネルや、親密度がまったく高まっていないフィリップ王子が、二人の恋路イベント進行を邪魔をすることもないだろう。


 であれば、あとは僕が邪魔をしなければ、二人は自然に仲良くなって、クリア条件を満たすのかもしれない。そう思えば、セリーズは放っておくのが一番だ。


 そう、近づくのが一番悪い。そのせいで、僕との親密度を上げてしまった。序盤はフィリップ王子とくっつけたいという目論見があったからやむを得ず接近したが、今となってはその必要もないのだ。


 今後は、自分のことに集中しよう。

 目的は、あくまでもヴィルジニー。それを見失ってはいけない。


 そう決めると、スッキリした気分になる。

 僕はようやくケーキの存在を思い出し、その三角にカットされた頂点を切り取るように、フォークの側面を差し入れる。


「そっ、そういえば……二人でこんなふうに、校外でお茶を飲む、などというのは、はじめてですね」


 リオネルのぎこちない物言いに、僕は口に運びかけていたフォークを途中で止めてしまった。


 思わず眉を寄せて、リオネルの表情を伺う。

 彼の頬は、赤く染まっているように見えた。


 そこで僕はようやく、現在の状況が、リオネルと僕のデートイベントになってしまっていることに、気がついた。

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