58. 俺様男の恋愛戦略

 ただの乙女ゲームではなかったら?


「いや、でもな」


 僕はリオネルの心配そうな顔に向かって、楽観的な声を出そうとした。


「確かにジャックには悪い噂が絶えなかったが……いくらなんでも、無茶なことはしないだろう」


 リオネルは不思議そうに首を傾げる。


「ジャック殿の評判を知っていて、なぜ、そのように思えるのです?」


 ジャック・フェルテは女性に対し高圧的、自分勝手に振る舞いがちな、いわゆる俺様系男子だ。


 ゲーム的な設定はあいにく覚えていない、というかチェックした覚えがないが、今生における同年代の貴族令息として、その評判ぐらいは知っている。聞いた話は多々あるが、女性に対し誠実ではない、というのが、一致する要素だ。


 にも関わらず、僕が状況を楽観視しているのは、セリーズが主人公だから、という身も蓋もない理由だ。身も蓋もない、とはいえ、ゲームの性質を考えたら、攻略対象に遊ばれた上で捨てられるとか、辱めを受けてしまう、などという心配をする必要は、やはりないだろう。


 とはいえ、まさかそれをリオネルに言うわけにもいかず。


「セリーズは平民ではあるが、芯の通ったしっかりした女性だ。さっきの様子を見れば、ジャックに好きなようにはさせないだろ」


 僕の言葉に、リオネルは首を横に振る。


「以前に聞いた、ジャック殿と馬車で出かけた御令嬢の話なのですが……出先で不機嫌になったジャック殿は、彼女を郊外に置き去りにしたとか」


 それは酷い。貴族令嬢は、長い距離を歩くことに慣れていないし、道だって知らないだろう。迷子になる、というどころではない。ここの世界観なら、一人で歩いている若い令嬢が、途中で物取りや暴漢などに襲われる、といった可能性は、かなり高いのだ。


 リオネルは顛末までは語らなかったが、その令嬢の無事を祈りつつも、僕は肩をすくめる。


「学校そばの店だ、と言ってた。迷子になりゃあしないだろ。歩いて行ってるんだし」

「ジャック殿の奢り、とも言っていました」


 リオネルは真剣な目で言った。


「学園そばの店です。もしもジャック殿が機嫌を損ね、支払いをせずに出てしまったら?」


 なるほど。


 平民であり、しかも授業終わりにそのまま連行されてしまったセリーズに、学園のそばにある、すなわち貴族御用達の店のお茶代を支払う持ち合わせは、ないだろう。


 であれば、ジャックの不興を買うような言動は、避けなければならない。自分に支払い能力がないのなら、金を出してくれるという相手を不機嫌にするような真似は、できないからだ。


 つまりセリーズは、ジャックにとって都合がいい状況に誘い込まれてしまった。奢ってもらえるのだからせいぜいご馳走してもらえばいいじゃないか、などと楽観的に考えている場合ではなかった。


 自分が優位に立つ状況を作り、相手に気後れさせる。ノーと言いにくい、言わせない雰囲気を作る。――それがジャックの、恋愛戦略なのだ。

 件の馬車の令嬢だって、本当に置き去りにしたのではないのだろう。事件になっていればもっと大事おおごとになっているだろうし、実際、僕の耳にまでは届いていなかった。

 おそらく、馬車から下ろして一人にして、散々心細い状態にしておいてから、迎えに行く、などしたのだ。逆らうと怖い相手になる、と印象づけた。そういう経験があれば、その後、逆らうような真似ができなくなる、言うことを聞かせやすくなる、というわけだ。


 ただのモテ男ではない。彼は思っていた以上に、狡猾な男かもしれない。


 もちろんこれらは僕の想像に過ぎないが、悪い評判があるにも関わらず、常に恋人を切らさない事実を鑑みれば、あながち間違ってもいないだろう。恋愛関係において、常に自分が有利になるように振る舞う。自分本意な俺様男という印象とも一致する。


 それに気付くと同時に、僕は先程感じていた、セリーズとジャック、二人のやり取りの違和感を思い出す。


 主人公と攻略対象の会話、ゆえに、所謂“ジャック攻略ルート”のシナリオ進行だと思いこんでいたが、もしも懸念どおり、ただの乙女ゲームではないなんらかの要素があるのだとすれば、あれが見た目通りのモノではない可能性がある。


 そう考えたことで、僕は違和感の正体に気付く。

 先程のやり取り、乙女ゲームの主人公であるセリーズを、攻略対象であるジャックが熱心に誘おうとするのは、普通に考えれば少しおかしい。仲良くなろうとするのは、主人公側がすべきアクションではないか。しかし当のセリーズは、ジャックに対し迷惑そうな態度を隠そうともしなかった。どちらかといえば、攻略対象であるはずのジャックの方が、一生懸命にセリーズに近づこうとしていたのだ。


 セリーズとジャックの放課後デートは、攻略ルート上のシナリオなどではなく、なにか別のイベントなのかもしれない。


「我々でフォローすべきです」


 考え込むようにしていた僕の表情を見て、リオネルは言った。


 リオネルは、セリーズがトラブルに巻き込まれる心配をしているし、それを察していながら事前に止められなかった、責任感からそのように言っているのだろう。


 リオネルが危惧しているようなことが本当に起こるかはわからない。が、このイベントがもしも考えた通りのものであるなら、それを見届けることで、ヒントを得られるかもしれない、と思い付く。


 この世界が“ただの乙女ゲームではない”かもしれない疑念を、解決するためのヒントだ。


 ここ数日、乙女ゲームとは思えない現象が起きている。

 攻略対象たちの不可解な行動、言動を、合理的に説明するための情報が欲しかったところなのだ。


 そうと気づけば、このイベントを見逃す手は、ない。


 僕は立ち去った二人の方を振り返る。

 ちょうど、通用門に向かって角を曲がったところだった。すぐに追いかけなければ、どこにいったかわからなくなってしまう。


 次に、校舎の方を見る。ヴィルジニーは、まだ出てこない。

 仕方ない。


「行こう」


 リオネルに短く言うと、僕たちはセリーズを追って、通用門へと向かう。


 通用門は、学園のメインの出入り口である正門とは、敷地を挟んでほぼ反対にある。学生寮からもっとも近い出入り口になるため、使用される頻度は高く、呼ばれ方の割にはなかなか立派な門があり、守衛が常駐している。


 急ぎ足で二人を最後に見た角まで。そこを曲がれば通用門まで見通せるが、すでに二人の姿はなかった。


 通用門の外は、学生と学校関係者、その周辺で働く者を当て込んだ商店街だ。左右に店が立ち並んでいるし、路地も多い。見失ってはたまらない。僕とリオネルは小走りになる。


 先にリオネルが門を出た。僕は訝しげにこちらを伺う守衛を見つけ、どっちに行ったか彼に聞くか、と考えるが、それより先に「こっちです」というリオネルの声が飛んできて、彼の後へと続いた。


 僕には確認できなかったが、リオネルは迷わず進んだ。

 後を追う。


 途中の路地に入ると、先を行く二人の背中が見えた。


「この方向で、ケーキが美味しい店、というと……」


 リオネルのつぶやき。


「知ってる店か? 行ったことが?」

「いえ……。誘われたことは、あったのですが」

「なに? 女子生徒か?」

「まあ……」

「どうして断った?」


 リオネルの表情を伺うと、彼は一瞬、悩む様子を見せた。


「その……甘いものが、苦手なので」


 嘘だ、と思ったが、追求は後回しだ。

 前を行く二人が立ち止まり、僕たちは思わず物陰に身を隠す。


 どうやら、目的の店の前らしい。遠いので会話は聞こえないが、なにやら二、三、やりとりをしてから、ジャックが店の扉を開き、セリーズを先に入らせる。


 続いて男が店内へ消えたのを待って、僕とリオネルは物陰から出た。


高価たかい店?」


 僕の問いに、リオネルが立てた指の数を見て、それなら手持ちで十分払えそうだ、と安心して、店に向かう。

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