52. 困難な仕事

「さあ、次の作戦を説明なさい」


 既視感のある言葉に、僕はもう一度、ため息を吐いた。


「そんな……すぐには出てきませんよ」


 ヴィルジニーは、嘆かわしげに首を振る。


「言われなくても察して準備しておくのが、有能な側近というものでしょう」

「なった覚えがありません、側近」


 口ごたえすると、ヴィルジニーは僕を睨んでくる。


「わかりました。考えますのでお時間を下さい」

「よしなに。面倒なのは嫌よ」


 勝手なことを言って、ヴィルジニーは立ち上がった。

 帰るつもりなのだろう。僕も立ち上がる。


「なにか?」

「いえ、時間も遅いですし、女子寮までお送りしますよ」


 当然だろう、と僕が言うと、ヴィルジニーは渋面を作る。


「このような時間に一緒にいるところを見られたら、どう思われるかわかりませんわ」


 あっ、夜、男子寮に平気で入ってくるくせに、それは気にするんだ。


「お気持ちはわかりますが、しかし、女性レディをお一人で歩かせる時間ではありません」


 僕が言うと、ヴィルジニーは意地悪く微笑む。


貴方あなたの剣の腕を思うと、ボディガードとしては頼りないですね」


 さすがに、僕はムッとする。


「盾になるぐらいはできます。逃げる時間ぐらいは、稼ぎますよ」


 言ってやると、ヴィルジニーはハッとしたようだったが、今度は苦笑気味に微笑む。


「学内で、そのような危険を心配する必要、ありません」


 そう言うと、扉の外を確かめようとすらせず、廊下へと出ていく。

 こそこそするでもなく、堂々と廊下を歩き去る公爵令嬢を、僕はドアの隙間からそっと見送った。


 さて。


 あのヴィルジニーに、なんと報酬を約束してもらった。

 いったいなにを用意してもらえるのだろうか。否応なしに、期待が膨らむ。


 こうなってくると、俄然、やる気が出てくるというものだ。


 ウキウキ気分の僕はさっそく、ヴィルジニーに言われた、次なる作戦のことを考えてみることにした。王子に褒められる作戦、となれば、それはつまり――


 そこまで考えた僕は、遅まきながら、大変なことに気がつき、浮かれた気分から一転、一気に血の気を失う。


 いまさらのように、思い出した。


 その、フィリップ王子に言われたことだ。

 直後に同じ口に言われたことのせいで、すっかり忘れていた。


 フィリップ王子には、ヴィルジニーの評判が高まってしまうような行動を、手伝わないようにと言われていたのだ。


 そればかりではない。可能ならヴィルジニーの評判を下げて欲しい、とまで言われていた。


 彼の目的である、ヴィルジニーとの婚約解消を容易にするためだ。王子はヴィルジニーの評判の悪さに、婚約解消の大義名分を求めようとしている。


 ざっくり言えば、評判の悪いあなたを王族に迎えることは、国民が良く思わないから、残念ですがこの婚約はなかったことにしましょうね、という方面に持っていく作戦だ。


 ところが昨今の“善行”で、ヴィルジニーの評判は向上していて、フィリップ王子の目論見とは、真逆の方向に向かい始めている。彼女の評価が高いところで固定化されてしまう前に、少しでもヴィルジニーの評判を下げておきたい、という狙いがあるのだ。


 椅子に乱暴に腰を下ろした僕は、頭を抱える。


 フィリップ王子の要求に従わなければ、結果的に、婚約解消はより困難になる。僕がヴィルジニーを口説けるようになる日が遠のくのはもちろんだが……本当の問題はそこではない。


 比較的穏便なこの婚約解消作戦が上手く行かないとなった場合、なんとしてでもヴィルジニーとの結婚を避けたい王子が、もっと強硬な手段――罪をかぶせた上での追放とか、処刑などといった手段断罪イベントを選択してしまうかもしれないのだ。


 ヴィルジニーの破滅だけは、絶対に避けなければならない。故に、王子の指示に従わない、という選択肢は、ない。


 かといって、ヴィルジニーを手伝わないとなれば、彼女が僕をそばに置いておく理由はなくなる。接点がなくなる、となれば、関係を深めるどころではない。


 まさに八方塞がりだ。


 なぜこのことをすぐに思い出さなかったのか。


 ヴィルジニーの脚のせい……いや、ヴィルジニーがちらつかせた、報酬のせいだ。

 僕としたことが、望外の喜びに、冷静さを失って浮かれてしまっていた。数分前の自分をひっぱたいてやりたい気分だ。


 だが……済んでしまったことはどうしようもない。仮にもう少し早く、そのことに気づいていたとしても、別の手段などなかった。僕の立場では、ヴィルジニーの“お願い”は、断れないのだ。


 なんとかここから、双方の要求を満たす手を考え出す――状況を打開するには、それしかない。


 深呼吸して落ち着いた僕が、最初に考えついたのは。


 王子に喜ばれ、かつヴィルジニーの評判を上げない、そういう作戦を考えれば良い、ということだった。


 これなら、双方の希望を満たせる。


 結局のところ、ヴィルジニーの名声が高まってしまったのは、行いが無関係の者にもわかりやすい善行だったからだ。

 学校内で孤立していた特待生セリーズを受け入れたこと、しかり。

 下位貴族のための課外活動ヴィルジニーズ・サロン、しかり。


 このような、不特定多数に功績が知られてしまうような行いを、避ければ良いのだ。

 実際、先日のサンチュロン革細工店救済の件は、学外の出来事、かつ表向きはデジール公爵家とサンチュロン革細工店との間だけでやり取りされたことであり、ヴィルジニー個人の評判には、特に影響していない。


 こっそり、ひっそりと、王子に褒められるようなことをすればよいのだ。


「いや……そりゃ理屈はそうですがね」


 思わず独り言が出てしまう。


 王子を個人的に喜ばせればいい、というわけではない。


 フィリップ王子のこれまでの賞賛は、ヴィルジニーの貴族的な行為に向けられたものだ。貴族的な行為、つまりは果たすべき義務や、するべき振る舞いのことだ。


 王族として、国民と国家のため、誰よりも果たすべきより多くの義務がある、と考えているのが、フィリップ王子だ。その王子を個人的に喜ばせれたところで、表面的な礼は言われたとしても、ヴィルジニーが求めるような賞賛は、得られない。


 王子が表立って出来ないことを、ヴィルジニーが代わりに解決する、というのがこれまでの路線で、実際にうまくいっていたわけであるが、そういうことを第三者にわからないようにこっそりやる、のであれば、そもそもヴィルジニーが代わりにやる必要などない。王子が自分で行動して差し支えないのだ。


 ヴィルジニーにしかできず、かつ貴族的であり、そして王子以外には誰にも評価されない仕事を、見つけなければならないのだ。


 厄介すぎて、投げ出したくなる。


 いっそ、作戦考え中とか言って先延ばしにして、婚約解消までのらりくらりと交わし続けるか……


 いやいやいや。僕は自分の考えを戒めるように首を横に振る。


 “次の作戦”が上手くいったあかつきには、ヴィルジニーが、褒美をくれるというのだ。しかも、彼女自身が、その中身を考えるという。


 彼女が僕のためになにを用意してくれるのか――それは、どうしても確かめなければならない。


 であれば、ヴィルジニーが王子に褒められて喜ぶ状況、つまり、婚約期間中に、作戦を実行する必要がある。


 困難な仕事ではあるが――やるしかない。


 僕は気合いを入れるため、自分の膝を叩く。


 まずは……まずは風呂に入って、さっぱりしよう。それからゆっくり考えよう。


 そう決めて、僕は重い腰を、なんとか椅子から持ち上げる。

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