50. 悪役令嬢の思考
遅い夕食を終えた僕はようやく二人の伯爵令嬢から解放され、寮の自室へと戻る。
味のわからない酷い食事になったが……二人のおかげで、気づけたこともあった。
リオネルや王子のことではない。僕自身のことだ。
「自分が愛する女性と添い遂げる」と、僕は言った。
何も考えずに自然に出てきた言葉だったが、その時、僕が頭に浮かべていたのは、ヴィルジニーの顔だった。
ヴィルジニー――やはり僕は、彼女が欲しい。
予定外の告白のせいで、目論見は狂った。
本来であれば、フィリップ王子とヴィルジニーの婚約を解消させてから、恋愛関係を構築していくつもりだった。
告白のタイミングも、もっと慎重に図るつもりだった。婚約解消のあと、精神的に不安定になっているところに付け込む、など、効果的なやり方はいくらでも考えられた。
それなのに。
ヴィルジニーにとって、まったく、他者との恋愛を想定していない状態での、告白になってしまった。王子と結婚するつもりの彼女には、絶対にネガティブな印象しか与えなかっただろう。
効果的なやり方、どころではない。マイナスからのスタートに、なってしまった。
自分の短絡的な行動を嘆きたくもなるが……しかし、すでに済んでしまったこと。
ここからの挽回は気が遠くなるほど困難だが――やるしかない。
なにせ、転生した僕にとっての今生は、二度目の人生。
しかも、彼女に出会えた。前世では絶対に実現し得なかった、出会いだ。
あきらめてなど、なるものか。
拳を握り、決意を新たにする。
夜、遅い時間の寮の廊下は、静かだった。気合いの掛け声は、我慢する。
そう、今日はもう遅い。明日からだ。
今日は避けてしまっていたけど、明日は逃げずに、彼女に接触する。
そして、現状の親密度を、慎重に再確認するのだ。
そのように考えていたから、部屋の扉を開けて、中に、たったいま頭に思い浮かべていた人物がいるのを見つけたときには、文字通り、飛び上がりそうになった。
「ヴィッ――!」
大声で名を呼びそうになるところを、なんとかこらえる。こんな静けさの中で叫んでしまっては、誤魔化すのも困難だ。
僕は廊下に誰もいないことを確かめると、そっと扉を閉め、彼女へと向き直った。
「こんな遅くまで、いったいなにをしていたのです」
扉が閉まるのを待って、ヴィルジニーは怒気をはらませた声でそう言った。
椅子に腰掛け、偉そうに足を組む彼女は、腕組みして僕を睨むように見上げている。制服姿だし、おそらく、相当待ったのだろう。
そう考えて、僕は食堂で聞いた言葉を思い出す。ヴィルジニーの“御用事”、って、コレか。
こんなことなら、意地悪な二人の令嬢など相手にせず、さっさと部屋に戻るべきだった。そう思いつつ、僕は口を開く。
「ヴィルジニー……
「鍵なら、開いていました」
彼女は扉を顎で示す。
「まったく、不用心ですこと」
「……貴族の子息ばかりの男子寮で、施錠の必要などありませんよ」
僕が答えると、彼女は理解し難い、とばかりに顔をしかめた。
「僕が聞いているのはそういうことではなくて……なぜ、どうしてここにいらっしゃるのです?」
「決まっているではありませんか」
ヴィルジニーは、さも当然、とばかりに言った。
「次の作戦の話をするためです」
何の? と聞く必要はない。彼女が言うのだ。例の、“王子に褒められるための次なる作戦”のことに決まっている。
しかし。
「まだ……僕がそれに協力すると? 僕の
思わず、ストレートに指摘してしまう。
「ええ、確かに」
そう言ったヴィルジニーは、嘲るように口角を上げる。
「確かに予想外のことで、大変驚かされましたが……
言い切ったヴィルジニーは、今度ははっきりと嘲笑を浮かべた。
「
正直、すごいな、と思った。
なんという自信過剰。
これが悪役令嬢の思考か。
僕はすぐには答えず、部屋の隅に寄せておいたもう一つの椅子を引っ張ってきて、ヴィルジニーと向かい合う形に腰を下ろした。
「つまり……」
僕はたっぷり考える素振りをしてから、口を開いた。
「僕の気持ちをわかった上で、僕を利用しようと、そういうお考えなのですね」
ヴィルジニーは、これみよがしに足を組み替えた。
「これまでと同様に、ね」
悪びれもなくそう嘯くヴィルジニーは、一方的に僕を利用できると、そう思っているのだろう。
しかし。僕が知っていて、彼女が知らない、重要な情報が、あった。
フィリップ王子が、いずれ、ヴィルジニーとの婚約を解消するつもりである、ということだ。
ヴィルジニーは、どう転んだって、最終的には王子と結婚すると、そういうつもりでいるし、周りの誰もがそう考えていると思っている。いくら僕が好意を寄せていたとしても、今以上の関係にはなりようがない、と考えているのだ。
でも僕は、そうではないことを知っている。その僕にとって重要なのは、婚約が解消されるその時まで、ヴィルジニーとの接点を持ち続けること。
つまり、ヴィルジニーの要求は、僕にとっても願ったりかなったり、ということだ。
僕は――喜びが顔に出そうになるのを、なんとか堪える。
そのことだけで、満足するのはもったいない。
精一杯難しい顔をして、床の一点をしばし、見つめた後、ヴィルジニーの表情を伺うように顔を上げた。
「なるほど。しかし、気持ちを知られている、とわかっている以上、今までの通り、ただおそばに置かせていただく、というだけでは、報酬として、割に合いません」
想像通り、ヴィルジニーは眉をひそめた。
「
それが褒美になる、と考えるあたり、ずいぶん自惚れた思考だな、と思う。反面、それができることに喜びを感じる自分がいることにも、気付く。
思っていた以上に、僕は下僕体質らしい。
でも、彼女にそれを悟られるわけには、いかない。
「足りません。貴女が、王子に一度褒められて、満足してしまわないのと、同じです」
ヴィルジニーは顎に手を当て、考える様子を見せた。
やはり、共感力に問題があるヴィルジニーには、彼女自身に当てはめて考えさせるのが一番だ。
「なるほど……では、何が報酬なら、納得するというのです?」
やったぞ! これはいい展開だ。
こちらに訊ねてくれるとは、まさに僥倖。
千載一遇のチャンスだ。大事に行きたいが、やはりここは、ひとつしかない。
あれだ、デートだ。
さっそく良さげなレストランを予約しよう。食事が済んだら、景色の良いところを散歩して、最後は「明日までに返さなきゃいけないDVDがあるから一緒に観よう」とか言って部屋に誘い込む。あとはなし崩し的に……
DVDってなんだ!? この世界にはないぞ! そんなもの!
危ない危ない、突然のチャンスに混乱して妙なことを口走ってしまうところだった。だいたい部屋に誘い込めばなんとかなるという前世の思考は、貞操観念の高い貴族令嬢相手では役に立たない。実際、たったいま僕の部屋に二人っきりなのに、手に触れることさえできていないではないか。冷静に……冷静に考えよう。この世界でデートっていうと……
いや、待てよ……冷静になって考えてみると、婚約者がいる身で、デートの誘いなど受けてはくれないか?
ただの婚約者ではない、相手はフィリップ王子だ。二人で遊びに出かける、というような、不義を疑われかねないプランには、応じてくれないだろう。
もっと現実的な線に、なにかないか――
そう考えつつ、目を上げた僕の視界に入ってきたのは、目の前で大胆に組まれる、ヴィルジニーの脚。
これだ、と思いつく。
もちろん、彼女の脚を切り離して報酬としていただく、などと思ったわけではない。
先程、食堂で考えたこと……彼女の脚に触れて、その感触を確かめたい、ということだ。
思わず本当に言ってしまいそうになるところを、懸命に堪える。
どこが現実的なんだ。いくらなんでもそんな要求、変態的に過ぎる。
しかし、どうせならヴィルジニーにこの手で触れたい。
労いの言葉をかけてもらう、程度では、嬉しくない。
僕の頭は全力で回転した。どこか、触れさせて欲しいと言っても許されて、かつ僕の欲求を満たせそうな場所は……
僕の視線が、彼女の全身を舐め回すようになってしまい、ヴィルジニーがついに怪訝な表情になったのを見て、僕は“それ”の存在に気づいた。
「あっ、では、髪を」
「えっ? 髪?」
ヴィルジニーが思わず触れた美しい金髪に、僕は頷いた。
「貴女の髪を、触らせて欲しい」
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