48. 女子の洞察
いつもより遅い時間の食堂は、閑散としていた。
見回し、親しい知り合いがいないことを確認した僕は、一人、隅の席へ陣取る。
フィリップ王子も、リオネルも、セリーズも、顔を合わせるのが気まずかった。
だから夕食を、いつもの時間からずらした。目論見は成功した。元々、一人は平気な
静かにゆっくり食事がとれそうだ。
そう思っていたのに――給仕係に食事は軽く済ませたいことを伝え、前菜を頂いていると、僕の両隣の席に、断りもなく座ってきた者があった。
「こんばんは、ステファン様」
左隣から悪戯っぽい視線を投げかけてくるのは、ベルナデット・オベール伯爵令嬢。僕は昼間の、彼女のヤジを思い出すが、顔をしかめるのはなんとか堪えた。
「なにか御用ですか、ベルナデット嬢」
そっけなく言ってやると、彼女はわかりやすく頬をふくらませる。
「せっかく応援して差し上げたのにぃ、全っ然やる気ないんですもの。ステファン殿にはガッカリしましたわ」
ツンッと顔を背ける。
やはり昼間の、戦技訓練の話か。
「それは失礼いたしました」
棒読み気味に言い、皿に向き直る。
「よくないですよ、ステファン様。そういう態度」
そう言ってきたのは反対側、右隣に座ったリリアーヌ・カルヴィン伯爵令嬢。僕は彼女の、短いスカートから伸びる組まれた脚に視線を奪われそうになるのをなんとか堪え、誤魔化すように周囲を見回した。
「……お二人だけですか?」
いつもならヴィルジニー、そしてセリーズが一緒のはずだ。
「セリーズは、この時間は自室でお勉強。ヴィルジニー様は……今夜は、なにか御用事があるとか」
「お二人は、お勉強はなさらなくてよろしいのですか?」
「ステファン様がお一人で寂しそうだからぁ、構ってあげようと思って♪」
僕の皮肉に、ベルナデット嬢は意地悪な笑みを浮かべて、答える。
ということは、食事をしにきたわけではないのだろう。彼女たちがいつも夕食をとる時間よりずっと遅いし、本当にたまたま、僕を見つけてからかいに来た、というところか。
相手にする気分ではない。猛烈に立ち去りたい気分だったが、食べはじめたばかりだ。いつもより遅い時間なので、お腹もだいぶ減っている。食べないで逃げ出す選択肢はなかった。
不快感を表明すべく、これみよがしに溜息をついてみせたが、リリアーヌは気にした様子もなく、ふふん、と鼻で笑う。
「ヴィルジニー様がいなくて、残念でしたわね」
「なぜ……そうなるのです」
驚きを隠そうとして、僕は眉根にシワを寄せる。
引いた椅子に浅く腰掛けたリリアーヌは、その長い脚を見せつけるように組み直した。
「あからさまにガッカリされたではないですか」
「……いまの溜息は、そういう意味ではありません」
「でもぉ、ステファン様はぁ、ヴィルジニー様のことお好きですよね?」
反対側から身を寄せてきたベルナデットが、僕の表情を伺うようにしてくる。
僕はうんざりした顔を作ってもう一度溜息をついた。
「どうしてそのようなことを……」
「あら、見ていればぁ、わかります。ステファン様はぁ、ヴィルジニー様がいらっしゃるときは、とても浮かれた様子でいらっしゃいますもの」
「まさか――」
さすがにギクリとする。もしも指摘された通り、僕がわかりやすい態度を示しているのだとすれば……由々しき事態だ。
僕は精一杯、平静を装う。
「まさか。ヴィルジニー様はフィリップ王子の婚約者であられる。そのようなお方に対しそのようなこと、考えたこともございません」
しかしリリアーヌは、訳知り顔の笑みを崩さない。
「ええ、ですから盲点でした。しかしそのように考えれば、
クソッ、こいつ……僕は動揺を隠すために、グラスの水を一口含んだ。
今のやりとりから考えれば、僕の気持ちを知らされたヴィルジニーが、それを二人にしゃべってしまった、というわけではないのだろう。ヴィルジニーも、この件は現状では決して公にすべきことではない、という認識を持っているはずだ。
下手に関係を疑われたら、大変なことになりかねないからだ。
だから二人の発言は、確信を伴ったものではない。せいぜいが状況証拠だ。僕にカマをかけて、本心を聞き出そうというつもりなのだ。
そうであれば、ここは徹底的に惚けるしかない。宰相の息子が王子の婚約者に想いを寄せている、などということが公になれば、とんでもない
「困りますね、なんでも色恋に結び付けられては。王子の婚約者であられるゆえ、求めに応じているという、ただそれだけのこと。
それに、好きか嫌いか、というお話であれば」
僕は中指でメガネのブリッジを押し上げると、微笑みを作った。
「
えっ、という顔をしたベルナデット、その表情に、わざとらしく顔を近づける。
「ベルナデット嬢は大変可愛らしいし」
そして一瞬だけ、彼女のふくよかな胸部に目を向ける。
気づいたベルナデットは、そこを視線から守るように、両手で隠し、ムッとした様子で身を引く。
反応に満足した僕は、今度は反対側、リリアーヌ嬢に向き直った。
「リリアーヌ嬢もとてもお美しい」
言われたリリアーヌは、先手を打って自らの胸を隠すように両腕を組んだが、僕はもっと下、彼女の白く長い脚線へと視線を這わせる。気づいたリリアーヌは組んだ脚を解きこそしなかったが、一瞬、身体を強張らせたのはわかった。
「これほどに美しい御令嬢方を前にしているのですから、浮かれたように見えていたのでしたら、おそらくその通りなのでしょう」
僕はリリアーヌの、思わず触れたくなる太ももをじっくり眺めてから、目を戻した。いっそ本当に触ってやろうかとも考えたが、さすがにそれをやるのはマズイと思い、とどまった。
「わかりました」
リリアーヌはうんざりした様子で言った。
「ヴィルジニー様には、ステファン様は
「えっ? いやっ……それはちょっと」
僕が慌てた様子を見せると、リリアーヌは満足そうに微笑む。
僕を救ってくれたのは料理を運んできた給仕係だった。
配膳されるあいだ、沈黙が流れる。
もう……いいか、報告されても。どうせ昨日の件で引かれてるのは確かだ。
報告されてしまうぐらいなら、リリアーヌの脚の柔らかさを確かめておけばよかった。いや本当にそれをやったら、ヴィルジニーに報告されるだけ、では済まないだろう。社会的に死ぬ。
社会的に抹殺されるなら、その前にヴィルジニーのおみ足を堪能しておきたい。絶対に死ぬとわかったら土下座してでも触らせてもらおう。
そう決意した僕は、給仕係が去るのを待って食事を再開する。
なにが面白いのか、その様子をしばし、黙ってみていたベルナデットが、思い出したように口を開いた。
「そういえばぁ、リオネル様も負けちゃってぇ、残念でしたね」
たしかに残念だったが――ベルナデットがそれを言うのは不自然だ。僕は首を傾げる。
「残念? なぜ?」
「なぜ、ってぇ……だってリオネル様はぁ、ステファン様の配下でしょ?」
ベルナデットの言い様に、僕は口の中の物を吹き出しそうになる。
なんとか飲み込んでから、口を開く。
「配下って……そのようなものではありません。友達ですよ」
「あらぁ……ステファン様はぁ、苦手な面をカバーするため、肉体派のリオネル様を従えてるってぇ、そういう話? ですよね?」
おそらく今の話は、シルヴァンが言っていたことと同様のものだろう。要するに、僕が将来的なことを考えて、騎士としての才覚があるリオネルを取り込んでいるとか、そういう解釈なのだ。
確かに僕に、将来フィリップ国王の政権で宰相なりを務めるという野望があるなら、配下のリオネルが、庇護対象となるフィリップ王子に剣で劣ったというのは、“残念”な結果だといえる。リオネルの敗北は、僕の力不足を露呈したことになるからだ。
「違いますよ。リオネル殿とはたまたま……そう、価値観が一致したので、仲良くなったという、それだけのことです。ただの友達です」
「ふぅん、価値観」
リリアーヌが意味ありげに反復するので、僕はそちらに向き直る。
「なんです?」
リリアーヌは、ニヤニヤと微笑みながら、意地悪く目を細める。
「リオネル様の方は、ただの友達、とは思ってなさそうですけどね」
「えっ? どういう意味です?」
リオネルの態度に疑問を感じていた僕は、思わず食いついてしまう。
リリアーヌは面白いものでも見るかのように、頬杖をついた。
「鈍感なのか、気付かない振りをしているのか、どちらでしょうね」
「……何だって言うんです?」
「リオネル様はぁ、ステファン様のこと、好きですよね」
後ろからベルナデットが言って、僕はまたもや振り向かされる。
「もちろん、友達として、ではなくぅ、恋愛的、な意味で」
「は……はあ!?」
「なにぃ、驚いた顔、してるんですかぁ?」
ベルナデットは、こともなげに言った。
「見てればぁ、わかりますよ。ステファン様を見るリオネル様はぁ、乙女の顔、してますもん」
乙女の顔――僕はリオネルの、まさしく偉丈夫、と呼ぶべき男らしい姿を思い起こす。
よりによって、彼が? 乙女の顔?
「そんな……ハハッ。まさか」
僕は自分の笑い声が乾いていることに気づいていたが、続けた。
「まさか。リオネル殿は、男ですよ」
自分で言いながら、脳裏をチラつくのはフィリップ王子の顔。
「男とか女とか、そういうのは関係ないです」
背後になったリリアーヌが、耳元で囁き、僕は思わず、背筋を震わせる。
「好きになっちゃったら、理屈じゃないんですよ」
僕の中の冷静な部分がまず考えたのは、そうか、という、納得だ。
思い出したのは、昼間の模擬戦。視線をぶつかり合わせたフィリップ王子とリオネルの姿だ。
二人の動機が、嫉妬、なのだとしたら。
あの入れ込みように、説明が付く。
フィリップ王子からしてみれば、最近は僕といつもつるんでいるリオネルに。
リオネルからしてみれば、僕と信頼しあっている友人であるフィリップ王子に。
お互いが、嫉妬しあっているのだ。
二人の中では、どちらが僕に相応しいか、それを競う試合、だったのだ。
次に浮かんだのは、なんだそれは、ありえない、という思考だ。
まず大前提として、二人は乙女ゲームの攻略対象だ。
その性的指向は、ゲームのメインターゲット層である、“男女の恋愛を好む女性”の方を向いているはず。
腐女子向けの、BLゲームの登場人物ではないのだ。
だから、同性の方を向くのは、ゲーム設計として、おかしい。
仮に僕がなんらかのフラグを立ててしまったのだとしても――そこまで考えて、僕は唐突に、それまで忘れていた、昨夜見た夢のことを思い出す。
――乙女ゲームにライバル役の悪役令嬢などいない――
もしかしたら。
もしかしたら、僕は、重大な思い違いをしているのかもしれない。
もしもこのゲームが、乙女ゲーム、ではなく――
例えば、腐女子向けの、BLゲームとか、だったとしたら……?
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