45. 体育の時間

 支配階級である貴族には、有事の際には国民の先頭に立ち、戦いに赴くという役割もある。

 貴族の特権は、いわば危険手当なのだ。


 もちろん現実に、戦いが不得意なものが、真っ先に最前線に送られるということはない。頭脳に秀でれば、指揮や参謀を任されるのが普通だ。

 それでも最後の最後、他に戦える者がいない、となったときに、平民より先に死ににいくのが貴族の役割だ。それ故、貴族の子弟は、たとえ不得手であったとしても、戦うための技術を身に付けていなければならない。


 それがタテマエだ。


 タテマエは、貴族の男子に戦闘能力を身につけることを要求した。

 その結果、この王立学園にもまた、僕が嫌いな“体育の授業”――戦技訓練の時間があった。



 剣術訓練に使用される防具は、前世でいうところの、フェンシングのものに似ている。視界は悪いが頑丈なマスク、厚い革製のジャケットと、金属製のプロテクター。これらは練習用の木剣で怪我することを防いでくれるが、したたかに打たれるとやはりかなり痛い。


 戦技訓練に対する、生徒たちの姿勢は、様々だ。

 特に武功を理由として爵位を授けられた家の子弟のモチベーションは、高い。一方で僕のように、身体を動かすことは他人に任せたいタイプの人間は、この時間をなんとか無事にやり過ごすことを最優先にしている。


 そういう事情は教師側もわかっている。無理をさせて、貴族の子弟に怪我をさせたくないのだ。


 指導課程がはじまった早い段階で、生徒たちは実力ごとに班分けされる。模擬戦等で、極端に実力差がある組み合わせになるのを避けるためだ。



 一学期の終盤に向け、剣術訓練はその期末評価を決定するための模擬戦中心になっていた。三週間ほどかけて生徒同士がそれぞれに対戦を繰り返し、最後には総合成績で最優秀者を決定する。完全な総当りではなく、先にも述べたように、概ね実力の近い者と対戦する。前世の世界でいうところのスイス式トーナメントに近い。


 その日の僕の最初の相手は、ジョナタン・デュマ。デュマ子爵家も“頭脳系”の貴族で、ジョナタンもその血筋を正当に受け継ぎ、主に経済学方面に適性を示していた。

 要するに、彼もまた運動は苦手なタイプだ。


 剣術の得意な連中にとっては能力を示すチャンス、一戦でも多く勝ち星をあげたいと考えるだろうが、僕やジョナタンのような人間にとっては、怪我をしない程度に無難にこなしたい、そういうイベントだ。


 かといって、わかりやすい手抜きは出来ない。戦技訓練の評価は重視こそしていないが、家の名誉のためには、落第点をもらうわけにはいかないのだ。


 だから重要なのは、


 ジョナタンの上段からの打ち込みを剣で受け、一度離れ、距離を取る。


 ここまではだ。


 ジョナタンとは、事前に示し合わせていた。

 お互いに有効打を入れ、最低限の評価は確保する。

 その上で、時間制限までやり過ごす。勝敗は判定になるが、有効得点に差がなければ引き分けが狙える。僕もジョナタンも、勝ち上がって強い相手とマッチングされる、などという疲れることは、やりたくないのだ。


 今の攻撃アタック防御パラードで、ノルマは達成。

 あとは時間まで、ギリギリ有効ポイントにならない攻防を繰り返すだけだ。


「ステファンさまぁーっ! がんばってーっ!」


 聞こえるはずのない黄色い声援が届き、僕は危うく、ジョナタンの突きを受け損なうところ。


 思わず振り向く。


 広い運動場には僕たちのほか、4〜5組の生徒たちが剣を交わしている。その、闘技場めいたすり鉢状の観客席に、先程まではたしかにいなかった、女子生徒たちの姿があった。


「よそ見するなーっ!」


 教官の声に、慌てて視線を戻すが、気をそらされたのはジョナタンも同じだったようだ。お互い慌てて剣を構え直す。


 それにしても――先程の声は聞き覚えがあったし、さっきの一瞬で、多分姿も確認できた。声を掛けてきたのは、セリーズとベルナデットだ。それ以外ははっきりわからなかったが、後ろにいたのはいつもつるんでいる連中、つまりはリリアーヌやヴィルジニーだろう。そのほか、おそらく同学年の女子生徒、ほぼ全員と等しい数が、思い思いに観客席に散らばりつつあった。女子生徒もこの時間は当然、別の場所で授業中のはずだが……なぜこんなところに?


 同時に思うのは、女性の前であまりかっこ悪いところは見せたくない、ということ。かといってここから本気を出す、というのも、八百長を示し合わせているジョナタンに悪い――


 ジョナタンの鋭い突きを、危うくギリギリで交わす。

 今のは危ない、かなり本気に近い攻撃だった。もちろん、打ち合わせにない。

 どういうつもりだ!? 口には出さず、ジョナタンの顔色を伺う。

 マスクの細かい格子越しに見える、その目の輝き――こいつ、本気か!?


 観客席から飛ぶ、声援と歓声。


 ジョナタンの連続攻撃。間一髪で、受け流す。


 どうやら、女性の前でカッコつけたいと思ったのは、彼も同じのようだ。

 引き分け狙いを示し合わせたのはお互いに勝ちたくなかったからだし、だから負けてしまっても僕には損にならない、それどころか逆におトクとも言えるが――


 女子が見ている前で恥ずかしい思いをしたくない。

 女子が見てるからって本気出し始めたと思われるのも恥ずかしい。

 本気出してもたかが知れてる。

 勝ってしまって、強い相手とやりたくない。


 一瞬の攻防の間に、相反するそういう思いが錯綜する。


 ジョナタンの振り下ろしを弾く。防戦一方だ。


 だんだん腹が立ってきた。ジョナタンにだ。こんなふうに、女性の前でカッコつけようとするタイプだとは思わなかった。普段は令嬢方に媚びるようなことのない、硬派な振る舞いの男なのに。


 結局男はみんな同じか!


 だが、その真剣な目に、嫉妬心のようなものを見つける。

 ジョナタンの行動の理由がそれ嫉妬なら、彼が本気を出し始めたのは、もしかしたら見栄によるものではなく、令嬢方の声援――はっきりと呼ばれた僕の名前のせい、だったのかもしれない。


 つまりはこの事態は、セリーズとベルナデットのだ、ということだ。


 くそっ! 迷惑極まりない!

 ちょっと知り合いだ、というだけで、こちらの事情も知らず、声援なんかかけるんじゃない!


 ジョナタンの大振りに、僕は全力と理不尽な怒りを込めて、自らの剣をぶつける。


 木剣同士が立てた甲高い音が、運動場に反響した。


 弾かれた剣が、衝撃で痺れた僕の手からすっぽ抜け、宙を舞う。


「そこまで!」


 木剣が、カランと音を立てて地面に転がる。


 勝利を誇示するように、僕に向けていた剣を、ジョナタンが引いた。


 令嬢方の歓声と、嘆息。


 僕は観客席は見ずに、自分の剣を拾う。


「ステファン殿、失礼した。つい……」


 我に返った様子の学友の言葉に、僕は力なく笑う。


「構いませんよ。いい太刀筋でした」


 皮肉めかして言ってやると、ジョナタンは苦笑気味に微笑んだ。


「ステファン様ぁ……残念」


 ベルナデットの力ない声が聞こえ、僕はそちらを見上げる。


 ベルナデットと、心配そうな視線を送ってくるセリーズがいて、ここは無視したら余計に惨めだな、と思い、なんとか微笑んで手を振ってやる。


 そうしてから、その後ろで、険しい表情でこちらを見下ろす、ヴィルジニーの視線に気付く。


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