43. 昨夜見た夢

 大きなあくびを噛み殺した僕の前に、温かい湯気を上げるカップが置かれた。


「おはようございます。寝不足ですか? お勉強、大変でしょうけど、しっかり寝ないと身体に悪いですよ?」



 朝、まだ早い時間の食堂には、人気ひとけはまばらだ。

 貴族とはいえ……いや、貴族の子弟だからか、大半の学生はギリギリまで寝ていて、混雑を嫌った僕のような人間が、このように早い時間に朝食を済ませてしまおうとするだけだからだ。



 カップを持ってきてくれた給仕係――セシルの気遣わしげな微笑みに、僕はなんとか作った笑顔を返す。


「おはようございます。いえ……ちゃんと寝たんですけど、何度も変な夢を見て。そのたび目が覚めて、しっかり寝た気がしなくて」


 いただきます、と言って、カップに手を伸ばす。注がれているのは、ミルクがたっぷり入ったココア。コーヒーを飲むとトイレが近くなる僕の朝は決まってそれなのだが、いつの間にか覚えてくれたセシルが、何も言わずに用意してくれるようになっていた。


「変な夢、ですか?」


「ええ。それが……男友達が、僕のことを好きだっていうんですよ。でも僕が好きなのは、彼の婚約者の女性の方で、その女性はもちろんその男友達が好きなんです。それで、表向きは普通に婚約者同士で結婚して、実態は三人で過ごせば全部解決だ、って展開になるんですけど、でもよく考えたら全然解決してないですよね。三人が三人共、イチャイチャしたい相手が違うわけですから」


 そこまで一気に言って、僕は温かいココアを啜った。


「完全に三すくみになってるのに、夢の中ではそれで納得しちゃってるんですよ。変ですよね」


 傍らに立っていたセシルは、微かに首を傾げる。


「婚約者がいる男友達って、もしかして王――」


「夢っ! あくまでも夢の登場人物でっ! ……じっ、実在の人物とは、一切関係ないんです!」


 否定する僕を、セシルは目を細め面白がる。


「必死で否定するのが怪しい」

「ちっ、違いますから」


 フィリップ王子に、彼曰く“変なこと”を言われたのが、そのような夢を見た原因だろう、とは思う。

 しかし、そのことを、セシルが知っているはずはないのだ。


 僕と王子が友人関係にあることは、多くに知られている。“男友達”と聞いて、単に連想しただけだろうが……


「それにしても、ステファン様のような紳士でも、意中の相手とイチャイチャしたいとか思うんですね」

「夢の話ですってば!」

「したく……ないの?」

「えっ? ……そっ、そりゃあ……僕だって年頃の男ですから」


 勤務中であるセシルだが、朝のこの時間は余裕があるらしく、いつのころからか、忙しくなければこうやって雑談に付き合ってくれるようになっていた。貴族階級ではない彼女との会話は新鮮でもあるし、なにか懐かしくもある。学友とは出来ないタイプの話も出来た。


「ステファン様はモテそうだから、お相手には困らないでしょう」


 セシルはお世辞で言ったのだとわかるが、僕はとっさに何人かの顔が浮かび、思わず顔をしかめてしまう。


「僕の……どんなところが、モテそうって思うんです?」


 聞くと、セシルは少し考える素振りをしてから、答えた。


「背は高いけど、華奢で、カワイイ系じゃないですか。それで頭が良くて、気配りも出来て、お優しいのですから……」


 言うにことかいてカワイイ系、とは――ショックを受けている僕に、セシルは屈託のない笑顔を向けた。


「いいお嫁さんになりそうって、思いますよ♡」


 椅子から転げ落ちたい気分を抑えて、僕は眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。

 このキャラはクール系インテリメガネだったはずなのだが。


「僕は……男なんですけど」


「あはは。やだなあ、わかってますよ、もぅ。もののたとえ、ですってば」


 彼女は僕の肩を、遠慮のない様子でバシバシと叩く。

 これでも僕、貴族令息なんですけど……


「でも、庇護欲をかき立てるのは確かなので、自立した強い相手ヒトを狙うのは、イイと思いますよ。例えば――」


 彼女は最後まで言わず、視線を遠くへ向ける。

 追って見ると、その先は食堂の入り口で、ちょうどリオネルが入ってきたところだった。


「ちょっ……セシルさん?」

「強くて男らしいけど、私生活ではちょっぴり抜けてる……そういうリオネル・ヴュイヤール様には、カワイらしくて気が利く、そういう相手がピッタリです」


 僕の抗議の視線に、意地悪な微笑みを浮かべたセシルは、悪びれもせず片目をつぶってみせる。


「ヴィルジニー様よりは、お似合いと思いますよ」


 絶句した僕に、小さく手を振ったセシルは、お盆を抱え直して身を翻した。

 近づいてきたリオネルとすれ違いざま、「コーヒーでよろしいですか?」と聞き、仕事に戻る。


 そんな彼女を見送った僕は、少し喋りすぎてしまっただろうか、と心配になる。


 セシルは、平民出身の給仕係にしては、やけに察しが良い。

 もっとも、こちらはあくまでも夢の話をしただけだし、冗談めかして言った彼女も、まさか本当に僕がヴィルジニーを狙っていると思ってはいるまいが――


 気をつけるに越したことはない。


 テーブルに向き直った僕は、思わず、小さく溜息を吐く。

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