40. 予期せざる来訪者
「すまない、変なことを言った。忘れてくれ」
王子がそう言って立ち去ろうとすれば、呼び止めることもできない。
それにしても、変なこと、とはなんだ。普通に、友人として、とか、(恐れ多いが)右腕として、などとフォローしてくれればよかったのに。変なこと、とは。
変な意味なのか?
いや、まさか、そんな。
そんなこと、あり得ない。乙女ゲームの攻略対象なんだぞ、王子は。
文脈的に変なふうになってしまった、とか、そういう意味だ、きっと。
まったく、フィリップ王子といいリオネルといい、勘違いさせるようなまぎらわしい態度を取るから――
なんでここでリオネルが出てくるんだ!
扉がノックされたのは、そういう、いま起きたことを自分の中でなんとか折り合いつけようとしていた最中のことで、なぜか火照った頰を両手で冷やそうとしていた僕は、不意打ちにドキリ、と驚く。
王子だろうか。何か言い忘れたことでもあったのだろうか。
「どうぞ」
王子が立ち去った後、鍵が開いたままだった扉。それを開けて入ってきたのは、なんとヴィルジニーだった。
何度も驚かされる日だ。
呆気にとられる僕の前で、彼女は廊下を伺ってからそっと扉を閉じると、狭い部屋を見渡し、僕一人しかいないことを確認したようだった。
「ヴィっ――!」
僕は大きくなりそうになった声をなんとか抑えた。
「ヴィルジニー……ダメでしょ、いくらなんでもこんな遅い時間に」
ヴィルジニーの来訪がこのように遅いタイミングになった理由は、察しが付く。
王子には、今夜は遠慮して欲しいと言われていたのだ。
その王子が立ち去るのを、待っていた。王子との話は思ったより長くなってしまったから、彼女は相当待ってしまったはずだが、さて、いったいどこで、どのようにして王子が帰るのを伺っていたのだろうか。
聞いても答えてはくれないだろう。
椅子を勧めたが、ヴィルジニーは腰を下ろさなかった。
険しい表情で、自らの両肘を抱くようにし、落ち着かない様子で、壁のそばに立った。
「フィリップ王子は、なんとおっしゃってました?」
このタイミングでのヴィルジニーの来訪は、まったく予期していなかった。
正直、王子とのやり取りで得た新しい情報は、僕にかなりの負荷を掛けていた。情報をよく整理してからでなければ、ヴィルジニーと話したくはなかった。なにせ、彼女にとってはよくない話ばかりだったのだから。
「王子に、今夜は遠慮してって言われたんでしょ?」
時間稼ぎに過ぎないが、僕は質問に、質問を返す。
公爵令嬢は不快げに顔をしかめた。
「明日まで、待てるはずがないではありませんか」
そっぽを向いた彼女は、親指の爪を噛む。
「殿下は、なぜあのようなこと――
キレ気味に言いながら迫ってくる悪役令嬢。いつもだったらその美貌を間近で見られて喜ぶところだが、あまりの気迫に、僕は思わずのけぞる。
「し、しかし……僕が関与していることは、聡い王子に看破されるのはやむを得ないでしょう。僕が春先から
ヴィルジニーは不満そうに頬をふくらませる。
「それは、そうでしょうが……」
と言ってから、気がついたように、
「誤魔化さらないで、答えなさい! 王子はどのようなお話をされたのです!?」
迫力に負け、僕は目をそらす。
「別に、どうということは……貴女への助力を労っていただいた。ただそれだけの――」
「それだけ? それだけのために、わざわざ?」
彼女は身を引いたが、今度はしっかりと腕組みをして、高い位置から僕を見下すように睨みつけた。
しかし、ここで負けるわけにはいかない。僕は目を細め、ヴィルジニーの目を見つめ返す。
「おっ、男と男の話です。いかな、ヴィルジニー、相手が貴女であっても、おいそれと話すことなど出来ません」
それを聞いたヴィルジニーは、その姿勢のまま、しばらく僕を睨んでいたが、やがてふっと小さく息を吐くと、組んでいた腕を解き、力の抜けた様子で椅子に腰を下ろした。
それからしばらく、床を見ていたようだったが、やがて、顔をあげると、冷たい目で僕を見た。
「やはり貴方は……あくまでも王子の味方、ということですね」
「――は?」
呆気にとられる僕に、公爵令嬢は続ける。
「いえ、わかっていたこと。当然のことです。貴方が
冷たく微笑み、ヴィルジニーは言った。
「王子の不利になることは、
「それは違う。僕が貴女に協力するのは――」
思わず言ってはいけないことを口走りそうになり、僕は完全に手遅れだと知りながらも、慌てて口をつぐむ。
僕らしくないミスだったが……言い訳させてもらえるなら、たぶん、頭にきていたのだ。
自分なりに良かれと思ってやっていたことが、ことごとく裏目に出たり、予期せぬ結果を招いたりしている。
その気がない相手に好かれ、一方で
やけになってしまったのだ。一瞬だけ。
だがそれは、致命的な一瞬だった。
ヴィルジニーは、訝しげに目を細める。
「なんです?」
僕は視線をそらすが、誤魔化されてはくれないだろう。
「他に、なにか理由があるとでもいうのですか?」
椅子に腰掛けた姿勢のまま、身を乗り出してくるヴィルジニー。
視線を戻すと、彼女の顔が思ったよりそばにあって、ドキリとさせられる。美しい金髪から漂う、甘い香りすら感じ取れた。
僕はその真剣な表情に、思わず見とれる。
これほど間近で彼女の顔を、しかも正面から見るのは、はじめてだった。
――僕のものにしたい。
そのとてつもなく美しい顔を見て、思い浮かべた、僕の動機を言葉にするなら、それだった。
悪役令嬢として断罪される運命であるのなら、僕が頂いたっていいではないか。
「いま、なんとおっしゃいました?」
不審の色を浮かべたヴィルジニーが、そう問う。
思っただけの言葉のはず、だったが、口から出ていたのだろうか。
彼女は、聞き取れなかったのか。それとも聞き取れたが意味はわからなかったのか。
頭では――僕の動機、彼女への僕の気持ちを、いま知らせるのはまだ得策ではない、とわかっていた。
なんとか誤魔化すんだ、と脳内の冷静な部分が囁く、その一方で。
脳裏に浮かんだのは、恥ずかしげに微笑むセリーズの顔や、ヴィルジニーのことを「無理」と言った、フィリップ王子の顔。
セリーズ――彼女を助けたのは、彼女のためではない。ヴィルジニーのためだった。僕の本命はヴィルジニーの方で、彼女ではない。それなのに僕の行動を、好意ゆえだと勘違いしている。
フィリップ王子――彼はヴィルジニーの気持ちを知っていて、その曇りのない笑顔で彼女を喜ばせながら、しかし彼女の気持ちに答えるつもりなどまったくない。そういう腹黒い相手に、何も知らずに媚びるのは、僕が恋した女性だ。
そんな二人に、告白紛いのことをされたのだ。今日の僕は。
まったく、どいつもこいつも……
世界中に言ってやりたいと思った。僕が好きなのは、ヴィルジニーなのだ、と。
僕はまっすぐに彼女を見て、言った。
「貴女が好きだからです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます