39. 予期すべきだった可能性

 普通の結婚ではない。王子の結婚である。その婚約者は、つまりは将来的に王族の一員となり、国のために働く。いわば“王家への就職”だ。


 ヴィルジニーとの婚約は、それを見越した上で、王家に認められ、許されている。またヴィルジニー側、公爵家としても、娘を王家へ嫁に出す、つまりは就職の内定をもらっている状態だ。同時に、王家と公爵家の結びつきはより強固なものになっている。

 二人の婚約は、とても政治的な性質の強いものだ。


 これの解消である。王子がそう望んでいるからといって、簡単にしてもよい、というものではない。


 これらに関わる人間たちを、納得させなければならない。

 必ずしも全員ではないが、意思決定に大きく関わる国王、そしてデジール公爵の二人が「婚約解消やむなし」と同意する、そういう事態を作り出す必要がある。


 言い寄ってくる令嬢たちを追い払うために、解消を前提とした婚約をする、という作戦を思いついた王子が、ヴィルジニー・デジールを相手に選んだ理由は、それだった。

 “最低最悪の貴族令嬢”の二つ名を持つヴィルジニーである。その行いの悪さ、もしくは普段の素行不良は、婚約を解消する理由として利用できると考えたのだ。


 そしてその、彼女の普段の評判の悪さを利用すれば、もっと強硬な手段だって選びようがある。


 そう、例えば……なんらかの罪を彼女にかぶせ、追放――もしくは処刑するのだ。


 スムーズ、かつ確実に、婚約を解消できる。

 

 ヴィルジニーの破滅は、フィリップ王子にとって、婚約解消の最良で最短の手段だ。



 破滅フラグ――僕は今更のように、その言葉を思い出す。


 その存在を、考えていないわけではなかった。

 なにせ、悪役令嬢と破滅といえば、普通、ワンセットだ。


 だからこそ、ヴィルジニーの動向には注意してきた。

 わかりやすい苛めイベントは回避させたし、主人公セリーズとの関係も(表向きには)良好だ。

 主人公に敵対すれば、破滅は免れないと思ったから、そのように仕向けたのだ。


 その上で、主人公セリーズがフィリップ王子を攻略すれば、婚約解消も比較的無理なく、穏便に成されるだろうと期待していた。罪がなければ、断罪などされようがないからだ。



 だが――僕はフィリップ王子の笑顔を伺う。


 もしもそういうプランが――ヴィルジニーに適当な罪をかぶせ、追放なり処刑なりしてしまうという短期決戦プランが提示されたら、王子は、どうするだろうか。


 誠実なフィリップ王子はそのような選択はしない、できない――そのように考えるのは、危険だ。

 王子はヴィルジニーに対しては、すでにここまで、かなり冷酷に振る舞っているのだ。


 解消を前提とした婚約に、それと知らせず巻き込んだだけではない。おそらく、これまで意図的に、彼女を遠ざけてきていた。


 婚約者であるにも関わらず、ヴィルジニーと私的な交流を重ねた様子は、ないのだ。

 デジール家を訪れたことも、また自らの住まいに個人的に招いたことも、ない。


 僕をはじめとした男友達とは、普通に行き来し、遊んでいたにも関わらず、だ。


 ヴィルジニーがはじめて褒められた、と泣いたのは、つい先日のこと。それほどまでに、これまでの二人の間に特別な交流はなかったのだ。


 今日だって、彼女を褒め、喜ばせておくだけにすることだって、できたはずだ。ところが王子は、今夜は僕のところへ行くのは遠慮してくれ、などと言い、僕の関与を知っていると仄めかし、すべて自分が主導した体で報告したはずの彼女を、わざと貶めるようなことをした。それがなければ、ヴィルジニーはいい気分で、今日を終わらせられたはずだとわかっていたのに。

 それは本来不要で、底意地の悪い行いだ。


 王子はヴィルジニーに対し、そういうふうに残酷に振る舞える、ということだ。


 いかな非道なプランであっても、それが最も確実な方法だ、と思えば、実行を躊躇うことはない、そう考えるべきだ。



 ヴィルジニーの破滅だけは回避しなければ――僕は決意を新たに、奥歯を噛みしめる。


 処刑はもちろんだが、追放などされて、お嬢様生活がしみついたあの公爵令嬢が生きていけるはずがない。

 僕がついていけば? いやいやいやいや、無理だ。彼女は最高に僕好みのビジュアルをしているが、家庭人としての素養は最悪だ。僕が地位を捨てて一緒に行ったとしても、役割分担をして二人で暮らす、などということはできないだろう。彼女に家事ができるはずはないし、かといって生活費を稼ぐなんてこともできるはずがない。

 なにせ公爵令嬢なのだ。生活に必要なことは、すべて他人にやってもらう、そういう生き方をしてきて、これからもそうするよう求められていたのだから。



「しかし、殿下。殿下のご意向はわかりましたけどね」


 動揺を押し隠して、僕は言った。

 不遜と思われるのは覚悟の上、腕組みをして、王子を軽く睨むようにする。


「婚約の解消、は、まあ、いいとして、しかし解消して、そのあとはどうするのです? 王子に結婚相手が必要、という状況は、変わらないでしょう。少なくとも周囲の人間、そして貴族令嬢方はそう思いますよ」


 言われた王子は、うっ、と呻いて身体を縮こませる。

 九歳の時ならそこまで考えていなくても仕方ないが、今となっては、さすがにそういうわけにもいかないと思うのだが。


「その判断が、その場しのぎであったことは、認めるよ。しかし、実際にその時が来るまでには、なにか心境の変化があるんじゃないのかと思ったんだ。――女性に対するこの嫌悪感が消えるとか、そうしてもいいと思える相手が現れるとか」


「では、ヴィルジニー様と結婚する可能性も?」


「いや、それはない」


 王子は即答する。哀れなりヴィルジニー。


「本当に、勘弁してくれ。そもそも彼女を選んだのは、裏切ってもボクの心が痛まないから、というのが最大の理由なんだ。彼女のようなタイプは、ボクは――本当に、無理なんだよ」


 言葉を選んだ様子だったのに、それでも出てきた言葉が「無理」とは……まさか、内心でそれほどまでに嫌悪しているとは。


 それにしても彼と話していると、なんかこう、僕の性的嗜好がかなり歪んでいるような気がしてくる。


 とにかく、では別の令嬢の名を上げてみようとして、最初に頭に浮かんだのはセリーズの顔、だったのだが、今となっては、彼女をプッシュする理由など一切ない。王子との関係はまったく進展していない上、もはや婚約解消は必至なのだ。ゲームの主人公かもしれないが、平民である彼女との結婚は、まったく現実的ではない。


「えーっと……ああ、ではマリアンヌ様などいかがでしょうか」


 もしもそうなれば、シルヴァンも喜ぶだろうし。


「マリアンヌ・ドゥブレー嬢です。器量はもちろん、大変によくできた御令嬢です。歳も近いし色々とわきまえてらっしゃる。彼女なら、王子の事情を理解した上で、受け入れてくれもするのではないでしょうか」


 王子は少し首をひねった。


「マリアンヌ嬢……そういえば、彼女だけは、他の令嬢とは違ったな。うん、彼女は良い人だ」


「! では」


「良い人過ぎる。彼女のような素晴らしい人物を、ボクの事情に巻き込むのは憚られる。彼女には、彼女を正しく愛してくれる人物と、添い遂げて欲しい」


 一連の王子の発言、ヴィルジニーが聞いたら発狂するのではないだろうか。


「良い人と思えるのなら、普通に、愛することができるのでは?」


 僕はそう言ったが、王子は自らの手に目を落とすと、何事かを思い出したように、首を横に振った。


「いや……ダメだ」


 彼は多くを語らなかったが、身体を震わせ、自ら両腕を擦るその様子を見ると、なにかトラウマを刺激されるような経験があったのだろう。


「マリアンヌ様は、王子に失礼なことなどなさらないでしょう?」

「彼女にそのつもりがなかったことはわかっている――いや、そういう問題ではないんだ。女性というだけでダメなんだよ、基本的に。ボクは」


 これはかなり重症だ。


 そういえば先程、近づかれる、触れられるということにすら嫌悪感があるのだ、と言った。精神的なアレルギー反応、みたいなものだろうか。両腕を擦る様子を見ると、ストレス性の蕁麻疹などもあるのかもしれない。


 前世の世界なら、普通に医者案件だと思うのだが……こちらの世界観、文明レベルでは、適切に診療、治療することはできないだろう。


 この部分、やはり鍵は、ゲームの主人公、セリーズが握っているのだろうか。

 フィリップ王子が攻略対象の一人である以上、その可能性は、高い。


 しかし、もしそうだとしても、彼女、立場といい王子との関係性といい、現状ではものすごく扱いにくい。

 なによりも、もしもセリーズとの交流で王子の症状が改善したとして、その先のビジョンがまったく見えないのだ。


 僕は密かに溜息を吐く。


 王子の妃として、他により適切な相手がいる、などとなれば、より穏便に婚約解消できるのではないか、と考えていたのだが、セリーズではどう考えても役不足だ。


 では、その他に、誰かいるのだろうか。可能性がある人物が。

 考えてみれば、このゲームにはまだ他に登場人物がいたはずなのに、ここまでほとんど絡んでいない人物が、たしかにいる。あと二人いるはずの攻略対象もそうだし、他にも――


「いままでにいなかったのですか? ずっとそばにいて欲しい、と思える女性ヒト、などは」


 特に考えずに口にした僕の質問に、王子は、考え込むように俯き、顎に指先を当てたが、やがて、顔を上げた。


「その……そういうふうに聞かれて、思いついたのだが――強いて言うなら、ステファン、キミには、ずっとそばにいて欲しい、そういうふうに思う」


 もちろんそういう意味で言ったのではないので、誤解を招くような紛らわしい聞き方をしたことを詫び、訂正しようとした……のだが、王子が浮かべた表情に、僕は言葉を失ってしまう。


 フィリップ王子の頬が、まるで羞恥を覚えたかのように、赤く染まっていたのだ。

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