38. 王子の意向

「だから、それが一番いいと思ったんだよ!」


 椅子から立ち上がった王子は、落ち着かない様子で室内を歩き回っていた。


「だって、愛してもいない……それどころか、まったく興味すら持てない女性と、結婚などできるわけがないじゃないか。そんな不誠実なこと――だから、解消できるように婚約をする、それが一番だと思ったんだ」


 なるほど。誠実な王子、だったゆえの発想、選択だった、というわけだ。


「殿下」


 僕は椅子に座ったまま、ノイローゼのクマよろしくウロウロする第三王子を見上げる。


「釈迦に説法でしょうが……王子の結婚は、政治的なものです。真の愛など必要ない。上辺だけの愛を語り、滞りなく夫婦生活を送る、そのようにしてきた王族など、過去にいくらでもいたはずです」


「今だったらね、そういうことも考えつくと思うよ」


 王子は僕を軽く睨むようにした。


「しかし、あのころキミに相談していて、同じようなことを言えたか?」


「それは……無理でしょうね。いくつでしたか? 8つか9つ?」


「九歳だ、ヴィルジニーを婚約者にしたのは」


 僕たちも、純粋な子供だったのだ――本当だ。


 王子は首を振ると、ようやく椅子へと戻ってきた。


「しかし、ただ興味がないというだけではないんだ。その……正直言うと、女性という存在そのものに嫌悪感すら感じる。近づかれる、触れられるとなると、想像するだけで震えがくるほどなんだ。いくらなんでもそれを隠して、結婚、など……とてもできそうにない」


 彼はそう言うと、本当に身をブルっと震わせた。


 僕の方は。

 王子の隠し事を告白されても、動揺せずにいられたのは、ここが乙女ゲームの世界だと知っていたからだ。


 乙女ゲームの攻略対象なのだ、フィリップ王子は。

 「女性に興味がない」と彼は言った。

 いま、彼が言った、嫌悪感という言葉も、そうだ。

 国王の子、ともなれば、近づいてくる者を邪険に扱うことなどできない。それでも、礼節を伴っていれば、我慢もできよう。しかし、相手が形振り構わぬ態度であれば。

 きっと、幼少期の、抗いようもなく異性に言い寄られた体験その他が、彼の身体を思わず震わせるほどのトラウマとなったのだ。


 そういう話なら、むしろゲームとして納得がいく。

 過去のトラウマから、女性に対し嫌悪感を持っていた王子に、理解し寄り添って癒やす主人公……とかなんとか、そのあたりだろう。

 ずっと見通せなかった攻略パターンが、ようやく見えてきた。


 それにしてもそれほどの嫌悪感を持っていたとは……よくもこれまで隠し通せていたものだ。

 王子に憧れ、羨望の眼差しを向ける女性たちに返す彼の笑顔は、完璧だとさえ思っていたのに。


 完璧な作り物だった、ということか。


「ヴィルジニーはあのころすでに、我儘で意地悪で、いつも皆を困らせていたからね。そのくせ、ボクの前では殊勝にして、わかりやすく媚びてみせる。まったく、意地汚い相手だと思えたよ。だからこそ、ボクの計画に巻き込むのに、躊躇はなかった。彼女が残念な目に会えば、みんな喜ぶだろう、とさえ思っていたよ」


 そう言うと、王子は自嘲気味に笑う。


「残酷な子供だった、と、今では思うよ」


「しかし、思うだけ、なんでしょ?」


 僕の言葉に、王子は頷く。


「反省はしているが、かといって、やはり彼女と結婚するわけにはいかない。できるだけ優しくした、というのが、せめてもの罪滅ぼしさ」


 僕の関与がわかっていながら、ヴィルジニーを褒め続けたのは、それか。


 僕はヴィルジニーの喜ぶ様子を思い出し、そっと目元を拭う。何も知らずに浮かれていた彼女が、あまりにも不憫で、哀れだ。状況が許せば合掌までして差し上げたい気分だ。気分だけ。


「だから、いざ婚約を解消、となったときに、それも仕方ない、と世間が自然に受け入れられる……いやむしろ、そうするべきとなるような、そういう世論、風潮であることが望ましいんだ」


 僕は王子に見えないところで、この幸運、いや、めぐり合わせに拳を握る。


 どうすれば王子とヴィルジニーの婚約を解消できるか。僕がヴィルジニーを手に入れるためには最大のハードルと思われたその問題だったが、なんと王子自身が、その解消を望んでいるのだ。


「そういうわけで、今後、ヴィルジニーへの協力、特に世間の彼女への評価が高まってしまうような行動への助言は、控えて欲しいんだ」


 王子は、僕の内心に気づいた様子もなく、そう言った。


「可能であれば、彼女の評判だけ下げて欲しい」


 なんてあくどいんだこの王子は。


「評判を下げる、などということができるかはわかりませんが……王子のご意向はわかりました。しかしヴィルジニー嬢も、わたくしが突然態度を変えると、不審に思われるでしょう。対応については、しばらくのあいだは、お任せ頂けますか?」


 王子は頷いた。


「もちろん。キミがヴィルジニーを手懐けているという状況は、いろんな意味で好ましい。彼女の行動をコントロールできるのはもちろん、他の誰かが王子の婚約者を利用しようとするのを防げる」


 言われて、僕の脳裏に浮かんだのは、シルヴァン・ドゥブレーをはじめとする、フィリップ王子の取り巻きたち。ヴィルジニーの社交場ヴィルジニーズ・サロンの一件で、彼らはすでに、僕がヴィルジニーを取り込んだと理解しているだろう。


 ヴィルジニーにしてみれば、彼女の方が僕を手懐けているつもりだろうが。


 いずれにせよ、ヴィルジニーはこちらの手の内にある。王子の意向が僕の利になるとわかった以上、二人にはできるだけ速やかに婚約を解消していただこう。


 まさかの婚約解消、という事態にショックを受けるであろうヴィルジニーは、まあこう言っちゃなんだが、付け込むには都合のいい状態になるだろう。

 何よりも、おおっぴらに口説けるようになるのだ。こんなに嬉しいことはない。


 では、どうすればスムーズに婚約解消できるのか。


 それを考え始めた僕は――現状が、とても喜んではいられない状態になっていることに気づいた。

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