34. 主人公の好感度

 セリーズに呼び止められたのは、数日後の放課後、寮に戻る道すがらのことだった。


「ステファン様」


 許した覚えのないファーストネーム呼びだったが、咎めるのも妙だ。


 セリーズは、人目もはばからず丁寧に頭を下げた。


「このたびは、ありがとうございました」


 僕の方は、人目を気にする。

 平民の特待生に頭を下げさせているところなど見られたら、どのように思われるかわかったものではない。


 慌てて周囲に目をやるが、幸いにも、見える範囲には誰もいなかった。

 僕はセリーズを促し、学生の動線からズレた建物の影に、場所を移す。


「このたびって?」


「両親のお店、デジール公爵家からお仕事をいただけることになりました。たいへんいいお話で……忙しくなりますけど、人を雇うこともできそうなんです。おかげさまで、安心して勉学に励むことができます。本当にありがとうございました」


 そう言うと、また深々と頭を下げる。


「礼を言う相手が、違うのではないでしょうか。デジール公爵家に口添えをしたのは、御令嬢のヴィルジニー様でしょう」


 僕はわざとそっけなく、そう言ったが、セリーズは首を横に振った。


「ヴィルジニー様のお口添えがあったのはもちろん、だと思いますが、そうなるようにご尽力くださったのがステファン様であることは、わたしにだってわかります」


 顔を上げたセリーズは、その純粋な眼差しをまっすぐ僕に向けてくる。


「ステファン様ははじめから、わたしのことを気にかけ、力になってくださった。入学式のときも、いじめを受けていたときも……お店にヴィルジニー様を連れてきてくださったのも」


 セリーズの頬は、いつの間にか赤く染まっていた。

 潤んだその瞳を、ついに俯かせる。


「わかります、わたしにも……それがわからないほど、世間知らずではありません」


 目の前で、頬を赤らめ俯く美少女を見て、僕は――


 世の中、思い通りにはいかないものだな、と密かにため息をつく。


 彼女の様子を見るに、僕の一連の行動は、主人公セリーズに対する好感度が高まったゆえのものだと、判断されてしまったらしい。確かに恋愛シミュレーション・ゲームでは、パラメーターの上下により、登場人物の行動が変化する。


 このようになってしまう可能性に、思い至らなかったわけではない。だから僕は、なるべく彼女にはそっけなく接してきたつもりだ。


 しかし考えてみれば、僕は彼女との出会いイベントをしっかりこなしていた。あれでフラグが立ったのだとしたら、親密度のある程度の上昇は、避けられなかったのかもしれない。そっけなくした、というだけで、好感度を下げてしまうような、はっきり言えば嫌われてしまうような言動は、小狡くも避けてきたのだ。


 僕とセリーズの親密度が高まるのは、必然的だったのだ。


 一方で、本命の相手、ヴィルジニーとの関係は、進展しないままだ。

 一緒に行動するとか、ファーストネームで呼ばせるとか、そういう変化はあっても、あくまでも協力者、友達と言えるかどうかすら怪しい関係だ。恋人同士、みたいな甘い関係は、未だ想像すらできない。

 僕とヴィルジニーの親密度も数値化できるなら、おそらく、限りなくゼロに近い状態だろう。


 なにをやっていたのだろう、僕は。


 すぐ目の前、という位置で恥ずかしげにする美少女に、僕は怒りすら覚える。


 さすがは乙女ゲームの主人公、登場人物が恋に落ちる相手なだけに、ものすごい美少女だ。そういう人物の恥じらい、はにかむ笑顔は、男なら誰だって好きになってしまいそうな破壊力を持っている。


 しかしこのあざとい態度、媚びたような表情が、逆に、僕の癪に障る。


 いい女にはもっと、気高く振る舞ってほしい。


 その点、彼女はまったくの真逆。外見はカワイイと思うが、中身は、まるで僕の趣味ではないのだ。

 僕が好意を持っていて親切にしたのだ、などとは、夢にも思ってほしくなかった。


 なんでこの女との親密度が上がっているのだ。本命の方ヴィルジニーとではなく。

 そういう思いが、この怒りの正体だ。


「ヴィルジニー様には?」

 礼は言ったのか、という意味で僕は聞き、彼女は一瞬、呆気にとられたようだったが、頷いた。

「ああ、はい……このあと、お伺いするつもりです」


貴女あなたには、期待している方がたくさんいます」

 僕は、やはりできるだけそっけなく、そう言った。


「そういう方々のご期待に応えられるよう、これからも励んでください」


 それだけ言うと、僕は速やかに踵を返した。彼女がなにか言いたそうに口を開きかけたのはわかったが、無視した。



 万一、告白などされたら、たまったものではない。

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