33. 公爵家の執事

「大変失礼いたしました。本来であれば、主の名代であるヴィルジニー様から、お二人をお誘いするべきところでございますが」


 執事ベルトランは、馬具倉庫から外に出るなり、僕たち二人に向かって頭を下げた。


「いいえ、とんでもございませんベルトラン殿。どうか我々のことは、お構いなく」

「そういうわけにはまいりません」


 顔を上げたベルトランは神妙な顔で言った。


「ダイニングルームにご案内します。こちらへどうぞ」


 ベルトランが先に立って歩き出す。そのはるか前方に、ヴィルジニーのワンピース姿が見えた。まったく、勝手なお嬢様だ。


 ベルトラン氏の立場も、難しいだろう。彼は使用人ではあるが、客である僕とリオネルは、主である公爵とその令嬢より身分は下。本来であれば必要以上に謙るべきではない。そういう相手に、“お嬢様”の非礼を詫びなければならないのだから。


 来た道を戻るが、先を行くヴィルジニーは、最初に馬車を降りた正面エントランスではなく、ずっと手前の勝手口――普通の屋敷の玄関ほどもあるそれをくぐっていく。それを見つけたベルトランは、こちらを伺うように振り返った。


 本来であれば、はじめて訪れる客を通すような入り口ではない。

 しかし、我々はアポ無しだし、正式な訪問でもないのだ。


「どうぞ、お構いなく」


 僕が言うと、彼は恐れ入ります、と答え、同じ入り口から中へと入った。


 案内されたのは、この屋敷にあるはずの大食堂グレートホールではなく、ずっと小さなプライベートダイニングルームだった。その繊細な調度品を見れば、ここが主とその家族が使うものだとわかる。ヴィルジニーはすでに中にいて、テーブルにではなく、奥、窓のそばに設えられた座り心地の良さそうなソファに腰掛けている。


 ヴィルジニーは、戸口に現れた執事と僕たちを見つけると、思い出したように言った。


「食事は簡単なもので構わないから、あまり待たせないように。先にお茶を出してちょうだい」

 横柄に言って、窓外に顔を向ける。


「こちらでお待ち下さい。すぐにお茶を用意させます」

 執事は僕たちに頭を下げると、すでに廊下で待機していたメイドに指示を出し始めた。


 リオネルを先に部屋に入らせ、僕はベルトランの指示が終わるのを待って、話しかける。


「ベルトラン殿、よろしければ、事情をご説明いたしたく」


 僕が言うと、ベルトランはダイニングの方をちらりと確認する。

 扉は開け放たれたままだったが、廊下で、抑えた僕の声は、中まで聞こえた様子はなかった。


 ベルトランは頷いた。


「そうしていただけますと、こちらも助かります」


 ベルトランの案内で、隣室へと移動する。

 隣室は応接間だった。


 食事の準備はイレギュラーなものだったはずだから、どうしたって時間がかかるだろう。僕は勧められた椅子に遠慮なく腰掛けると、執事にも座ってもらい、それから切り出した。


「ベルトラン殿は、王立学園に今年入学した特待生のことは、ご存知でしょうか」


 公爵家の執事は頷いた。


「平民ながら、今年度首席合格したという人物のことであれば、聞き及んでおります」


「お渡しした住所、サンチュロン革細工店は、その特待生、セリーズ・サンチュロン殿のご自宅です。見ての通り、確かな品を作る技術がありますが、店の経営状態は良いとはいえず、セリーズ殿はそのお店を手伝うため、貴重な学習時間を失っておいでです」


 聡明な執事は、僕がそれを言っただけで、状況を理解した頷きを見せた。


「なるほど……では、あの噂は本当なのですね」

「噂、というのは?」


 僕が聞くと、ベルトランは頷いた。


「社交界で、最近まことしやかに語られているという、噂です。ヴィルジニーお嬢様が――平民の方や地方貴族の子女など、学園生活に不慣れな方を支援している、と」


 シルヴァンが言っていたヤツか、と僕は察する。


「学生寮に通わせているメイドから報告は受けていましたが……その、俄には信じがたく。あのヴィルジニーお嬢様が人助け、など」


 この執事、自分の主人のことを、よくもまあズケズケと。

――これまで相当苦労させられてきたのだろうな……かわいそうに。


「いえ、おかしいな、とは思ったのです」


 執事は、得心したとばかりに頷いた。


「お嬢様の鞍の破損は、春先の、学園入学前のことです。その時は、新調するから修理の必要はない、と、お嬢様自らおっしゃったのです。それゆえ、これまで手付かずで保管していたのです」


 革製品は高価ゆえ、多少の損傷で捨ててしまうということはない。リフォームしたり、分解して別の道具の材料にしたり、ということは当然に行われている。公爵令嬢が使うような高級品なら尚更だ。

 しかし現在は革細工職人が不在ゆえ、そういったことも行われずに保存されていたのだろう。


 ベルトランは思い出すように遠くを見て、言う。


「革細工技師の廃業のことも――お嬢様は、使用人のことなど知ったことではないという態度をとってらっしゃいますが、まったく存じ上げなかった、とは思えません。変化には、敏感なお方ですから」


 馬具倉庫で時折見せたベルトランの戸惑いは、それか。

 なぜ今更になってそのようなことを言うのか、という疑問だったのだ。


 ヴィルジニーは、サンチュロン革細工店で、商品棚に置かれていた鞍を気にしていた。おそらくあのときにはすでに、革細工職人を失っていたデジール家が、サンチュロン家に仕事を発注できる可能性を、思いついていたのだ。

 しかし意地悪な公爵令嬢には、その段階で本当にそれをやるつもりはなかったのだろう。彼女は「なぜそれをわたくしがやらなければならないのか」というようなことを言っていた。助けられる立場にいながら、そうしようとしないというのは、悪役令嬢らしい思考だ、とも言える。


 そしてそうと決めても、執事に素直に指示を出せなかった。性格のひねくれた公爵令嬢には、あのような言い方しかできなかったのだ。



 それにしても、タイミングよく公爵家が革職人を必要としているこの状況、少し引っかかる――



 思索を巡らせていた僕は、ベルトランの意味有りげな視線に気づき、現実へと引き戻される。


「……なにか?」


 僕が問うと、ベルトランはやはり意味有りげな笑みを浮かべる。


「今日、ステファン殿がいらっしゃって、合点がいきました」


 公爵家の執事ともなれば、有力貴族とその関係者の顔と名前などといった情報は、身に付けておくべき基礎教養だ。そのため、彼が僕とリオネルを見て、即座に正体を看破したときには、特に疑問に思わなかったのだが、その微笑みを見て、僕は彼のことを思い出した。


「ベルトラン殿とは、以前お会いしたことがありますよね? 確か王城で」


 執事は、微笑みと共に頷いた。


「覚えておいででしたか。はい、たしかに。あの時、わたくしはまだ従僕フットマンでした。お嬢様付きの執事の代行で、ヴィルジニー様にお付き添いさせていただいた時です」

「公爵家に従僕から勤められて、その若さで執事に。大変に有能だとお見受けします」

「いえ、わたくしなど……デジール公爵家に幾人もいる執事の、末席を汚しているに過ぎません」


 彼は謙遜などしてみせたが、つまりベルトラン氏は、公爵家に長く勤めており、ヴィルジニーの性格、本質を理解している。それだけではなく、僕のことも――つまりは僕が、宰相の息子であり、ヴィルジニー嬢の婚約者、フィリップ王子と懇意にしていること、そしておそらくは僕の性質についても、知っている。


 今日、ベルトラン氏は、使用人に対し(おそらく)以前と変わらぬ態度で接したヴィルジニーを見て、彼女が本質的には何も変わっていないことを知った。その彼女となぜか同行していたのが、この僕。だから彼は、耳にしていた噂や、メイドから報告された学園でのヴィルジニーの振る舞い、その本当の姿、そのようになった理由が、ヴィルジニーが貴族の精神に目覚めたから、などではなく、僕、ステファン・ルージュリーがその背後で糸を引いていたからだと、気づいたのだ。


 貴方あなたが黒幕だったのだ、と、ベルトラン氏は口にはしなかったが、その目が、はっきりと言っていた。


 その目を見れば、彼が、僕のことを敵だと認識していないことは、見て取れた。

 国王の忠実な宰相、その息子にして、第三王子の友人である、僕のこれまでの評判。そして今日、ここまでの僕の行動を見れば、僕がフィリップ王子の利益のために、その婚約者であるヴィルジニーに協力しているという形に、特に疑う余地はないはず。そうであれば、公爵家の執事であるベルトラン氏が、僕を敵視する理由は、まだ、ない、はず。


 僕はこの有能な執事を、味方につけておきたい、と考え始めていた。

 このような人物が敵になってしまうのは、甚だ危険だ。

 少なくとも、ヴィルジニーを助けるという名分は、お互いの利益に反しないはず。


 だけどもしも、僕の真の目的、動機が、ヴィルジニーを我が物にするためであると知られれば……彼を含めた公爵家は、僕の敵となってしまうだろう。それだけは、避けなければならない。


 そうと気づかれる前に、彼女を“攻略”する。それが僕に必要なことなのだ。


「このあとは、どうなります?」


 僕は味方だ、と言いたいのを堪え、僕は聞いた。


 ベルトラン氏は、僕が彼の看破に気づいたと知っているはずなのに、考えるように床に目を落とした。


「お嬢様のお話は、デジール家にとっても利になるお話。もちろん、本当に公爵家の仕事を任せるに足るか、調べた上でのことにはなりますが……できるだけ、ご希望に沿えるようにしたいと考えています」


 彼は僕に向き直って、言い直した。


、ご希望に」


 僕は黙って、頷きだけ返す。

 実際にデジール公爵家からのオファーを、サンチュロン家が受けられるかもわからない。先方の意向を確認したわけではないのだ。しかし事情を理解しているベルトランであれば、先方の可能な範囲で仕事を頼む、ということもできるだろう。なにせ公爵家の執事だ。裁量も広い。

 いずれにせよ、これ以上はもう、いいように任せるほかない。


「ところで、公爵家の仕事を発注する、となると、当然、信用情報についても、調査なさいますね?」


 僕は思いついたことがあって、そのように訊ねる。

 ベルトランは微かに首を傾げながらも頷いた。


「もちろんです。新たに公爵家の仕事を任せる場合には当然の、標準的な手続きです」


 僕は身を乗り出し、顔を寄せるようにして、抑えた声で言った。


「その調査、結果が出ましたら、わたくしにも教えていただけないでしょうか。内密に。もちろん、決して他言はいたしません」


 公爵家の執事は、眉をひそめた。


「なにか、疑わしいことでも?」


「いえ、そうではありません」


 滅相もない、とばかりに、僕は首を横に振る。


「サンチュロン家は見たところ、特に際立ったところもない、ごく普通の平民家です。その家庭に、あれほど優秀な人物が生まれた。なにかその秘密、というか、理由のようなものがあるのだろうか、と思ったものですから。例えば……」


 僕はベルトランの顔色を伺いながら、続きを口にした。


「そのルーツに、貴族家との繋がりがある、とか」


 ベルトランは、なるほど、と頷いた。


「確かに、興味深いことではありますね」

「かといって、わたくしの立場では、興味本位で特待生の家庭を調べるわけにもいきませんし」

「それもそうですね――いいでしょう、なにかわかりましたら、お伝えいたします」

「よろしくお願いします」


 食事の準備ができた、とメイドが伝えに来て、密談は終了した。

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