21. 給仕係と王子

 食堂で席を探していた僕は、給仕係とぶつかりそうになる。

「おっと、失礼」

「申し訳ございません――あら」


 彼女の声に顔を上げると、給仕係はニコリと微笑んだ。

「こんばんは」


 と、親しげに声を掛けてくる。

 セシル――僕がこの食堂で唯一、名前を覚えている給仕係だ。


 僕も微笑み、挨拶を返す。

「こんばんは」


 あれ以来、食堂で顔を合わせると、挨拶を交わす仲になっていた。

 でも、関係としてはそれだけだ。会話のようなことは、したことがない。


「ステファン!」

 今度は男の声で、名を呼ばれ振り返ると、テーブル二つほど向こうで、フィリップ王子が手招きしていた。

「話がある、こっちに来いよ」


 僕は了承を伝えるため会釈を返すと、セシルに向き直ったが、彼女は驚いた顔をして、フィリップ王子と僕を見比べていた。


「ステファン――って、もしかして、ルージュリー宰相殿のご長男の、ステファン様?」


 僕はそこそこ有名人ではあるが、写真が出回っているわけではない。有名とは言っても、貴族とその関係者の間だけの話だ。


 彼女のそういう反応をみると、今まで気づいてはいなかったようだ。それでいて、フィリップ王子の呼び方、そしてファーストネームだけで僕の素性に気付くというのも――


「大変失礼いたしました。まさか宰相殿のご子息とは思わず、大変不躾な態度を」

 セシルが深々と頭を下げる。


 僕は慌てて手を振って、

「いえ、そのような……謝罪には及びません、わたくし自身は、ただの学生です」

「そんな……ルージュリー伯爵家の後継ぎ様ということになりますし」

「そのようなこと……気にしてはいませんから。お顔をお上げ下さい」


 ようやくセシルが顔を上げてくれ、僕のほうがほっとする。

「その……わたくしのような立場の者にも丁寧に接してくださったので、てっきりもっと身分の……高くないお方なのか、と」


 セシルの言葉に、僕は顔には出さないが、忸怩たる思いだ。

 身分の高い貴族は、そうでない者をぞんざいに扱うのが普通だ、と言われているのと同じだ。

 もちろん僕が知る限り、皆が皆そうではないのだが――僕が頭に浮かべたのは、もちろん、上級貴族の悪いところの権化、ヴィルジニー嬢だ。


「セシルさん、どうかわたくしには、これまでと変わらず接していただきたい。貴女あなたと言葉をかわすのはとても快いもので、不躾だと思ったことなど一度もありません」


 僕が言うと、セシルは頷き、微笑んだ。


「ありがとうございます、ステファン様」



 フィリップ王子と一緒だったのは、彼の取り巻き――王族に近しい有力貴族家の子弟たちだ。僕も含めてお互いに幼少期からの知り合いで、一緒に遊んだ経験も多い。友人、と呼んで差し支えない間柄だ。


 もっともその友人関係は、友情よりもやはり政治的なものが強く結びつけている性質のものなのだが。


 彼らがいる、ということは――僕は勧められた席に腰を下ろしながら、思う。

 フィリップ王子が僕としたい話、というのは、彼らにも聞かせたい話、ということだ。


 もしも聞かれたくない話なら、僕の部屋に来るか、自分の部屋に呼びつければいい。

 そうしないのは、つまりはそういうことだ。



 しばし当たり障りのない雑談をした後、フィリップ王子が僕に向かって口を開いた。

「ヴィルジニーと会ったのでね、ヴィルジニーの社交場ヴィルジニーズ・サロンについて、話をしたよ」


「ヴィルジニーズ・サロン?」

 僕は思わず、怪訝な顔をしてしまう。


「知らないのかい? ヴィルジニーは、キミのことも言っていたが」

「いえ……そのように呼ばれているとは、知らなかったので」


 フィリップ王子は微笑んだ。


「評判は、ボクの耳にも届いている。学園の行き届かないところをフォローしてくれるとは、ヴィルジニーは本当に素晴らしいことをはじめてくれた」


 あれから数日、ヴィルジニーの課外活動は、順調に参加者を増やしていた。


 最初、講師役を買ってくれたデジール家のメイド、シモーヌだったが、礼儀作法の指導者としてずいぶんと良くやってくれたばかりではなく、生徒である令嬢自身を指導役にすることも提案してくれたのだ。ヴィルジニーの取り巻きの御令嬢は、上級の貴族ということもあって、貴族令嬢に必要な作法をほぼ完璧に習得している。シモーヌはおだて上手で、誘われた令嬢は快く講師役を引き受けてくれた。結果的に、最初に目論んだ通りの形になりつつあった。このあたり、ヴィルジニーから話を聞いたシモーヌが、上手くやってくれたということだろう。


 講師役が増えたことで、立ち居振る舞いからはじまった礼儀作法教室も、お茶の作法やダンスなどにまで広がりつつあった。

 分野の充実は、参加希望者を更に増やすことになる。


 現在では多くの生徒たちのあいだで、この課外活動が知られるようになっていたのだ――ヴィルジニーの社交場ヴィルジニーズ・サロンなどという呼ばれ方をしているとは、知らなかったけど。


 王子は、意味ありげな視線を僕に向けた。


「それで、彼女に礼を伝えたのだがね。その時、キミのことを言っていた。だいぶ世話になったと」


「えっ? ヴィルジニー様が……わたくしのことを?」

 思わず目を見開いてしまった僕に、王子は頷く。

「うん。ボクからも礼を言わせてもらおう。ありがとう、ステファン」


「いえ――過分なお言葉……わたくしはただ、最初にほんの少し、お手伝いさせていただいただけです」


 頭を下げた僕の返事に、フィリップ王子は訳知り顔に笑みを浮かべる。


「あのヴィルジニーがね、自分だけでなし得たことではない、などと言うんだ。随分と殊勝なことを言うようになったものだ」


 僕は先程から王子が口にする言葉を、にわかには信じられない。

 他者を持ち上げるようなことをする人間ではないのだ、ヴィルジニーは。

 手柄はすべて独り占め――彼女ならそう考えて当然だったし、正直、僕もそれで構わないと思っていたのだ。

 きっと……王子に礼を言われ、半ばパニック状態で、謙遜のようなことをしようとしたのだろう。


 柄にもないことをしないでほしい。ビックリしてこちらがパニックになってしまう。



「ヴィルジニー様は大変お変わりになられましたな」

 そう言ったのは、同席していた侯爵家の次男、シルヴァン・ドゥブレーだった。

「以前のあの方からはとても考えられません、下々の者のために勉強会を開く、など……あっ、いえ――貴族の義務に目覚められた、大変喜ばしいことだと思っております」


 自分が王子の婚約者を貶めてしまっていると、途中で気づいたようだ。取り繕うように言ったが、当の王子は気にした様子もなく僕に視線を戻した。


「ヴィルジニーのいい変化は、ステファン、キミのおかげだ」


 僕は頭を横に振る。

「滅相もありません。ヴィルジニー様には……」


 彼女にはそういう資質が本来備わっていたのだ――というようなことを言おうと思ったのだが、本当は、ないのだ。彼女の行動は、下々の者のため、などではない。それを知っている、思い出した僕は、お世辞でも言えなくなってしまう。



 代わりに、僕は言った。

「フィリップ王子、お伝えしたいことがあります。この件について、人知れず尽力してくれた者がいます」


 王子が周囲の人間に聞かせたかったのが今の話なら、このタイミングで言うのがきっと正解だと、僕は思ったのだ。


「ほう」

 王子は面白そうに目を細める。

「誰だい?」


「はい。ヴュイヤール男爵家の長男、リオネルです」


「リオネルか」

 名を繰り返した王子は、納得顔で頷いた。

「知らせてくれてありがとう、ステファン」


 王子にもう一度、頭を下げた僕は、視線を感じ顔を上げる。

 侯爵家の次男がさり気なく目をそらすのが、目に入った。

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