20. 課外活動

 つまりは、前世の放課後課外活動、部活動にヒントを得た――というか、真似たのだ。


 従来、この王立学園には、一日のカリキュラム終了後に、生徒が自主的に行う活動、前世の部活動に相当するものが、なかった。


 しかし、同じタイミングそこ空き時間ブランクはあるのだ。


「その時間に、ヴィルジニー様が主催する礼儀作法マナー教室を開きましょう」


 言ってから、僕は首を横に振る。


「いえ、なにもマナーに限定する必要はありません。支援を必要とする御令嬢方に対する講習会――いえ、勉強会でしょうか。そのようにすればいいのです。心得がある方が講師をする。ヴィルジニー様は、言い出しっぺ――提唱者、兼取りまとめ役ということで」


 ヴィルジニーは、怪訝な顔を変えなかった。


「そのようなことで……本当にフィリップ王子は、わたくしを褒めてくださるのですか?」


 完璧な作戦だ、と悦に入っていた僕は、その言葉に脱力しそうになる。


 わかってはいたが――マジで自分のことしか頭にないんだなこのコ。


「放課後に使える空き教室かどこか、使えないか学校管理に相談してみます。ヴィルジニー様はとりあえず、マナーを教えられそうなお友達にお声がけ下さい」

「えっ? なんと言えばいいんです?」

「そこは、ほら……教えるのが上手そうな貴女あなたなら、わたくしよりずっと適任ですよ、とかなんとか」


 ヴィルジニーは僕を上目使いで睨みつける。

わたくしより?」

「ヴィルジニー様が教える役やりますか?」


 僕は肩をすくめてみせる。


「キャラじゃないでしょ」

「キャラ?」

「自分が不得手なことは、得意なひとに任せる。そういうのが、上に立つ者に必要な資質ですよ」


 そう言うと、ヴィルジニーは顎に手を当て、俯き、なにやら考え込むようにした。



 空き教室の使用許可は簡単に降りた。

 前例がないことではあったが、おそらくは申し出た僕の立場、宰相の息子という肩書きが効いたのだとは思う。そういう人物が悪用するとは思われなかったのだ。


 あてがわれたのは、学生寮に最も近い校舎の一階にある、小さな講堂だった。天井が高く、床は丈夫でフラット。ダンスの練習にも使えそうだった。

 立地的にも、学生寮に向かう通路の途中にあり、窓を開けていれば、行き交う生徒の目につきやすい。宣伝効果も期待できそうだ。


 その日、まず集まったのは、ヴィルジニーと取り巻きの御令嬢方、そしてメイドの格好をした、生徒たちよりも年上、妙齢の女性だった。


「それで、ヴィルジニー様。講師役をお願いしたのは、どの方でいらっしゃいますか?」

 僕が聞くと、ヴィルジニーは、そのメイドを指し示した。

 応じて、彼女は丁寧に頭を下げる。


「デジール家のメイド、シモールです。いつもはわたくしの世話に通ってもらっているのですが」


 王立学園の生徒は、一部の例外を除き、学生寮では一人暮らしだ。

 しかし貴族の御令嬢は、身の回りのことを自分一人で行うのは、事実上不可能だし、無意味だ。

 そのため朝夕、家に仕えるメイド、召使いが通って、身の回りの世話をしてもらっている、というわけだ。

 この作戦は、実家が王都近辺にあるか、もしくは人員を確保できる裕福な地方貴族にしか選択できず、そうでない令嬢たちとのさらなる格差を生む原因にもなっていたりするらしい。状況の厳しい貴族たちは、協力して学園そばに使用人を住ませるを共同で持っていて、派遣したメイドをそこに住ませて娘らの世話をさせる、というようなこともしているとか。


 なお男子生徒にも一部、同じような体制で学校生活を送っている者もいる。だが多くの男子は、この機会を利用して、独力で身の回りのことをする力を養うのである。

 そういうおかげだろう、自立した男が多いのが、この世界の貴族の特徴だ。


 まあとにかく、つまりは彼女、シモールが、毎朝ヴィルジニーの完璧な金髪マーメイドウェーブを作っている、というわけだ。


 しかし……そうか、なるほど。


 僕はヴィルジニーの意図を察し、頷く。


 シモールはその年の頃、そして公爵家に奉公し、しかもヴィルジニーの世話をしているということから間違いなく、貴族の令嬢だ。嫁入り前の貴族令嬢が、より高位の貴族家に、行儀見習いの一環として奉公する慣習がある。そして貴族女性はやはり伝統的に、侍女レディーズ・メイドを良家の出身者から選ぶ。実家は子爵家とか男爵家とか、そのあたりだろう。上級の貴族に仕えるために、礼儀作法は厳しくしつけられているはずだし、なんだったらヴィルジニーにそれらを教えたのも、彼女かもしれない。


「さすがはヴィルジニー様。素晴らしい人選です」

 僕が一応、褒めておくと、ヴィルジニーは自慢げに顎をそらしたりしていたが、しかし高慢な彼女のことだから――“お友達”に頼みごとをしにくかったとか、その当たりが真の理由なのではないだろうか。


 そのころになって、セリーズが到着する。引き連れているのは五人の御令嬢。その表情にはまだ戸惑いの色が見えるが……どうやら彼女たちが、今日の生徒たち、ということのようだ。

 一回目にしては、まずまずの人数なのではないだろうか。


 さて。僕の役目は終わりだ。

 貴族令嬢が増え、香水の香りもキツい。この辺で退散しよう。


 こっそり立ち去ろうとした僕だったが、そういえば、と思い出し、かしましく会話を始めた御令嬢方の輪からセリーズを見つけ出すと、手招きする。

 気づいた彼女は首を傾げたが、輪を離れて、僕がいる壁際まで来てくれた。


「わたしに御用でしょうか、ルージュリー様」


 セリーズは、貴族令嬢たちに受け入れられたからか、最初の頃よりずいぶんと堂々として、明るく見えた。整った容貌かおを優しく微笑ませこちらを見上げてくる姿は、やはり可愛らしい。さすがはこの世界ゲームの主人公、と言ったところか。


「セリーズ殿――いや、セリーズ……さん」

 先日のやりとりを思い出し、言い直すと、彼女は嬉しそうに微笑む。


 いちいち強力な引力の笑顔を放ってくるセリーズ。無防備であったら絶対に好きになっていた、そういう自信がある。

 でも、僕には心に決めた人がいるのだ。いくら美少女の眩しい笑顔でも、簡単になびいたりはしないのだ。


「まずはこれを」

 なんとか無表情を貫いた僕は、ポケットから手帳を取り出し、彼女に差し出す。


 受け取った彼女はそれを見て首を傾げ、不思議そうに僕を見上げた。

「わたしの手帳――どうしてこれを、ルージュリー様が?」

「ああ……ヴィルジニー様が、わたくしのところに忘れていかれましてね」


 不思議そうな顔が、怪訝な表情になる。


「ヴィルジニー様が……ルージュリー様のお部屋に?」


 セリーズのつぶやき。

 僕は関係の誤解を避けるために訂正すべきか、と一瞬、悩む。

 しかしセリーズの攻略対象(の一人)は、僕。その僕と別の女性との関係を勘違いしてくれる分には、僕がターゲットから外れるという効果を期待できる。訂正の必要はないだろう。


 それに、僕がヴィルジニーのことを狙っているのは、事実なのだし。


 つぶやきを無視する形になった僕は、もう一つのモノをポケットから取り出す。

「それから、これを」


 新しい手帳だ。

 受け取ったセリーズは、それを見てやはり不思議そうに首を傾げた。


「あの……これは?」

「そっちの手帳、どうも未使用下ろしたてのようでしたから」


 二十世紀並の製紙技術があるとはいえ、真っ白な紙を消耗品的に消費できるのは、やはり貴族に限られる。庶民であるセリーズにとっては、この手の文房具であっても、かなり負担になるはずだ。奨学金があるとは言っても、資金が無限にあるわけではない。

 未使用だった手帳。おそらくはヴィルジニーに協力するにあたり、ストックしてあった新品の手帳を使ったのだ。


 不純な動機の計画に巻き込んでしまった、その補填だ。幸いにも僕にとっては、手帳の一冊ぐらいはどうということはない。持ち物にあった予備の中で、女性が使ってもおかしくない装丁のものを選んで持ってきただけだ。


「勉強熱心な貴女あなたには、帳面の類はいくらあっても足りないでしょう。どうぞお使い下さい」


 目を丸くしたセリーズは、手帳、そして僕の顔を何度か見比べた。


「これを……よっ、よろしいのですか?」


 僕が頷いてみせると、セリーズは満面の笑みを浮かべ、僕が渡した手帳を抱きしめた。


「ありがとうございます!」


 お辞儀をして礼を言ったセリーズが上げた顔は、頬がかすかに赤らんでいるようで、僕はそれを見て、自分がしてしまったかもしれないことに気付く。


 これ、僕の方はただの補填のつもりだったけど、端から見たら、まるで気のある女性へのプレゼントみたい――?


「セリーズ! 何をしているのです!」


 ヴィルジニーの声に、振り返ると、彼女は機嫌を損ねたような顔をこちらに向けている。


「これは貴女のために行うことでもあるのです――早くこちらにいらっしゃい!」

「は、はい! ただいま!」


 セリーズは僕に向かってもう一度頭を下げると、仲間たちのところに駆け戻る。


淑女レディは走ってはいけません」

 などとセリーズが叱られているのを尻目に、僕は今度こそ退室する。


 それにしても、と僕は思う。


 ヴィルジニーは、セリーズのことを名前で呼び捨てにするようになったんだな。

 僕だってまだなのに。まったく羨ましい。

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