19. 事の真相
ヴィルジニー・デジールが貴族の義務に目覚めた、という噂は、ほどなく、僕の耳にも届いた。
さすがはリオネル。取り掛かりも早いし、伝わり方も驚くほど早かった。
もっとも、僕に聞こえるところで話した貴族の子息は、眉唾ものの噂に過ぎない、と受け止めているようだったが。
すべての生徒に信じてもらう必要はなかった。
目的は、ヴィルジニーの次の一手、その材料を収集するためだけのものだ。
特に、身分の高い貴族の子弟に信じてもらう必要はない。
ヴィルジニーが僕の部屋を訪れたのは、更に二日ほど後のこと。
ノックの音に扉を開けてやると、不機嫌な顔のヴィルジニーは黙って部屋に入ってきて、何も言わずに僕の椅子に腰掛けた。
僕はこのために用意していた小さな椅子を壁際から引っ張ってくると、ヴィルジニーと向い合わせになるように座る。
「順調のようですね」
「皮肉ですか?」
僕は素直な気持ちで言ったのだが、ヴィルジニーに睨まれ、怯む。
「それで……どうです? 面白いお話が聞けましたか?」
「面白い? 下々の者の悩みが、面白いわけがないでしょう」
「……この場合は、興味深い、という意味の方で受け取っていただきたく」
ヴィルジニーはうんざりしたように両手を広げた。
「興味など。下々の者の悩みなど、どれもくだらないものばかりでしたわ」
そう言って、ヴィルジニーは持参していた手帳のようなものを差し出してくるので、僕は受け取り、彼女の表情を確認してから、それを開いた。
前世の記憶を思い出すまで気にも留めなかったが、それにしてもこの世界の文明レベルはめちゃくちゃだ。所謂中世ファンタジーに属する世界観だろうが、僕が手にしている真っ白な紙、これほどの品質のものを大量生産できるような製紙技術は、おそらく前世の二十世紀レベルだろう。他にも透明度の高い窓ガラスなど、ツッコミどころは満載だ。
世界への疑問は、とりあえず置いといて。
僕はその紙に書かれた、几帳面な字を見る。意外にも、誰かの悩みと思われるものがびっしりと記されていた。
僕は、驚く。
「これを……ヴィルジニー様が、ご自分で聞いてまわり、まとめられたのですか?」
僕の質問を、公爵令嬢は鼻で笑った。
「ハッ、まさか」
そして、僕が広げていた手帳を顎で示し、
「
いや、まあ、ヴィルジニーの字など知らないのだけれど。
彼女の話をまとめると、こうだ。
そもそもヴィルジニーには、僕の“提案”を実行するつもりはさらさらなかった(ふざけんな!)。
ところでヴィルジニーは、学内ではだいたいいつも、取り巻きの令嬢たちと一緒だ。彼女たちは、新参の特待生、セリーズに気を使ってか、もしくは彼女を生贄にしているのか、とにかくセリーズがいるときはいつも、ヴィルジニーのそばのポジションを彼女にあてがっているらしい。
ヴィルジニーとしては庶民の娘とことさらに仲良くしたくはないのだが、王子に褒められた一件を思い出すと、邪険にするわけにもいかない。
一方のセリーズはなぜか相当ヴィルジニーのことを気に入っている様子で、いつも機嫌よく付き従っているようだ。
そういうわけで、必然的に一緒にいる時間が長くなる二人。そこでヴィルジニーはなんとなしに僕の言葉を思い出し、セリーズに訊ねたそうだ。
「ところで
ヴィルジニーがその言葉を発した時の周囲の反応は、想像するしかない。
しかし、きっと衝撃が走ったことであっただろう。
なにせ、あのヴィルジニー・デジールが、他者を慮るような発言をしたのだ。
それに対し、セリーズは戸惑い気味に問いを返した。
「あの……それは、どういう……?」
「どう、ということはないのですが」
ヴィルジニーはこのとき、面倒なことを口走ってしまった、と思ったのだが、仕方がないので、僕と話したことをだいたい言ったそうだ。
「貴族ばかりのこの学校では、どうしても貴族のやり方で物事が進められてしまいます。そういうことに不慣れな方のお気持ちは、育ちが高貴な
それを聞いたセリーズは、喜色満面、といった顔を浮かべたそうだ。
「それは素晴らしいですね! 悩み、ですか……そうだ! そういうことであれば、わたしが学園生活で困りごとがある皆さんの悩みを聞いて、集めてきましょう!」
リオネルが僕に話してくれた、ヴィルジニーが身分の低い者の困りごとを聞いて回っているという話の、
これが、真相だ。
ヴィルジニーが、僕に言われたことを、速やかに進めたわけではなかった。
彼女がなんとなしに口にしたことに、気を回したセリーズが、暴走気味に行動してくれたというわけだ。
セリーズが情報収集の過程でヴィルジニーのことを口にしたなら、その行動がヴィルジニーの意思で、セリーズはその意を組んで協力しているのだ、と生徒たちは思っただろう。
セリーズはおそらく、ヴィルジニーが自分にしてくれたように、困っている生徒を手助けするつもりだ、などと受け止めたのだ。
結果オーライ……というか、おかげで目的は果たせたわけだが――
僕は手帳、それからヴィルジニーの顔を見比べる。
そうするとこの手帳に書き込んだのはセリーズ……というか、手帳そのものがセリーズのものだろう。まったくこのお方は、どの面下げてコレをココに持ってきたのか――
「何を見ているのです?」
「いえ、別に」
ヴィルジニーの僕を睨みつける視線は鋭かったが、いま彼女が僕しか見ていないと思うとむしろ心地良い。
僕はもう一度手帳を一瞥すると、顔を上げて言った。
「それで、これをお読みになって、どう思いました? なにか、気になったこととか」
ヴィルジニーは両肘を抱えるとそっぽを向いた。
「そのようなもの、ありません」
「えっ? いやそれは――」
「というか、読んでません。最初のページを見ただけで、うんざりしましたので」
マジかよ最悪だなこの女。そういう美しい顔をしてなかったら僕もどうしてたかわからんぞ。
「だいたい、貴族に相応しい礼儀作法に自信がない、などと……そのようなこと、進学してくる前に、各々が当然、身につけてくるべきことです」
ヴィルジニーがぼやきのように言った独り言を聞いて、僕は手帳の一番最初のページを開く。
彼女がだいたい、今言ったようなことが書かれていた。
なるほど、庶民であるセリーズ、新参の貴族の子女たちには、貴族の伝統的な作法などは確かに苦手分野であろう。
学校の授業でも、マナーに関するものはあるが、担当講師は男子生徒からは偏屈ババア呼ばわりされてる年配の女性で、やはり生まれは高貴な出らしく、初歩的なことは貴族として身につけていて当然、という態度だった。授業で質問できる雰囲気ではなく、かといってできなければ叱責される、となれば、学校生活のストレスになるだろう。
「これで行きましょう」
手帳を閉じてそう言った僕を、ヴィルジニーは怪訝な顔で見た。
「は?」
僕は蔑むような目にも怯まず、手帳を指差した。
「礼儀作法ですよ。得意分野でしょ?」
「得意、というか、身につけていて当然、というようなものですが――それを、どうする、と?」
「もちろん、教えるんですよ」
「…………誰に?」
「自信がないって悩んでる人たちにでしょ」
わざとやってるんじゃないのかなこのヒト。
ヴィルジニーは、面白くもない冗談を聞いた、という顔をした。
「冗談はおよしになって」
「冗談ではありませんよ」
僕がうんざりを隠して真剣に言うと、ヴィルジニーは椅子の上で体を横向きにすると、これみよがしに脚を組んだ。
「この
まったく、困ったお人だよ。
僕は、組まれたことで顕になったヴィルジニーのつるりとした膝を眺めて気を落ち着かせようとした。
そのふくらはぎへの美しいラインを視線でなぞっていると、思いついた。
確かに、誰かにモノを教える、というのは、彼女には向いていなさそうだ。
「では、教える部分については、そういうのが得意な方にお願いしましょう」
ヴィルジニーはこちらに向けた顔を傾けた。
「そのような人物、どこにいるというのです」
「いるでしょ、
取り巻き、という言葉に僕への視線を一瞬、鋭くしたヴィルジニーだったが、ふと、なにかを思いついたように頷いた。
「そういえば……心当たりが、なくはないです」
「では、その方にお願いしてください。場所は――そうですね、
ヴィルジニーは眉をひそめ、それから眉間の皺を気にする、という最近お約束になってしまった動作をしてから、訝しげな目で僕を見て、言った。
「いったい、なにをしようというのです?」
僕はこともなげに言った。
「部活動――いえ、課外活動ですよ」
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