5. 友人の懸念
「残念だったね、ステファン」
式典が終わり、新入生たちは、割り当てられた寮へと入った。
王立学園は、寄宿制学校だ。生徒たちは皆、学内に設置された寮に住むことになる。寮は学内に、男子生徒用、女子生徒用それぞれあるが、基本的に部屋は希望できない。
学業のみならず心身共に修養し、規則、礼儀、自立心、コミュニケーション能力を養成する、というのが全寮制のタテマエだが、実際には――前世の記憶を思い出した今なら、これがゲーム的に、イベントを発生させやすくするための舞台装置なのだ、とわかる。
割り当てられた部屋は建物の二階、日当たりの良い角部屋で、僕は風通しのために窓と入り口の戸を開けて、すでに届けられていた荷物をどこから片付けようか、と考えていたところだった。
振り返ると声の主は、その開かれた扉に身体を預けるようにして立っていた。
とても美しい男性だ。わずかに目元にかかる長さのプラチナブロンド。長身で、同性であってもビックリするほどに足が長い。真新しい制服に包まれているのに、その身体はよく鍛えられていることがわかる。理知的な光を放つ薄茶色の瞳。その甘いマスクに微笑みかけられ、卒倒した令嬢すらいたとか。
「残念? なにがです?」
そう訊ねたが、相手はすぐには答えず、そのまま部屋の中に入ってきた。それから、室内を見回すようにする。
「ボクもこういう、こじんまりした部屋がよかったな」
「なんだったら、交代します?」
もちろん冗談だ。
生徒同士の部屋の交換は決して禁じられてはいない。が、よりによって“彼”と部屋を交換することは、ありえない。
僕の冗談に、彼――フィリップ・ド・アレオン王子は微笑んだ。
この学内では多くの場合、貴族がその身分とは関係なく、学生として平等に扱われがちではあるが、それでも、王族だけはさすがに違う。
この国、アレオン王国の第三王子、すなわち王位継承順位第三位であるフィリップ王子は、王族専用の部屋を割り当てられているはずだ。その口ぶりだと、きっとここよりずっと広いし、もしかしたら“お付の者”用に複数の部屋もあるかもしれない。
「新入生の挨拶だよ」
王子は、やっと質問に答えてくれた。
「本来だったら、壇上で挨拶するのはキミの役目だったはずだ」
僕は首を横に振る。
「行われたことが、本来、ですよ」
いや、本来であれば、新入生の挨拶は、王族であるフィリップ王子の役割になるはずだった。
王族ゆえ、英才教育が施されたフィリップ王子は、その学業成績も飛び抜けて良い。おまけに国家元首にして、王立学園の最高責任者である国王の息子だ。そういう人物がいれば、新入生代表となるのは、ごく自然だ。
僕と王子は、縁があって幼い頃から成績を比べあってきたから、王子は僕が、王子と同じか、もしかしたら少し上回るぐらいの得点ができたはずだと思ったのだろう。
僕の成績もまた英才教育の賜物……と思っていたが、前世の記憶を明確に取り戻した今となっては、違うかもしれないと思う。キャラクターの設定として、勉学に秀でているというのもあったとは思うが、それ以上に、文明的に近世から近代程度であるこの世界の王立学園の入学試験は、前世の高校生レベルの学力があれば、簡単なのだ。
これまでの勉学においても、内容を簡単に理解できたのも、そのせいだろう。理解どころか、おそらく知っていたのだ。
「挨拶したのは“彼女”。つまり彼女が首席だった、そうでしょ?」
「入学試験の成績は、合格者分については、明示されていない。例外は“彼女”だけだ」
「だったら、挨拶するのは殿下だったのかも」
「……そうだな」
僕の指摘を、フィリップ王子は案外すんなり受け入れた。
彼は窓の向こう、遠くを見るようにしている。
「新入生代表を“彼女”にさせたのは、陛下の意向かもしれない」
王子のつぶやきに、そういうことはあるかもしれない、と僕も思う。
セリーズが入学試験で高得点を収めたことは間違いないだろうが、本当に一番だったかはわからない――王子はそう言ってるのだ。
高得点だったことを利用して、一番だったということにした、そういう可能性は、あるように思えた。
彼女――セリーズ・サンチュロンは、国王が考える未来、その担い手の役割を要求されているのかもしれない。そのことをはっきりと示すため、入学式のような目立つ場面で、彼女を担ぎ上げたのだ。
「王国の未来にとって、彼女は重要です」
僕が言うと、王子はようやく、視線をこちらに戻した。
「そう言い切る。根拠は?」
ゲームとして設定を知っているから――とは言えないので、その設定を、僕は口にする。
「国王陛下は、広く国中から、身分を問わず、優秀な者を集め、高等教育を施したいと考えておられます」
ここまでは設定だし、また制度の趣旨からして明らかでもある。
「ですが、教育を受けさせて終わり、ではないでしょう。その上で真に能力を示した者を、重用するお考えなのではないでしょうか」
前世の記憶を取り戻した今の僕にとっては、そのような考えは、驚くに値しない。
だが現世の価値観では、貴族以外の者が、国と政治に関わる仕事に就くということは、考えつきもしないだろう。国を治め、国民を導く、それが貴族の仕事、役割である、そういう価値観が当たり前の世界なのだ。
それを庶民がすれば、貴族の存在価値は、なくなる。
だから貴族、それも中間的な役割を果たしている貴族には、そのような想像はできないか、できたとしても、認められない。
フィリップ王子は驚いた顔を見せたが、僕の発言内容に驚いたわけではなかった。
「そのようなことを、陛下から仄めかされたよ。なるほど、流石だな。お父上と話を?」
「父とはしばらく会っておりません」
少し考える素振りを見せた王子は、今更ながら開け放たれたままの扉に気づいた。外を覗き、誰もいないことを確認したのだろう、それから扉を閉めた。
「キミはどう思う、“彼女”のこと」
王子の質問は抽象的だったが、彼だって具体的に何が聞きたいのか、わかってはいないのだろうと思った。
「姿を見ただけですし、まだなんとも。挨拶は堂々とやっていましたね」
「うん」
そこで僕は思いついたことがあって、この状況と話の流れなら使えると思い、口を開いた。
「そういえば、“彼女”本人のことではないのですが、少し、気になることが」
王子は続きを許すように頷いたので、僕は続ける。
「今朝、登校してきたセリーズ嬢に、絡んでいる御令嬢がいらっしゃいましてね」
それだけで、王子は誰のことか察したようだった。苦笑を浮かべ、続きを促す。
「幸いにもその場は
僕はそこで言葉を切って、王子をまっすぐに見た。
「殿下の婚約者であられますからね、ヴィルジニー・デジール嬢は」
そう、悪役令嬢ヴィルジニーが、高慢かつ勝手気ままに振る舞う理由は、彼女が公爵令嬢だからというだけではない。
彼女は第三王子フィリップの婚約者、つまり、将来の王族なのだ。
彼女にとって僕は、今の段階であっても、自分より身分の低い者であるし、仮にもし僕が周囲の期待通り宰相になっても、やはり彼女の家に仕える者になる。そういう意識があって、彼女は僕に執拗に「筋合いはない」等というのだ。
ヴィルジニーははっきり言って、王子の妻の器ではない。
それはおそらく、彼女を知る国中の人間が認めるところだ。高慢で我儘で残酷で、他人を平気で虐げる非道な女だ。
そして同時に、国中の誰もが疑問に思っている。聡明と名高い第三王子が、なぜあのような女を婚約者としているのか、と。
王子の婚約者、という肩書を手に入れ、彼女の傍若無人さは、更に酷くなってしまった。それもそのはず、フィリップ王子は、現国王にいる三人の王子の中で、もっとも優秀、かつ、もっとも眉目秀麗と言われ、その高い能力から、末弟ながら、次期国王に最も近い人物と噂されていた。
国中の令嬢から羨望の眼差しを向けられる、名実ともに本物の王子様なのだ。
そういう人物であるから、その妻の座に収まりたいと思う令嬢は、無数にいた。
なにせうまく行けば、将来は王妃になるのだ。
貴族令嬢たちのアプローチはものすごく、社交界で見せる彼女たちの形振り構わない様は、女性への幻想をことごとく打ち砕いてくれたものだ。
よりどりみどりであったはず、にも関わらず、当のフィリップ王子が婚約者に選んだのは、悪役令嬢ヴィルジニー・デジールだった。
選ばれたヴィルジニーは、国中の令嬢たちの頂点に立った、と勘違いし浮かれ、その高慢で自己中心的な態度に更に拍車がかかることになった――というわけだ。
「ヴィルジニーのことを、気にしてくれているんだね」
王子はそう言った。
「キミのような人物がそばにいてくれて心強いよ」
僕は王子のためにヴィルジニーのことを気にしているわけではなかったが……その場では頷いた。
「いえ……彼女の立場が悪くなることは、ひいては殿下のお立場を悪くしかねませんので」
王子は友人だし、ヴィルジニーは、その婚約者なのだから。
「しかし、ヴィルジニーは、僕が言っても聞かないからね」
王子、そしてヴィルジニーとの付き合いはまあまあ長い。同世代の上級貴族同士であるため、物心着いたときにはすでに顔見知りだった。
それなのに、フィリップ王子とヴィルジニーが個人的に話をしているところなど、一度も見たことがなかった。
フィリップ王子が、ヴィルジニーの振る舞いを諭すところなど、想像もつかなかった。
「セリーズ嬢のことが、ある程度は、貴族たちの反感を買うであろうことは、わかっていた」
僕は同意を示すために頷く。
「だが理解してくれている通り、彼女は国王の政策にとって重要だ。彼女が学園内で居場所をなくし、学業に専念できないとか、もっと悪く、退学するようなことがあれば、元の木阿弥だ。
ヴィルジニーは、同じような価値観を持つ貴族令嬢たちへの影響力が大きい。彼女が率先してセリーズ嬢をいじめるようなことがあれば、女子生徒全体――ひいては学校中が、セリーズ嬢を排除しようという雰囲気になりかねない」
王子はこれまで、父でもある現国王の政策に、反対するようなことを言ったことは一度もなかった。王族の一員として、国王のやることを全面的に支持する、というスタンスを、国民にはっきりわかるように示してきた。
だから王子は、国王肝いりの特待生が、この学園で滞りなく過ごすことを望んでいると言っているのだ。国王とは
かといって、王子が直接的にそのようにすれば、依怙贔屓と思われかねない。
すでに彼女には、国王から資金的な援助すらなされているのだ。
これでわかった。
入学式、セリーズ嬢が新入生代表として壇上に上がったときの、生徒たちの雰囲気に、王子は懸念を抱き、今後のことを心配して、さっそく友人である僕のところに来たのだ。
「考えがあります、フィリップ王子」
僕は、忠臣を装い、言った。
「婚約者殿と、特待生、双方の心配事を解決――とまでは行けるかわかりませんが、いいところに軟着陸させられると思います。殿下のお許しをいただければ、
フィリップ王子は驚いたように目を見開いた。
「なに……ヴィルジニーも?」
僕は頷く――正直に言えば、僕の目当ては
まあ、ゲームの主人公であるセリーズの動向は、知っておきたいところでもある。彼女の行動がどういう結果を招くのか、あいにくゲームをプレイしていない僕には見通せないが、前世の記憶、そして現世で身につけた知識と能力があれば、対処は可能だろう、おそらく。
「はい。彼女には“適切なアドバイス”をいたしましょう」
王子は少し考える素振りを見せ、それから言った。
「よし、任せる。頼むぞステファン」
「はい。ご期待に添えられますよう尽力いたします」
頭を下げた僕は――
その瞬間、王子が不敵な笑みを浮かべたように見えた。
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