第8話 有翼民の村落地理学

ハンターのアイスアックスを、何故アレスさんは持っていたのか。

「すまない。隠す様な真似をして、疑ったりして。」

「そんな、頭をあげて下さい。この状況で疑うのは当然です。それより、詳しい事を教えて下さい」

アレスは妻エレンの見守る部屋の中で、淡々と喋り出した。


僕らが雪崩に巻き込まれる数日前には、現地人のレオとフレディから情報が入り、4人のヒューマンが村に向かい山を登っていると報告があったそうだ。さらにアレスの説明は続く

「そこで俺たちは先遣隊を組織し、空から水を落とし、故意的にブリザードを発生させた。」

まさか、あのブリザードを故意に起こせたとは驚きだった。さらに、驚きだったのは、雪崩も彼らが起こしたという事だ。

「でも、それなら、何故に僕を救ってくれたんですか。」

「レオが雪崩の夜に来たんだ。君だけは見逃して欲しいと。現地人は俺たちより昔からこの地に住み、俺たちに土地を譲ってくれた、言わば恩人の様な存在だ。でも、それは雪崩起こした後の事だった。せめてもと思い、レオを乗せて一夜限りという約束で探したんだ。すると氷壁の隙間に斧が刺さり、その斧から伸びる紐に吊るされる先生がいたんだ。」

「他には、僕の他には見つからなかった?」

「2人。ひょろっとした面長の男と白髪混じりの男。1人は体が紫色に変色し、もう1人は後頭部から血を流していた。どちらも息はなかった。」

ドミニクとオリバーで間違いない。ハンターも、この様子では生存しているとは考え難い。

「ごめんな、先生。黙ってて。俺は先生の仲間を殺し、先生を殺そうとした。」

「謝らないで下さい。状況的に考えて、仕方のない事です。それより、何故教えてくれたのですか。口止め・・・されていたのではないですか。」

「先生はレアンを助けてくれた。それに、一夜を共にして俺たちは家族になった。いや、なりたいと思っている。だから、」

僕は嬉しかった。心の底から嬉しかった。

たった一夜で僕を認め慕ってくれた。

「ありがとうございます。もう、家族を亡くして、かれこれ3年になります。ただ、こんな笑顔のある家庭じゃなかった。アレスさん、家族って温かいんですね。」

「先生、俺の足に捕まっくれ。」

アレスは外に出て羽ばたくと、僕の掲げた手を掴み上昇する。

「先生、苦しくないか。」

「だ、大丈夫です。」

天まで見通せそうな青空を駆け抜ける。

落とされたらなんて不安は、家族というかけがえの無い繋がりの上には皆無だった。それよりも空を駆けるという人智を超えた体験に、心が弾んだ。

空から見下ろす世界は、まるで作り物の様に陳腐に感じる。

「アレスさん、まさか此処って!」

「そうだ、先生が登ってた氷壁の上で間違いない。」

何処か異世界の様に感じてた場所が、急に身近に感じられる。

雲は遥か下の方を泳いでいる。

山の上の有翼民の村、その目と鼻の先には王政都市バビロム。

こんな身近なところで有翼民が暮らしていたとは考えもしなかった。

「先生、改めて聞きたい。俺は先生を家族として招き入れたい。家族になるという事は一生、山の上で暮らすという事だ。」

僕にとって、考えに値しない質問だった。

「無論です。あんな温かい家族の一員となれるなら、僕の方からお願いしたいくらいですよ。」

昔の僕は、家族とは「一緒に暮らすもの」くらいの感覚しか持ち合わせていなかった。それ以上の価値や心理が変わりつつある。どう変わるかはまだ分からないが、アレスさんやエレンさん、レアンの屈託のない笑顔を見てると温かいのだ。


改めて家族の一員となった僕は、有翼民の村について詳しく教わった。

「先生、真ん中に大きな川が流れてるだろ。その真ん中のあそこ。あそこが昨日行ったピチカの共同トイレだ。」

「あの、ピチカって何ですか?」

「あぁ、ピチカは俺たち家族が住んでる地区だ。トイレからもう一つ、川を越えて岩山が見えるだろ、あそこがクロウ地区。んでもってトイレを下流に進むとホーク地区だ。」

何故かトイレを基準に地理の説明をされた。

クロウ地区は岩塩やミード、石材を産出。ホーク地区は稲作、ピチカは狩猟と、生活基盤が異なるが、物々交換によって、互いが助け合い暮らしているそうだ。

その他にも森や温泉、礼拝堂や図書館もあり、全ての地理情報も共同トイレを基点に教え込まれた。何故かトイレを基準に。

川は源流から大きく3つに枝分かれしていて、中央が排水用で左右は生活に使用するための川だという。

では、洗濯はどちらかという判断になるが、アレス曰く、生活用に分類されるのではと曖昧な答えだった。

「そんな、俺たちは服なんて着ないからな。分からん。分からん。」

そう言って、強引に話を終わらせると、ピチカとクロウの間に存在する大きな生活河川に降り立った。

「俺は川下で魚を取るけど、先生はどうする。」

川上には雑木林が生えていて、人気も少なく、洗濯には打って付けだった。

「僕は川上に行きます。」

「おう。でも、そっちは魚が少ないぞ。」

「僕は洗濯に来たんですよ。」

「あぁ、そうだったな。じゃあ行ってくる。」

そう言って、色とりどりの羽根を羽ばたかせ、水面を駆ける様に飛んでいく。

一家を支える大黒柱は逞しく。その大きな背中を眺めて、僕は大きく手を振り見送った。






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