第7話 有翼民の生活様式②
有翼民の朝は早い。薄暗い部屋に陽の光は届かなくとも、彼らは目を覚ます。
柔らかい内羽根がもぞもぞと動き、動くたびに女性特有の優しい香りが、僕の鼻腔をくすぐった。
有翼民は目覚めても、直ぐに起き上がる事はしない。それは、ヒューマンでいう、二度寝に近い行為に思う。
「よう、先生。おはようさん。よく眠れたか。」
「はい、とても暖かくて気づいたら寝てました。」
「まぁ、それは良かったわ。」
「ねっ、先生。今日はどうするの。」
羽根の中で他愛のない話を繰り返す。瑠璃色の瞳と屈託のない笑顔が覗き込む。
(顔が近い。顔が近いよ〜。)
何処からともなく反射して入ってきた光は、薄っすらと室内を照らし、瑠璃色の瞳は光を吸収する様に綺麗に輝いている。
僕は目が合い、邪な感情を押し殺し、赤面した顔を伏せた。覗き込むようにして話を続ける、エレンさんやレアンの言葉に何とか返答を返し、高鳴る鼓動を抑える努力をしていた。
朝の乾燥した冷気が湿り気を持ち出し、草の匂いを運びだす。
「さて、俺は水汲みに行ってくるか。」
「パパ、それは私の仕事だよ。」
「だめだよ、絶対安静なんだから。なっ、先生。」
「そうよ、まだ治ってないのよ。ねっ、先生。」
皆、体を起こしながら、僕の方に目を向ける。
「そうですね。見てみないと何とも言えないですが安静です。ガーゼも張り替えたいですし、診察をしましょうか。」
「わかった、羽根を洗ってくるね。」
レアンはトットットッっとと階段を駆け上がり、「まあまあ。」とか「おやおや」と言った夫婦の微笑を背中に、僕も後に続いて階段を登った。
レアンはリビング奥の水場に顔つけ、首を振るようにして、バチャバチャっと顔を洗い。両方の翼の先を水に浸し、トントントンと湿った翼先を体に打ちつけ、バサバサと羽ばたくとブルブルと身体を震わせ水気を取っていく。
「さっ、先生も先に顔を洗ってくれ。」
僕は両手で水を掬い顔を洗うと、袖で顔を拭った。
僕はレアンを座らせ、ガーゼを固定した髪の毛を解いていく。
奥では夫婦が、バチャバチャ、バチャバチャと烏の行水の如く顔を洗っている。果たして、これは洗顔と言えるのだろうか?
僕は疑問に思いながらも、傷口に目をやる。
「もう、出血は止まってますね。傷口も塞がり始めてます。これなら、3〜4日ガーゼで固定すれば、あらかた完治はしそうですね。」
「ねぇー、先生。お風呂は入れる?」
(そういえば、昨日アレスさんから聞いたな。確か週に2回、共同のお風呂があるとか)
「はい、いいですよ。傷口をあまり濡らさない様にしてくれれば、大丈夫です。」
「やったー。もちろん、先生も行くでしょ。」
「そうですね。もう、ここ何日も湯船に浸かるどころか、体も真面に洗えてなかったから、連れてって貰えると嬉しいですね。」
ガーゼを取り替えながら返答すると、
「わかった。連れてってあげる。」
そう言って、キラキラと笑顔を見せた。
水場の近くの壁から水がチョロチョロと溢れ出し、窪んだ岩に水が満たされていく。
「お待たせ、先生。飯にしよいか。」
「はいはい。もう出来てますよ。」
木のお椀にとろっとした液体。その中に脱穀米や木の実、ナッツ類が入っている。
昨夜も感じたが有翼民の食事風景は美しい。右足でお椀を器用に傾けると、身体を曲げ顔を下す。小さい口で溢す事なく啜り、発達した犬歯で硬い木の実を砕く。お椀の底に残る脱穀米も舌を這う様に使い絡めとっていく。
猫が水を飲むのと似たような光景だが、その
無駄の無い動作は美しい。さらに朝の陽光が窓の隙間から入り、スポットライトの様に当たると、神々しさまで感じさせる。
「先生、大丈夫ですか。」
エレンさんがこちらを覗き込み、にっこりと笑顔を見せて問いかける。
「あっ!はい。朝食も美味しくて、驚いていました。」
確かに見た目は質素だが、お世辞で出た言葉ではなかった。
脱穀米や木の実を液体と一緒に食べるスタイルは、ミルクとシリアルに似ていた。
薄黄色の透明な液体は、花の香りと共にほんのり甘く、ハチミツように口に広がる。硬い木の実は、噛み砕けず飲み込むしかできないが、柔らかい木の実の爽やかな酸味は甘い液体との相性が良く、ナッツや脱穀米も歯触りのアクセントとして的確だった。違和感を感じたのは、ほのかに感じるアルコール、体を温めるというのは理にかなっているが、発酵という文化がある事に少し驚いた。
「良かった。ミード飲めるんだ。これで先生もお風呂行けるね。」
「ん、ミード?どういうこと。」
「ミード飲めない子は、お風呂入っちゃダメなんだよ。ねぇ、ママ。」
「えぇ。まぁ、古いしきたりです。ミードは朝食に出した、クロウ地区の岩山に生息する、キミドリナデシコの花の蜜です。入浴前にも飲むので、それで十分と村長は言ってるのですが、何せ古くからの習慣ですから。」
「いえいえ、とっても美味しかったですし、ミードですか。興味深いですね。」
「それじゃ、先生。私ね、今日ね、岩塩もらいにクロウに行くから一緒に行こう。」
「ごめん。朝も言ったけど、流石に服を洗いたくて、川に行きたいんだ。」
「それなら、パパ、岩鮎を獲りに行くでしょ。一緒に行ったどうかしら。」
「おぉ。さすがママだ。そうしようか。」
「じゃあ。私も川に行く」
「だめよ、あなたは岩塩。収穫祭が近いんだから。」
「そうだぞ。」
「ちぇ〜。」
僕の入る隙がないな。良い家族だ。
「アレスさん、今日もよろしくお願いします。レアンもありがとう。また今度一緒に行こう。」
「もぉ、きっとだよ。」
レアンが剥れながら出かけていった。
「先生、ちょっと良いか?これなんだけど。」
アレスさんが出してきたのは、大きめのアイスアックスだった。紛れもなく雪崩に巻き込まれたハンターのものだった。
「アレスさん、これを何処で。」
僕は動揺を隠せず、アイスアックスを握っていた。
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