三 遺書

 こんばんは。この手紙は多分、誰にも届かないと思います。なので書いています。

 これは、遺書です。俺はこの後、海に身を投げるつもりです。


 死ぬ理由についての詳細は、書くつもりはありません。何か劇的なことがあったかと言われたら、そうですね、劇的に語れば劇的にもなるでしょう。

 ただ、なんというか、今の心境をできるだけ間違いのないように書き残すならば、疲れたというのが一番近いと思います。

 そう、疲れました。疲れてしまったので、俺は海に身を投げようと思って、もうだいぶ長いこと海の近くで過ごしています。

 死のうと思ってここにきて、海を眺めて、気付いたら何日も経っていました。

 死ぬのが怖かったのかもしれません。だって、夜の海で、人魚に会ったのです。


 その人魚は、俺の心の中にある死への恐怖心だと思いました。俺が、今日こそ海に身を投げようと思って海辺に行って、人目を盗んで立ち入り禁止になっている岩場に入ると、その人魚はいつも現れるのです。

 まるで、俺の身投げを止めるように。

 彼女の髪の毛は緑色ですが、その色は光を受けると七色に輝きます。真珠のように。きらきらと輝く大きな目はガラス玉のようで、魚を思わせるそれは明らかに人とは違うものでした。

 形だけは人に似た腕には、鱗が輝き、ヒレや水かきもあります。上半身だけは、美しい女性の姿に似て、鱗に覆われた下半身は足ではなく大きな尾ビレ。これが人魚でなくてなんでしょうか。

 彼女は、人に似て、でも人では決してなくて、グロテスクで美しい。

 俺が近付いても逃げず、そっと髪に触れると、ぬるりとした感触がありました。

 そのまま、俺は死ぬ機会を失って、また夜に海辺に行くことを繰り返していました。

 彼女は、何も話しません。俺の言葉にも、なんの反応も示しません。もしかしたら、言葉が通じていないのかもしれません。

 死んでしまおうと思って海に来たのに、死ぬこともせずに、毎日人魚に会っているだけだなんて。俺はきっと、死ぬことが怖くて、だから人魚なんて幻を生み出してしまったんだと自分で考えました。

 なんだ、結局、死ねないんじゃないか、とも思いました。

 それでも、朝が来るといつものように、死んでしまおうと思い、夜を待つのです。


 遺書を書こうと思いました。それで、多分、死ねるだろうと思い付いたからです。

 この手紙は、彼女が持ってきた瓶に入れて、彼女に託します。きっと、彼女はこの手紙を読めないでしょう。先にこの瓶に入っていた手紙も読んでいなかったみたいだから。

 だから、ちょうどいいと




 彼女を前にこの手紙を書いていたら、彼女が不意に俺の隣に上がってきました。顔を上げると、彼女のひんやりとした美しい顔がすぐ目の前にありました。

 ガラス玉のような彼女の目は不気味で、でも綺麗だと思いました。

 俺は自分を抑えることができずに、彼女に口付けました。

 死ぬために来たはずの海で、俺は彼女に出会い、死ぬことを口実にずっと彼女に会っていました。こんなことになる前に死ぬべきだったんだ。

 そして彼女に、俺の勝手な気持ちを預けようとしている。

 でもそれで、俺の全部は終わりです。




 もし、この手紙を誰か読むことがあったら、これは頭のおかしい男が書いた妄想だと思ってください。全部作り話です。

 だって人魚なんているわけがないんですから。死にたいと言いつつもずっと死なずにいる男が見た幻に決まっています。

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人魚と遺書 くれは @kurehaa

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