第四章

 話は委員長が久しぶりに実家に帰郷した時に戻る。

「――私、母さんの仕事、継ぎたい」

「あなた10歳のときに母さんがいったときは拒否したじゃない?」

 娘の重大な決意に、母は特に動じることも無くそんな風に返した。

「それは……でも、あんな話題は五年前の私にはヘビー過ぎよ」

「母さんが始めて魔法少女になったときも10歳だったわよ」

 町中で鉄車怪人というわけの分からないモノがたまに暴れているのはもちろん知っている。

 大きな河川の方に行くと水の魔物なんてわけの分からないモノもたまに暴れているのも知っている。

 でもそういうのは多くが文字通り対岸の火事であるはずで。

『あなた、魔法少女にならない?』

 実の母親にそんなことをいわれたのは、委員長が10歳の誕生日を迎えてしばらく経った日のことだった。

 まさか――そんなわけの分からないモノが身内にもいたなんて。青天の霹靂って言葉をこの歳にして使うことになるとは思わなかった。

 家出しようと思った。

 とりあえず荷物をまとめた。

 でも外に出た瞬間にあまりにも周りが真っ暗すぎて諦めた。こんな時住んでるところが田舎過ぎるのはホント嫌だ。

 委員長は聞かなかったことにするという選択肢を選んだ。母もそれからはその件に関しては何もいわなくなった。

 ただ一日だけ、ただ一回だけ、母は気を振れて下らないジョークを飛ばしたのだろう。そういうことにしておいた。

 あれから五年。

 まさかその下らないジョークであるはずの魔法少女に縋らなければならない日が来るなんて。

「あれって、本当のことなのよね」

 五年前のその日のことを思い出して、委員長が改めて尋ねる。

「本当のことよ」

 真面目な顔で答える母。

 母はそれから自分が魔法少女となり、今まで戦い続けてきた日々のことを語り始めた。

 委員長の母が魔法少女となったのは、彼女が十歳の時だった。

 とある存在に見出され『キミの力が必要だ』と変身用のステッキバトンを渡され、週一くらいの頻度で現れる悪の魔法生物と呼ばれるものと戦っていた。その殲滅対象は近年大型河川に現れるようになった水の魔物と良く似ていた。

 その戦いは一年ほど続き、最後は首領格の巨大魔法生物を倒して終焉を迎える。

 11歳へと成長していた当時の母はそれで魔法少女としての任は解かれることになるが、変身用のバトンや戦いをサポートしてくれていた可愛いマスコットは何故かそのまま残されることになった。

「可愛いマスコット?」

「本人が可愛いマスコットっていうんだから可愛いマスコットなんじゃないの?」

 娘の質問に母が疑問系で答える。

「なんで母さんまでクエッションマーク付きなのよ」

「母さんだっていまだにアレの生態が分からないからよ、27年も付き合ってきて」

 母が話を続ける。27年といえば委員長の父親である旦那はまだしも、幼馴染クラスの年数である。その年月を持ってすら不明とは、魔法少女の戦いをサポートしてくれる者とは一体何者なのか? 委員長は不安が募ってきた。

 そんないまだに生態不明なパートナーと共に戦いを終えて普通の女の子に戻った母は、それから特に不思議事件が起こるわけでもなく暮らしていたが、23歳になった時その日常が再び崩れることになる。鉄車帝国の侵攻だ。

 当初は侵攻してくる鉄車帝国とそれを迎え撃つチャリオットスコードロンの戦いが行われるだけなので、一人の傍観者として遠くから見ていたのだが、戦役終盤において鉄車帝国の超巨大水陸両用戦車型鉄車怪人が倒されて首都内湾に水没した時に、彼女の運命が変わる。その超巨大怪人が沈んだ直後くらいから内湾に水の魔物と呼ばれる異の存在が現れ始めたのだ。

 最初はそれもチャリオットスコードロンそのものが退治していたのだが、あまりにも数が多すぎた。

 そして多くの命が失われようとしていたその時、彼女は――母は再び立ち上がることにしたのだ。23歳になった彼女は12年ぶりに魔法少女へと変身することになる。

「ちなみにその時、あなたお腹の中にいたから」

「まじで!?」

 10年以上の時を経て復活した魔法少女は、魔法人妻へと大きなジョブチェンジを済ませていたらしい。

 その魔法人妻――語呂が悪いので魔法少女で統一するが――の活躍により、水の魔物関係の被害拡大は最小限に食い止められた。あとは海上保安庁の方で特別編成された駆逐隊も力を発揮してきたので、もうすぐ子供委員長も生まれそうだということで二回目の引退ということになる。

 そうしてなんやかんやあり、鉄車帝国もチャリオットスコードロンの活躍により滅亡しこの国は平和になったのだが、鉄車戦役の終戦直前に生まれた子(委員長)が一歳になってようやく子育てに一区切りができて楽になったと思った時、この国のお偉いさんが一人やって来た。

 もらった名刺には陸上保安庁次長次席と書いてあった。ただ次長次席は普段飛び回るのに必要な肩書きであるだけで、実質上は長官と同格――トップの権限を持っているとも語った。

 つまり一番偉い人がわざわざ尋ねてきたのだ、子持ちの元魔法少女の下に。

「まぁあれから水の魔物がなんか増えてきて、正規の駆逐隊だけじゃ足らないからってんで呼び出された外人部隊というか傭兵というかそんな感じね」

 水上保安庁という専門駆逐組織を作ったのだが、まだまだ発足直後で経験が足らないので水の魔物を倒すのに協力して欲しいという要請だった。母も娘(委員長)の成長がひと段落したのでまぁいいかと了承した。

「あなたのことおんぶしたまま戦ったことだって何度もあるのよ」

 それを聞いた委員長は思わず「ぶほぉっ!」と飲みかけのお茶を吹き出してしまっていた。

「……死ぬでしょ」

「だいじょうぶ。母さんの子だから」

 まったく納得のいかない説明で心から納得させられてしまった。元々二回目の復帰時は委員長が腹にいた状態だったのだから納得しないわけにはいかない。

 母はおもむろに服の胸の中に手を入れると、名刺の半分ぐらいの大きさの銀色に光るプレートを出した。それから首に巻いているチェーンを外してプレートをテーブルの上に置く。

「そういえば前から気になってたけどこれなに?」

 母が出してきた物を見て、母は銀の平べったいネックレスをいつも付けていたなと委員長は思い出す。

「その陸上保安庁次長次席が置いていった許可証よ、魔法少女として戦うための」

 表には何か分からない紋様のようなものが刻まれていた。裏を見てみると数人の名前が英字筆記体で刻印されている。

「……なんかどっかで見たことあるような名前なんだけど」

「そりゃそうでしょ、この国を守る水保とかの最高司令官の名前なんだから。歴史の教科書にも載ってたりするんじゃない」

「こ、この一番上に彫ってある名前って……」

「当時の首相」

「……政府公認なんだ」

 防衛組織の総司令の名前が彫ってあるのだからその時点で政府公認だろうが、更に首相の名前もあれば、誰でもわかる政府公認だ。

「お給料もちゃんと出てるよ」

「……まぁそうじゃなきゃやらないよね」

「あたりまえでしょ、あなたの子育て費用とかあるし」

 三度目の魔法少女復帰は現実的な問題だったらしい。父親は一体何をしているのだろう。

「まぁそれでもあなたの今後の学費と母さんの老後の貯え分くらいは貯まったのがちょうど五年前。だからもう引退してもいいかなと思ったのよ、引き継いでくれる後継者がいるんだったら」

「だからその時に魔法少女にならないって私に訊いたのね」

「まぁそういうことね、ちょうどあなたも10歳になったし。でも魔法少女の実の娘は魔法少女には興味が無い、夢見ない女の子だったとは母さんもびっくりだったけども」

「いきなり魔法少女にならないって実の母にいわれたら普通引くわよ」

 本当あの時家出しておけばと今さらながらに思う。

「まぁそんなわけで譲り損ねたわけよ」

「譲る……というか押し付けるでしょ」

「そうともいう」

 ずずっと茶をすすりながら事も無げに答える母。

「まぁそれとは別にもっと重大な問題が発生してね」

 そんな母が真剣な表情になった。コトリと湯飲みを置く。

「重大な問題……?」

 それは魔法少女の能力に関係するものなのか、それとも命に関わる問題なのか。

 母の顔を見てどんな重大な言葉が出てくるのかと委員長は身構えるが

「腰いわせてね」

 委員長はずっこけた。

「母さんまだ五年前って言ったら32でしょ?」

 それは確かに能力や命に関わるかもしれないが、なんかベクトルが違う。

「もう32よ! サッカー選手だったらとっくに引退よ!」

「たしかにそうだけども! でも魔法少女なんだから魔法の力でなんとかならないの腰痛とか」

「ならないわ」

 即答の母。

「ここ数年は出撃の度に一週間は政府の病院の整形外科に入院よ」

 だから急に一週間いなくなることがあったのかと委員長は合点がいった。

「まぁでもここのとこ五年くらいは水保の駆逐隊の腕も上がってきて、出撃回数も年に数回とかそんなもんだったんだけど、最近になってまた増えだしたのよね。だから母さんの腰もそろそろ爆発しそうなの」

 委員長がこのタイミングで「仕事を継ぎたい」といったのは母にとっては渡りに船だったようだ。

「……なんか嫌になってきた。キャンセルしていい?」

 しかし委員長は説明が続く度に気落ちしてしまう。最終的には腰痛持ちの魔法少女なんて、なんて夢の無い話だろう。一気にやる気が削がれた委員長は、自分の目的のためにはもっと別な方法を考えようと思ったのだが

「あなた、倒したい相手がいるんじゃないの」

 唐突にそんな風に母が言う。

「――!」

 ギクリ、と身を震わす委員長。

「母さんが五年前にたった一回だけいったその言葉に縋ってここまで来たのだから、それは相当な相手でしょ」

「……」

 母の的を得た追求に娘は何も言い返せない。

「水の魔物か鉄車怪人か、それに類する強い相手。魔法少女なんていう普通から遠く離れた力を持たなければ倒せないような相手。それを倒すための力が欲しいとここまで来たんじゃないの?」

 さすが母親だと思った。自分のことを15年間育てただけあって、娘の内心は手に取るように分かるらしい。

 もしかしたらあの恋敵(?)は委員長のことを次代の魔法少女として力を継承させるために現れた神が使わした必要悪の使者だったのかもしれない。でも、母に改めて指摘されて委員長にはどうでも良くなった。とにかく倒したい。そしてもふもふともっとお近づきになりたい。

「鬼」

 だから委員長は、相手の名を簡潔に告げた。

「おに?」

 しかしその対戦相手の名は、あまりにも短すぎて母親はすぐに分からなかった。

「鬼ってあの頭に角の生えた?」

「そう。体も赤い」

 それを聞いて母親は「ぷっ」と少し吹き出した。

「あはは、本当に鬼さんっているもんなんだね」

 自分自身が魔法少女で敵は水の魔物という不思議案件の渦中にいる彼女も、流石に鬼の出現には驚いた様子。

「笑い事じゃない。鬼は悪。悪は粛清されるべき」

「そして魔法少女は悪を粛清すべき正義の存在ってわけね」

 母親が娘の言葉尻を取った。

「第一目標が水の魔物ではないのは気がかりだけど、正義のために戦うとはいい心構えだとは思うわ。多分アイツも力を貸してくれると思う」

「……アイツ?」

「ちょっと立って母さんの方に背中向けてくれない?」

「はい?」

 なんだろうと思いつつ立ち上がり背中を母の方に向ける委員長。魔法少女は最終的には腰痛持ちということで、それを何とか遅らせるために綺麗な背筋のラインでも必須なのかと思ってじっとしていたら、いきなりお尻の全面がすーすーした。

「ちょっ!? なにやってるのよかあさん!?」

 母の前へと曝け出される娘の尻。今日は謎の風ばかりではなく母にまでスカートを捲られた委員長。

「いいからいいからちょっと黙ってて」

「な……」

 そうしてひとしきり娘のヒップを眺めた母は、今度は尻肉へと下着越しに触れた。

「ちょっ! ちょっと!?」

 娘の驚きなどお構い無しに、十五年間の成長の軌跡を確かめるように娘の臀部を撫でる。

「ふむふむ、我が娘ながら良い形ね。オーバーパンツ穿いてるのも丸みが加算されて良い感じだし」

「ちょ…母さんがなにをいってるのか全然わからないよ」

「いいのよアイツ、ケツにしか興味ないんだから」

 母はそういいながらめくっていた娘のスカートを下ろした。

「……けつ? 出欠とか終決とかのけつ?」

 母の方へと体を正面に向けながらその不穏な言葉を尋ねる。

「お尻のケツよ」

 母は娘にあまりにも簡潔な答えを伝えた。

「……」

 年頃の委員長としてはもう少し何というかその言葉に意味のある思惑が込められていると願いたがったが、母は至極真面目なドストレートで来た。

「なんでそんなわざわざ下品な言葉で……」

「あなたもすぐに分かるわ、ケツって呼んだ方が精神的に安定するって」

「……」

 一応はそのケツにも何かの意味があるらしいが、まったくさっぱり納得できない娘であった。


 あなたが魔法少女になる前に一緒に戦うパートナーを紹介しないといけないと、委員長は母に連れられて表に出てきた。母は玄関から出る前に下駄箱の上のバールを持って出てきていた。紹介が終わったらそれで畑仕事でもするのだろうかと思ったが、どんな用途でバールが畑の作業に必要なのか全然見当がつかない。

「風使いのゼファー」

 母が唐突に喋った。

「ゼファー?」

「それがこれからあなたのパートナーになるモノの名前よ。風の力を使い魔法少女の戦いをサポートする」

「……ゼファー」

 委員長もゼファーという単語の意味は知っている。西風という意味だ。

 大体は凄まじく早い車とか天高く飛ぶ戦闘機など、風にちなんだ高い能力を持つ物につけられる名称であり、それを名前そのものにしてしかも風使いなのだから、余程の力を持った者なのだろう。

「ゼファー、あなたのこと娘に話したからもう動いてもいいわよ」

 そしてまたも唐突に誰もいない方向に向かって母が喋った。

 いや、居ない、ということはない。あのカカシが立っている。

 委員長は物凄く嫌な予感がした。

「なんですと」

 そして、うなだれるように傾いでいたカカシがクルリと振り向いた。

「今日から私の代わりにうちの娘が戦うことになったから」

 母がそういうと、スポッと刺さっていた土から抜けるように軽く飛び上がり、畑をぴょんぴょんと片足跳びけんけんでやってくる。

(……うごいた)

 水の魔物やら鉄車怪人やらがいて、同級生には狼人と赤鬼がいるというのに、それでも動き出したカカシには委員長を驚かせる力が十分にあった。そうして二人の前にカカシが立つ。

「お初にお目にかかります――というのは間違いですな、貴女のことは生まれる前から知っておりますゆえ、お初にお話させていただきますが正解ですな、我輩の名はゼファー、以後お見知りおきを」

 ゼファーと名乗ったカカシが体全体を傾がせて頭を下げる。静止している時は片足跳びでなくても大丈夫な様子。風使いだけあって、自らが起こす風でバランスを取っているのだろう。普段はコツコツ地面を叩かないのはうるさくなくていい。

「遂に魔法少女を娘殿に継承ですか。感慨深いですな」

「えーと『可愛いマスコット(?)』ってどこに?」

 ゼファーのそんな趣き深い台詞は委員長の耳には入っていなかった。

 委員長は母のその言葉が気になっていた。目の前にいるのはどこからどうみても、キングオブノーマルなザ・カカシである。可愛い部分など全部廃した対害獣用防護機材。

「これ」

 しかし母はその対害獣用防護機材を指してそうだという。目が笑ってない。

「……どの辺りが?」

「本人が『可愛いマスコット(?)』っていってるんだから可愛いマスコットなんじゃないの?」

 投げやりの母。

「魔法少女にはマスコットが付きもの! そしてマスコットは可愛いものと決まっておるゆえ、我輩も可愛いマスコットなのであります」

 そしてそんな風にぬかす可愛いマスコット(自称)。

「……母さん、そのバールはこのカカシを叩いて解体するために持ってきたの?」

「そうしようと思ったことも何度もあるんだけど、毎回避けられちゃうのよね」

 このカカシは破壊しなければならないという根源的願望は母娘とも一致するらしい。

「何をおっしゃいます娘殿、それは変身ステッキであるゆえ」

「……は?」

 その破壊対象(未遂)が、母親が持っている鉄塊を指摘する。

「……え? これってバールじゃないの!?」

「本物のバールと同じように重いし鉄の質感も再現されてるけど、これが魔法少女になるための変身アイテム、マジカルバトンなのよ」

 はい、という感じでそのマジカルバトン(バール)を娘に手渡す母。

「……」

 受け取る娘。魔法少女の継承はあまりにもあっけなく行われた。

「むちゃくちゃ重いんだけど」

 そしてこの鉄塊マジカルバトン、委員長は両腕で抱えて限界である。

「そりゃまぁ、見た目どおりのバールだからねぇ普段は」

 今まで持っていて流石に重かったのか肩をくきくきとならす母。

 このバールがたまに家から消えているのは、母親が変身のために持ち出していたのだった。なんか、あまり知りたくなかった事実だ。

「じゃあさっそくためしに変身してみるか」

 母がそう促す。

「……どうやるの?」

 見た目は普通の女子高生がバールを抱えているだけであり、周りにいるのもカカシに田舎暮らしのこざっぱりとした主婦一人である。魔法少女の要素なんかこれっぽっちもない雰囲気に、委員長は不安が隠せない。

「あなたには母さんの血が流れているわけだから、そのバトンを持って変身っていいながら気合を入れれば変身できるはずよ。そうでしょ?」

 母がそういいながらゼファーの方に話を向けると「いかにも」と風使いは答えた。随分と簡単なものである。まぁ親子なのだから当然なのか。

「じゃ、じゃあやってみる」

 本当はカッコイイポーズとか付けて変身したい願望もあったが、もうこのマジカルバトンという名の鉄塊が重過ぎてダメだ。

「よーし、……」

 委員長は一つ深呼吸して気持ちを整えると、気合を込めて叫んだ。

「へんしん!」

 委員長のコールの直後魔法の杖が光輝き、その光に包まれた衣服(眼鏡含む)が粒子化して消失し、新たな衣装が物質化マテリアライズされる。数瞬の後、そこには赤と白を基調にしたコスチュームに身をまとった新戦士が誕生する。

 ボディは赤をメインカラーにしたフリルドレス。ところどころ反対側に白を散らしたアシンメトリなデザイン。肩はチューリップのつぼみの袖に、二の腕から指先までは赤いレザーのロンググローブに包まれている。手首の周りには真っ白いフリル。脚は膝上のオーバーニーのブーツ。素材もロンググローブと同じでレザーで色も同じく赤。くるぶしの辺りには白いリボンがあしらわれている。

 基本的には母が変身した時と同じだが、その後が少し違う。解けた三つ編みが燃えるような赤毛に染まり、頭の後ろに大きなリボンがついた。眼鏡は消えたままだ。

 そうして最後に膝上のフレアスカートが、脚を下から撫でる不自然な風でぶわっと捲り上がって一連のシークエンスは完了するのだが、初体験の委員長は「ひゃっ!?」と思わず悲鳴を上げてしまった。

「え、えーと変身完了?」

 最後のスカートをめくった謎の風に機先を削がれた委員長が、恐る恐る自分の体を見る。物凄い派手派手な衣装になっていた。

「……母さん、今までこれ着て戦ってたんだ」

 まず思ったのがそれだった。37歳の女性がこの衣装を……。

「そこ突っ込まない」

 そして母による神速の返し。

「あ、すごい、このバールも片手で軽く振れる」

 衣装はド派手で恥ずかしいことこの上ないのだが、先ほどまで両腕で抱えても難儀していたバールが片手で軽く持てる。変身すると筋力もアップするらしい。

「だからそれはマジカルバトンですぞ娘殿」

 その辺りは譲れないものがあるのか、細かく指摘する風使いのゼファー。確かに慣れれば本物のバトンのようにくるくる回せそうなくらい握力も上がっている。

「……?」

 しかして初変身を遂げた委員長は、腰の周りに変な違和感――いや安心感というのか、妙な感覚を感じた。スカートの中に手を入れて自分のお尻を触ってみる。

「……??」

 それでもグローブをはめた手では良く分からなかったので、スカートの裾を積まんで少し持ち上げると上半身を曲げて自分の股間の辺りを直接見てみた。

「……元のままだ」

 黒いインナーがあった。委員長が朝から穿いてるオーバーパンツ。多分その下のショーツもそのままだ。

「なんでパンツだけ元のままなの?」

 スカートを直して顔を上げながら委員長が母親に訊く。

「コイツの趣味よ」

 母親が呆れ顔の表情になってカカシの方に向く。委員長も呆れた顔になって同じ方を見た。

「固定されたインナーですと変化が無くて面白くありませんので、そこだけ変身前のままなのです。娘殿の黒のオーバーパンツもまた健康的な色気があって良いですな!」

 ゼファーが得意げに答えた。

「……えーとさこのカカシ、薪にして燃やしていい?」

「母さんも何度もチャレンジしてるんだけど、いっつも風で吹き消しやがるのよ」

 駄目だ……変態を最強にしてしまったら世界が終わるという事実をこのカカシが実践している。委員長は頭が痛くなった。

「水上保安庁ってさ、確か火炎放射戦車配備してるよね? あれ貸してもらえないのかな?」

「母さんも何度か貸与申請送ってるんだけど、受理されたことが無いのよね」

「そこのご両人、何を先程から物騒なことを相談しているのですかな」

「……えーとさ、これってもし素っ裸で変身したら、ここだけノーパンってこと?」

 ゼファーは無視して、委員長が更なる危険な予感を母に問う。

「そうなるんじゃない? 母さんはそんなドジ踏んでないから分からないけど」

 委員長は更に頭が痛くなった。

「……母さん、ケツにしか興味が無いって母さんがいってたのは」

「そうよ、コイツの性癖よ」

「……じゃあ、家の前の畑を通ると必ず風が吹いてスカートめくれるのも」

「コイツの仕業よ」

「……もしパンツルックとかで前を通ったらどうなるの?」

「母さんは前に長ズボンでコイツの前を通った時、かまいたち的な風を起こされてボタンが千切れ跳んで、ズボンがストンと落ちたことあるわよ」

「母さん、水保ってチャリオットスコードロンが使ってた輸送空母保管してるよね? あれに積んでる艦砲をぶち込めばさすがにコイツも粉々にふっ飛ばせるんじゃないの?」

「母さんもそう思って何度も発砲要請と着弾指示地点を教えてるんだけど、いまだに正義の砲弾は降ってこないのよね。ほんのちょっと誤射してくれれば色んなモノが救われるのに」

「母殿も娘殿も何を先程からそんなに不穏なことを話し合っておるのですかな」

「キサマは黙ってろ」

 何が何でもこのカカシは粉みじんにしなければならないと固く誓い合う母娘。正義や悪という以前に、まずコイツは女の敵だ。委員長は陽子に対しては変態丸出しな性癖で他人ヒトに何かいえる立場ではないが、こんな根源的変態を生かしておく訳にはいかない。

「で、このド変態カカシは何をやってくれるの?」

「風の力を使ってあなたを空に飛ばしたり、風の壁を作って戦闘補助とかしてくれる」

「すごいじゃない!」

 委員長はこのド変態を少し見直した。流石は西風の名を持つ風使いだ。

「あなたのケツを狙って風を飛ばしてくるから、それに上手く足で乗るとか、手を突いて壁代わりにするとか、そんな風にするのよ」

「……すごくないじゃない」

 委員長はこのド変態を少し見直したのをすぐに撤回した。やはりいつかは燃やすか粉々にするしかない。

「だいじょうぶすぐ慣れるから」

「……そのすぐ慣れるってのはお尻のこと? それとも風の扱い方?」

「両方よ」

「……そんな気はした」

 前途多難になってきた様相に委員長は「ぶふぁー」と盛大に溜め息を吐いた。

「……ねぇ、やっぱりキャンセルしていい?」

「もうキャンセルボタンは灰色表示で押せません」

「……そんな気もした」


 再び月曜日放課後、校舎裏。

 対峙する赤き鬼と赤き衣に身を包んだ少女。

「魔法少女マジカルドロシー、推参」

 鬼越の前に降り立った赤き少女はそう名乗った。

「マジカル、ドロシー?」

「マジカルドロシーです! そこで区切らないで!」

 どうも彼女にはマジカルドロシーという名前にこだわりがあるようで、鬼越の呼び方にそこは強調した。

「まずは訊こう。これは何のための果し合いなのか?」

「あなたを倒す、それだけ」

 魔法少女が簡潔に目的を告げる。

「アタシが力及ばず倒されるのはやぶさかではないが、そうしてアタシを倒した後、何を望むのだマジカルドロシー?」

 しかしそれでは余りにも簡潔すぎて、鬼越も不満の様子。戦うのは構わないのだが、自分が全力を懸けるに値する相手なのかもっと知りたい。

「私の要求はあなたにこの町から出て行ってもらうこと。出来れば鬼の里と呼ばれる場所に帰って欲しい」

 魔法少女が再び目的を告げる。すらすらと出てくるところから見ると、そう訊かれるのは予想して喋るべき台詞を予め練習していたのだろう。

「この町から出て行くのは無理な話ではないが、鬼の里に戻るのは無理だ。一生かかるほどの役目を持って里から出てきたのでな」

「だってあなた、いつの日か怪人になるかも知れないんでしょ、あの黄色い鬼のように! 危険因子を早急に排除するのも正義の味方の務め!」

 そこでようやく魔法少女が、感情的な台詞を口にした。

「黄色い――鬼貫おにつらのことか。中々情報通だなお前」

 練習済みの淡白な台詞が続いたままだったら、このまま帰ろうかと思っていた鬼越だったが、彼女が意外な秘密を持っているのを知って考えを改めた。どうやらこちらも最後まで付き合わなければならないらしい。

「アイツは勧誘されて兵になったのだから、アタシは勧誘されなければ兵にも怪人にもならないぞ」

「でも怪人になった黄鬼とあなたは同属! ならばあなたも怪人となって暴れだす可能性は非常に高い!」

「アタシを排除しようとする理由としてはこじつけが多いようだが?」

 もっともな意見を述べる鬼越。鬼越にしても戦う理由としてはまだ物足りない。もっとアタシを熱くしろと心の中で叫ぶ。

「問答無用! 鬼は倒されるべきもの!」

 それを聞いて、ようやく鬼越がニヤリと笑った。

「ああ、それは確かにこじつけとしても限りなく正解だな」

 鬼は生まれながらにして悪役だ。それは鬼越だって心得ている。

「そして、倒しに来た相手に対して全力を持って応じるのも、鬼の役目」

 悪役の役割――倒しに来た相手に全力を持って立ち向かう。それも十分以上に心得ている。

 鬼越は持ってきた長いスポーツバッグのジッパーを開くと、中身を取り出してバック自体は投げ捨てた。

「……か、金棒」

 上端が下になるようにドスンと地面に立てた棘が何十本と付いた鉄の棒を見て魔法少女がおののく。

「アタシの友人が、なぜ鬼なのに金棒じゃないのだというので、今回の見聞のめいではこっちを持ってきた」

 対トーマスホガラ戦用決戦武器であった爆槌も、倒すべき相手がいなくなってしまったので普段持ち歩く意味が無くなってしまったのだろう。大きくて重いので邪魔でもあるし。

「さて始めようと思うが――お前の方は二対一か? 正義を名乗るには卑怯ではないか?」

 魔法少女の後ろに静かに佇立するカカシを見て鬼越が問う。

「こ、これは……そう、武器! あなたが持ってる金棒と同じ武器!」

「ではお前が手にしてる大釘抜きはなんだ?」

「これは……これも武器! 私、二刀流だから!」

「なるほど、アタシも二刀流の剣豪とは相見えたいと思っていたところだ。いつもの倍は力が出せそうだ」

「――!」

 更なるヤル気(殺る気)を見せる鬼越。どんどん悪い方向にしか進んでいかない現状に、委員長は寒気を覚えた。

「しばし待たれよご両人」

 そんな状況下、今まで黙っていたカカシがそこで口を挟んだ。

「娘殿が戦いに臨む理由、我輩には余りにも利己的過ぎるように見受けられまするが」

 鬼越の方はそれでも理由としては許したのだが、これから新魔法少女となった彼女のパートナーになるこの可愛いマスコット(?)は、納得がいかなかった様子。

「我輩は水の魔物を相手にして戦うのなら協力は惜しまぬですが、自分の都合だけの戦いであれば力は貸しませんぞ」

「ちょ、ちょっと!?」

 そしてこの土壇場になっての力貸さない宣言。戦いのパートナーまでが悪い方向に進ませようとしない。

「あんたが『戦いに躍動する鬼殿のおヒップも見たい』っていうからあんな恥ずかしい追伸まで書いたんじゃない! どうしてくれるのよ!」

「なに、今の娘殿は単体でも強い。あの金棒でぶん殴られても骨が砕けるくらいですぞ」

 一応、即死は免れるらしい。この魔法少女用スーツも中々の防御力……という問題でもない。

「相手も二対一は卑怯だといっておられたし、とりあえず娘殿一人で行って来なされ」

「そっちにいるカカシはお前よりも物分りが良いようだな、アタシはどちらでも構わぬのだが」

 戦闘開始直前の自分をそっちのけで言い合っている二人(二人?)に、早くしろ的に鬼越が突っ込んでくる。

 こんなド変態よりも物分りが悪いといわれて魔法少女も何ともいえない怒りを覚えるが、このド変態が戦いに介入してくれないのは非常に困るのも確か。

「あ、あの……鬼越さん?」

「なんだ?」

「きょ、今日はその……中止って、ことで……」

「却下」

 鬼越の瞳が、委員長の願いを断ち切るようにギラリと光る。

「ここまで体の芯を熱くしてくれたんだ。それが冷えるまで少しお付き合い願おうか」

 もう待てんといった風に、鬼越が金棒を振り上げた。加減というものがまったく加わってない一撃が魔法少女へ振り下ろされる。

「!?」

 それを魔法少女は横っ飛びでかわす。直前まで立っていた場所に金棒が叩き付けられ、地面を抉り爆発でもしたかのように土砂が吹き飛ぶ。多分普通の人間だったならば逃げ遅れてペシャンコだ。

「……う、あ」

 魔法少女は魔法少女としての身体能力をフルに使ってその惨劇を回避したあと――そのまま逃げ出した。

「正義の味方を名乗る者が勝手に逃げるな!」

 もちろん鬼越はそれを追う。金棒を振り回して。

「これは戦略的撤退です!」

「それを逃亡というのだ!」

 魔法少女が逃げ出して、赤鬼がそれを追う。

 一人残される形になるカカシは、魔法少女を追う鬼越のスカートに風を送ってめくってみた。縞パンだった。せっかく果たし状をもらったので、鬼越も全力勝負のために園児からもらった勝負パンツへと寮に戻った時に穿き替えてきたのだった。

「ほう、ちゃんと縞模様の下着をおめしになっているとは、中々古風な鬼娘殿ですな」

 しかしその着用する下着の理由を知らないカカシは、それを鬼が古来から着用する虎縞衣装と思った様子。

「さて、我輩は事が終わるまで年若き淑女の皆様のおヒップでも観賞させていただきながら待ちますかな」

 カカシはどうしようもなくロクデモナイ台詞を残すと、校庭の方へと片足跳びけんけんで跳ねていった。


「きゃーっ!?」

「逃げるな!」

 魔法少女は体育館裏から逃げ出すと校舎前広場に出たが、そのまま外壁の方へ走って行った。そして魔法少女らしい身軽なジャンプ力を見せ、一気に乗り越える。ゼファーのアシストが無いので空を飛ぶことは出来ないが、これぐらいは魔法少女のスーツのおかげでこなせるようになっている。

 少しは時間が稼げたかと魔法少女が後ろを振り向くと――鬼越も普通に乗り越えていた。

「なんでーっ!?」

「鬼の脚力をなめるな」

 自分も軽く乗り越えた外壁の上から跳躍すると、魔法少女の背後に降り立って追撃を続ける。鬼の方も鬼の方で、変身も何もしてないのに魔法少女の強化された脚力とほぼ同等の力があるらしい。

 二人はそのまま駆け、住居の塀に乗り、屋根に乗り、そしてまた飛び降りて再び塀に乗りを繰り返し、町を走り抜ける。

「おらぁ!」

 鬼越が金棒を振り下ろす。

「うわぁっ!?」

 魔法少女が背中に当たるギリギリのところでそれをかわす。

 二人の走力はほぼ同等。

 流石に狼人の敏捷力には敵うべくもないが、それでも鬼の鬼越は人間以上の脚力。そして魔法少女の方も変身によって普通の人間より早くなっているので、二人の速さはほとんど同一。

 鬼越が攻撃を繰り出すと魔法少女がそれをよけて二人の差が開く。しかし魔法少女はまったく戦いに慣れてない(今回が初陣である)ので、戦いながら走るなんて初体験でありそれで鬼越との差が徐々に縮まり、そこへ鬼越の一撃が繰り出されるという一進一退を、二人は何度も繰り返していた。

「あ、鬼越ちゃんがすごい勢いで走ってるよ」

 そしてそんな二人の攻防が町の住民の目に留まらないわけがない。

 鬼越にしてもこの町に来てからふた月弱は経過したので、町の皆にも良く知られるようになったので知っている者も多い。

「今日は魔法少女もいるぞ」

 そしてその鬼越に追いかけられる魔法少女ももちろん注目を浴びる。水の魔物出現時にたまに目撃されているので、知っている人は知っている。

「スゲー、魔法少女始めて見た」

「俺が前見たときよりも少し細いな。顔もなんか微妙に張りがあるような?」

「でもなんであんな物凄い勢いで追いかけられているんだろう?」

「なんかミユキちゃんを怒らせるような悪いことでもしたんじゃない?」

(な、なんで私の方が悪者になってるのよ……)

 走りながら聞こえてくる住民の声に、自分は正義の魔法少女であるはずなのに何故か立場が逆になっているような状況を知って、頭が痛くなってきた。この町では鬼越の方が知名度が高いので、魔法少女は完全にアウェー状態である。

「……!」

 そうやって魔法少女が全力疾走を続けていると道が開けてきた。目の前に広がる青い帯。

 魔法少女は川沿い道路に出るとそのままガードレールを飛び越え、コンクリートの崖を下り、河川敷へと出た。鬼越ももちろん同じように続く。

「……どうしよう」

 目の前は川という状況に、魔法少女が遂に足を止めた。仕方なく振り向く。

 流れる水面を背景にして赤き魔法少女が、赤き鬼と再び対峙する。

「どうする? 今度は川沿いを延々と鬼ごっこか?」

 鬼である自分が鬼ごっこというのは変だなと思いながら、鬼越が相手に問う。

「……」

 左右には確かに川が延びている。どっちかに逃げれば先ほどと同じようにチェイスになるだろう。しかしそれを続けていても意味が無い。体力的な数値は魔法少女よりもちろん鬼の方が上回る。このまま逃げ続けていてもいつか力が尽きて、あの金棒で……。

「……」

 鬼越の持つ得物でボコボコにされた自分を想像して魔法少女はぶるっと震えた。

「――ちょっと待て、魔法少女」

 しかして急に鬼越がそういうと、何かを探るように彼女が視線を動かす。

「……はい?」

 突然の戦いの停止に魔法少女もホッとすると同時に変な違和感を感じた。

「……」

 鬼越は目前の魔法少女以外の殺気を感じていた。それは殺気というよりも戦闘衝動の本能に近いような感じであるが、戦いの種族である鬼越はそれを危険だと察知した。

「――後ろだ!」

 鬼越が叫ぶ。

 魔法少女が振り向くのと、それが川から浮上してくるのは同時だった。

「!?」

 何かが川から現れ、それがそのまま魔法少女たちのいる河川敷へと上陸してくる。

 円錐形の下半身に、人の体をひょろりと伸ばしたような上半身。両腕は末端に進むに連れて広がっていて手は大きい。頭部は殆ど何もないのっぺらぼう。それが透き通った弾力のありそうな体組織で構成されている。

「……水の、魔物」

 それは、今日が魔法少女として初の戦いになるに彼女にとっては、他の人間と同じで映像の中でしか見たことのない脅威だった。

 大きい。鉄車怪人と同じくらいか。2メートル以上はある。先代魔法少女がずっと戦ってきた相手。

『――』

 水の魔物が顔をうごめかす。目鼻のない頭部が目の前に立つ少女を見下ろす。

「……ひっ」

 その表情のない顔に見つめられて心臓を鷲掴みにされたような悪寒が走り、魔法少女が思わずその場に尻餅をついた。

 鬼越はまだ人の姿をしているから良かった。不本意とはいえ毎日顔を合わせる級友でもあった。しかしあれは人でもなければ亜人類でもない――バケモノだ。

 交渉も何も効かない本当の脅威というものを前にして、魔法少女が射竦められたように動きが止まる。

 本当の恐怖を前にしたら人はまったく身動きが出来なくなる。魔法少女がそれを実践してしまう。この水の魔物というものは、本来は自分が倒さなくてはならないのに。

『――』

 水の魔物も、自分の目前で情けない姿を晒しているのが、自分たちの眷属を討ってきた魔法少女であるのに気付いたのだろう。

 水の魔物を狩りし者がこんなところにいる。しかも限りなく無防備な姿で。もしかしたら魔法少女が世代交代を済ませた直後なのも感づかれたのかも知れない。

 ならば、なったばかりの経験の浅いものであるならば、ここで一気に潰してしまおう。

『――』

 水の魔物が巨大な腕を振り上げる。

「……あ」

 それは身動きの取れなくなった魔法少女の頭上へと影を落とし、それはそのまま近づいてきて目の前の全てを覆い――

「なにやってんだ!」

 そう怒鳴り声がした直後、魔法少女はがくんと後ろへ引っ張られた。次の瞬間魔法少女の目前で破裂するように土砂が舞い上がる。

「……ぅ……あ」

 広げた脚の間に水の魔物の地面に叩き付けられた手があった。

「……あ」

 魔法少女が砂まみれの顔を恐る恐る後ろへ向けると、正に鬼の形相の赤鬼の姿があった。魔法少女は襟首の辺りを鬼越に左手で掴まれ、魔物の拳の激突の寸前に後ろへ引っ張られていた。

「お前、良くそんな腰抜けが鬼に戦いを挑んだものだな」

 鬼越が怒りの声を放つ。

 その怒りは誰に向けられたものなのだろうか。

 本来討つべき相手を目の前にして腰が砕けた戦士に対してのものなのか。それともただ破壊衝動に従って動き二人の戦いを邪魔した魔物に対してのものなのか。それともこんな情けない醜態を見せた決闘相手の力量を測れなかった自分自身に対してのものなのだろうか。

 とにかく鬼越は怒っていた。

「これが水の魔物か。うわさには聞いていたが目前で見るのは始めてだ。妖怪の類……ともまた違うようだな」

 その水の魔物が砂から腕を引き抜き、再び振りかぶった。そして二人に叩きつけようと振り下ろすが

「うるさい」

 鬼越は右手で握っていた金棒で、迫り来る魔物の腕を弾いた。金棒の擦過を食らった指の一本が千切れ飛び砂浜に落ちる。水の魔物はその迎撃を受けて、魔法少女と一緒にいる赤い色をした者が簡単に倒せる相手ではないと悟ったのか、攻撃の手を止めて後ろに退いた。

「……?」

 一端下がった水の魔物は失った指の一本をゆっくりと再生させていた。鬼越が千切れた方を見ると溶け出して砂浜に染み込んでいた。再び水の魔物を見ると若干ではあるが小さくなったようにも見える。

「なるほど、本体を千切り続ければ体の維持ができなくなるのだな」

 鬼越が相手の体組織の構成方法に気付いた様子。さすが戦いの種族だ。

「つまり、叩いて叩いてぶっ叩きまくれば倒せるのか。単純な方法で分かりやすい」

 だがそれを普通の人間が実行するには魔法少女になって身体能力を向上させ、風使いのサポートがあってなしえること。

 しかし――

「おらぁ!」

 鬼越は魔法少女の襟首を掴んでいた手を放すと、金棒を両手持ちにして突っ込んだ。それをそのまま大上段に振り上げ相手の脳天から叩きつける。ビチャッともグシャッとも何ともつかない音がして、水の魔物の頭部がもぎれて飛んだ。鬼越は普通の人間ではなかった。

「……ひぅっ」

 その凄惨な光景に、助けられた上に戦いから置き去りにされた魔法少女は悲鳴を上げるしか無かった。

「うらあっ!」

 吹き飛んだ頭部が砂の上に落ちて溶けるのを確認することも無く、鬼越は攻撃を繰り返す。相手の胴から外へ払う一撃が、今度は魔物の左腕を千切り飛ばした。水の魔物は失った頭部と左腕を再生させようと体を蠢かせるが、鬼越の攻撃の方が早い。魔法少女との不完全燃焼な戦いの不満を晴らすように、鬼越の全力の一撃一撃が水の魔物を砕く。

「は、は、は、ははは――あーははははははははっ!」

 戦いの昂揚に思わず笑い声が出る。

 それは最早戦いではなく、蹂躙であったが。

「あははははははははは!」

「……」

 狂えるように舞い踊る赤き鬼を前にして、自分はなんてモノに戦いを挑んでしまったのだろうと魔法少女は後悔した。


「……」

 鬼越が立つ砂浜の前には何も無くなっていた。

 地面が塗れ、かろうじてそこに水の魔物と呼ばれる異の存在がいたことを伝えている。

「……」

 魔法少女は尻餅をついて鬼越に引きずられてからまったく動けずに、その光景を震えながら見ていた。

 そして本来はそれを自分がしなくてはならなかったのだ。

 鬼を倒すために得た力を本来の目的に使えず、しかも倒すはずだった鬼が自分の代わりに討伐してくれた。

(いったいなんのために私はこんな姿にまでなって……)

 魔法少女がそうやって茫然自失となっていると、金棒を肩に担いだ鬼が近づいてきた。

「さぁ、続きをしようか」

 鬼が魔法少女を見下ろして再戦を促す。

「そ、それは……」

 引けてしまった腰は元に戻りそうも無い。

「まぁちょっと意地悪な言い方だったかな。アタシも水の魔物とやらをぶっ倒して随分と気が晴れたので、今は戦闘は満足だ。だからもうお前の気持ちが十分であれば今日は寮へ帰るか山本堵炉椎やまもとどろしー

「――!?」

 その名を呼ばれて魔法少女マジカルドロシーの体がビクンッと跳ねた。

「ゃ……ぇ……ぃ」

 どこの国の言葉か分からない言葉を口に出す魔法少女。

 鬼越の長台詞の最後に唐突に出た名前。山本堵炉椎。それは鬼越が属するクラスメイトの一人の名であり、それはあの委員長の名である。彼女は誰からも委員長と呼ばれているので、その名を失念している者も多いが、これが委員長の正式名称である。

「ぃ、い、いや、どろしーなんて名前の、他にもいっぱいいますよね? 私はマジカルドロシーですよ、髪赤いし眼鏡かけてないし山本堵炉椎さんとは別――」

「この国の電話帳なり住所録を最初から最後まで全部調べたとして、堵炉椎さんは多分一人だけだと思うぞ?」

 それを聞いて魔法少女ががくんとうな垂れる。

「うん、そうだよね、一人ぐらいしかいないよね」

 観念したのか、魔法少女マジカルドロシーは自分が山本堵炉椎であり委員長であることを認めた。ほんとなんつー名前を付けやがったんだと親を恨む。父か? 母か? ちなみに母は椎菜しいなという名で、少女時代なら良いだろうが37歳になった現在を考えると中々考え込まざるを得ない名前である。そして自分もいずれはそうなる。

「しかしマジカルドロシーと名乗った時点ですぐにバレるとは思わなかったのか委員長?」

「……名前にも強い言霊が込められているから、変に違う名前にするとゼファーから力が届かないといわれて」

「なるほど。確かにそれは分かるな。ゼファーというのはあのカカシの名か?」

「うん」

「それはそうと委員長、アタシがずっと気付かないとでも思ったか? お前の殺気というものに」

 魔法少女――魔法少女になっている委員長の前に金棒を下ろしながら片膝を突いて、鬼越が訊く。

「最初の転校当日からお前から鮮烈な殺気を浴びているのもずっと気付いていたぞ」

 鬼は当然のことながら人間より身体能力が高いので、五感に関する能力も高い。そして戦いを専門とする種族である。殺気を感じる力も高いし、同一の相手から何度も殺気を浴びていれば誰から向けられているものかも分かってくるようになる。

「委員長がその戦闘装束でカカシを連れて現れた時『そこまでしてアタシのことを倒したいのか』と逆に嬉しくなった。さっきは腰抜けといってしまったが、そこまでする勇気は認めるぞ」

「……」

 あまりにも戦いに対する心構えの違う相手の言葉を聞いて、委員長は自分が情けなくなった。

「……鬼越さん、なんで私が鬼越さんに戦いを挑んだか話さなきゃ」

 鬼越は委員長からの殺気をずっと感じ、それが委員長からのものだとずっと知っていても、今まで黙っていたのだ。そんな相手に対して、今までの経緯を秘密にしておくのは、あまりにも無謀だと委員長も悟った。

 鬼越の戦いっぷり(暴走っぷりともいうが)を間近に見せ付けられて、すっかり委員長から毒気が抜けてしまった様子。だから全てを話しての贖罪を選ぶ。

「――どうやら委員長の事情を聞くのは場所を移してからになりそうだな」

 しかし耳の良い鬼越は、川の方から聞こえてくる異音に気付いたらしく、そちらの方に顔を向けていた。

「……?」

 委員長も川の方を見ると、水上を小柄な艇体の水上機械がこちらに向かって航行してくるのが分かった。水上保安庁所属の水陸両用戦車だ。そしてキューポラから上半身を出している女性戦車長は、鬼越には見覚えのある顔だった。陽子とヒトミを助けた時にやって来たあの戦車長だ。

 水保の戦車は真っ直ぐこちらに向かってくる。朝から目撃情報のあった水の魔物を追っていたが、鬼越に最後の一体の退治を先を越されてしまった形だ。電波探信儀からの失探が続いていたのかも知れない。元鉄車帝国兵ほどではないが、水の魔物も電探などに引っかかりにくい。

「やはり事情聴取とかあるのだろうか。アタシはあまり目立ちたくないのだが」

 水の魔物が消えてしまったのは水保側も分かっているのだろうが、事後処理と消滅した現場検証のために上陸しようとしているのだろう。そういった面倒くさいことには極力巻き込まれたくない鬼越の顔が渋る。

「だったら私が」

 だいぶ腰の感覚が戻ってきた委員長が立ち上がる。

「いいのか、任せて?」

「うん、それぐらいは任せて」

 せめてそれくらいは魔法少女としての責任を果たさないと色々申し訳ない。

「そうか、ならば任せた。状況終了後再び参る」

 鬼越はそう告げると金棒を担いで崖を登り川沿いの道路の先へと消えた。

「……」

 さて、水保の保安員にはなんて説明しようかと今から台詞を熟考する委員長であった。


 二人は一端高校に戻り、それから寮への帰り道を一緒に歩いていた。

 委員長はまさか戦いの舞台が校外に展開するとは思わなかったので通学鞄の類は置きっぱなしであり、鬼越も金棒を入れておいたバッグを回収したかったので一度学校へ戻った。

 それから再び寮への帰り道を一緒に歩いているのだが、それだけ長い時間歩く時間があったのでお互い色々と話が出来た。二人とも普通に下校時の女子高生姿である。

 委員長も変身の解除は一人でも可能だった。それも含めてゼファーは委員長を一人でも行かせたのだろう。高校へ一旦戻るまではマジカルバトンという名のバールを剥き身で持ち歩いている女子高生というのもの凄い絵図らだったが、隣りに剥き身の金棒を担いだ赤鬼(鬼越)がいなければ確実に陸保への通報対象になっていたに違いない。鬼越に関しては金棒を丸出しのまま持ち歩いていても「それが普通」と誰も不思議がらないのは、良いのか悪いのか。

 それとは別に、魔法少女となっていた時の委員長は到着した水保のお姉さま方に水の魔物出現の事情を訊かれていたのだが、母から受け継いだ高官の名前が彫られた許可証を見せると、滞りなくすんなり進んだ。すごい。これだけとっておいて魔法少女関係の物は後は全部捨ててしまいたいところだ、特にあのカカシ。

 それはいずれ実行するとして、現状の説明を保安員相手にしたのだが、鬼越が望んだので彼女の名前を出すわけにも行かず、自分がマジカルバトンという名の鉄塊バールでぶっ叩いて倒したと伝えた。いずれは自分が本当にやらなければならないのだが「出来るのだろうか?」と今から不安になる委員長であった。

 そうやって鬼越の手柄を自分のものにしなければならないのも申し訳なかった。

「まぁ別に手柄が欲しくて倒したわけでもないしな」

「でも魔法少女って水の魔物倒したらちゃんと政府からお給料出るから」

「そうなのか? じゃあ今度飯でも奢ってくれ」

「うん、それは約束する」

 そんな風にしてまるで長年の親友のように委員長と鬼越は穏やかに会話しながら歩いていた。

 お互いの距離というか関係に不思議な安定感が生まれていた。委員長は鬼越と対峙して、その直接的な強さもそうなのだが、精神的な強さも感じてすっかり陽子を取られた復讐戦への意気込みが削れてしまったのだった。

 だから委員長は、自分のアレルギーと、それにまつわる入学当初からの陽子への思いを全て話した。相手は自分の想像以上に聡明な相手だと分かったので、全てを隠すのは無駄だと知ったからだ。

「なんだアイツは結構心配していたが、嫁にしたいほど好いてくれる者がちゃんといたのだな、しかも入学当初から」

 委員長の告白を聞いて、まず鬼越がいったのがそれだった。思わず苦笑してしまう。

「まぁ同姓であるのが難ありだが、アイツもいざとなったら同姓でも良いといっていたような気もするし」

「……そんなこといってるんだ」

「アイツも他に同属がどれだけいるか分からんし、普通の人間でアレを嫁に貰おうという猛者が現れるのもかなりの確立だと思うからな」

 人間とは似て非なる亜人類の人知れぬ苦労を鬼越が語る。ちなみに鬼越はいざとなったら里の誰かと見合いをするのだろうから、意外に嫁の貰い手には苦労しない様子。

「しかし、アタシがほんの少し遅れてこの町にやってきたのなら、委員長は本懐を達成できていたのだな。それは済まないことをした」

 それを聞いて委員長は首を左右に振った。

「鬼越さんと戦って、今こうやって冷静な気持ちになって一緒に歩いていると、なんとなく分かったのよね。犬飼さんとなんの問題もなく一緒の部屋になっていたら、それはそれで鼻血を吹き出す毎日を送っていたような気もするのよ」

 それを聞いて鬼越は思いっきり吹き出した。

「ずいぶん好きになられたものだなアイツも」

「それだけの衝撃だったのよ犬飼さんとの出会いは」

 動物アレルギーで動物好きな委員長にとっては本当に僥倖だったのだ。

「まぁなんだ、お前が陽子に、秘密の思いを抱いているのはアタシも黙っていよう」

「どういうこと?」

 委員長の心からの吐露を、鬼越は自分の胸に秘めておくと言い、委員長はその申し出に当惑する。鬼越がこのまま陽子に全て話して、委員長もせっかくお近づきになれると思っていた陽子もふもふとは永遠の別れになると覚悟していたのにである。

「だからお前も鬼の一人が鉄車怪人の正体であった事実は黙っておいてもらいたい」

 鬼越は、お互いが一つずつの秘密を持っているのだから、それを交換条件にして両者とも黙っていようと提案したいのだった。

「理由はお前が魔法少女として現れて最初にアタシに向かっていった話と同じだ。お前も鬼だから同じように怪人になる可能性は高い、と」

 委員長は偶然の産物として鬼貫の話を聞いたが、委員長の話の中で鬼越が一番気になっていたのはそこであったらしい。

「アタシも鬼であるから悪役であるのは自認する。怨まれるのは慣れている。しかし里からめいを受けた外の世界の見聞の役目もある。それを実行するには、そのような負の要素は極力減らしていた方が良いのは分かるだろう?」

「……それでいいの?」

 交換条件としては、委員長の方が非常に重く、鬼越にとってはそれほど重いようには思えない委員長は、やはり困った顔になる。

「それでいいんだ。アタシはこれ以上話が複雑になるのを好まん」

「……うん」

 委員長も申し訳なく思うが、それ以上は口を噤んだ。鬼越がもういいといっているのだから、自分はそれに従うのが償いなのだろう。

「……私にそれを教えてくれた保育士の人はどうなるの?」

 しかしあと一つだけ気になることがあるので、それだけ最後に訊いた。

「思わず口を滑らせてしまったものは仕方ない。だがアタシが今一度願えばもう少し口は堅くなるだろう。何しろこの国には鬼に嘘を吐いたら大変な目に合うという伝説も多く伝聞されているわけであるしな」

「……確かにそれは最高に強力な口止め術ね」

 それに鬼越は保育園の皆の命の恩人の一人でもあるのだ。その恩人との約束を無闇に破るようなことは今後もしないだろう。

 生まれながらにして悪役であるはずの彼女は、色んなところで人助けをしていたりする。

(……私、その意味でも最初から負けてたんだろうな)

 正義の魔法少女を継承したのに、正義のために水の魔物を倒せないばかりか、怖がって蹲ってしまっていた自分を、委員長は心底恥ずかしいと思った。

「……」


 寮へ帰ってきた二人は下駄箱に靴を入れると三和土たたきから廊下へ上がる。

「とりあえず委員長のことを部屋に招こうと思う」

「へ!? なんで!?」

 このまま一人自室でおとなしく静かにしていようと思った委員長は、突然の申し出に声が裏返った。

「なんでといわれても、本日は委員長を部屋に招くべきなのだろうなと、なんとなく思ったからなのだが」

 仲の良い間柄になったのなら家に招くべきというのは、どこの地域でも同じように考えているのだろうが、鬼越と委員長は寮生活なので自分の部屋に招こうということなのだろう。

「……だって、犬飼さんいるよね、私が入ったらいきなり鼻血ぶちまけるかも」

「それならば委員長は毎日の教室で鼻から血を垂れ流さなければならぬだろう」

「……あ、そっか」

 委員長も陽子とは肌が触れるくらいまで接近したことはあるが、鼻血を出した経験は一応まだない。これからそんな恋焦がれた狼人もふもふと狭い部屋で密室状態になるのだが、鬼越もいるので大丈夫だろうとは思う多分。

 廊下を進んできた鬼越が一つの部屋の前で立ち止まる。委員長も立ち止まる。ここが鬼越と陽子の部屋である。鬼越がドアノブに手をかけた。

「では、行くぞ」

「う、うん」

 鬼越が何故か掛け声をかけ、委員長が何故か力強く頷く。

「ただいま」

 鬼越がそういいながらドアを開けると、陽子は勉強机の椅子に座って誰かと話していた。話し相手は十字形の人形。

「へー、ゼファーさんがいると鳥とか狐とか狸とか全然寄ってこないんだ?」

「そうですとも、我輩の眼力に恐れをなして誰も作物を盗れませぬぞ」

「だったらうちの実家の畑にもゼファーさん欲しいなぁ」

「出張でしたら、新たな契約が必要ですな」

「――あ、お帰りミユキ。なんだ委員長も一緒なんだちょうど良かっ」

 ビュンっという音が聞こえそうな勢いで鬼越の脇を抜けて委員長が室内に突入する。投げ捨てた学生鞄とマジカルバトン入りのバッグが派手な音を響かせて廊下に転がる。

「ゼファーっ!? なんであんたがここにいるのーっ!?」

 委員長は効かないとは分かっていてもカカシの首を両手で掴んでぎゅうぎゅう締める。

「いや、そこにおられるヨーコ殿の形の良いおヒップを眺めておりましたらな、我輩が普通のカカシではないと早々にばれてしまいましてな」

「私を一人にしてキサマなにやっとんじゃーっ!」

「いや~、あんなに熱い視線でお尻みられてたらボクにも分かるよ。『あ、このカカシはボクと同じようなカテゴリーの人(?)だ』って」

 鬼越から代わりに荷物の受け取りを頼まれていた陽子は、それは夕方以降ということでそれまでは部活をしていようと思い、とりあえず本日は走り込みをしていたところ、腰の辺りに妙に熱い視線を感じたのだった。

 自分自身他人からの視線を多く浴びるのは慣れているし、腰から下がる特徴的な体のパーツに自然と多くの視線が集まるのも体感的に知っている。

 しかしその視線は、その尻尾を通り越してその下で躍動するモノ一点に集中しているのを陽子も感じたのだ。

 尻に妙な違和感をずっと感じていた陽子は、校庭にある花壇の隅に見慣れないカカシが一体刺さっているのを見つける。「園芸部の子たちが作ったんだろうか?」と始めは思ったが、そのカカシの視線が自分の尻に一致するのを知ると、あれは普通のカカシじゃないと本能的に分かった。伊達に異端審問官などに狙われている訳ではないのだ。

 というわけで走るのを途中で止めた陽子は花壇の方にトコトコと歩いて行き、そこに刺さっているカカシへ「多分キミはボクと同じカテゴリーの人(?)だよね」と問いただしたところ、相手が狼人では白を切りとおすことも敵うまいと、正直に正体を明かしたのだった。

「……あんたが犬飼さんのお尻ばっかり見てなければバレなかったんじゃないの?」

「あの校庭で活動しておられる方々の中では一番の良い形のおヒップでしたからな。我輩目が離せませんでした。筋肉量といい脂肪量といい満点でございます」

「いやー、そういわれるとなんか照れるなぁ」

「……それは犬飼さんだけが普段からレーシングウェアでお尻丸出しだからでしょ」

 なんで陽子の尻だけ目立っていたのか委員長が冷静に突っ込む。陽子のヒップも形が良いのは確かなのだが、他にもそれなりに形状の良い尻のラインを持つスポーツウーマンは沢山いる訳で。そしてそれらの殆どが普段は短パンで隠しているわけで。

「……で、なんで二人は一緒にここにいるのよ?」

「我輩が普段は娘殿の生家所有の畑に刺さっておりますとお教えしますと『じゃあ委員長ももうすぐ帰ってくるから一緒に寮に行こうよ』とお誘いを受けましてな。淑女のお誘いを無碍にするのは紳士の務めとして反しますからな」

「なにいっとんじゃこの変態紳士が!」

 委員長は締めていた手を解くと、今度は思いっきりゼファーの顔をぶん殴った。布製の頭部がボフン! と良い音がして潰れる。

「いやー、淑女だなんていわれたらボク照れちゃうなー」

「犬飼さんもこんなド変態誘っちゃ駄目でしょ!?」

「いやー、ボクも『ド』の付くお方だとは思ってたけど、委員長の身内らしいし」

「こんなの身内だなんていわないでぇーっ!? しかもカカシだからこれっ!?」

 涙を吹き零しながら全力否定の委員長。

「しかも変態か、ドの付く」

 鬼越が冷静に突っ込む。

「難儀な身内のいる家庭に育ったものだな委員長」

「これ違うからっ!? こんなの家庭にいないからっ!?」

「大切な家庭の作物を見守っていてくれるのだろう? ならば家族の一員といっても過言ではないのか」

「おにごえーっ! キサマやっぱりブッコロス! おもて出ろ!」

「よし、気の済むまでお相手いたそう」

「まぁまぁ二人とも」

 一触即発の二人を前にして、手の平を上下に動かしながら陽子が仲裁する。

「帰ってきてずっと立ち話だからさ、とりあえず座ってゆっくりしよ?」

「……え、あぁ……うん」

 陽子にそういわれては無碍に出来ない委員長は二つ返事で気持ちを収める。鬼越は戦うのも止めるのもどうでも良いらしいので、委員長が投げた学生鞄とバール入りバッグを回収すると自分の分の金棒入りのバッグとまとめて部屋の隅に置き、ドアを閉めて中に入った。そのままテーブル前の一角に腰を落ち着ける。

 委員長は「カバンごめんね」と鬼越にいうと、今度は無言で部屋の窓を開け、ゼファーの脚の棒をむんずと掴んでそのまま外へ放り投げた。そして窓を閉める。鍵もかける。

『娘殿ー、酷いですぞー、我輩も話に混ぜてくだされー』

 体を回転させて、軍手でぺちぺちと窓を叩くゼファー。

「カカシはカカシらしく外で鳥を追い返してろ! それとあんたはそもそもカカシなんだから動くな! バレるでしょ!」

 ゼファーはそういわれて、急に静かになった。外に出されて他の人間の目にも触れるようになったので、それなりに自粛しているのだろう。基本的には紳士である、変態だが。

「……いいの?」

 陽子が窓の方を指差して効く。

「いいんです」

 委員長はそういいながら自分もテーブルの一角に座った。続いて陽子も座っていた勉強机の椅子からテーブルへ移る。

「そういえば委員長がボクの部屋に来てくれたのは始めてだねぇ」

「う、うん」

「といいつつも委員長はここに来たのは遅めだから、ボクの方から行く機会もなかったけど」

「……えーと、あのド変態カカシはどこまで私のことを?」

 まずはそれを問い質さなければならないとまずは委員長はそれを訊いた。あの薪予定の廃材の塊はどこまで喋ったのか。

「いつもは委員長の家の畑に刺さってるって、それだけだよ」

「それだけ?」

 委員長が魔法少女うんぬんということに関してはまだ喋っていないらしい。一応は今後の活動なども考えて気を使っている様子。

「カカシが喋ったこと自体に関しては特に驚か……ないよねぇ」

 本人は狼女。同室の相手は赤鬼女。喋るカカシ程度に驚く要素が全くない。

「うん。ゼファーさんが片足跳びケンケンしながら着いてくるのも普通にスルーしてた」

 陽子本人は友達が鬼で、その友達と一緒に鉄車怪人を倒したり、しかも陽子自身も異端審問官と接触があったりするような人生なのである。喋るカカシ一つでは今さら驚きようが無い。

「して、ヨーコ、アタシ宛の荷物は届いたのか?」

 今度は鬼越が訊いた。彼女には委員長と戦っている最中に届く予定だった荷物があるわけだ。

「届いたよ、はいそこに」

 陽子が顔を向けた方向には、見慣れた特大のスポーツバッグが置かれていた。陽子とヒトミを助ける時に受けたバッグの傷もそのままだ。

「……」

 鬼越は再び立ち上がってバッグに近づくと無言のままジッパーを開いた。巨大な武具が里に置いてきたそのままの状態で入っていた。

「……なに、それ?」

「もう使う相手がいなくなってしまった決戦武器だ」

 委員長の質問に鬼越はジッパーを再び締めながらそう答えた。

「決戦武器……」

「本来これを叩きつける相手はもういなくなってしまったのだが、なにか妙に胸騒ぎを感じてな。これを使う機会がまた起こるのかと思い、里にふみを送って届けてもらった」

「それって県境まで行ってきたのと関係あるの?」

「まぁそんなところだ」

 陽子の質問には鬼越は何か思うことがあるのか、多少はぐらかすように答えた。そのまま再びテーブルに戻って座る。

「ああそうそう、それ持って来てくれたの鬼貫おにつらさんだったよ」

 特にそれには気にせずに、これを届けてくれた者の名を陽子が告げる。

「なんと?」

「普通の宅配業者じゃこんなもの運べないからって。なんかそれっぽい格好して来てくれたよ」

「そうか持って来てくれたのはアイツだったのか。顔も合わせず帰してしまうとは鬼貫には申し訳ないことをしたな」

「ううん、ミユキは果たし状をもらったんで今ごろ戦ってますよって教えたら『鬼らしい不在の理由でなにより』って笑って帰ってったよ」

「ははは、鬼貫アイツらしいな」

「あの……鬼貫さんってもしかして」

 その名を聞いて委員長が恐る恐る鬼越に訊く。

「ああ、騒動の理由の一つである黄鬼本人だ」

「……」

「騒動?」

 今度は二人の会話の意味が分からなくなってきた陽子が訊いた。

「アイツは怪人の中身だったのだ。それだけで大騒動だろ?」

「まぁね」

 陽子の疑問に鬼越がごまかすように答えると、陽子本人もそのまま納得した。自分にとっても大騒動であったので、陽子はそれ以上は特に気にしなかった。

「……」

 そして委員長は、そんな風にして自分の為に言葉を選んでくれている鬼越の姿を見ると、申し訳なくて体を縮込めるしかない。

「どうしたの委員長、なんか様子がおかしいけど」

「う、ううん、だいじょうぶ」

「そう? あ、そうだ。委員長宛の荷物もちょうど一緒に届いたんで預かってたんだよ」

 そんな委員長の仕草で思い出したのか彼女宛の荷物も配達されていたのを陽子が思いだした。

「私宛?」

 委員長は荷物が届く心当てはまったく無い様子。

「うん、なんか実家のお母さんからっぽいよ?」

 陽子が部屋の奥においておいた箱をテーブルの上に載せる。送り主は山本椎菜で届け先は山本堵炉椎なので、母から委員長宛の荷物で間違いない。

 それは横に長い直方体の箱だった。生花などを送るために良く使われるものでパッケージにも「生花用」と印字されている。

「花?」

 委員長が首を傾げる。しかも恐ろしいほど頑丈にテーピングされている。中身が全く分からない。本当に中身が花であっても匂いすら漏れ出さないほどにがっちりテープで梱包されている。

「これも鬼貫が持ってきたのか?」

「ううん、別の人。でも殆ど同時だったから、ボクが預かってたんだけど。これ持ってきた業者の人は鬼貫さんのこと見てビビッてたよ」

「まぁそうだろうな。あれだけの大男だ。変装しても隠しきれるものでもあるまい」

 配達員風の格好をしてきたのなら、帽子から角が出っ張っていたりしたのだろうなと鬼越も想像する。

「して、その実家からの包みは何が入っているのだ?」

「さぁ? まったく心当たりがないんだけど……? ここで開けちゃう?」

「委員長が構わぬならアタシは別に」

 鬼越がそういいながら陽子の方を見ると「右に同じ」と答えた。

「……なんだろ?」

 委員長が疑問符が取れないまま多量のテープを剥がして蓋を開くと、軽いツンつした匂いが一気に部屋の中に充満した。委員長が中を覗くと、全長1メートルくらいのただの草にしか思えないようなものがぎっしりと詰め込まれていた。

「え……菖蒲?」

 しかして委員長はその匂いですぐに分かった。それは委員長の実家の周りに今の季節なら生える単子葉植物。花の開花時期であったらしくとうもろこし状の小さな花が一本一本についている。

「でも……なんでまた?」

 なんでわざわざこんなものを……と委員長が更に首を傾げていると

「菖蒲、か」

 と鬼越がぼそりと呟いた途端、バターンと倒れた。

「え!?」

 何の前触れもなく横転した鬼越に、二人は慌てる。

「ミユキ!?」「鬼越さん!?」

 陽子と委員長が倒れた体を揺さぶるが、鬼越は一瞬にして気を失ってしまったらしく全く反応が無い。陽子が心臓に手を当てると一応鼓動は続いていた。

「だいじょうぶ、心臓は動いてる。でもどうして……?」 

「な、なんで、どうして!?」

『菖蒲は、鬼の究極かつ唯一の弱点なんですぞ』

 二人が突然の惨状に憂慮していると、窓越しのゼファーが説明してくれた。

「!?」

 その説明に二人が愕然となる。

「そ、それって」

『狼人のヨーコ殿は銀が猛毒であるように、鬼であるミユキ殿は菖蒲が猛毒であるのです。強きものはまた明確な弱点も存在するのは道理』

「そ、そんな……」

「じゃあミユキを治す方法は!?」

 陽子が窓に取り付いて鍵を開錠するのももどかしく壊すような勢いで開くと、外にいるゼファーに訊いた。

「持って生まれた鬼の身体の強さを信じて安静にさせておくしか、我輩も思いつきませぬ」

「ちくしょう! 鬼貫さん返したの失敗した! あの人がいてくれればなんか治す方法知ってたかもしれないのに!」

 悔やんでも悔やみきれないが、陽子が悔しさに歯軋りする。

「ボクの血を飲ませたら早く治ったりする!? 狼人の血だよ!?」

「うーむ、なんともいえませぬ。我輩にもそこまでの知識は無いゆえ」

 治癒能力の早い狼人の血を飲ませれば、現状の鬼越を何とかできるのではと陽子も思うが、流石にゼファーにもそこまでの知識は無かった。それに今の状態の鬼越の喉を、例え液体といえども何かが通るのかどうか。

「でも……なんで、委員長のお母さんは菖蒲なんかを送ってきたんだろう」

「……」

 それまで恐怖で震えていた委員長が、その言葉を引き金にしてとある物を見つけた。菖蒲の詰ったダンボールの隅に一枚のメッセージカードが刺さっていた。小刻みに震動する手で何とかそれを引き抜くと書かれたメッセージを読んだ。

『今年も庭の菖蒲に可愛い花が咲いたので送ります。なんでも菖蒲って鬼の弱点なんだってね。試しに使ってみたら?』

「!?」

 元々が「鬼を倒したい」という一念で母の元へ行った訳なので、その力を娘へと譲り渡した母も、親切心として対鬼用のオプション装備を追加で送ってくれたのだ。

 そしてそれは恐ろしいほど抜群の効果を上げた訳だった。

「わ、私……なんてことを」


「……ぅん、?」

 鬼越が気付いて目を覚ました時、ここふた月ほどで見慣れた天井が見えた。低い位置にある角材を格子状に組み合わせた上に板が載る。二段ベッドの下から見える上段の底だ。倒れた自分を誰かが寝床に運んでくれたらしい。衣服が夜着に変わってもいた。

「よかった……目を覚ましてくれて」

「……?」

 いつも一緒にいる住人とは違う声を聞いて鬼越が顔向けると、委員長が今にも泣きそうな顔でこちらを見ていた。

「委員長か……なんだ、看ていてくれたのか」

「うん……」

「ここの部屋のもう一人の住人はどうした?」

「そこで寝てる」

 委員長が顔を向けた方を見ると、テーブルの上に突っ伏して陽子が寝ていた。

「ちゃんと寝床の上の段で寝ていればいいものを」

 鬼越は口ではそんな風にいうが、陽子の気持ちももちろん分かる。彼女のベッドは鬼越の上の位置だが、今日ばかりは鬼越の顔の見えるところにずっといたかったのだろう。

「犬飼さんもずっと起きてたんだけどね、疲れてちょっと寝ちゃったみたい」

 テーブルの上で静かに目を閉じている陽子。そんな風にして自分の腕に蹲るようにして寝ている姿は本物の狼のようだ。

「菖蒲はどうしたんだ?」

「……河川敷に持っていって燃やして捨てた」

「そうか」

「……」

「……」

「ごめんなさい……」

 しばらく沈黙が続いた後、委員長がそう口を開いた。

「どうした、アタシのことが殺すほど憎かったんじゃないのか?」

 その言葉に委員長は全力で首を左右に振る。

「すまんな。今の言葉はアタシの方がまた意地悪だったな」

 その謝罪を聞いて委員長が再び全力で首を左右に振る。

「鬼越さん……これ」

 委員長は力なく言いながら一枚のカードを差し出した。

「これは?」

「菖蒲の箱に入ってた母さんからの手紙」

 鬼越は差し出されたカードを受け取るとその文面に目を通した。アルコールの匂いがしたが、それは菖蒲の匂いの消毒のためであろうと、鬼越は委員長の心遣いを酔いそうなほど強い消毒液臭に感じた。

「なるほど、そういうことだったか」

 委員長の母からのメッセージを読んだ鬼越が得心がいったように頷く。

「この母上からの手紙というのはヨーコには見せたのか?」

「ううん……怖くて見せられないよ」

「そうか、ならばヨーコには見せずにそのままこれも焼き捨てろ」

「……え」

「これ以上話が更に複雑になるのはアタシも好まん」

 鬼越が静かに、それでもきっぱりとした口調で言う。

「委員長のことをヨーコから引き離したいと願うならばこの手紙は最高の武器になるだろうが、アタシはそんなことを望んでいるわけではない」

「……」

 それを聞いて思わず涙が一滴零れた委員長は、眼鏡を上げて指で拭った。

「……鬼越さんって優しいね」

 再び眼鏡を戻しながら委員長が言う。

「そのような褒誉を受けるのは我が種族にとってはあまり好ましくないものだがな」

 しかし鬼越もそういわれて、嬉しそうな微笑を隠そうとはしない。

「じゃあそれ、鬼越さんにあげる。せめてもの罪滅ぼしに」

「いいのか?」

「うん……」

 鬼越はそれを聞いてカードを枕元に於いた。回復したら私物入れのバッグの奥にでもしまっておこうと思う。特にこれを何に使おうとするつもりもないのだが、委員長の気持ちを形としてもらったのだ。大事にしようと思う。

「しかしあの菖蒲は効いたな。アタシも里の外の世界で活動するようになってからは気をつけてはいたのだがな、まさかあんな直接的にしかもあれだけ多量に更には不意打ちで食らうとは思わなかった。もう少し手段を巧妙に仕上げておけば、委員長は魔法少女にならなくともアタシのことを倒せていただろうな」

「……」

 確かにそうかもしれない。

 だが、鬼越のことをこの町から消して陽子のことを奪い返そうという気持ちは、さっぱり消えてなくなっていた。

 事前にもっと鬼という生き物のことを勉強していれば、弱点も早期に見つけて労せずして鬼越には勝てていたかもしれない。

 しかし今となっては何か――その行為には歪なものを感じるようになった。

「犬飼さんも『ボクがこの部屋で預かってなければ良かった』って申し訳なく思っていて」

 だから委員長はそんなことをいった。みんな倒れた鬼越のことを心から心配した。その一人に委員長もいた。今となってはそれだけだ。

 陽子が、寮母に頼んで委員長の部屋の鍵を開けてもらって、中に荷物を入れておいてあげればよかったと悔やんでいたことも話した。

「それならばここで開けても良いといったのはアタシも含まれる。失策はアタシにもあるぞ」

 しかし鬼越自身は済んだことだからと静かに言う。

「菖蒲が毒として鬼にどれだけ効くかは千差万別だ。アタシに非常に効き目があったのは、まだ歳若いから体内に菖蒲に対する抵抗が殆ど無かったからだろうとは思う」

 そしてまだ外の世界での経験の浅い自分だったからこそ招いた失策だったと鬼越自身も語る。

「お前とヨーコはアタシが気を失っている間は、何か会話はしたのか?」

「ううん、なにも……」

 必要なこと以外は会話するような雰囲気ではなかったので、二人とも殆ど無言だった。

「そうか、ならば今回までの経緯はヨーコにはこれ以上は喋らぬほうが良いだろうな。その方が丸く収まる」

「……」

「お前がアタシに陽子を取られたと恨みを持ち、魔法少女を継承してまで倒そうとし、最後に先代である母上から菖蒲が届けられた――話さないでおくのはそこまで全てだ」

 鬼越はその一連の内容を委員長には話さないと約束したが、それを委員長自身も話すなと言う。

「でもそれだと鬼越さんが悪者のままで……」

「鬼は生まれながらにして悪役だ」

 委員長のそれでは申し訳ないという申し出を、鬼越はあまりにも簡単に遮った。

「委員長もアタシにいっただろう、鬼は倒されるものだと」

「……」

「アタシは生まれながらにして悪役だ。怨まれるのは慣れている」

「……でも」

「お前は生まれながらにして正義の味方なのだろう? ならばその矜持に従って最後まで貫き通せ」

「……」

 鬼の彼女はかつて、一族を一度は滅ぼした蒸気侍を討つというたった一つの使命を受けて、里を出てきた。悪なら悪らしく人生の全てをかけてでも恨みを晴らすと、その思いだけを胸に秘め。

 それだけ一途に生きられる彼女の言葉は、自分を邪魔した相手を倒したいと半ば軽い気持ちで正義の力を継承してしまった委員長には重かった。しかもそれをいわれたのが倒すと決めていた彼女なのだから、更に重い。

「……」

「粥を……作ってくれぬか」

 少し会話が途切れた後、鬼越が唐突にそういった。

「おかゆ?」

「できれば極限まで簡素な作りのものがいい。少し腹が減った」

「……わかった、すぐ作ってくる」

 委員長は寮母の部屋に行くと、火の落ちた厨房を貸してくれるように頼んだ。鬼越が倒れたのはもちろん寮母にも伝えていたので、鬼越が目を覚まして粥が食べたいといったからと伝えると、快く了承してくれた。

 静かな厨房に入った委員長は、残り物のご飯を見つけるとそれを雪平鍋に入れ、水で軽く煮込む。後は少量の塩で味を調えて椀に移す。味噌汁用の三つ葉があったのでそれを少し散らした。

 10分ほどで準備を整えた委員長が再び鬼越の下へ戻る。

「どうぞ、口に合うかどうかわからないけど」

 委員長が上半身を起こした鬼越に椀を渡す。箸とスプーンの両方を用意したが「箸が良い」というのでそれも渡す。

「いただきます」

 椀に口をつけ箸で少しずつ流し込む。

「美味しいな」

 飾らない味が弱った体にたまらなく美味しい。鬼越の無骨な褒誉に委員長は少し頬が赤くなってしまった。

「委員長は料理が上手いのだな」

 鬼越にしても冷や飯にただお湯をかけただけでも全然構わなかったのだが、自分が望んだ通りのものが出てきて少し驚いた。

「うちの母さん急に一週間くらい入院しちゃうこともあったからさ、それくらいならすぐに作れるよ」

「それはもしかして齢を重ねても魔法少女として戦ううちに、体が故障してなどではないか?」

「うん、まったくばっちりの正解だよ。良く分かるね」

「アタシは戦いの種族だからな、なんとなくその辺りの事情は分かる」

 そうして会話を続けるうちに鬼越は全部平らげた。

「ああ、美味しかった」

「おかわりは? すぐ作れるよ?」

 鬼越から椀と箸を受け取りながら委員長が訊く。

「いやいい。これで十分だ」

 そういいながら鬼越は再び体を横たえた。

「良く眠れそうだ」

「……ちゃんと起きてきてよ」

「努力はする」

 鬼越はそう告げると瞼を閉じた。

「……」

 本人が眠りたいのなら後は静かにしておくのが一番だと、委員長も鬼越の眠るベッドから離れてテーブルの一角に座った。

「……」

 今委員長の目の前には、狼人が無防備な姿で眠っている。ほんのちょっと彼女に寄り添うだけで、ほんの少し彼女の体に手を回すだけで、委員長の長年の悲願は達成されるだろう。

 しかし、こんな状況で手に入れたこの機会を自分のために使うほど、委員長の性根は腐ってはいなかった。

「……」

 陽子が目を覚まして鬼越の看病を代わるまで、委員長はその柔らかな銀毛を見つめるだけで時を過ごした。

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