1 読書体験
筆を折ったと言えば聞こえはいいが、まあ単純に恥ずかしさに耐えかねた俺は小説を書くことはやめても、小説を読むこと自体は続けていた。
それらは主にライトノベルだが、硬派な、論理的なミステリーも嗜む。
そして最近の俺はといえば、比較的最近サービスを開始した小説投稿サイトを利用している。アカウントも持っているが、もちろん、読み専だ。
そのサイトでは人気ライトノベルの全文公開があったり、書籍化や映像化した作品も多数輩出していて、当初はそうした著名な作品目当てだったのだが、近ごろは「これからヒットする作品」の発掘を楽しんでいる。
いわゆる「後方腕組み彼氏面」というか、俺が目をつけていた作品がコンテストで受賞したりすると自分のことのように嬉しく、なんとなく誇らしい。これ、俺が最初に見つけたんだぜ、みたいな。主にラブコメ作品を好んで読んでいたから、有名になったアイドルを昔から知るファンみたいな気分。
とはいえさすがに「一番最初の読者」になった経験はなく、新人作家の新作に目をつけたいと思っていたある日のことである。
俺の読書傾向からサイトがおすすめする作品の一覧――黒文字のキャッチコピーの下にあるあらすじの中に、ふと気になるワードを見つけたのだ。
このサイトでは自分の作品にキャッチコピーをつけることができ、その色も自由に変えられるのだが……その小説はラブコメにもかかわらず、コピーに黒色を使っていたのも目を引いた一因だろう。
これは俺の偏見かもしれないが、ラブコメや恋愛と聞くとピンクのイメージがある。実際、その一覧のなかにあるラブコメ作品のキャッチコピーは明るい色が多かった。まあ、投稿初心者で、デフォルトの設定にしただけかもしれないが……。
投稿話数に対して評価の星はゼロ――なんとなく、その小説を開いた。
内容はといえば、まるで昔の俺の小説を読んでいるかのように拙い文章、ありきたりな展開ばかりで、なんだか見ていて痛々しい気持ちにさせられた。
本当に、もう――なにせその小説の主人公、俺と同じ名前だったのだ。
■
俺はマゾなのかもしれない。
恥ずかしい思いをしながらもその小説を読み進めた。過去の自分と重ねたのかもしれない。一話目だけPVがあって以降ゼロというのは悲しいし、たった1でも読者がいることは今後の励みになる。だからこそ、俺もなんとか完結までこぎつけたのだから。
しかしまあ、文章は拙いものの、言葉選びが面白い。オリジナリティというか、作者の個性というものを感じる。
展開やシチュエーションはともかく、登場人物の掛け合いも楽しいし、多少気恥ずかしいが主人公も含めて魅力的なキャラクターばかりだ。
それに、これは「俺TUEEE小説」を書いていた時の気持ちに通じるものがあるのだが……自分と同じ名前の主人公が魅力的なヒロインたちに囲まれているのは、読んでいてくすぐったくもあるが他の小説を読んでいる時よりも深く感情移入できる。
幼馴染みヒロインとの登下校のシーンなんて、途中、誤字脱字でつまづきそうになるものの、「俺にも幼馴染みがいたらこんなだったのかな」と考えてしまう親しみを覚えたくらいだ。
ラブコメや恋愛作品というのは、読者が主人公に感情移入し、可愛いヒロインたちとの関係を楽しむことを疑似体験する――そういうエンタメを提供するジャンルだとするなら、俺にとってその小説は百点満点とは言わずとも及第点の出来だった。
気付けば、週に二、三話といったペースで更新されるその小説を俺は楽しみにしていた。
話数を追うごとに少しずつだが作者の文章力や構成力も磨かれていて、その成長を見守るのはさながら子供を持った親の気分である。
完全な読み専で滅多に評価や応援ボタンを押さない俺だが、作者への応援と、あと後方腕組み彼氏面するためにも本当に気に入ったエピソードにだけハートマークをつけたりした。マーキングみたいなものだ。
小学生じゃあるまいしとは思うのだが、この
■
自分を主人公にした小説――ではないけれど、まるで自分が主人公になったかのように錯覚する。
さながら二次元のVR……などと、レビューめいた謎のコピーを考えたり。
作者は俺と同年代なのだろうか、教室での休み時間のシーンにもリアリティがあっていい。リアリティどころか、そのもの実際にあったことを描いているのではないかというほど、俺にとっても身近に感じられる描写が時に顔を覗かせる。
ある日、先日教室でバカ騒ぎしていたクラスメイトたちとまったく同じような会話がその小説に描かれていて驚いた。世の中には似たようなバカがいるものだなと、こういう小説があったことを俺は後方腕組み彼氏面で友人に話したりなどしていた。
案外その作者、このクラスにいるかもしれないぜ――などと友人は笑っていて、そんなまさかと俺もその時は思ったのだが。
だとしたら、それはそれで面白いなと俺の妄想はふくらんだ。
もしかするとこの学校で、俺の知らないところで、実際にこんな学園ラブコメが展開されているとしたら。
……妙な嫉妬心が芽生えるが――もし、それが俺の身にも起こったら?
だって主人公、俺(と同じ名前)だし。
結末まで投稿されてはいないが、俺は評価ボタンを押すことにした。
評価は星1~3までの三段階。1は最低評価だが、別にBADを意味するものではない。「良い」「すごい」「超すごい」の三段階だ。評価することがもうポジティブな反応なのだ。
ちなみに、星は三つだ。
■
しかし、夢を見てしまう。
この小説がまるで、俺の現実の延長であるかのように思ってしまうのだ。
というか、そう願いたい。
はじめは、クラスの女の子……
それはあの小説の、俺が応援マークを押したエピソードのような雰囲気で、実際会話の内容もだいぶ近しいものとなった。それもそのはず、話題に困った俺があの小説の主人公の台詞に頼ったのだから、自然と似たような脈絡になる。
そうしてかかわりを持つと、教室でも永尾さんと接する機会が増えた。
偶然かもしれない。本当に夢でも見ているのかもしれない。これまでそんな気配のなかった俺の日常に、青春の風が吹き込んできたのだ。
まるであの小説のように――俺の人生に、ヒロインが現れた。
……とはいえ、ちょっと親しい女子が出来たという程度だけれど。
■
俺の人生が色づき始めたころ、若干展開がマンネリ気味だったあの小説にも変化が訪れた。
それは不穏な雰囲気を醸していたが、新たな展開の予感に、俺はその変化を歓迎した。
今では気軽に応援マークを押すが――こういう想いはしたくないな、と思わせるエピソードだった。それもまた小説、フィクションの醍醐味だ。しかしこれからどう展開するのだろう。不安と好奇心で、次の投稿を待つ。
学校ではラブコメ風味な日常を、帰宅したら小説の更新を楽しむ――俺の生活は充実していた。
彼女はいないし、小説の展開も雲行きが怪しいものの、ほとんどリア充といっても差し支えないような日々――
それはある日、
「……ん?」
登校し、靴から上履きに履き替えようとしていた時だった。
靴箱から取り出し足元に落とした上履きから、何かがこぼれ落ちた。
ぱらぱらと玄関に散らばったそれは、金色に輝いていた。
画鋲だ。
すぐにはそれが何を意味するのか、ぴんとはこなかった。
少しして、じわじわと――
たとえばそう、机に入れていた教科書がなくなっていたり、ノートの表紙が切り裂かれていたり、靴箱から靴がなくなっていると思えば、玄関の隅にあるゴミ箱に突っ込まれていたりと――
あの小説のような出来事が、次々と俺の身に降りかかってきたのだ。
本当に――靴が無いと分かった俺は、あの最新話を思い出してゴミ箱を確認したのだ。そうしたらそこに無造作に突っ込まれていた。そこにあると分かった自分に、あの小説そのままの現実に、俺は戦慄した。
俺は、いじめられているのか? だとしたら、それは誰に?
……いや、そんなことよりも。
どうして、この小説に書かれていることとまったく同じことが起こっているのか?
これから先、いったい何が起こるのか。
俺はまるで、物語の登場人物になったような――あらかじめ決められたストーリーをなぞるような、そんな不安感に苛まれていた。
そして。
そして、そして。
――最新話が、投稿される。
雲行きは怪しいを通り越してもはや曇天、主人公を狙ういじめの首謀者は未だあらわれず、ヒロインも姿を見せない。
ジャンルすら変わってしまったかのような薄ら寒い物語は、
■
この広い世界では、さよならもない別れでそれっきり。
きみが私を見つけてくれたこと、私がきみを見つけたこと。
それって奇跡みたいじゃない?
それとも、そうなる運命だったのかな?
■
――最終話……?
いろんな意味で薄ら寒い文章から始まったそれは――帰り道、背後から。
「俺が、刺される……」
突然、放課後に投稿されたそれは、まるで打ち切りマンガのような、あるいはヤケになったかのような――唐突な、終わり。
主人公が後ろから、ヒロインに刺されるのだ。
……まさか、そんなはず。
ありえないと思いつつも、俺は帰り支度を急いだ。何も知らない、あるいは何か察した友人が「大丈夫か?」と声をかけてくれたが、俺は遊びの誘いも断り急いで教室を出た。
逃げるように校舎を出る。校門を抜ける。とにかく家に帰ろう。部屋で落ち着いて、もう一度ちゃんと読み直そう。いや確認するなら今だ。歩きスマホというか早歩きスマホになりながら、俺は謎の最終話を再確認しようと画面を連打する。
いくらなんでもそれはないだろう。読者に対する裏切り……いやもう俺に対する殺人予告じゃないかこれは。たしかにこのところPVは俺のものだろう1しかなかったけど、だからってこんなのはあんまりだ――
「あれ――、」
修正されている。最新話が更新されている。続きがある。
文字数の変化に気付いてふと足を止めた。周りにひと気はなく、俺はすぐにその内容を確認しようとした。
その時、背後で。
「――――」
あぁこの状況って、もしかして――
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