君は真実を見ていた

神無月 皐月

第1話

夜、月を眺める。


星達が残りの力を使い果たすように光り輝く。




[現実は残酷だ]




そう、現実は残酷なのだ。


どんなに懸命に力を振り絞っても身近に光るネオンにいくつもの星達が上書きされる。




人間もそうだ。


どれだけ努力しようが、才能と言う大きな光に掻き消されていく。




例えば、友人と同じタイミングで同じ量、ギターの練習をするとしよう。


一ヶ月が過ぎた頃、同じレベルにいることができるわけではない。




これは、屁理屈だ。


だが、世の中に不満を感じているのなら、これだけで十分だ。




だから俺 里見 渚は、人以上の努力を辞めた。






翌朝、朧気な記憶を辿り大学の1限目のテキストを探す。


俺は、京都の中堅大学である京都中央大学法学部法律学科に在学する2年生である。




容姿、学力共に平凡。


顔を絵に描くと、描きやすいとよく言われたものだ。




今は、感染症が流行し授業はオンラインで行われている。


サボってもいいのだが普通を維持するには少しの努力が必要だ。




[民法改正法案のテキストどこにしまったのだろう…]




授業の時間が迫る中、テキスト如きに悪戦苦闘する俺。


誰もいない学生アパートの一室に少しの焦りと苛立ちが虚しさを増幅させる。




[あった!!]




そう言って、見つけた頃には授業を進行する教授の声がパソコンの画面から流れていた。




[これ勉強して何になるんだ?]




画面に向かい愚痴をこぼす。




[兄貴は何で法学部を志望したん??]


ある日、俺の4歳下の弟 里見 嘉紀に聞かれたことがある。




[生きていくのに知ってて損は無いだろう? それに何か賢そうに見える。知らんけど]




[本当に、適当よな。 何歳になっても腐っとるな〜]






[ほっとけ! どんなものも腐りかけが一番旨いんだよ!]




[腐りかけじゃなくて、腐ってんだよ(笑)]




そんな一連のやり取りをしたが、弟のほうが正しかったと今なら思える。


[本当に何で法学部なんて志望したんだろ…]




教授の話し声が流れていく。


それを上書きするように冷たい缶コーヒーで身体に流し込んだ。




そうしているうちに、午前の授業が終わった。


意味の無いような、この時間達。


おそらく、どんな学部を専攻しても同じ結果になっていただろう。




昼飯でも買いに出るか。


家の近くにある業務スーパーに部屋着にサンダルと言う休みの日のおっさんのような格好だ。




[えーと、焼鳥の缶詰、とうもろこしの缶詰。 これでいいか]




[507円になります]




無造作に、丁度の金額を差し出す。




[丁度お預かりしますね。 レシートになります!ありがとうございました〜]




こんなにぶっきらぼうなお客様にでも、礼儀正しく対応する。人間の鏡だと俺は思った。




部屋に戻ると、同い年の俺の彼女 深見 鈴が昼飯を作りに来てくれていた。




[なんだ、来たのか〜]




[もう少し、嬉しそうにできないの?]


頬を膨らます鈴は、可愛いなと正直思う。




[そうだな〜]


照れを隠し普通に返答する。


クールに決まったか?と自身の行動を復習する。


復習は大事である。






[何買ってきたの? 何これ!相変わらず手を抜きすぎでしょ!!]




[相変わらずじゃないぞ、こないだはしっかり作ったぞ]





[え、何作ったの??]




[鍋だな!!]




[やっぱり手抜きだ!]




小さな身体を大きく動かし俺の事を叱りつけてくる。


そういう事、他の人にはしないでね!!そう内心思い付け加える。




[じゃあ、なんか作ってくれ! 腹ペコなんだよ〜]




[はいはい、今作ってるからちょっと待って!]




鈴の言葉に心躍る自分に嫌気が少しさした。


鈴は、何をしても人より起用にこなす。


容姿、学力共に秀でており友達も多い。


何故、鈴が俺を好きになってくれたのか。謎が深まるばかりだ。




努力をしない平凡な俺と、才色兼備の鈴。


まさに、油と水だ。




そうこう考えている間に料理ができたようだ。


運ばれてきた料理に自然と顔が緩んだ。




[オムライスか!!]




おっと、行けない。ついつい心が踊ってしまった。


そう、俺は鈴の作るオムライスが大好物なのだ。




[渚は、オムライス好きだもんね〜]




[おっしゃる通りです。 頂きます!!]




笑顔の鈴がこちらを眺めている。


俺もついつい、その美味しさと微笑ましい時間に頬が緩んだ。


鈴といると、自分のキャラがとてもブレる。


いつも機械的にこなしている行動に色が足されていく。




[うん、うまい!]




[うん、素直でよろしい!!]




得意気に胸を張る鈴を横目にオムライスに舌鼓をうった。


互いに昼飯を食べ終わった頃、大学の授業がまた始まる。


鈴は空きコマにしており、食べ終わった後の食器を洗ってくれている。


次の授業は、鈴が授業で俺が空きコマだ。


鈴が授業を受けている間は、俺はいつも昼寝をしている。




人前で何かをするのが俺は嫌いだからだ。


平凡な俺は何をしても、様にならない。




そうこうしている間に太陽が沈み、月や星が煌めく。


晩飯を外で済ませ、鈴を家に送る。




[今日もありがとうな〜 また、明日な!]




[うん、送ってくれてありがとう!  帰ったら連絡してね!!]




[おう!!]




軽く手を振り、鈴が家に入っていく所を見守る。


それにしても、豪邸だ。


門があり、手入れされた庭と存在感の塊のような日本建築。


これ逆玉の輿狙っちゃう?そんな隠れた思いが俺にあるくらいだ。


あくまで、鈴と結ばれることになってその結果としてだ。




[帰るか〜]




夜道を歩き出すと、孤独な瞬間が押し寄せる。


様々な思いを馳せ、友人とも気楽に会えたならばなと寂しくなる。




オンラインの授業が始まってから高校の友人とは月一回ほど会うが、大学の友人とは、半年ほど会っていない。


当初は連絡を取っていたが、今では一週間に一回友人から連絡があれば多い方だ。


会わない期間が長く、友人の声が思い出せなくなり顔も鮮明さを欠いている。


俺は人間失格だ。こんなだから、友達が少ないのだろう…




鈴の家から俺のアパートまでは歩いて15分。


その間に、自分の今日していたことを少し振り返った。




[ん!俺、今日何もしてねぇ……]




まぁ、こういう日もあるだろうと開き直る。


何回この開き直りをしなければならないのだろう。


アルバイトが無くなり、仕送りと貯金を切り崩し生活する。


クビになった社会人に、ひょっとすると似ているのかもしれない。




[俺のアパート、ボロいな]




俺のアパートに到着し、その様子を眺め切なくなる。


住めば都といえど、壁は少し崩れ建物には植物の蔦がへばりついている。


卒業するまでだが、手入れぐらいしろよと文句を言いたいところだ。




[風呂入って課題して寝よ]


風呂を沸かし湯船で疲れを紛らわせ、放心状態になった。


数分後に俺の携帯が俺を現実に引き戻す。




[誰だ、もう10時だぞ〜  あ、ヤベ…]




[なんで、着いてすぐ連絡よこさないのよ!!心配したでしょ〜]




[鈴と話すときは、なるべく清い心でと思い風呂に入ってました!]




[何が清い心よ!! まぁ、いいわよ。 無事に家に着いてそうで安心した。 明日は、朝から行くからよろしくね!!]




[了解です。 おやすみ〜]




一応俺、もう20歳なんだけどな。


鈴が心配をしてくれることは嬉しいが少し複雑だ。




この日は、その後課題を終わらせ布団に入った。








朝、目が覚めるとトーストの焼ける匂いが部屋に漂っていた。


心無しか、少し目覚めがいい気分だ。




[渚、そろそろ起きなよ!!]




[うん…  今から寝るわ。おやすみ…]




[寝るなぁ!! 鈴は机に乗っていたテキストで俺をコツいた。




[わぁったよ〜]


寝癖と欠伸が昨晩の熟睡加減を物語っている。


顔を洗い歯を磨き、鈴が先に座っている机に俺も着いた。




[頂きます]


絶妙に声が揃ったが、俺の声は寝起きで滑舌が悪く何を言ったかわからない。




今日は、確か鈴と買い物に出る。


数日前、鈴が突然言い出したのだ。




[渚、今度の土曜日、滋賀県のアウトレット行こうよ!!]




[構わないけど、車で行くのか??]




[あったりまえよ!!  この為に免許取りに行ったんだから]




[いいよ〜  今度の土曜日だな]




[うん!!]




その時は大して気にしなかったが、その為に免許取ったって…


もう少し有意義に使えよ。


それと渚が免許取ったのは、2週間前。


心配だ。ここ最近運転していない俺が言うのもおかしいが2週間だろ…




[死なないかな…]


ボソッと俺は呟いてしまい、焦って鈴の顔を見る。


幸い聞こえていなかったようで、心底安心した。


人との関係が崩れるのはどんな些細なことからかわからないものだ。




携帯を変えて、データの引き継ぎがうまく行かなくて中学までの友人は0人になった。


まぁ、同窓会とかも呼ばれたことなかったし…




[なぎ… 渚!!  ちょっと聞いてるの??]




[はい! 聞いてません!]




[だと思った。ぼうっとしてるけど大丈夫??  食器洗っておくから身支度しておいで!]




[大丈夫!  助かるよ]




服を着替え、寝癖を直し荷物をまとめると、鈴が既に玄関にスタンバイしていた。


どんだけ楽しみなんだよ、そう言いながら軽いステップで俺は玄関まで急いだ。




[では、行きますか!!]


鈴はそう言うと、軽自動車を運転し始めた。


軽やかなJ-POPを流して車は順調に進んでいく。




一時間半のドライブに恐怖が無かった訳ではない。


それに伴い、俺は着く頃には少し疲れが見えた。主に精神的に。




[よし、行くか!!]




感染症の影響で人が少ない。


ベストシーズンと言えないが、世間的に。




たくさんの店が並び、目が様々なものに引き寄せられた。


美味しそうな料理に、沢山の品物。




[どこから見る?]




[えーと、この店!!]




そう言うと、俺の手を取り店に駆け込んだ。


その顔は、笑顔で溢れている。


この瞬間がずっと続けばいいのに。




[あんまり、はしゃぐなよ!]




[わかってるよ!!]


そこから多くの鮮やかな瞬間を重ねた。




ドーナツを買い、タピオカを飲みながらスティックのチーズケーキを食べる。

改めて食べてばかりの旅である。


その後、昼飯に寿司を食べ夕方まで遊び尽くした。




鈴は家族へのお土産といい、キムチを買った。


あの家の風貌からは、少し意外である。




帰りの車は、俺が運転した。


鈴は疲れて車に乗るなり助手席で寝てしまっている。




[子供みたいだな]




そう言うと鈴の髪を撫で、運転に心を戻す。


アルバイト無い俺はほとんど物は買えなかったが、鈴は3万円程の服やアクセサリーを買ったようだ。






[おい、鈴!!  家ついたぞ〜]




[う、ん…  ごめんね、寝ちゃった!]




鈴はテヘと言う効果音が付きそうな仕草を見せる。


何それ可愛い!思わず喉まで出たが口に出さずに済んだ。




[今日はお疲れ様!  楽しかった!]




[私も楽しかったよ! ありがとう〜]




[じゃあ、またな!!]




[うん、今日は忘れず連絡入れてね。 あ、頭撫でてくれてありがとうね!!]




[なっ!! ちょい]




[鈴のやつ、気付いてたのか…


あぁ、もうなんで俺こんな事したんだろう。


本当に何してんだよ!!]




はぁ、大人しく帰るか。


心からの溜息が漏れ出し、今後は気を付けることにしようと心に決めた。




家に帰り、買ったフレグランスを部屋に置いてみる。


ほのかに香りだすWHITEMUSKに癒やされながら、風呂に向かう。




[これは風呂上がったら楽しみだな〜]




風呂を上がり、部屋に入る。




[おー、いい匂い! 置くだけで結構変わるもんだなぁ!]




質素な部屋に少し場違いではあるが華やかさをもたらしていた。




布団に入るまで、香りを満喫しゆっくりと夢の世界に足を入れる。








このようななんとも無い、幸せな日々が続いていた。




しかし、その間にも感染症は広がり続け人々の心は荒んでいった。


数ヶ月前までは、ここまでの影響を見通せていない。




感染症の名前は、asb-357 世間では、コラープスと呼ばれている。


潜伏期間は1ヶ月。


この感染症は、飛沫感染で症状は主に、倦怠感や咳、肺や内臓に炎症を起こす。最悪、死に至る。


ただ、重症化率はさほど高くない。


死者は数万分の一人程度だ。




ワクチンや、新薬の開発は進んでおらず感染者は増え続けている。






そんな世界の中、俺にある悲報が鈴から伝えられることになった。




それはある穏やかな日、鈴から突然今から話せないかと連絡が来た。


俺は、コラープスにかかった。そんなこと考えたがかかっていたなら会いに来ることはしない。


 少し、気を引き締め鈴の到着を待った。


ドアが開き、鈴が神妙な面持ちで部屋に入ってくる。


前の夜に泣いたのか、目が少し腫れている。




[鈴、どうかしたのか??]




極力、落ち着く声色で訪ねた。




[渚…  私、親が選んだ人とお見合いして、私の親が気に入ればお付き合いしろって………]




[はい?]


今の状況に理解が追いつかない。


鈴がお見合い?お付き合い??どういうことだ。




[渚は、お前に釣り合っているやつではないってお父さんが…


勿論、反論した。沢山抵抗した。でも、話を勝手に進められて強引に親同士が結託して日時とか決められたの。私、どうしたら逃れられるの??]




鈴は俺の前で泣き出してしまった。


話が突然すぎる。


俺は鈴を抱きしめ落ち着かせた。




要約すると、親の仕送りに頼りアルバイトをせず、生活は自堕落。


そんな人間に娘を幸せにさせることなどできない。と言う事らしい。




話していても古典的だと感じていたことがあったが、まさかこれほどまでとは…




お見合いは、2週間後。


相手は、若くして会社を起業し軌道にのせた若社長。


俺とは別れるよう言われているらしい。






[鈴の両親と話を、させてくれ!! とりあえず鈴は、俺の家にいろ]




俺は努力をしないと決めたのになんで…


クソ、どう説得する??


頭の中で策を考え続けた。


だが考えがまとまる間もなく鈴の家にある門の前に立っている。


ここまで来たら、出たとこ勝負だと覚悟を決め乗り込んだ。






[すいません、里見 渚です。  娘さんの件でお話に参りました!]


落ち着け、落ち着け、落ち着け。


今には飛び跳ね出てきそうな心臓を落ち着ける事に俺は必死だった。




[はい、どうぞお上がりください]




静かな面持ちだが、人に反対意見を通させない強い目をした女性が俺の前に立った。


鈴の母、深見 浅子だ。




客室に通された俺は、そこで冷静沈着な冷たい目の男 深見 團十郎と向かい合った。




生きてきた年の差か、こちらから話を切り出すことを拒みたくなる圧倒的な存在感。


それでも、切り出さなければ…




[今日は、娘さんの件でお話に参りました。]




[うむ。 娘から話を聞いていると思うが、娘にお見合いをさせることにした。それに伴い、渚くんには申し訳ないが娘と別れてもらう]




[それが、娘さんの幸せを考えての事だということは重々承知しております。しかし、娘さんの幸せを考えるのであれば何故、娘さんに自由に選択させてあげないのですか?]






[答えは簡単だ、今まで君と話してきて物事に対する熱意を感じなかった。親の仕送りに依存し自ら努力することなく生活してきている。


そんな人間に、娘を任せてはおけない]




[それを判断するのは娘さんであり、お父様ではないはずです!]




[君は自分が、鈴を幸せにできると思っているのか?]




[今は、私が質問しています。私の質問に答えてください!]


しまった、浅はかな発言を…




[いいだろう、俺は娘を20年面倒を見てきた。その中で、君と娘がいる時間が有意義な物だと感じられない。実際、君が娘を家に送ってくれたあといつも心配していたよ。また連絡をくれない。何かあったんじゃないのかと。それに、私と君は接している時間が短いからこそ客観的に君を評価できる。だから、私は君が娘に相応しく無いと判断した!! 次は君が俺の質問に答える番だ!]




[私は、娘さんを幸せにできるのかわかりません。ですが誰よりも私は鈴さんを愛しています!!]




[話にならんな、自分でも幸せにできるかわからないなら私の娘のことに口を出すな!! 帰れ、もう話は無い!]




[ですが…]




[あんまり騒ぐと警察に連絡するぞ、帰れ 二度とくるな]




そう言うと、團十郎は客室から出ていった。


母の浅子は、何も言わずに帰れとでも言うように出口に案内してくる。


今にも、この家の中で暴れだしそうだ。


しかし、そんなことをしては余計に立場が危うくなる。




鈴の家を追い出され、自分の非力さに涙が止まらなかった。


道に崩れ落ち、通り過ぎていく人々の視線を浴びた。それでも、数分身動きを取ることができなかった。




家に着くと、鈴が俺の顔を見て説得することができなかった事を悟った。






[ごめんなさい………]




泣きじゃくるように謝った。勿論、謝罪ですることではないことは、俺もわかっている。




[どうしてこうなったんだろね…]




うつむきながら鈴が俺に問いかけた。




俺も知りたい。本当にずっと一緒にいるとばかり思っていた。


こんな形で離れられるわけがない。




ここまで鈴の両親から拒絶されたなら俺からの説得は厳しい。


と言って、鈴も一方的に全てを決められた。


おそらく、親同士の癒着があるのだろう。




そこから、解決することができず俺たちは、お見合いの日を迎えた。


何もしなかった訳ではない。


毎日、鈴と俺は親に頭を下げたが、両親の決意が固くこじ開けられる武器も見つからなかった。




別れることができず、行われるお見合い。


鈴にとって、これ程辛い事は無いだろう。




いっその事、お見合いに乗り込んで潰してやることも考えた。


だが恐らく、二度と鈴と会うことはできないだろう。






[現実は残酷だ]




一人、呟き空を見上げた。


平凡な俺は、才能のある人間に叶わない。


それが世の中、評価であり現実。






[それでも…]








――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――










そろそろお見合いが始まる時間だ。


お見合いは、深見家の庭を眺めることのできる一室で行われる。


お見合いには大正解と言える部屋だ。




スーツを着た若い男が両親と思われる人間と廊下を歩いてきたのが少し見えた。


男でも嫉妬するようなイケメンだ。


これで、経営の手腕も確かだという。どんなチートを使ったらそうなれるのだろうか。




恐らく、この若社長は、鈴に不自由な生活をさせることなどないのだろう。


完敗だった。


本能的に負けを認めてしまい、門に寄りかかり涙が溢れないように上を向く。




数分後、鈴の家が騒がしくなった。


救急車を呼べとの声が俺の耳に入る。




[もしも………]




俺は、もしかすると鈴に何かあり、救急車を呼べとの声が聞こえたのだと感じた。理由はないが何故かとても確信に近い。




数分後、深見家の前に救急車が到着した。


ストレッチャーに乗せられた若い浴衣を着た女性。


野次馬で少ししか見ることができなかったが、鈴だ!!




[なんで…]




短い本当に一瞬だった。


しかし、心は絶望を覚え、身体は無限の時間の中に取り残される。


脈が乱れ、視点が定まらない。




[京都洛中病院への搬送準備が整いました!]




脳の混乱の中、はっきりとその声が聞こえた。




[洛中病院だと?]




洛中病院は、京都市役所の近くに建っている病院で今は、感染症コラープスの第一受入れ先となっている。




これが意味する事は、ただ一つ。


鈴がコラープスに感染している疑いがあるということだ。




だが、救急車に運ばれるような容態の患者はそれほどいない。


扱いとしてはインフルエンザと同じ第五類感染症だ。






今は、そんなことどうでもいい。


洛中病院に俺も向かわなければ。




[俺も乗せてください!]




救急隊員や、團十郎に叫んだが当然乗せてもらえる訳もなく、家に停めてあった鈴の自転車を借り、病院に急いだ。






病院に着くなり、ナースステーションで救急患者を受け入れている場所を手当たり次第に聞いた。




ようやく、その場所を見つけ出すと医者と鈴の両親が話している内容に聞き耳を立てた。




医者によると、鈴はコラープスの重症患者である可能性が高いとのことだった。


重症化した理由は、直ぐにわかった。


鈴は、喘息を持っていた。




医師達の懸命の処置により、一旦は鈴の容態は落ち着いた。




しかし、有効な治療薬が無い以上ここからは鈴の治癒能力に任せるしかない。


時々、苦しそうに咳をしているのをガラス越しに眺める。


心苦しい時間が続く中、正式にコラープスに感染していることが判明した。




お見合いの最中の悲劇だった。


だが俺は、お見合いが無くなったことに少し安堵している。


この気持ちがさらなる後悔を後々招くことになるとは、この時の俺は想像すらしていなかった。






面会謝絶が続く中、数日が過ぎた。


気持ちが少し落ち着き、鈴が退院するまでにアルバイトの一つでも決めておこうと行動を始めた。




携帯を眺め、スーパーの品出しに応募する。


応募ボタンを押そうと指を動かした時、鈴の父 團十郎から電話が鳴った。




[はい、里見です。 どうかされましたか??]




[娘が、ついさっき亡くなった…]




團十郎のその一言には、冷静の中に悲しみや悔しさ、様々な想いが渦巻いていた。




たった二言の会話は、俺に絶望を植え付けた。


鈴は、病気で苦しんでいたのにお見舞いが無くなったことに安堵していたり、悠長にアルバイトを探したり。




勇気を出し、病院に向かった。


携帯の鈴との写真を眺め、この屈託のない笑顔はもう見ることができないこと。二度と会うことができないこと。


俺自身の愚かさ、様々な後悔の念が俺を衣服のように包み込む。




病院に到着した俺は、鈴の病室に進まない心を引きずる。




病室に入り、團十郎や浅子に頭を下げ鈴と対面した。


まだ少し体温が残っている。


その熱が余計に鈴の死を強調した。


決して戻ってくることのない熱が戻ってくることを強く念じる。


そんなことしても虚しいだけなのは、分かっているのに。




五分が過ぎた頃、看護婦の一人が俺に手紙を手渡してきた。




[深見さんからです… この度は、御愁傷様でございます…]




[ありがとうございます… はい、僕にとって本当に太陽のような人でした…]




封筒の後ろに 渚くんへ と書かれている。




今はそれを読む気にはなれなかった。


俺を支えていた大黒柱が突然切り倒され、心と身体が瓦解し始めている。




そこからの日々は早かった。


鈴のお葬式に出席し、決まった言葉を発する。


そんな中、俺は團十郎に呼び出された。




[君には本当に申し訳ない事をした。 娘の事を案じるあまり周りが見えなくなっていた。  今となっては、言い訳のようだが本当にすまない…]




[大丈夫です。俺は貴方の言うように鈴に何もしてやれませんでした…]




[娘は、こんな親父に幸せでしたと言ってくれた。俺は、娘の幸せを潰したのに…]




自身に対し激しい憤りを感じているのか激しい歯軋りをしていた。


俺と同じだ。


俺と團十郎は、似ているのだろう。


自身の行動に、後悔の念をずっと抱いてきた。恐らくこの人もだ。




[君は娘からの手紙を読んだか??]




[手紙をご存知だったのですね。 まだ読めていません。勇気が出なくて… 恐らく手紙を読むと本当に娘さんの死を受け入れてしまいそうで…]




[君は読まなければ後悔する。 私は読んでいなければ一生後悔していた。  俺と君は同じだ…]




[わかりました。心の整理ができたときに手紙を開けます…]




鈴の父親は偉大だと感じた。


己の間違いを認め、一人の人間として自身も辛いはずなのに。


それなのに俺に気をかけてくれる。




葬式の疲れを感じ、もう会えない事を噛みしめた。


何度も何度も噛みしめ振りきろうとしたはずなのに。




[君は読まないと後悔する]




その言葉が引っかかり、箪笥に大事に片付けてあった鈴の手紙を恐る恐る広げた。












渚へ


はじめに先立つ不幸をお許しください。


息をするのもまともにできない。


日に日に、体力が削られ自身で死を感じるように、なったので筆を取ります。


生きていたなら笑い話の一つにでもなればいいなぁ。




渚、貴方は普通である為に人より真面目に一生懸命頑張っていたこと私は知っています。


私の前では基本、自堕落そうにみせていますが常に私の事第一に考えてくれていたことわかってるよ!


だから私は、貴方に惹かれ付き合いたいと思ったの。




渚は人より努力をたくさんしてきた人。


努力できる渚と、割と才能のある私。


二人揃えば、怖いものなしだったのにね!!




これから、厳しい事がたくさん続いていくと思うけどいつまでも変わらない貴方でいてください。


ここ最近ずっと言えなかったけど、私は渚のことをずっと愛しています。




                          鈴より












[くそ、なんだよ…   読んでも今さらじゃないか。 俺からの言葉はもう伝わらないじゃないか!!  俺も、愛しているともう伝えることが…


クッソー!!]






俺は夜が明けるまで泣いていた。






気が付くと昼の十二時だった。


泣きつかれて寝てしまったようだ。




俺は携帯を手に取り、決意を固め大学に連絡する。




[学籍番号20L0038の 里見 渚です。  退学の手続きをしたいのですが…]








それから数年のときが過ぎ、俺 里見 渚はテレビの取材を受けていた。


感染症コラープスのワクチン及び治療薬開発者としてだ。




[このワクチンや、治療薬が多くの人々を助ける事になることは間違いないですが、何故この流行の去った感染症を研究されたのですか?]




この数年で、流行は過ぎ去り感染者は低い数値に抑えられていた。




[私は、私の愛している女性がこの感染症に蝕まれ亡くなりました。


当時、私は法律を学んでいましたが、何もしてあげることができませんでした。


それでも彼女は私に、貴方は、努力。私は才能。二人いれば怖いものは無いと言いました。努力を誰よりも嫌っていた私にです。


彼女が認めてくれた私は、努力できる人。ならその努力で、治療薬の開発が、困難と言われていた彼女の命を奪った病を無力化したいと考えたからです。せめてもの償いとして…]






その後、数々の質問を受け流石の俺も疲れが押し寄せた。


これで少しは償うことができたのかな。




平凡な俺でも努力で人を救うことができる。




[鈴、やったよ!  君が見つけてくれた俺は、もう曲がらない]




初夏の柔らかな風鈴の音が、俺の背中をしっかりと支えてくれている。そんな気がした。


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