F-001 お題:図書館

 私は夕焼けの橙が落ちる廊下を一人で歩く。両手に抱えているかごの中には殺虫剤やら防虫剤やらペンやら、先程事務室からもらってきた交換と補給用の備品が詰め込まれている。行く先は図書室――放課後の私の居場所。

 私が図書委員に選ばれた、というより役を押し付けられたのは必然だった。休み時間はいつもクラスメートそっちのけで本ばかり読んでいたのだから。

 別に私は特段読書が好きなわけではない。

 複数人と話すのは苦手だし、服だのスイーツだのの流行りに疎い私はそもそも彼女たちと話が合わない。

 私が学校の中で教師のおとがめなしに楽しめるものは、本くらいしか残されていなかったのだ。

 そんなこともあってついたあだ名は「本の虫」。人を虫呼ばわりとは失礼極まりないと思うが、気にしても仕方ない。自分は自分の生き方を突き通すまでだ。

 本の虫と言えば、もう一人思い当たる人がいる。少しくたびれているが私と同じ型のセーラー服、透き通るように白い肌、長く伸びたつやつやな黒髪からいつも1、2本の髪の毛が飛び出しているのがチャームポイントの、大人っぽい雰囲気の人。

 神出鬼没で、私がカウンターの受付当番で図書室に来た時に既にテーブル席に座っていることもあったし、カウンターで読書をしていたらいつの間にかに書架にもたれかかって本を読んでいたこともあった。

 初めて会った時、あまりに突然現れるものだから、驚いて「誰?」と訊いた答えが「本の虫よ」。

 名前より先にあだ名を答えるなんて奇妙な人もいるものだと思ったが、本を読みながら、まるでそれこそが本当の名前であるかのように澄ました顔で答えるのだから、私は納得せざるを得なかった。

 突然現れるだけでも十分に奇妙だが、それ以上におかしなのは、私以外の誰もあの人の事を知らないということだ。

 最初は先輩だろうかと思っていたのだが、昼間に校内を歩き回ってもその人に会えた試しは無い。他の図書委員の人に尋ねてみても首を横に振るばかり。極めつけに居合わせている人に話を振ってみても、見えているのかいないのか、曖昧な返事しか返って来ない。

 最終手段で本人に訊くと「私は本が好きな本の虫。それでいいじゃない」とどこ吹く風。本当に学校の生徒なのかという質問ものらりくらりとかわされて分からずじまい。

 何とも不気味だが何か悪さをしているわけでもない。それどころか暇な私の話し相手になってくれたり、悩みごとがあれば相談にも乗ってくれたりする――本から一切目を離してはくれないが――のだから、細かいこと気にしてはいけない。私はそう思うことにしていた。

 今日も図書室のドアを開けると、あの人は既にいつもの席にいた。私が「こんにちは」と声を掛けると、ちらりとこちらに目をやって挨拶を返す。もはや当番週のルーチン業務のようになっていたそのやりとりが、今日だけは少し違った。

 あの人は私に目をやると、途端に小さい悲鳴を上げてどたどたと部屋の奥の方へと駆けていき、書架の後ろに隠れてしまった。

「そ、そんなもの効かないんだからね」と涙声で訴えるあの人。

 私は一体何をしてしまったのか? そんな疑問よりも先に、あの人が私の事を見てくれている。その事の方に私は驚いているようだった。

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