第12話 冒険の後始末
結局、その日の午後は事故の後処理や事情徴収なんかで、きれいさっぱりと吹き飛んでしまった。
病院で検査を受けたり、警察に事情を聞かれたりしているうちに、気がつけばもう夕方になっていた。
その合間にも、事故を起こしたトラックの会社の偉い人が謝りに来たり、子供の親御さんがお礼を言いに来たりと、とにかく気の休まる暇がまるでない。
事故の原因はサイドブレーキの故障。それと、下り坂では下りとは反対の方向のギアを入れることを怠ったドライバーの二重過失。
そういうことで警察は調査を進めているらしい。
下り坂で勢いのついたトラックが歩道の手すりに乗り上げて、そのまま横転。
夏帆がいなければ、子供はまともに轢かれていたかもしれない。
そんな説明を婦警さんから聞かされた。ちょっとだけ褒めてもらえたけど、アリエルと二人そろってかなり叱られた。
幸いにも身体の方はどこにも異常なし。
万が一、気分が悪くなったりしたらすぐに病院に来るようにとだけ言われて、あっさりと開放してもらえた。
「あ~もうダメ。疲れた~。あとはよろしく」
静香の家の別荘に戻るなり、夏帆はふかふかのソファに倒れ込んだ。ひんやりとした革の感触がとても気持ちいい。
「しっかし、ムカツクな。あのオッサン。結局、事故った運転手はこねーし」
「運転手のせいって言うよりも、会社のせいだと思うよ。整備不良とか言ってたみたいだし」
そんなことを言い合いながら、美紀と静香がリビングに入ってくる。
「本気でムカツク。あーいうのはちゃんとシメとかないとダメだな。ちっとも、わかってないし」
美紀も静香もあれからずっと怒りっぱなしだった。
当の夏帆はというと、とにかくホッとしたという気持ちの方が強くて、美紀たちのような気分にはなれないでいる。
「美紀、もういいって。ちゃちゃっと切り替えようよ。わたしもアリエルも、何でもなかったんだし。あれ? そう言えば、アリエルは?」
そう言えば、姿が見えない。戻ってくる時は一緒だったのだから、道に迷っているはずはないし。
「アリエルさんなら、表でタバコ吸ってくるって」
「むう」
むくれる夏帆の頬を、美紀がふにっとつまむ。
「んー。相変わらず、夏帆の頬は柔らかいなあ。アリエルさん、毎日味わってるんだろうなあ。いいなあ。このちんまい身体をこういろいろと」
「味わってないっ! 静ちゃん、美紀がエロい子になってくよー」
ふみゃふみゃと夏帆と美紀がじゃれていると、ようやくアリエルがリビングに戻ってきた。
不思議そうな顔で、夏帆と美紀を見比べている。
「アリエル、美紀がいじめるー」
「ん?」
おもむろに美紀の隣にしゃがんだアリエルが、夏帆の顔に手を伸ばす。あっと思う間もなく、ほっぺたではなく耳たぶをつままれた。
「んみゃっ」
「こっちも柔らかいんだ。ほら」
「おおーっ。夏帆、福耳だよっ! 縁起良いなあ」
「嬉しくないーっ。静ちゃん、笑ってないで助けてよぅ」
二人にされるがままで遊ばれていると、唐突になんとも言えない感触が背筋を走った。
「アリエル、耳の中はダメっ。パスっ。くすぐったいって!」
「おお、夏帆。なんか色っぽい。ちっこいけど」
遊ばれる夏帆と、遊ぶ美紀とアリエル。
静香はいつもの大人びた笑顔で、そんな三人を見守っている。じたばたと夏帆が暴れていると、耳慣れない音楽がすぐ近くから聞こえてきた。
「電話?」
夏帆のほっぺたを揉んでいた美紀が、辺りを見回す。アップテンポのオルゴールの
メロディ。
ジャズっていうのかな、などと夏帆が考えているとアリエルが上着のポケットから携帯電話を取りだした。
「ちょっと、ゴメン」
ディスプレイをちらっと見たアリエルが立ち上がって、リビングの外へと早足で歩いて行く。
「国際電話ってヤツ?」
「たぶん。ミームさんかな?」
夏帆の知っているアリエルの関係者と言えば、彼女だけだ。
アリエルの家族や友達のこともまるで知らない。知りたいとは思わなかった。
知ってしまえば、きっと思い出してしまう。もう無くなってしまった時間を懐かしんで、アリエルを妬んでしまうに違いない。
「夏帆?」
「ん? ああ、ごめん」
美紀の声に、夏帆はテンションを強引に持ち上げた。今日は楽しいお泊まり会なんだから。
この後にはご飯やお風呂と言ったイベントが待ちかまえているのだから。
「今日の事故のことかしら?」
ちらちらと開けっ放しの扉の向こうを見ながら、静香が心配そうな声を出した。
「それは無いっしょ。事故のことなんて、知らないだろうし。テレビでちょろっと流れただけで、夏帆もアリエルさんのことなんて一言も言ってないしさ」
「アリエルさん、病院でどこかに連絡してたみたいだから。たぶん、その続きかなって」
「そうなんだ」
検査や事情徴収に追われていて、ちっとも気がつかなかった。考えて見れば、旅行先や留学先で何かあれば、まっさきに家に連絡をするのは当たり前だ。
とすると、あの電話の向こうにいるのはミームではなく、アリエルの家族なのかもしれない。
チリっと目の奥で白い光が瞬く。男の人と女の人と男の子と女の子が家の中で笑っている。
四人が夏帆に笑いかけてくる。昔の家族の姿。なぜか、違和感を感じる。
何となく落ち着かないまま、数分が過ぎた。
「夏帆、ちょっといいかな?」
少し当惑したような顔でアリエルが電話を片手に戻ってきた。まだ、通話が繋がったままなのか、片手で受話器を押さえている。
「ミーム先生が、話をしてもいいかって」
「え? わたしに?」
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