第7話 インターミッション 今は無い場所で

 思ったよりも、ずっと上手くやっているようだ。


 皆が言うほど心配していたわけではないが、それでもやはりほっとする。

 アリエルの担当医務官となってから1年ほど。

 

 この八洲訓練所に赴任してもう2年になる。

 

 ミーム・ミードはいつものように煙草を咥えたまま、アリエルからの手紙をめくった。

 手紙からは楽しそうなアリエルの気持ちが跳ねるように伝わってくる。

 ホストのあの少女、夏目夏帆と一緒になって書いたらしい手紙には二人の筆跡がくるくると交差して、まるで青い空に伸びる飛行機雲を思い出させる。


「アリエルから、ですか?」


 野太い声に手紙から顔を上げると、見慣れた髭面の男が満面の笑みを浮かべてミームを見つめていた。

 顔全体を覆った髭のせいで、いつ見ても年齢をつかみづらい。

 聞いた話では30は超えているそうだが、黙っていれば40ぐらいには見えるし、口を開けば20代半ばのようにも思える。


「真城教官、ここは男子禁制区画ですよ」

「固いことは言いっこなしですよ。お姫様は遊学中だし、チビ共は訓練の真っ最中だ。見られて困る女性はどこにもいません。先生はもちろん、別ですが」


 言わなくてもいいことを最後に付け加えて、わざとらしくウィンク。

 大八洲出身の彼もまた、故郷を喪った一人のはずだが、そんな気配をこの男から感じたことは一度も無い。

 ミードの咥えている煙草を見て、思い出したように懐から細めの葉巻を取り出して真城も口に咥えた。彼自身は愛煙家でも何でも無いので、この習慣にはなかなか馴染めずに苦労しているようだ。

 もっとも、それはミード自身も似たようなものだが。

 が、これを忘れると後から自分自身が困ったことになる。

 

「それで、何のご用ですか?」


 ミームは手紙を楽しむことをあきらめて、改めて彼に向き直った。


「チビ共の訓練スケジュールのご報告に」

「チビ共?」

「失礼。第一三期スプライト訓練隊、でした」


 悪気があってのことではない。

 むしろ、彼なりの親愛の表現で、それは貴重な資質だ。だが、物事には限度がある。報告の度に毎回これではさすがにウンザリする。


「それで、進行状況は?」

「良くありませんな。訓練開始から半年ほどになりますが、期待していた結果はまだ出ていません。交代で繭に入れてみましたが、二機が結晶退行。一機は変化無し。こちらはそのままC整備に回します」


 訓練隊は四体編成を一つの単位としている。つまり、一体が報告から漏れている。


「あとの一体は?」

「コイツです」


 待ってましたとばかり、真城は上着の懐に手を突っ込んだ。

 にゃあと可愛らしい声と共に一匹の子猫がつまみ出される。よほど慣れているのか、子猫は嫌がる素振りもみせずに大あくびをしてみせた。


「今回は猫ですな。アメリカン・ショートヘアー」

「そうね」


 そんなことではないかと思っていたが、やはり落胆は大きい。

 彼女たちは、やはりヒトとしての形態を望まないのだろうか。そんなことは無い、と信じたい。

 アリエルたちは奇跡ではなく、必然なのだと。私たちには彼女たちの力が必要だ。


「どうします、コイツ?」

「いつものように、宮殿へ届けて下さい。欠員の補充として、新しい妖精種を宮殿に要請します。そうね……」


 少し考えてから、ミームは補充が届くのに必要な期間を計算した。


「一週間以内には到着するように手配します。それまでは三体のままで訓練を続行してください。所長には私から報告します」

「了解、マム」


 いつものように戯けながらの敬礼。


「ところで、アリエルの様子はどんな感じですか?」


 子猫をあやしながら、思いついたように真城が訊いてきた。どうやら、本当の用事はこちらの方だったらしい。


「気になる?」

「もちろん。なんと言いますか、手のかかる生徒を野放しにしている気分です」

「一言で言うと、予想以上ね。このまま、戻って来なくなるんじゃないかって心配になるぐらい。ホスト以外にも知り合いが出来たみたいだし、ホストの子の通っている学校に短期留学は出来ないかっていう希望もあるみたい。これはどちらかというと、ホストの子の望みのようだけど」


 ミームは真城に手紙を差し出しながら、かいつまんで説明した。


「ホストの子の名前は……」

「夏目夏帆。高校の二年になったばかりかしらね。今の時期だと」

「なるほど。ちょっと不安だったんですが、うまくやってるようで安心しました」


 やむを得ないとは言え、あのコンタクトでこれほどの結果が出るのは奇跡に等しい。事実、アリエル以外のケースではあまり芳しくない結果が出ていると聞いている。


「この分だと、予定よりもずっと早く夏目さんを招待出来そうね」


 楽しげに話を聞いていた真城の顔が、その一言で滅多に見せない真面目なものになった。


「招待ですか?」

「ええ。今、彼女と暮らしているアリエルはほんの一面でしかない。アリエルの本質を受け入れてもらってはじめて、次のステップへと進むことが出来る」

「感心しませんな。人間関係というのは、周りがお膳立てして作るものじゃないでしょう。上手くいくにせよ、いかないにせよ、それは彼女たちが決めること。違いますか?」

「アリエルはヒトではない。それは貴方が一番よくわかっていることでしょう?」


 質問に質問で返してしまったのは、ミーム自身も真城の意見に内心では同意していたかもしれない。


「同じことですよ。相手がコイツだったとしてもね」


 みゃあと真城の腕の中で子猫が駄々をこねる。

 ほんの昨日まで、自由に空を舞っていたことをこの子猫は覚えているだろうか?

 他の仲間たちと一緒に。

 それとも、もう忘れてしまったのだろうか。妖精たちが何を想うのか、まるで想像がつかない。

 ただ、アリエルのようにヒトの姿へと変じた少数の精霊たちとの対話から推測するだけだ。


「相手が機械でも、同じですな。例えば、私のバイク。実に手がかかる。そこが可愛いんですがね」

「機械なのに?」

「機械なりにです。手をかければ情がわく。対話も出来る。人間相手と同じではもちろんありませんが。コイツやバイクが何かを望めば、それに応えたいと考えるのは当たり前でしょう? 周りがどうこういう問題じゃない。互いがどう響き合うか、ですよ。ぜひ、貴女とも響き合ってみたいですな」


 真面目な顔をしていても、すぐにこれだ。


「それでは……もしも、アリエルが夏目さんに自分をさらけ出すことを望んだら? 今のようなホームスティのホストとゲストという関係から、一歩踏み込んだ関係を望んだら?真城教官としては、やはり反対?」


 ミームの試すような質問に、真城の巫山戯た表情が少し真面目なものに戻る。


「まさか。アリエルがそう言うなら、話は別です。こう見えても、恋の駆け引きは得意でしてね。っと、ホストは女の子でしたか」

「ええ。だから、その心配は無用ね」

「ま、どちらにせよ、協力は惜しみませんよ。もっとも、そこまであの人見知りが信頼出来る友人がいるのなら、ですが」

「アリエルは真城教官が思っているほどナイーヴでは無いわ。驚くほど柔軟で多面的で、きっと彼女たちの本質は私たちには永遠に理解出来ない。女王を見たことは?」

「いや、ありませんな」


 子猫の喉をくすぐりながら真城が答える。


「女王を一目でもみれば、きっと考えが変わる。私たちが初めて遭遇した妖精たちの女王。会ったのは一度だけだったけど」


 その時の記憶は今でもミームの中で色鮮やかに息づいている。

 ミームの人生を大きく変える出会いが会ったとすれば、それはアリエルとの出会いではなく女王との出会いだろう。


 人類が初めて出会った、人に在らざる意識体。

 人類の知る妖精と精霊意識体全ての親。

 一度の対話はまるで、影と話しているような不思議な感覚をミームの中に残した。巨大な、人知を超えた存在の影。

 それを人は女性の姿をした何かとしか知覚できないのではないか。指を動かすだけで形を変える影絵のごとく、その本質はもっと違う何かではないのか。


 私たち、という言葉に人類そのものという意味を込めて、ミームは真城にというよりも自分自身に問いかけていた。

 本当に彼女たちを理解することの出来る日が来るのだろうか。

 

 彼女たちは何を想っているのだろうか。

 

 そんな感慨を抱いたまま、真城に意識を戻す。この軽薄な男の考えていることもよくわからない。何を想い、この戦いとも言えない戦いに加わっているのだろう。ほんのすぐ先にあるは

 ずの故郷を真城はどう見ているのだろう。


「ドクター」


 そんなミームの内心を察したのか、真城が重々しい声を出した。


「ハンカチか何かありませんかね。このヤロ、漏らしやがった」

「……早く、外へ連れて行ってあげたほうがいいわね」


 ハンカチを真城に手渡しながら、嘆息する。あのハンカチはもう使えないだろう。本当にこの男はどこまでが真剣なのか。さっぱりわからない。

 濡れたハンカチで子猫を抱き上げながら、真城は思い出したようにミームに振り返った。


「そうそう。アリエルが――夏目さんでしたっけ。彼女を連れてきたいと言ってきたら真っ先に教えてくださいよ。訓練すっぽかして、二人を迎えに行きますから」



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今回は少し視点が変わり、アリエルの来た場所でのお話でした。


次回 第8話 お出かけ

明日の13時35分過ぎに更新予定です。


少しでも気に入っていただければ、嬉しいです。


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