さいしょのおわり
「……」
鏡の中に酷い顔をした女が写っていた。
至るところが腫れ上がり、口や鼻からは流れた血の跡、銀色の毛は砂まみれというこれ以上無いというくらい酷すぎる顔。
「……ボクが勝ったら、どうしていたんだろう」
勝者の権利を主張して彼女の帰郷を許さなかったのか、それとも素直に里に返していたのだろうか。全く想像がつかない。それはどちらも友達であるならば選ぶ選択肢であるからだ。
目が覚めた時、陽子は朝日を浴びながら砂浜の上で大の字になって寝ていた。もちろん鬼越の気配はどこにも無かった。
夢遊病者のようにふらふらと寮に帰り着いた時、朝帰りをしてしまって怒られると陽子は覚悟したのだが、寮母からはそんな気配は無かった。酷い容姿も特に何もいわれない。しかも「大変だったでしょ?」と、心配されてしまった。
不思議に思って陽子が訊くと「ヨーコは
あの鬼女は最後の最後に妙な置き土産を残してくれた。いかにも鬼越らしい土産だと陽子は思った。
部屋に戻ると、最初からそんなものは無かったかのように鬼越のスポーツバッグは消えていた。
それだけで部屋の中が広く感じた。鬼越が持ち込んだ二つのスポーツバッグとその本人がいなくなっただけで、この部屋が何倍にも広くなったような気がした。
「……」
テーブルの上に出した折りたたみ式の鏡を見ていた陽子はその奥に鬼越の姿を見たような気がして振り向くが、もちろんこの部屋にいるのは自分一人。
「……シャワー、浴びなきゃ」
陽子は全ての物事に脱力したようにそう呟くと、自動的に動く人形のように着替えをまとめてシャワー室へと向かい登校の準備を始めた。
それから一週間が過ぎた。
「……」
寮の自分の部屋の中に制服姿の陽子の姿があった。外を見ると夕暮れ。学校も部活動も終わっている時間帯らしい。
窓から差し込むオレンジ色の日差しの下で、帰寮したが着替えるのも面倒くさそうにして、陽子はテーブルに頬杖を突いた状態で壁を見ていた。そこには陽子が着ている物と同じ制服がかかっている。
鬼越によって角を突き刺され穴の開いた制服だ。一応洗濯はしたので血はだいぶ落ちているが、それでも所々ピンクに染まっている。そして開けられた穴はそのまま。
陽子の裁縫の実力からしたら、かけはぎでもして開いた穴を綺麗に塞ぐことも出来ようものだが、陽子本人はそんなことはしたくなかった。
鬼越魅幸という赤鬼の女がいなくなってから一週間の時間が過ぎて、周りの環境は彼女が現れる前の状態に戻っていた。
陽子の通う高校には、陽子本人である狼人の生徒という珍しい存在が最初からいたため、同じような存在が増えてそれが急にいなくなっても、鬼越の突然の消失は他の生徒の殆どが気にする処ではなかった。陽子の存在の方が既に目立っていたためだ。そんな状態であるので赤鬼の女がこの学校に通っていた――そんな事実すら知らずに学校生活を送る者も少なくないのではなかろうか。
いや、鬼越という特異な存在が急に現れ急に消えたことにより、最初からいた特殊な生き物である陽子の存在は更に目立たず普通の人間の中に埋没していっているようにも見える。
まるで鬼越が陽子をより一層の普通の世界へと溶け込めるように犠牲になったように。一人の鬼を生かしたければ、もう一人の鬼が犠牲にならなければならない……彼女が語ったその比喩が本当に現実になってしまった様で。
「……」
鬼越は自分の私物などは、学校に置いてあった物(数日履いただけに終わった上履き等)も含め、全て持ち去って消えた。
だからこの穴の開いた制服が、鬼越という赤鬼がいたという唯一の痕跡となってしまった。
「……」
怪人と戦いその後に鬼越と大喧嘩した夜の明けた朝。
陽子は登校すれば学校関係の手続き中の鬼越に会えるのではと思い、その日はサボることも無く高校に向かったのだが、鬼越はいかなる手段か、早朝のうちに退学手続きの全てを終わらせ既にこの町からも姿を消していた。元々が一人の相手を追いそして倒す目的で現れたのだから、その程度の工作は簡単なのかも知れない。
その日のうちに陽子は保育園にも顔を出してみたのだが、回収された爆槌との引き換えに置手紙が残されていただけだった。手紙には「預かっていただいて感謝致します」と彼女らしい簡素な礼文が書いてあっただけだった。それは陽子が貰ってきて今はテーブルの上にある。これも鬼越がこの町にいた痕跡の一つであるが、手紙など筆跡を真似すれば誰でも書けるものであるし。
鬼越は黄鬼という自分よりも目立ちそうな男を里まで一緒に連れ帰るのだから、その行動の全ては迅速に行われていた。陽子が気付かないうちに彼女は既に手の届かない場所に行ってしまっていた。
「そういえば鬼の里がどこにあるかも聞いてなかったな……」
攻めに行くにしても、場所がわからなければどうにもならない。もちろん鬼の里を急襲して攻め滅ぼそうとは思わないが、こちらから向こうへ出向く手段すら無いとは。
「手紙ぐらい、送ってくれるのかな……」
テーブルの上に置いた置手紙を見ながら「多分そういうことしてくれる性格じゃないよね」と、ため息を吐いた。
手紙の隣には、鬼と大工の物語の薄いハードカバーが置きっぱなしになっていた。
鬼が現れる前からこの部屋に舞い込んで、鬼がいなくなった後もこの部屋にある、鬼の物語。
「もうすぐ返却期限だな……」
陽子がポツリと言う。
翌日の放課後。
「つぎ、犬飼」
「はい」
顧問の教師に名を呼ばれ、列の先頭にいた陽子は走り出した。バーの目前で跳び上がり、宙で体を捻る。しかしその捻り方は特に型にはまったものでもなく、陽子の体が自然に反応して動いただけに見える。
しかし陽子の体は設定されたバーの上の軽々と越えていった
「……え」
その陽子のパフォーマンスにその場にいた全員が度肝を抜かれた。
「犬飼……どうした、おまえ?」
「……はい?」
落ちたマットの上で力の抜け切ったような顔をしている陽子に顧問は言葉を向けるが、肝心の本人は聞いているのか聞いていないのかの、心ここにあらずの表情をしている。
「え……ああ」
頭の中がずっと空白になっていた陽子は、両腕から前に飛び込むような凄まじく適当な跳び方をしてしまっていた。しかもそんな風にして跳んだ自覚が陽子にはない。陽子自身もフックに載ったままのバーを呆然と見上げている。
「どうした犬飼、ここのところずっと元気が無いようだが」
普通の人間ではありえないジャンプ力を見せた陽子に対して顧問の体育教師は逆にそんな風に訊いた。
この一週間全く覇気の無い顔を見せている陽子は、とりあえず陸上部の練習にはやって来るのだが、ぼーっとした顔でランニングしているのが殆どだった。
本日は久しぶりに棒高跳びの練習に参加したのが、これだ。他の生徒のざわつきが収まらない。
「怪我でもしているのか?」
「そういうわけでは……」
更には顧問がそんなことを尋ねる。
陽子はそう返しながら、左の二の腕の辺りを軽く触った。銀のブローチで受けた傷を中に押し込んだ後遺症はほぼ完治したようで、気分の悪さは無くなっていた。しかしそれと一緒に覇気まで無くなってしまったようで。
「それなら良いが、元気や怪我が有る無いを別にしても、今のお前は様子が変だ。お前が気付いていないだけで体調がおかしいのだろう、今日はもう帰って休め」
「……はい」
陽子は素直にその指示を聞くと、部室の方へ歩いていった。
とぼとぼと帰って行く狼人の後姿に、他の生徒からの話し声が絶えない。
「今のは一体なんだったのか」「陽子は調子が悪いと高く跳べるのか」「そもそもあれは走り高跳びなのか」
「……」
生徒の話し声が飛び交う中、顧問も考えていた。
陽子のことを心配する口調だったのは、他の生徒への影響を考えてのことだった。多分いつの日かこんな日がくるのだろうと分かっていた。陽子の恐るべき身体能力を間近に見て、他の生徒がやる気を無くさないようにとあえてそんな風に努めた。
「……あいつはもう、ここには帰ってこないのかも知れないな」
それは寂しくもあり、また陽子の新たな門出でなのだから嬉しくも思おうとする顧問だった。
「……」
着替えを終えた陽子が荷物をまとめ部室を出て校門を抜け、寮への帰路を歩いている。一応シャワーを浴びてはいる様子だが、乾かすのが不完全であったのかその銀毛は生乾きである。所々残った水分が制服に染み出しているが、本人は全く気にした様子が無い。
「なんか全然楽しくないな……」
陽子が力が抜けたように呟く。
日々の生活がまるで白黒に塗りつぶされたように、自分の周りだけ色彩が消失したように思えていた。
鬼越魅幸という赤鬼が現れて四日という時間を共に過ごした。なんだかその四日で一生分の楽しさを使い切ってしまった気持ちになっていた。
胸に開いた気持ちの大穴が、どうやっても塞がらない。塞ぎ方も判らない。鬼越の角で開けられた制服の穴を縫って塞いだら、胸の穴も塞がるかとも思ったが、多分無理だ。
鬼の里を見つける方法を探せば楽しい気分になるかとも考えたが、あまりにも手がかりが無さ過ぎて、途方にくれただけだった。
あの鬼女が来る前の日、陽子はここを歩きながら「陸上で世界を目指すか」と夢想もしたが、もう今はそんな気は寸分も起こらない。
これからの毎日、体から大きなものが抜けたままの自分はいったいどうやって過ごすのだろう。
「ミユキが行く予定だった銃が奉納された神社にでも行ってみるかな……代わりに」
良い時間つぶしを見つけたかのように陽子は思ったが、しかしそこには鬼越と共に過ごした時間の記憶はない。彼女がほんの少しだけ残してしまったやりかけの仕事を自分が継ぐだけだ。それでは、寂しい。
「……そうだ、保育園の先生に訊いて百円ショップの場所を聞こう。それでミユキと同じ縞パンを買って穿いてみよう」
ミユキがもらって穿いていたのは普通の形のショーツだったので、自分が穿くには穴を開けたりと面倒くさいなと思いながら、それだけの時間を消費できるのも快く思った。鬼越と共に歩んで共に過ごした時間をもう一度辿るのを、しばらくの生きる目標にしたい。
「最初に行った
鬼越と共に過ごした時間を回想してそのように思い立ったが、怪人など普通は現れないのに気付いた。立て続けに二回も現れたのは本当に稀なこと。だから怪人の出現こそ、自分たちの存在以上に稀有な出来事。
「でも……怪人をやっつける以上に手ごわい相手がいるしね」
陽子は自分で味見をしてみたら口に含んでも全然やわらかくならない焼き菓子を思って少し笑った。怪人をも倒した二人にとってもいまだに倒し方の分らない本当に最強の相手だ。
「……」
しかし、それすらも終えてしまったら、自分はどうすればいいのだろう。
「……」
トーマスホガラの真実を知って、生きる目的を一気に消失してしまった鬼越の気持ちが少し分る気がした。
「ただいま……」
そうやって考え事をしているうちに今の陽子の帰る場所である寮に着いた。
「よかったヨーコちゃん直ぐ帰って来てくれて」
陽子の帰寮を知り、奥から寮母が出てきた。
「……はい?」
自分がこんなにも早く帰ってきたのは部活を早退させられたからなのだが、それで何かいいことがあったのだろうか。
「ヨーコちゃん、また相部屋の人が今日から来るから早めに知らせようと思って」
……え、相部屋の人?
寮母の言葉に陽子の気分が鉛を呑んだように重くなる。こんな時に、自分の部屋に誰かが新しく入るのか。全然いいことなんかじゃない。
(はぁ、こんな気持ちの時にどんな拷問だよ。なんかその新入寮生、頭にきたら頭から食っちゃいそうな気分だよ……)
「――って、あら? その相部屋の人も今到着したみたいね」
陽子も背後に気配を感じた。その新入寮生が到着したらしい。
「後ろの子、まだ四日くらいしかここにいないんでまだまだ分らないことだらけだと思うから、ヨーコちゃんが色々教えてあげてね」
寮母は手早くそう告げると奥に引っ込んだ。なんだか伝えるべき重要な事柄がかなり欠落しているような話し方だったが、また夕飯の準備で忙しい処なのだろう。
(四日? またずいぶんと微妙な日数だけ過ぎた新人だね)
手続きのすれ違い等で半端な時間を消費してしまった転校生でも来たのかと何の気なしに振り向いてみると
「……」
凄まじくド派手な女の子がいた。制服の上にフード付きのパーカーを着てその派手さを隠すような細工をしているが、それでも衣服の裾から伸びる真っ赤な手足といい、被ったフードから零れる金髪といい、あまり隠しきれていない。しかもそのフードは猫耳付きという、自分の正体を隠したいのかそうでないのか良く分からない格好である。
赤く染まった肌は普通なら日焼けに失敗した病的な印象しかないが、清楚さすら感じさせる綺麗なきめ細かさを持っていた。頭の金髪も染めたようなケバケバしさはなく、非常にナチュラルなハニーブロンド。そんな女の子が大きなスポーツバッグを担いで立っていた。
「すまん、世話になる……――また」
その女の子がどこかで聞いたような台詞をいいながら、バッグを持っていない方の手で照れたように猫耳付きフードを脱いだ。その下からあらわになる一対の角。
「あ、あ、あ――」
彼女の出現に陽子は何をいっていいのか分らなくなり、手に持っていた鞄もぼとりと落とし
「……頭から食ってやる!」
あまりのことに浮かんできた言葉をそのまま口に出した。それを聞いて相部屋となる女の子――鬼越魅幸が思いっきり吹き出す。
「いかにもお前らしい出迎えの言葉だな。歓迎されている様子で嬉しいぞ」
全く正反対の意味にしか聞こえないが、鬼越には陽子が伝えたかった気持ちが伝わった様子。
「……み、ミユキ?」
とりあえずこの事態に彼女の名前を呼ぶしかできない陽子。
「この時間ならお前は陸上部とやらをやっていると思っていたのだがな。せっかくお前が帰ってくる前にさぷらいずぱーてぃーとやらを部屋に仕掛けておこうかと思ったのだが」
「……今思いついたでしょ」
「なぜそう思う?」
「ミユキはそこまで器用じゃない」
「ばれたか」
「分からいでか!」
「本当は部屋の中で静かに座して待っていようと思っていた。お前の帰りを心待ちにしてな」
「というか、ミユキ、どうして……鬼の里に帰ったんじゃ?」
「簡潔に説明すると、里の者に怒られた、皆に」
肩に担いでいたスポーツバッグを一旦下に置きながら鬼越は話し始めた。
「黄鬼を連れて帰郷して任務完了の報告とそれに至るまでの経緯を話した時、里長にも他の者にも皆に怒られた」
その時の状況を思い出しながら鬼越が語る。
「命のやり取りをするくらいにお前のことを大切に思ってくれる友が出来たというのに、その友を悲しませたまま残して帰ってくるとは何ごとかと。それでもお前は戦いに生きる種族の末裔なのかと。いっそのことその場で噛み殺されていれば良かったのだとまでいわれてしまった」
鬼越が苦笑しながら言う。
「だからお前に頭から食われてその償いができるのならアタシはそれでうれしい」
「……ミユキは筋肉ばっかりで筋張って噛み切りにくそうだから食べるのは我慢しとくよ」
「そうか? 多少は女としてのふくよかな肉はついているつもりなのだがな、美味そうには見えないか」
「……えっと、ミユキは鬼の里には帰ったんだよね? じゃあなんでまた鬼の里を出ることに?」
「新たな
陽子の疑問に鬼越が答えた。
「外の世界を見聞し、それを里に伝えよと」
晴れ晴れとした顔で、新たな任を受けたことを語る。古来からの慣習が続く古き里に、新たな風を呼び込む使者となれと。
もしかしたらトーマスホガラの件も、討伐という形で見聞を広めるための旅を、将来有望なこの歳若い鬼の娘にさせようとしたものだったのかも知れない。先人たちは既にトーマスホガラが死んでいるのを知っていて尚、それを鬼越を里の外に出す口実に使ったのだろう。戦いの民なのだから、目的が戦いであるならば経験の浅い者でも見知らぬ外の世界で奮起できるだろうと。
しかし予想外にその使命が早く終わってしまったので、里の者たちも困ってしまった。
だが彼女はその短い間に外の世界で掛け替えの無い体験をし、掛け替えの無い友を手に入れていた。
だからもう、彼女を偽りの理由で里の外に出す必要も無いだろうと、今度は本当に見聞を広める旅に出されたのだろう。
そう、彼女は犠牲になんかならなかった。ちゃんと自分の分の幸せも手に入れて戻ってきた。
「今度こそ一生かかる仕事を任されてしまった。ほとんど追放処分に近いな」
「そうなんだ……」
そして鬼越が手に入れたその二つは、そのまま陽子も手に入れたものだ。とんでもない思い出を一緒に作ったとんでもない友人が戻ってきた。しかし一つ気がかりが。
「でもさ、戻ってきてくれたのは嬉しいんだけどさ、なんでここに戻ってきたの?」
見聞を広めるために再び里から出されたのなら、普通はそのまま放浪の旅に出るのではないのかと陽子は思うのだが。
「まずは女子高生というものをやろうと思っている。それもまた、見聞の一つだからな」
「……そっか」
鬼越の言葉を聞いて、これでまた自分の周りにも色彩が戻ってくるのだろうと陽子は思った。戻ってくる色は赤ばかりのような気もするが、それもまた賑やかで楽しいものだと陽子は笑顔を見せた。
「ああそうだ、高校生活というものを再開する上でお前に訊きたいと思っていたことがあったのだ」
「なんだろう?」
「帰宅部というのは誰が顧問でどこに入部届けを出せば良いのだ?」
陽子はそれを聞いて「ぶふっ」と吹き出した。
「なんだ? なにがおかしい?」
「い、いや、あはは……えっとね、実は学校の地下には秘密の地下室があってね」
「ふむ」
「そこにいる大校長って人を倒せれば帰宅部に入れてくれるんだよ」
「なんと、そういうからくりであったか、それでは分らぬはずだ。して、その大校長とやらはどれ程の強者なのだ?」
「ん~? ボクたちからすると、クッキーくらいの強さかな?」
「……勝てぬではないか」
「まぁせっかく学生生活を送るんだから、なにか部活の一つに入っていた方が良いよねってことだよ」
「……そうか。まぁそれも見聞であるしな」
「そうそう」
陽子はそういいながら鬼越の体へと手を回し彼女の体を抱きしめた。
「どうした急に抱擁など?」
「なんか嬉しいやらホッとしたやらで、力が抜けた」
「なんだ、アタシは支えか。まぁ良いが、あまり強くするなよ、お前に蹴られたあばらがまだつながっておらん」
そして鬼越もぎこちない仕草ながら陽子の背中へと手を回した。
「そうなの? それはごめんだけど鬼のくせに弱いなぁ。鬼なら一週間もあればくっつくでしょ?」
「お前の蹴りが強すぎるのだ」
「ボク一応平和な陸上選手なんだけど」
「お前のあの時の蹴りは野試合で里長に食らった一撃と混色が無かった」
「素敵な褒め言葉ありがとう。高跳びに全く生かせる気がしないよ」
「それはそうとお前、微妙に湿ってないか? 体を洗って
それはキミの所為だよと陽子は思ったが、鬼越がそれ以上は気にすることもなく横顔に自分の頭を寄せた来たので、どうでもよくなった。
「……まぁなんだ、ここへ帰ってきた理由は、学生生活を送るためとはいったが」
「うん?」
「……アタシがここに帰ってきた一番の理由は、もう一度お前に会いたかった、それが理由……だがな」
密着して陽子の顔が見えなくなったのに直ぐ隣にあるという不思議な安心感が、そんな恥ずかしい台詞をいわせたのだろうか。鬼越自身もなんでこんなことをいってしまったのかといった表情になっている。
「もう何、ボクに告ってんの? ちくしょー嫁になるか! でも嫁と嫁じゃ結婚できないね!」
「あくまでお前は旦那にはなる気は無いのだな」
「もちろんです」
「アタシもだがな」
「……まぁそれはおいといて、ボクもこれをいうのを忘れていたよ」
陽子は一旦自分の腕を解いてずらすと、今度は鬼越の頭を優しく包むように抱きしめた。
そしてとても穏やかな声でその言葉を告げた。
「……おかえり」
――おしまい――
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