第六章

「……げほっ、けほっ……うー、怪人相手だと爆発に巻き込まれてばかりだな……」

 怪人爆発の煽りを食らって垣根へと叩きつけられた陽子は、しばらく気を失っていたが数分後には目を覚ました。この辺りの頑丈さはさすが狼人である。

「……ぅ……相手は?」

 そしてほぼ同時に目覚めた鬼越が怪人がどうなったか訊いた。

「あの爆発なんだから倒せたとは思うけど……あ」

 陽子が確認すると、爆心地となった庭の一角は丸く抉れており、その中央に人が一人倒れていた。怪人と変じた鉄車帝国兵士だ。怪人――兵士が履帯式車両を触媒として変身した簡易型怪人――を構成していた外皮を爆発崩壊させ中の人を取り出した状態。つまり、倒したのだ。

 兵士は覆面が吹き飛び、全身を覆うタイツも腰周り以外は無くなっていて素肌を見せていた。だがその素肌が不可思議な色をしていた。

「黄色?」

 叩きつけられた垣根から抜け、正体を晒した兵士へと近づいた陽子が、人のものとは思えない体色に首をひねる。

「黄鬼!?」

 しかし遅れてやってきた鬼越は彼の正体がすぐに分かったらしい。

「きお、に……? って、ああ、角生えてる」

 最初はその肌の色が目立って気付かなかったが、髪の色が鬼越と同じようなハニーブロンドで、その中から同じように一対の角が生えていた。しかし髪質は伝説通りの天然パーマであった。

「え? じゃあこの人はミユキの知り合い?」

「顔見知りではないが……同じ鬼ではある。それとお前に訊きたいのだが、怪人として倒された兵は撃破後こうなるとどうなるのだ?」

「怪人として戦っていた記憶とか全部すっ飛んじゃうみたい。簡単に解釈すればもう悪さはしないってことだと思う」

「……う、……ぐ……」

 二人が話していると黄鬼と鬼越に称された男が目を覚ました。

「……お前は……赤、鬼?」

 自分の顔を覗き込んでいる鬼越の容姿を見て黄鬼が言う。

「そうだ」

「では……鬼越の、血の者、か……」

 黄鬼が鬼越の名字を言い当てた。どうも鬼の血族の者たちは、上の名で色による種族分けがなされているらしい。

「お前は鬼貫おにつらの血の者だな?」

「……そうだ」

 そして鬼越も鬼越で、黄鬼の上の名を言い当てた。黄鬼の血族はそういう名字らしい。

「鬼貫、なぜお前が鉄車帝国と呼ばれる組織の兵の一人となっているのだ?」

「……話せば、長くなる……それよりもなぜ鬼が鬼の里の外にいる? お前も俺と同じように外界を選んだ者か?」

 鬼越の質問を逆に質問で返された。

「それは、探索と討伐を命じられて――だが今は、お前に尋ねる方が優先だ。殆ど死に絶えた黄鬼の鬼貫が、なぜ……?」

「……」

 しかし黄鬼はぐったりとしてそれ以上しゃべれないでいる。怪人として倒された直後なのだ。だが鬼越としても彼からはもっと話を訊かなければならない。それに同属の者をこのまま人間の手へ委ねるのも気が引ける。

「……ヨーコ」

 申し訳なさそうな口調で、共に戦った者の名を呼ぶ。

「はい?」

「怪人というものを倒した後はどうなるんだ?」

「そりゃあ中の人がいるんだったら、陸保か水保に引き渡すのが普通なんじゃないの? 前回倒した怪人の中の人も陸保の人たちが引き取っていってたし」

 訊かれた陽子もとりあえず通常として対処すべき用法を伝えるが

「でもさ――この黄鬼さんをどこか人気の無い所に運びたいんでしょ、ミユキとしては?」

 既に鬼越がやりたいことが分かってもいたのだった。

「……すまぬ」

「まぁ力は貸すからさ、とりあえず制服着るぐらいの時間はもらって良いかな」


 数分後、人気の無い橋下に三人の姿は移動していた。ちなみにここは午前中の時間帯に黄鬼がまだ鉄車帝国兵士であった時に、巡回中の水保の戦車の様子を伺っていた場所でもある。

 今現在、陸保の車両が警戒のために走り回っているが、何とかそれらに捕まらないでここまで来れた。怪人出現ともなれば、地域住民は自宅への避難を強いられるので、それが解除される前に移動できたのも幸いだった。

 一般的成人男性より余程重い鬼一人を担いでの現場からの迅速な移動を強いられたので、重量物である爆槌は持って来れなかったが、ちょうどスーパーから帰ってきた保育士に預かってもらっている。行われているだろう現場検証の際に「これは何か?」と問われたら「園備え付けの遊具です」とはいってもらう手はずになっているのだが――まぁ、大丈夫だろう、多分。

 怪人となって暴れた者は消えてしまっているのだが、元チャリオットスコードロンの隊員だった者がたまたま遭遇して倒してそのまま開放してしまう場合もあるので、怪人が爆発消滅した痕跡が発見できれば怪人捜索は一応の区切りは付けるようになっている。

「訊かせてもらえないだろうか、なぜお前のような鬼の一人が鉄車帝国兵となっていたのか」

 橋下に背中を預けるようにして座らせた鬼貫の前に鬼越がしゃがんで問い尋ねる姿勢になっている。

 その少し後ろで制服を着た格好に戻った陽子が、保育士からもらった生レバーをがふがふと咀嚼しながら様子を伺っていた。陽子にしてもそのままの格好でも良かったのだが、流石に「腹丸出しのスポーツウェア姿の狼女」と「ぼろぼろの制服姿の赤鬼女」と「腰周りだけタイツが破け残った黄色い鬼」が一緒にいたら、見つかった時に何も言い訳できないと悟り、とりあえず自分だけでも普通に戻した状態だ。

「単純にいえば……鉄車帝国というものは、俺のような者に居場所をくれた」

 岩に背を預けた黄鬼が語り始めた。体の方も大分回復してきたらしい。

「居場所……?」

 印象的に聞こえたその言葉を鬼越が繰り返す。

「世界を救った後の世界の矛盾という比喩を知っているか?」

「……いや」

 鬼越が後ろの陽子にも顔を向けるが、陽子もレバーの最後の一切れを飲み込みながら顔を横に振る。

「例えば、とある世界に君臨していた魔王を勇者が倒したとしよう」

 魔王による圧制に苦しめられていた人々は、遂に現れた救世主によって救われる。世界を救った勇者が人々から絶賛を受けて――という、どこにでもありそうな救世物語を黄鬼が語る。魔王や勇者といった多少博学な知識がこの黄鬼にはあるようだが、それも外の世界を歩いていた時に得たものなのだろう。

「しかし人々はいつしか気付いてしまう。もし魔王を倒した勇者が怒ったら、誰がその勇者を止めるのか? そして怒る怒らない以前に、もし勇者が魔王のように世界征服に乗り出したら、いったい誰が止めるのか?」

 地上最強の存在であった魔王を倒したのだから、それを討った勇者の時点で地上最強という段階が更に上がっている。それに気付いてしまった時の恐怖はとてつもないだろう。

「多くの救世物語には魔王や悪の権化を倒してめでたしめでたしとしか書かれていないが、本当の物語とはそこから先で始まる訳だ」

 魔王よりも強い勇者の前では愛想笑いを浮かべて民達はびくびくしながら暮らすのか、己が恐怖の目で見られていることを悟った勇者が人々の前から自主的に姿を消すのか、それとも本当に世界征服を始めた勇者を倒すために新しい勇者が現れて戦いが延々と繰り返されるのか。

 めでたしめでたしの後に続く、本当の真実。

「鉄車帝国とは、そんな風にしてあまりにも強すぎて居場所が無くなってしまった者たちに居場所をくれた――そういった組織だった」

 鉄車帝国の勧誘はそうして世界の様々な場所で居場所をなくしていた強すぎる者たちを呼び込んだ。時には異世界にまで足を運ぶこともあったという。鉄車帝国兵士が下級兵士といえども一人一人が一騎当千の力を持っていたのは、そうした理由があったのだ。

「覆面を被ってしまえば皆同じ。楽でよかったよ。もっとも俺は角がはみ出してしまうが、それでも色々とはみ出している奴は他にもいたからな、目立つこともなかった」

 お互いが強いので気兼ねすることも無い。彼らにとってはもっとも幸福で安心できる働き口だったのかもしれない。

「俺自身はとある祠の岩の中に封印されていた。今から考えたら世界の終わりまでそのままでいたほうが幸せだったかもしれん」

 黄鬼が今度は自身が帝国兵となった経緯を語り始めた。

「しかしその封印が突然破られた。中にいる鬼の俺を倒せばなにか神事が叶うとかそんな理由だったのだろう。だが封印を破る術はあったのかもしれないが、その先がまずかった」

「まずかった?」

「お前の目の前に、倒せば神事が叶うとされた相手がピンピンして生きているんだ。大失敗だよ」

 鬼越の言葉に黄鬼は力なく笑いながら答えた。

「もちろん俺も鬼だからな、わざと負けてやろうとは少しも思わなかった。戦いの種族である鬼にとっては、戦いを申し込まれたのならば全力を持って相手をするのが礼儀」

「気付いた時には人の形をしていない肉片が目の前に転がっていた……そんなところか?」

「大体そんなところだ」

 鬼越の想像に黄鬼は力なく答えた。

「戦って打ち負かしてくれてそのまま俺に引導を渡してくれりゃ良かったんだが、その一番大事なことができない連中が封印だけ壊していきやがった。もう岩の中にも戻れず途方にくれていた時、やってきたんだ、鉄車帝国の勧誘が」

 それは正に彼にとっての救世物語だったのだろう。

「話を聞いてみればずいぶん便利な所があるもんだなと思って、一も二もなく入れてもらったよ。俺が里を出る時にも鉄車帝国があってくれりゃ良かったとは思ったが、その頃は創設はまだされてなかっただろしな」

「お前も鬼の里の出なのか?」

「鬼であるならあそこ以外にどこに出身地がある?」

「まぁそうなのだが。黄鬼――鬼貫の血の者は今となっては殆ど生きておらぬのでな」

「お前とは世代も違うからな、そう思うのも仕方ない。俺はトーマスホガラが里を壊滅させた後、里を出ての暮らしを選んだ。その後に色々あって運が良かったのか悪かったのか偉い坊さんに捕まって岩の中に封印されたって訳だ」

「お前……トーマスホガラのことを知っているのか!?」

 話の流れで自分の探索対象の名が出てきたのに、驚くように鬼越が訊く。トーマスホガラが里を壊滅させた後ということは、この黄鬼は蒸気侍が鬼の里を壊滅させた時、その場にいたことになる。

「なんだ、お前こそ知らぬのか?」

 鬼のくせになぜ知らぬといった貌で黄鬼が鬼越を見る。

「詳しくは知らぬ。だがあやつの探索と討伐を命じられてここにいる」

「討伐……そんなことをいっている者がいるのか。いや、鬼越の血は数が多い、ならば知らぬまま世代を重ねた赤鬼も多いのか」

 自分が岩の中に封印されていた間に随分と時代が流れてしまったのだなと黄鬼が述懐する。

「教えてくれトーマスホガラのことを」

 鬼越が懇願する。まさか自分が倒した相手がその情報を持っていたとは、なんという巡り会わせか。

「真実を知っても後悔はせぬか?」

「アタシは鬼の里を壊滅させたトーマスホガラを探し出し討つためにこの世に生を受けのだ。事実の前に後悔の仕方など知らぬ」

「……そうか」

 鬼越の言葉を聞いて様々な思いが去来したが、どんな形であれ彼女の使命を果たさせるのが今は一番なのだろうと、重い口を開いた。

「トーマスホガラ――あやつも鬼の一人だ」

「鬼の……一人」

 いきなり投げつけられたその真実に、鬼越が驚愕の顔になる。後ろで聞いていた陽子も、まさかそんな結果が待っているとは考えられず、思わず息を飲んだ。

「その名を、白鬼。鬼の中でも最強の鬼だった奴だ」

「白鬼……」

 語られたもっとも強き眷属だった者の名を、鬼越は繰り返した。

「戦いの中で生き、戦いの中で死ぬことを誇りとする我らに、最後の選択肢を与えるために、あやつはやって来た」

 黄鬼が語り始めた。

 我らがまだ、鬼と呼ばれる以前の存在であった時代にそれは起こった。

 元から戦うための民として我らは存在したが、その我らの成長に手を貸していた組織が、突然協力を打ち切ると申し出た。

 ただ手を切られるだけであるならば多少の遺恨が残る程度で済んだのだろうが、我らは悟ったのだ。協力を打ち切ったとすれば、すなわち、協力関係にあった我らはあまりにも組織の内情を知っている。その流出しすぎた知識をも切るために、組織は我らを処分しに来るだろうと。

 だから我らは決意した。戦いの中でしか生きられない民として生まれ、それが必要なくなったからといって処分されるのであれば、こちらから討って出ようと。

「その時決意したのだ。我らは、鬼となると。自分たちのために他の全てと戦い、全てを無くそうとするなら、悪の象徴を名乗ろうと」

 鬼という種族が、そんな壮絶なる覚悟によって誕生した事実に、その末裔である鬼越は口も開けない。後ろで聞いている陽子も、他人事とはとても思えないでいた。自分の家系である狼人の血筋にも大なり小なり同じような事はあったはずであるから。

「そんな時、あやつは現れたのだ」

 鬼となる決意をした里の者全員が、組織を壊滅させるべく打って出る準備を完了させた時、鬼の里に白き戦士が現れた。

「最初は皆あやつは裏切ったと思った」

 里の最強の力を持つ者として、白鬼は組織との最後の交渉に出向いていた。それは見放された後に白鬼が単独で行った組織への最後の抵抗だった。

 しかし交渉に行ったはずの白鬼は、組織から貸し出された熱き蒸気を噴き出す異形の武具に身を包み、更に三人の銃士を従えて帰ってきた。

 白鬼にも、自分がいない間に里で戦いの準備が行われているのは伝えられていた。そして一番強い者だからこそ、その後に何が起こるかを悟った。

 鬼となった者全員が全力で戦いに出たのならば、その余波で、組織だけではなく世界の全土を巻き込んでの戦いになる。それでは、義憤を晴らすだけでは済まぬただの虐殺になってしまう。

 里へと完全装備で舞い戻った白鬼は、戦いの準備を終えた里の鬼たちに向かって、何の前触れ無く刃を振るった。後ろに控えた銃士たちが、それに合わせて狙撃を始める。

 不意を突かれた里の者たちは、その殆どが一気に掃討され、戦闘力を失った。

 しかして白鬼と三人の銃士は確かに鬼を斬り倒し、撃ち抜いたが、普通の刃物や弾丸ではそれほど大きな被害は与えられないはずである。そして白鬼一派も、鬼の弱点を突く植物を用いた攻撃はしなかったと記録に残っている。

 そして重傷を与えたが致命傷までは至らせていない里の者たちに向かって白鬼は叫んだ。

『戦いの中で幸福のまま死にたいのなら俺と戦え。俺が最後まで付き合ってやる』

 白鬼も覚悟を持ってここへ帰ってきたのだ。被害が拡大してしまった時に起こるであろう罪無き者たちへの虐殺を止めるために、自分の命を使って。

 その白鬼の一喝で、多くの者は気付いた。このまま侵攻していれば、ただ悪行をするためだけの行いになってしまっていただろうと。

 しかし気付いたとしても、それでも気持ちが許せない者もいる。晴れない怒りを抱えた者は、血潮を噴き出しながら白鬼へと向かっていった。そして白鬼もその全てを受けた。

 白き肌は他の鬼の返り血を浴びて桃色に染まる。そして自分が流した血でも染まった。その壮絶な姿に彼を桜鬼と呼ぶ者もいた。

「俺も後ろの娘さんに良く似た銃士に腹を撃ち抜かれたな」

 その狂騒の場にいた黄鬼が、その時撃たれたのであろう腹の位置をさすりながら陽子の方を見る。

「……」

 突然話を振られて、陽子も戸惑いの顔を見せた。やはり犬の銃士、犬の化身とは自分の祖先だったのだろうか。

「確かこの町にはその銃士を祭る神社があるはずだが、まだあるのだろうか」

 黄鬼が何の気なしに記憶の中から導いたその言葉、それがまさしく鬼越が今夜探索に向かおうと思っていた銃が奉納されているという神社なのだろう。巫女の彼女が目印と語った狂い咲きの桜の木も、付き従っていた蒸気侍を祭ってのものであるはず。

「じゃあトーマスホガラによる里の壊滅というのは……」

「ああ、これ以上被害を外に広げないようにと、鬼同士が戦い自滅したのだ」

 震える声で問うた鬼越に、黄鬼ははっきりとした口調で答えた。

 我ら鬼となった者たちが全ての力を捧げて侵攻したら、後には何も残らない。

 これ以上被害を広げては悪事にしかならない。だから戦いを望むもの同士だけで戦い、そして果てよう。

「……我らは悪役ではあるが悪人ではない」

 戦いの民であるからこその、あまりにも壮絶なる決着を知り、鬼越の口から思わずその言葉が洩れる。

「それは白鬼――トーマスホガラが最後に残した言葉だ。ちゃんとその言葉だけは伝わっていたんだな」

 同胞の返り血を浴び自らが流した血をも浴びて桜鬼となった彼は、同じ鬼からの無数の傷を受け、そして命を散らした。赤き鬼の少女がその討伐の命を受けていた相手は、既にこの世にはいなかった。

「トーマスホガラも、自分が鬼の里で死んだとは記録に残してくれるなと望んだ。自分も戦いの高揚の中で死にたいと我儘を望んだのだからと。だからあやつの最後を知るのは実際にトーマスホガラと接触のあった者から――俺のような奴からの口伝だけだ」

 だからこそ、既に死した相手であるので討伐という目的が出来てしまった。死んでいるのを確かめる目的もありはしたが、それはあくまで副次的目標である。

「生きる上では恨みを晴らす目的が必要な場合もある。トーマスホガラ自身もそれを含めても、自分のことを利用してくれて構わないとは思っていただろうから、里の歴史からも消えたのだ」

 それすらも、トーマスホガラは予想していた。それを糧として生き抜けるのなら、恨みの対照となっても構わないと。そうして鬼越魅幸という赤き鬼の少女は生きる目標を与えられ、この町までやって来た。

「……」

「……あの、鬼の里はそのあとどうなったんですか? 組織の人っていうのが、その後本当に鬼のみなさんをその、口封じに、来たんですか?」

 言葉を無くしてしまった鬼越に代わり、今まで黙っていた陽子がたまらず口を挟んだ。

「組織の里への侵攻というものは無かった。それを見越してのトーマスホガラの戦いだったからだ」

 鬼同士の鬼の里を壊滅させるほどの圧倒的な力は、もちろん間者によって組織にも報告された。それだけの集団を口封じのために殲滅するには、組織全てと引き換えにする必要があるだろうと判断されたのは想像に難くない。

「まぁ殆どの鬼は生き残ったからな。死んだ鬼も『今ここで死にたい』と願った者だけだった」

 傷を負ってはいるが主戦力はほぼ残っている。これ以上は見て見ぬふりの不干渉を決めるのがお互いにとっても最良だろう。

「里の者には二つの選択肢ができた。このまま里に残るか外の世界に出てみるか。組織との縁が切れてしまったので、協力の拠点となる里にい続けなければならないという枷が無くなってしまったからな。俺は後者を選び、まぁその後はさっき説明したとおりだ」

 ――多くの救世物語には魔王や悪の権化を倒してめでたしめでたしとしか書かれていないが、本当の物語とはそこから先で始まる訳だ――

 最初に黄鬼が語ったその言葉。トーマスホガラという名の白鬼の物語は正にそれだった。

「……じゃあ、その物語に翻弄されたアタシは、これからどうすれば……」

 全ての真実を知った赤き鬼が愕然として言った。



「これからどうするのミユキ?」

「……里へ戻る」

 陽子の質問に、鬼越が魂が消失したような声で答えた。答えるために口を開くのも辛い、そんな印象だ。

「鬼貫さんはどうするの?」

 今は岩場の目立たない場所に隠れてもらっている黄鬼こと鬼貫のことを陽子が心配して訊く。

 本来ならどこか家屋の中にかくまってやりたい処だが、二人とも女子寮や高校などの限定的な人間しか出入りしない隠れ場所しか候補が無いので、申し訳ないが野宿である。しかし彼は鬼であるので陸保や水保の後詰の探索隊が来たとしても、本来の戦闘力を発揮すれば見つかることもあるまい。食料や着替えなどの生活物資は後ほど鬼越が都合をつけて届けることにしている。

「黄鬼も里から出た者だが、今は奴が出た時代とは違う。里に連れ帰って一旦は保護してやらんとならん」

 それは黄鬼本人よりも周りの普通の人間の保護の方が目的としては大きいのだろう。それをまるで、それが自分に新しく与えられた絶対の目的のように鬼越が言う。

「まさかとは思うんだけどさ――」

 全くといっていいほど覇気を無くした鬼越を見て陽子が言う。

「このまま里に帰ったら、もうここには戻ってこないなんて……ないよね?」

 陽子が一番恐れていたことを訊いた。

 鬼越とは何年何十年と関係が続くのだろうと楽観視していた。殆ど手がかりらしいものが無いように思えたトーマスホガラの探索は、本当に一生かかりそうな勢いだったからだ。鬼越が将来この町を越えての探索に移行したら、自分もそれに着いていって旅行気分を楽しむのも良いなと思ってたりもした。

 しかし、こうも簡単にそれが達成されてしまった。

「……」

 陽子の問いに鬼越も答えられないでいた。

 鬼越にしても、不思議な縁で知り合ったこの狼女とは、クサレ縁と呼べるほどに末永く付き合っていくのだろうと思っていた。自分の一生の時間を消費しても、蒸気侍が見つかるとは鬼越も思えないでいた。

 それがこんなにも早く達成されてしまい、鬼越自身も生きるための目標を失ってしまい途方にくれた。

「トーマスホガラさんがもう死んでいたって事実は、手紙かなんかで伝えれば良いじゃない。任務完了なんでしょ? だったらあとは普通に高校生活を送れば良いじゃない」

「鬼貫を、連れて行かねば……」

「だったら鬼貫さんを連れ帰ったら戻ってくればいいじゃない。またいっしょに学校いこ?」

「そんなことはできない。アタシは里に……」

「里、里って! 里が死ねっていったらミユキは死ぬのか!」

 完全に意気消沈した鬼女から聞こえてきた言葉に、遂に陽子が怒りをあらわにした。らしくないその態度が気に食わない。

「……無論だ」

「ばかやろう!」

 陽子は思いっきり腕を振るい鬼越のことをぶん殴った。平手ではなく拳である。それを避けることもせず頬に受けた鬼越は少し吹っ飛ばされて砂の上に倒れた。

「死ぬくらい自分で決めろ! それにさっきは自分で死に場所を決めようとしてたじゃないか!」

「……」

 陽子の台詞に鬼越は言葉を返せない。生きる目標――生きる意味をいきなり失った鬼越は、半ば錯乱していた。何も考えられない。何も決められない。誰かが自分が次になすべき行動を決めてくれるのなら、それが自決でも構わない。それほど鬼越の心は乱れている。

「せっかく友達になったボクのことを置いて勝手に帰んなっていってんだこの莫迦鬼!」

 そんな魂が抜けたようになってしまった鬼越を罵倒する陽子の瞳から涙が零れてきた。里の戒律に従って生きてきた鬼越の気持ちも判るから、罵る自分も心が痛い。

 一人の鬼を生かしたければ、もう一人の鬼が犠牲にならなければならない――鬼越が語ったその比喩がこんな形で現実になるような気がして、それが陽子には許せない。人間以外の変な生き物が二人いたって、一人が消えることなんか無くて二人ともいて良い筈だ。それが自分から出た我儘な気持ちだとしても、そんなの許せない。

「ボクは普通でありたいから、普通のともだちとしてミユキとは付き合いたいから、そんな鬼の里の使命とかなんとかそんな普通じゃないことでミユキとお別れなんかしたくないから! それでも帰るっていうんだったら、ボクを倒してから行け!」

 自分から自分の普通を壊そうとしたが、だがしかし友達との間にできた普通まで壊したくない。

 陽子は叫ぶ。大事なものが急に失われようとしている事実に、最後まで抵抗したい。

「ミユキがそんなに死にたいんだったらボクが半分だけぶっころしてやる! そして病院から一生出れないようにして里にだって帰れなくしてやる!」

 陽子が随分と物騒な台詞を並べるが、それは里の呪縛から逃れられない赤き鬼に対する精一杯の優しさであると鬼越にも判った。

「……そうだな、そこまでいわれて戦わないのは鬼の矜持に反する。今のアタシも冷静さを欠いているだろう。お互いボコボコになれば、少しは気持ちも冷めるだろうしな」

 混乱した気持ちに小さな決断をくれたような陽子のその言葉に、鬼越は再び立ち上がった。


 砂浜の上に狼人と鬼が対峙していた。

「……手加減は無用だな?」

 鬼が静かに問う。

「あたりまえだ!」

 狼人が泣き腫らして真っ赤になった目を更に血走らせて応える。

「――では、参る」

 鬼越はそういって身を低くした。陽子はそれを走って飛び込んでくる前触れだと考え、左右どちらに飛んでかわそうかと思っている所に、その姿勢から地面に蹴りを見舞う相手の姿を見た。

「!?」

 蹴り上げられた土砂が陽子に降りかかる。鬼越の飛び込むような姿勢は最初からフェイクだった。

「ぶは!」

 土砂を浴びた陽子がむせ返る間に、それそのものを遮蔽壁とした鬼越が急接近をかけ、そのまま相手の目の前で回転しながらの右の裏拳を放った。

「ぐはぁ!?」

 右頬に直撃を食らった陽子が吹っ飛ぶ。だが陽子は倒れた直後に起き上がって後ろに跳び退り、鬼越からの追撃を回避する。一瞬思考が途切れたが、そこは狼人としての身体能力が補う。

「さっきもらった良い拳のお返しだ」

 姿勢を戻した相手を見て深追いはせず、拳を出した構えの姿勢を取る鬼越が言う。

「……中々卑怯な手だね」

 口と鼻から出てきた血を拭いながら陽子が言う。

「卑怯ではない。野戦であるならば使えるものは使うのが流儀だ」

 構えの姿勢を保ちながら鬼越が応える。

「……確かにね」

 小さい頃に巻き込まれた喧嘩では、自分もめちゃくちゃなことをしていたなと陽子も思い出す。

「――だったら!」

 今度は陽子が身を低くすると、そのまま鬼越に向かって飛び込むように走る。

 戦いの種族である鬼相手にフェイクも何も無しに飛び込むのは自殺行為に等しいが、それでも陽子は正面から走った。

「うぉおりゃぁあ!」

 そのまま鬼越の目の前で棒高跳びのように横転しながら跳んだ。そしてベリーロールを跳ぶように横向きで前に向かって捻りを加える。これが普通の人間がやったのなら鬼越の前に尻を晒すだけに終わるのだが、陽子には狼人として持って生まれた体の部位がある。

「!?」

 高速で回転してきた銀色のふさふさしたもの――陽子の尻尾で思いっきりはたかれた鬼越は一瞬視界を失った。陽子はその好機を逃がさず、着地した瞬間にそのままの回転力で蹴りをみまった。

「ぐふ!?」

 それは見事に鬼越のわき腹に決まり、相手を吹っ飛ばして砂の上に沈めた。

「そうだよね、使えるものはなんでも使わないとね」

 そういいながら陽子が小声で「いてて」と囁く。陽子も自分の脛の一部も当たってしまい結構痛かったのだ。鉄車怪人の時といい陽子は蹴り技はあまり得意ではないらしい。

「……どうした、相手が倒れているのに追い討ちはかけんのか」

 片膝立ちになりながら鬼越が、それだけ食らっても全く戦意の落ちない瞳を向ける。狼人でありしかも陸上競技で鍛えたその脚の蹴りだ。得意ではないとはいえ鉄の塊の怪人を揺らして人質を取り落とさせるくらいの蹴りなのだから、それをまともに食らえばあばら骨の数本は折れているはずなのにである。

「ボクはそんな卑怯な戦い方は知らない」

 相手のわき腹に当たった脛が痛くて陽子も一瞬身動きできないでいたのだが、それとは別にして彼女に対してはあまりそのようなことはしたくない。

「――甘いな」

 鬼越はそう一言つぶやくと弾丸のように飛び出した。まさかその姿勢から攻撃に転じるとは思っていなかった陽子は一瞬の隙を突かれた。無防備に晒していた自分の腹に鬼越の頭突きがヒットして――

「ぐぁああ!?」

 頭頂部の衝突による鈍痛の中に鋭利な痛みが混じった。ヘソを少し外れた腹部に、鬼越の右の角が突き刺さっていた。

「あ、あ……」

 たまらず尻餅をつく陽子。

「使えるものはなんでも使わなければな」

 鬼越はそういいながら角を引き抜き、後ろに下がって間合いを取った。

「……どうしたの、相手が倒れてるのに追い討ちしないの?」

 風穴を開けられ血を吹き出した腹を押さえながら、陽子が歯を食いしばって相手を睨み付ける。

「今はそんな気分ではない……」

 右の角から右顔面にかけて陽子の返り血で染まった鬼越が、悲しい声で言う。鬼越にしてもこれ以上友を傷つけたくはない。

「ミユキだって甘いじゃない!」

 荒く息を吐きながら、陽子が腹を抑えている反対側の方の手を砂の上に突く。

「それにしても……角で串刺しだなんてさすがにはじめての経験だよ」

 陽子はそういいながら腹を押さえていた手を離した。出血は止まっていた。鬼の角には銀の武器のような決定的殺傷力は無い様子。しかしそれ以上に心が痛いのは確か。

「……」

 止血を確かめた陽子は押さえていた手も砂に突くと、前傾姿勢になって高々とお尻を突き上げ両足を左右に開いた。狼が獲物へ飛び掛る直前の構え。

「行くぞ!」

 自分でも知らずの内に野性の本能を剥き出しにした陽子が吼える。子供の頃に封じたはずの、狼人の真の力。

「ああ、決着をつけよう」

 鬼越も構えの姿勢で対峙する。

「――うぉぉおお!!」

 それは女の子の叫び声なのか狼の吼え声なのか。どちらともつかない咆哮を轟かせ、陽子は両手両足四本全て使った全力の加速で飛び掛った。

「……」

 鬼越は冷静に土砂を蹴り上げる。陽子はその中に突っ込む。しかし全く加速の衰えない銀の塊が、土と砂の遮蔽壁から飛び出した。

「!?」

 陽子が目を瞑ったまま飛び掛ってくるのを鬼越は見た。獣の本能を曝け出した陽子は、相手の音、匂い、そして気配だけを目標に飛び込んできた。

 舞わせた土砂が全く意味を成さないことに気付いた鬼越はすぐさま、直接攻撃に切り替えた。鬼越の右拳が瞼を開いた陽子の顔面にヒットする。しかし陽子の勢いはそれでも全く止まらなかった。

「ぐがぁああ!」

 再び鼻血を噴き出しながら陽子が野獣の雄叫びを上げる。加速の衰えないまま飛び掛った陽子の腕が鬼越の身体を掴み、そのまま二人は倒れて転がる。そして気付いた時には、鬼越は後ろから羽交い絞めにされていた。

「……はぁ、はぁ」

 背後から相手を拘束した陽子は、その口を開く。一瞬で肉を引き千切る犬歯が幾つも覗く。

「……」

 しかし陽子はその姿勢から動けないでいた。

「どうした……そのままアタシの首を噛み切ればお前の勝ちだぞ」

「……できないよ」

 口を開いたままの陽子が震える声で言う。お前に殺されるなら本望だ――そう語っている鬼越の瞳を見た瞬間、野生に暴走していた陽子の動きが止まった。生きる意味を無くした自分をここで終わらせ、それが戦いの中であるならこんなにも幸せなことはない、しかも相手がお前ならば。鬼越の瞳はそう語る。

「ともだちの首を噛み切るなんて……できないよ」

 彼女のその瞳を見なかったならば、陽子は本当にこのまま牙を押し進めていただろう。しかしその瞳を見た陽子は冷静さを取り戻した。だからこれ以上は、もう無理。

「やはりお前は、甘いな」

 陽子が脱力して締め付ける力が緩んだのを知ると、鬼越はそのまま相手の腕を抜け逆に相手の腕を掴み、背負い投げに決めた。

「だが、甘いということは」

 そのままの勢いで仰向けになった陽子の上に馬乗りになる。

「……優しいということだ」

 鬼越は拳を振るった。陽子の顔といい腕といい胸といい腹といい手の届く場所全てを殴りつける。彼女が憎くてやっているのではない。こうでもしなければ狼人である陽子はすぐに回復してしまう。

 ここで死ねなかったということは、ここから去る選択肢を選ばなければならない。だから、その為に。

「これで……お別れだ」

 鬼越は陽子の体から離れると、全身全霊の拳をその腹部へと最後に叩き込んだ。


「ああああー! ころせー! ボクをころせー!」

 大の字になって砂浜に倒れ伏す狼女が絶叫する。

 鬼の剛力で放った何十発という拳が、絶対の回復力を持つはずの狼人を完全に動けなくさせていた。それでも声は出せたので叫ぶ。声を出す度に体が痛い。でもそれでも叫ぶ。

「ミユキはボクに勝ったんだからボクをころしてからいけぇ!」

「勝ったのなら生殺与奪の権利も勝者にある……」

 絶叫する陽子の隣に胡坐の姿勢で座る鬼越が力無く答える。

「ボクをここで始末しておかないと大変なことになるぞ!」

 喉を枯らし涙を吹き零しながら、もうすぐ去り行こうとしている友に叫ぶ。

「ボクが本当に犬の銃士になって蒸気侍と他の二人の銃士を揃えて鬼の里に攻め込むぞ!」

「ああ、楽しみに待ってる。里の者全員で歓迎する」

「今度はボクがミユキの寝首を掻きに行くんだからな! クビ洗って待ってろ!」

「ああ、待ってる……ずっと、ずっと、な……」

「ぅ……う、ぅ……ぅ、うわぁあぁあああぁあ!」

 狼女の啼泣が砂浜に響く。

 その悲しみにくれた絶叫が響く中、座したままそれを聞いていた友の気配が消えた。

 狼女は赤き鬼が消えた後も泣き叫び続け、そして力尽きるように彼女の意識も消えた。

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